第83話

「正せんぱ〜い」


「やあ、こずえちゃん」


ホルンの練習に部室に来た。本当は毎日音出ししなければならないのだが、どうして週2−3回が限度。


「私、二コマ目休講だったんです」


「練習したら、お昼一緒に食べましょう」


「ああ、いいよ」


「日光、楽しみですね!」


正直、3日連続。全然楽しみじゃない。


こずえちゃんは満面の笑み。


「くんくん。正先輩、ほのかに女の香りがします。恵先輩?」


「午前中ですよまだ。呆れます」


「まあ、気にしないで。恋は一日中から騒ぎ」


「騒いだ割に、実にならない、ですか……」


「いや、ちゃんと実になることもある」


「先輩、ついでに実になる18歳の生娘はいかがですか?」


「それこそ真昼間から女の子が言う言葉じゃないよ」


そう言っても、僕は少し照れる。


こずえちゃんはフフフと笑う。


「あるんだ、私に興味」


「さて、少し練習するからね」


話を外らせる。


「はい、私もします」


30分もした頃、こずえちゃんが第四楽章の練習番号16から19までの愛の旋律を奏でる。


こずえちゃんは演奏中は笑顔ひとつ見せない。真面目顔。


その横顔が新鮮で可愛い。


僕は、隆の演奏する1番ホルンの譜面を取り出し、こずえちゃんの伴奏を奏でる。


こずえちゃんは、一瞬笑顔になるが、またすぐ真面目顔。


二人だけの47小節のアンサンブル。素敵な時間と空間に入り込む。


「いい感じでしたね」


こずえちゃんが満面の笑み。


「ああ、こずえちゃんのメロディ、素敵だよ。上手だね」


「正先輩の伴奏は少しいけません。隆先輩の方が上手です」


「あた〜っ。痛いところ突くね」


「プロオケから誘いのあるレベルの隆には敵うわけないよ」


二人して笑顔。


「でも嬉しいです。先輩と奏でられて。素敵ですよね、この愛のメロディ」


「うん」


「どうしましょう? お昼過ぎました。ランチにしますか?」


「ああ、そうだね」


「恵先輩たちは誘わなくていいんですか?」


「ちょっと聞いてみる」


LINEの返事が返って来た。


「もう食べてるって。カフェテリアで」


「あら、恵先輩、正先輩なしでですか?」


「朝っぱらからの香りは、やはりから騒ぎでしたですか」


「まあ、なんでもいいよ。食べに行こ」


「たまに、廻るお寿司がいいです。駅東の」


「もしかして、こずえちゃんもあそこの穴子にハマっているの?」


「穴子?」


「穴子はまだ食べたことがないです。お寿司屋さんには、まだ入学してから2回くらいしか行ってません」


「嫌い? 穴子とかうなぎ」


「大好きです」


「あのね、きっとハマるよ」


「楽しみです!」



ーーーーー



「正先輩と二人きりのデート。大学の外での食事もいい感じです」


「何を食べよう。恵ちゃんスペシャルがあるんだけど」


「何ですか? そのスペシャルって?」


「最初にとろける大トロ、次にふっかふかの暖かい穴子、そして厚くてぷりぷりの生ホタテから頼むんだ」


「わあ、美味しそう」


「それにします」



「もう、身も心もトロけます。ホックホクの穴子、ハマりまくりそう」


「日本に生まれてよかった」


「そうそう、僕、来年アメリカに行くことになったんだ」


「アメリカ? ですか」


「その前に、身も心もトロけさせてください」


「だ・か・ら、こずえちゃん、昼間っから言う言葉じゃないでしょ」


「から騒ぎです」


18歳の爽やかな美しさは武器だ。気をつけよう。

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