1-4
「――そうだな。じゃあ、約束しよう」
初めて入った彼の部屋で、私はそう言った。木の壁と床に囲まれた――外から見るより意外と広く天井も高い――そんな部屋に、声が響く。
自分の声はあまり好きではない。女としての艶もない、やつれた嗄声だ。
容姿もそう。目つきが悪いとか、細身すぎて不気味だとか、いろいろ言われる。
おまけに今、こちらの身なりはろくなものではない。よれた白の襟付きシャツに擦れた灰色のズボン。長くうねったセピア色の髪も後ろで無造作にまとめているだけ。丸眼鏡もデザイン性のかけらもない仕事用のものだ。彼とこれほど近い距離で話すことになると知っていれば、新品のシャツとズボンを引っ張り出してきたのだが。
しかし彼――部屋にあるベッドに横たわるその少年は、私の格好を気に留めた様子もなく、私の言葉に疑問を投げた。
「約束って……?」
少女のような愛らしい顔立ちの彼は、こちらを見つめたまま首を傾げる。動きに合わせて濃い黒髪が僅かに揺れ、前髪が少し眠そうな瞳にかかる。着ているのは色あせたラフな黒いシャツと黒ズボン。年齢はまだ聞いていないが、おそらく十にも満たないだろう。
私は少年の寝るベッドの脇に跪くようにして彼と目線を合わせた。
「病気と闘う君に、それをプレゼントするよ」
「……できるの?」
「ああ。私は、魔法使いだからね」
「……魔法使い?」
「そうさ。君の望みは、私が叶えてあげるよ」
「…………」
「だから君も病気なんかに負けちゃいけない」
言って私は小指を立て、彼に差し出した。
「なに?」
「ちょっとしたおまじないさ。私の魔法とは少し違うが、約束を交わすときにこうすると、より効果が上がるらしい」
私は彼の手を取って同じように小指を立たせると、それを自分の指に絡めた。そしてそっと指を離す。
「でも魔法使いなんて、本当にいるの?」
「いるさ。会って間もない人間に、プレゼントの約束を取り付けてしまうような呪文を唱える、悪い魔法使いがいるくらいだからね」
その言葉に、彼はくすくすと笑って、
「それって、僕のこと?」
「そうさ。君はもう魔法使いだよ。でも実は、君を魔法使いにしたのは私なんだ。今日この家に来てすぐ、君が魔法使いになれるように、私が術をかけたのさ」
「そっか、ならお姉さんは魔法使いだね」
「素直な弟子で嬉しいよ」
「あ、勝手に弟子にされた」
彼は小さく笑い、不意にこぼれた一筋の涙を指先で拭う。
それから、私たちはしばらく談笑した。
私は彼と視線を合わせた姿勢のまま、身ぶり手ぶりを交えて話を聞かせる。
近所の野良猫が、まるで茶会に遅れそうだといわんばかりに街道を一目散に走っていったこと。自宅にあった古い紅茶を淹れてみたら、チェリータルトとバタートースト、プディング、ピーナツをごちゃまぜにしたような味がしたこと。憧れのオックスフォード大学に男装で忍び込んでみたら、学生でないことが危うくばれそうになったこと。
語るのは自分の他愛ない日常。
自分の日常を――時に少しばかりのフィクションを織り交ぜ、語る。
そして彼は、それこそ魔法にかけられたように私の話に聞き入っていた。
何のことはない日常を話すだけで、彼は楽しそうだった。
だがそうして話す中で小道具として取り出した懐中時計をふと見たとき、この部屋に入って初めて、私は時間を意識した。きりの良いところで、話を締めくくる。
「すまない。名残惜しいけれど、そろそろ私も仕事に戻らなきゃならないんだ。続きはまた今度だね」
彼は少しだけ残念そうに眉を下げる。
「もう、さよならなの?」
「大丈夫。また明日来るさ」
「……絶対だよ?」
「君のその呪文は強力だな。まったく君は筋がいい」
言いつつ、私は近くの椅子の背もたれに掛けてあった黒いフロックコートと手袋、ソフトハットを手に取る。すると彼は言った。
「さっきの約束も、忘れないでね?」
「ああ。もちろんだ」
そして私は指を軽く曲げて少年の頬にそっと触れた。
「さぁ、最後にもう一度、呪文を唱えてごらん。君が望むことは何だったかな」
その言葉に彼は、私の瞳をじっと見据える。
そして。
「誰も知らない世界を、見てみたい」
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