一章 キカイ・エンカウンター

1-1

「森本! 聞いてるか!」


 午後の陽光が差し込む教室に、しゃがれた中年男性の声が鋭く響いた。

 名を呼ばれたのは、教室の最後列真ん中に位置する座席にいる女生徒。

 彼女は半分裏返った声で反応すると、机に突っ伏した姿勢から身を起こし、勢いのままにその場で起立する。顔には『しまった』という一言がありありと浮かんでおり、口元は小さく引きつっていた。

 しかしそれは叱責を受けた事実に、というより、わざわざ自分から立ち上がってしまったことへの後悔に見えた。立ち上がった彼女には、教室にいる三十名ほどの生徒――男女比率はほぼ半々――のうち幾人かから送られる好奇心十割といった類の視線が刺さる。どうも彼女はそうした状況に慣れていないようで、起立した姿勢のまま、体を強張らせていた。

 少女の年齢は、身長や体つきからして十六、七歳といったところか。教室にいる他の生徒も同じくだ。少女も含めた生徒らが着ているのは黄土色のブレザーに灰色のボトムスを合わせた制服。男女間でズボンかスカートかの違いはあるが、胸元の赤いネクタイのデザインは共通だ。

 少女は外見でこれといって特筆すべきもののない生徒だった。あえて言うなら、その年代の女子としては若干童顔であるという点が挙げられるか。少し垂れた大きな瞳と、軽いメイクさえ施されていないナチュラルな容貌がその大きな要因だろう。

 幼く見えるのは髪型のせいもあるかもしれない。背中にかかるほど伸びた黒髪を、そのまま一本の三つ編みにして左肩から前に垂らしている。見ようによっては少々野暮ったく思える風貌だったが、彼女の場合は自然な愛らしさと表現できる範疇のものだ。

 そして少女――森本真希菜もりもとまきなは所在無げに一度視線を中空に彷徨わせてから、教壇の位置に立つ五十手前といった風体の、いかにも神経質そうな男性教師に焦点を合わせた。


(……気まずい……)


 真希菜は胸中で呟きつつ、下腹部のあたりで意味もなく両手を組み合わせたり、解いたりする。クラスメイトの視線から逃れるためにもさっさと座ってしまいたかった真希菜だったが、自分から立ってしまったために変に引っ込みがつかなくなっていた。

 そして真希菜からの視線を受けて――というわけでもないだろうが、教師は告げる。


「いつも真面目に授業を受けているように思ったが、居眠りとは珍しいな? 体調でも悪いのか?」

「え、えっと、すみません……大丈夫です」

「……授業態度も内申には反映させるぞ。二年に上がりたてとはいえ、油断していると、今後困ることになる。その辺りはよく考えるように。……もういい。座りなさい」

「……はい」


 最後に教師が促してくれたことで、真希菜は自然な流れで着席できた。

 そして男性教師は何事もなかったかのように授業を再開した。真希菜に注目していた生徒たちも、いつの間にか素知らぬ顔で授業に耳を傾けている。

 真希菜は軽く頭を振って眠気を振り払った。今はとにかく授業に集中しなければならない。


(……ただでさえ遅れてるのに……)


 胸中でそう呟きながら、真希菜は机に転がっていたシャープペンシルを右手で取り、まだほとんど白いノートに向かう。その折、ごく小さなモーター駆動音のような音がしたが、それに気づいた者は真希菜以外にはいないようだった。

 男性教師は教科書片手に黒板に向かい、いくつかの数式を並べている。今の科目は数学――内容は三次式の因数分解。別段難解ではないものの、自分の頭のレベルは中の中。進学校の授業で寝ていていいほどのものではない。ただ興味のないものというのは否応に眠気を誘うものである。これが水晶式機械で使用される解式言語の授業ならば、やる気も出たかもしれないのだが。


(ダメ……集中集中)


 真希菜は今一度雑念を振り払い、ノートに向かう。

 普通科と水晶式機械科は授業内容も違えばそのスピードも違う。もともと進学校であっただけに普通科の授業ペースは早い。今年度から普通科に編入した真希菜にそう余裕はないのだった。

 真希菜は右手を動かし、ノートにペンを走らせる。しかしその表情は常にどこか浮かないものだった。

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