1-7

 半年前。

 森本真希菜は水晶式機械科に在籍する学生だった。

 昔から機械が好きで、水晶式機械にも興味があった真希菜は、水晶式機械修理技能士――ただそうなることを目指して、日々を送っていた。

 しかし半年前のある日、それは唐突に訪れた。



「うわぁぁぁっ!」


 その日。自分の鼓膜に突然一人の男子生徒の叫び声が届いた。それに反応できるほど当時の自分は事態を認識していなかったが。


「どうした? ――っ!」


 次に思い出されるのは、こちらを見て、事態に気付いた実習担当教師の切迫した顔。実習室の空気が一瞬にして緊張したことだけは肌で感じた。


「おい! 保健の先生を呼んで来い! ポリ袋と氷水とガーゼを用意してもらえ! 橘! 学年主任の小林先生に連絡してくれ! 救急車はこっちで呼ぶ!」 


 そう言って、彼はクォーツ・フォンを取り出しつつ、傍にいた生徒数人に指示を飛ばす。

 そしてそこで初めて自分は事態を認識した。……が、それと同時、自分はその場で倒れた。


「森本! 気をしっかり持て! 森本!」


 ――そのあとはよく覚えていない。

 そして気絶から目覚めた時には、自分は既に最寄りの総合病院のベッドの上だった。

 仰向けのまま首だけ動かすと、ベッドの傍らには父親の姿があって。

 父は目覚めた自分を見るや否や、強く抱きしめてきた。しかし既に記憶が混濁していた自分は、何がどうなったのか理解できなくなっていた。

 だが、一旦父親を引き離そうと自分の右手を父の肩に添えようとしたその時、改めて自分の身に何が起こったのかを認識した――してしまった。

 包帯でぐるぐる巻きにされた右手、その人差し指から小指までの四本の指が、根元からなくなっていたのだ。

 叫んだ。

 同時に吐き気がこみ上げた。何とか抑えて、しかし息が苦しくなって、熱い滴が頬を伝う。そうしているうちに過呼吸になり――気づけば、父が呼んだ看護師に介抱されていた。

 だがその間も、思い出した絶望的な事実が頭の中に何度も響く。

 自分は旋盤の実習中、指を詰めたのだ、と。


 水晶式機械科は、基本的に通常の工業系科目の履修も行う。特に高校では下手に修業分野を狭めると今後の進路の選択肢が減少することになりかねないため、一年生時は通常の工業系の科目が多めに必修として設定されている。その中には当然実習も含まれており、シーケンス制御、CAD、旋盤、製図、ガス・アーク溶接などの基礎を一年間でみっちり叩き込まれることになる。今回の事故は、そうした中で起こったものであった。

 事故の瞬間の記憶は幸いにというべきか、あいまいだった。自分の指が飛んだ感覚も特に覚えていないし、その瞬間を見ていた者もいない。旋盤という工作機械で右の指四本を、まるで金属裁断機シャーリングマシンで切ったように失ったというのは妙だったが、旋盤を扱っていた最中の事故であったのは確実なので、事実そうなのだろう。

 幸いにも、命に別状はなかった。周囲の対処も的確で迅速だったため傷口からの感染症なども特になく、その点は喜ぶべきところであった。

 しかし問題だったのは、指の接合が不可能だったという点だった。

 回収された真希菜の右手の指四本の切断面はズタズタだった。千切れ飛んだ際、旋盤に挟まれたのか一部は完全に欠損。切断面はかみ合わず、神経の修復も不可能で、医者からは見た目も含めて指が以前のように戻る確率はほぼゼロだと告げられてしまった。

 そこで医者が提案したのは、水晶式機械義肢による治療だった。

 水晶式機械義肢とは、医療の現場で活用されている水晶式機械の一つだ。これは水晶式機械発達の発端となった例の書物に唯一詳しく製造法が記されていたものでもあり、イメージとしては従来の筋電義肢に近い。患者の欠損した部位に装着することで、思考に追従して駆動し、手足の代わりとなる最先端の医療器具だ。

 通常の筋電義肢と異なる点は、より高い精度で身体機能の再現を可能とした義肢であるということ。特定の解式をインプットされたトゥールビヨンは人間の生体信号との親和性が高く、生体信号と電気的な数字の信号の相互変換を非常に柔軟に実行できるのである。

 よって水晶式機械義肢は駆動の追従性はもちろん、触感などの感覚も水晶式の応力センサーを使うことによりある程度まで再現することが可能となっている。また水晶式にしたことで生まれた重量やスペースの余裕を体温再現、発汗機能(……と言ってもこれはただの発熱器と精製水の発散器だが)にも利用できるようになっており、見た目に関しても今までの義肢より自然に仕上がるように工夫がなされている。

 真希菜の場合は指という比較的小さい部位への適用となるため、あまり多機能にはできないという話だったが、それでも入浴可能な完全防水機能や肌の質感を再現する人工皮膚被膜スキンシート、最低限の触覚センサー、温度感知センサーはつけられるとのことだった。

 そして真希菜はその治療を選択した――というより、せざるを得なかった。

 せめてもの日常を取り戻すため、真希菜はそれに縋ったのだ。

 加えて水晶式機械義肢の場合、それを装着できるようにする手術は事故から日の浅い状態のほうが成功しやすい。悩む時間などそうなかった。

 そして一か月ほどで、真希菜の指は機械化されて再生した。

 ただ機械となった自分の指を見て、真希菜は本当に体の一部を失ったのだと自覚した。

 そしてそうなったとき、どうしようもない不安が心臓に絡みついた。

 生活に関してもそうだが、技術者――水晶式機械修理技能士を目指すうえで手を失うハンデは大きいのだ。

 水晶式機械修理技能士の基本的な仕事はトゥールビヨンの修理だ。よってトゥールビヨンに対する深い知識と同時に、ミリ単位の金属部品を加工し組み立てる熟練した技が必要になる。修理専用の工作機械もないではないが、トゥールビヨンは用途によって微妙に構造が異なるし、最終的には気温や環境の変化をも考慮した手作業でなければ微調整が難しいものであったりする。

 そのため水晶式機械修理技能士にとって手先の間隔は非常に重要なものだ。真希菜のような義肢では当然、その技術面で難が出る。いくら水晶式機械義肢が人の感覚を再現するといっても、駆動や感度には限度があるし、それはやはり『義肢』でしかない。

 知識だけでも必要とされることはあるだろうが、水晶式機械修理技能士はあくまで総合的な専門性が求められる資格なので、知識と技術、どちらか片方というのでは一人前の水晶式機械修理技能士としては認めてもらえない。というかそもそも、片方だけでは資格試験が突破できない。

 しかもたとえ試験を突破できたとしても、水晶式機械修理技能士は現場キャリア優先の傾向が強く、たとえ研究職でも一定の現場経験があるのが望ましいといわれている。現場で数年活躍できるだけの技能がなければ、やはり一人前にはなれないのだ。

 ただそれでも、水晶式機械を扱える人間は貴重である。たとえ義肢でも活躍の場は探せばあるはずなのだ。

 しかし真希菜の夢を遠ざけたのは肉体的な怪我そのものだけではなかった。むしろ真希菜にとっては、そちらの問題の方が深刻であるともいえる。

 機械に、触れなくなったのだ。

 内部構造が見えないもの――一般的な家電製品やクォーツ・フォンなどは大丈夫だったが、自転車や車、電車など、『機械的な』要素が見えるもの、あるいはそういった類の駆動音がするものには拒絶反応が出るようになった。その線引きは感覚的なものが大きく明確でないが、電動、手動問わず工具や工作機械などは今も全く触れない。自分の機械義肢にはある程度慣れたものの、内部のメンテナンスなどは全くできない。かかりつけの病院で義肢装具士にメンテナンスをしてもらうときも、目を背けるほどだ。

 一時は刃物もダメだった。ただこれは日常生活に多大な影響が出るので、はさみや包丁程度は何とか持てるように訓練した。しかし他人の持つはさみや包丁は未だに苦手である。美容室などの利用も、最低限にしているほどだ。

 そしてその心の傷が癒えることは未だなく、水晶式機械修理技能士になるという真希菜の夢は、失った四本の指と共に、その手から零れ落ちていった。多方面に精通した技術者である父を見て育ち、幼い時から何の疑問も持たずに同じ仕事を夢見てきた真希菜だったが、ここ最近は機械からも夢からも目を背ける毎日だ。昔から自宅にあったお気に入りの卓上工作機械などもすべて、父に処分を頼んだほどである。

 そして今となっては自分の名前――ラテン語で機械を意味するその名さえも毛嫌いするようになってしまっている。

 しかし名付け親である父にそのことはまだ言っていない。言えるわけがない。

 父も自分と同じように、傷ついていたのだから。事故後も、父はこちらに気を使ってかいつものように明るく振舞い、自分が辛くないようにしなさいと言葉をくれたが、その瞳にはやはり明らかな悲哀が混じっていた。

 そしてそれから数か月のリハビリを経て、真希菜は学校に復帰することになった。学校側も監督不備を認めており、謝罪、賠償と共に、学校生活のサポートは万全に行うと約束してきた。しかし代わりに、この件は極めて穏便な示談とし、訴訟やメディアなどへの公表は控えてほしいとも言ってきた。

 それは、完全に学校側の立場を守るための取引ではあった。

 しかし真希菜としてはそれでよかった。そもそも自分の不注意だ。あまり目立つようなこともしたくなかったし、これは他人にあれこれ触れてほしくはないものだ。転校を考えもしたが、先の恐怖症からバスや電車に乗れなくなったので、現実的に徒歩通学可能な距離の高校となると奥洲高校以外に選択肢はなかった。

 父もこちらの心境を汲み、必要以上に騒ぎ立てても双方の未来のためにならないと言ってくれた。そして真希菜は最終的に奥洲高への復帰を決めたのである。

 ただ真希菜は復帰の際、あることを学校側に希望した。

 水晶式機械科から、普通科への編入。

 それは、夢を捨てる決断だった。

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