第81話

僕は一度果てる。


「こんなに可愛い顔して、素敵なからだ」


「過去に誰かが抱いていたなんて、とても悔しいよ」


「あら、正くん、嫉妬深くて意外に小心者なのね」


「もっと、心広く、おおらかかと思った」


「しかし、アメリカ行き、”僕が行きます”と返事した時の正くん、ワイルドで格好よかったな」


「なかなか即断できないよ。内定もパーになるし」


「うん。ただ教授の言う、文化としての園芸を世界の場で学びたくなって」


「花色分析や遺伝子研究も確かにいいけど、それらの知見を生かした上での園芸や、さらには育種、やってみたい」


「うん。正くんの進む方向性、いいと思う」


「私好きよ。そう言う貪欲な正くん」


「もう一度、してくれる?」


「うん」


「私への貪欲さも好き」



ーーーーー



「正! 正はいるか?」


「浅野教授、どうしたんですか?」


「お前たちじゃなくて、正に用事がある」


浅野教授は鼻息を荒くしている。


「正は今、一時外出していて、もうすぐ戻ると思いますけど……」


「女とイチャイチャしているんじゃないんだろうな」


「それも、ありかもしれません」


「真昼間からか?」


「教授。もう夕方です」


大樹と義雄が冗談なしに真面目に教授と受け答えする。


一言間違えただけでトラブルになる危険性のある二人。


教授との会話にはとても気を使う。


「正が帰ってきたら、すぐ教授室に来るよう伝えておいてくれ」


「何時まででもいる」


気が荒い。


「そう、義雄。なんて無様だ」


「来月の植物検定3級落ちたら、工学部の大学院行きは無しにするぞ」


「教授、それは勘弁を……」


ブツブツ言いながら、教授は自分の部屋に戻る。


まさに、熊が出て、熊が去った。そんな空気が研究室に流れる。



「何の話だろうな?」


「正のアメリカ行きについてかな」


「多分そうだろ」


「でも、息が荒いわりには、悪い話じゃなさそうな雰囲気だったな」


「確かに」


大樹がコーヒーを入れる。


「大樹、これ濃すぎるぞ」


義雄が文句をつける。


「すまんすまん。砂糖でごまかしてくれ」


「砂糖でごまかすか……」


「荒い中にも甘みがあるか」



「ただいま」


「おう正。何してきた?」


「うん? いや……、その……」


「だいたい分かっているから、すぐ教授室に行きな」


「浅野教授。正にすごい大切な用事があるらしい」


「何だろ?」


「まずはシャワーでも浴びて来な」


「女の香りがするから」


大樹が言う。


「いや、このまますぐに行く」


「シャワーを浴びて来ました、なんて言ったら、教授どうなる?」


「確かに」



ーーーーー



「教授。入ります」


「おう、正。まずは座れ」


教授直々にコーヒーを入れてくれる。


とんでもなく、濃くてまずい。


「正の内定先の会社と連絡を取ったんだが、内定を取り消すどころか、社員になってもらった上で、アメリカで研修して来てほしいと言う先方の意向だ」


「本当ですか?」


「ああ。今の時代、グローバルな時代感覚を持った園芸家、育種家の卵が欲しいらしい」


「よかったな」


「はい! 皆、教授のおかげです」


「今月の15日には、内定者の集いで、日光観光があるらしい」


「植物園では、正を案内人としたいとのことだ」


「えっ? 僕が……、ですか?」


「ああ」


「まあ、詳しいことはまた後でな」


「はい、それでは失礼します」



「待て、正」


「はいっ!」


「青春だな」


「シャワーでも浴びてこい」


教授が穏やかな口調で、素敵な笑顔を見せる。

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