第25話

久しぶりのオーケストラでの合奏。


「おう、正。久しぶり」


「おう、隆」


平林隆。工学部四年で同じホルン仲間。180cmくらいの痩せ型の体型。演奏はめちゃくちゃ上手。マーラーでは難しい1番ホルンを担当する。


「今日、飲みにでも行くか?」


「いいよ。ただ練習後、一度研究室に戻ってからになるけど」


「目を通す資料があるんだ」


「カーネーションの黄色や、オレンジ色の研究か?」


「隆。何で知ってる?」


「俺の研究室の三年生が、お前のところの鈴木義雄君だっけ? 遺伝子を2つばかり準備してくれと頼まれたらしい」


「もうじき渡せるよ」


「なんだ。狭い社会だな。そうだ、隆、今春から工学部の生命工学研究室だっけ」


「そう。生物化学で天然物化学、酵素を研究しつつ、遺伝子工学の方もやることになったんだ」


「酵素? 僕の酵素多型、アイソザイムの研究にも通じるね」


「学部は違うけど、似た者同士」


「本当は二人して、定期演奏会に出るなんて場合じゃないよね」


「そう」


二人で笑い合う。



マーラーの合奏は、初見としてはまずまず。


第4楽章の切ないメロディ。僕の恵ちゃんに対する心の様。



「じゃあ、正、8時にいつもの扇屋で」


「了解」



ーーーーー



恵ちゃんは綺麗にプレゼン資料をまとめている。


図表は、黄色のA-1、A-2、B、Cタイプが対比するよう並べられ、文章は最低限のもの。とてもわかりやすい資料に仕上げられている。


オレンジ色の方はこれからみたいだ。



「正。恵ちゃん、帰ったぞ」


義雄がやってきた。


「ああ、もう7時半だからね。恵ちゃん、プレゼン資料まとめるのが上手だね」


「必要最低限なことしか載せない。極めてシンプルかつ意味の詰まった文書力」


「すごいね」


「うん。見習わなきゃね」



「そう、義雄。お前が遺伝子の単離を頼んでいる工学部の研究室の同期がオーケストラのホルン仲間なんだ」


「これから飲みに行くんだけど、義雄も行かないか?」



「今日はこれから特段やることもないし……」


「行くか」


「うん、行こう」


「大樹はどうする?」


「三毛にゃんの世話でもしていてもらおう」


大樹にメモ書きを置いて行く。


”三毛にゃん、よろしく”



ーーーーー



「こんにちは」


「こんにちは、義雄です」


「生命工学にはお世話になります。ありがとうございます」


「敬語はよそうよ」

「さあ、まずはビールから」


「乾杯!」



「ところで、正はまだ独り身か?」


「いきなり何だよ。隆は一年の時から里菜ちゃんがいるからいいけど」


「正だって、オーケストラの中の女の子には人気あるんだぞ」

「どうしていつも肝心な時に学部に引っ込んで、ひそひそしてる?」


「正。知ってはいるけどそうだったんだ」


義雄が要らぬことを勘ぐる。


「まあ、女子の話は良いとしよう」

「僕は貧乏だし、女とお金に自由を縛られるのもちょっと……」


「それは、言い訳、というんだ」

「なあ、義雄君」


「そうだね」


「そうそう、遺伝子、来週あたり三年生に持たせるから使ってくれ」

「俺にはよく分からないけど、花の色は神秘なものだから、様々な知見、発見、楽しみにしているよ」


「本当に助かるよ、隆」


「丁度、八ヶ岳から帰ってきて、次の週から実験開始だね」

「ノーザンするんだろう?」


隆が義雄に問いかける。


「そう、アントシアニン生合成系のCHI遺伝子のノーザン・ハイブリダイゼーションからかな?」

「CHI遺伝子の働き具合を見る訳だ」

「黄色はCHIの活性がなさそうだね」


「隆。黄色でも、CHI遺伝子を通過して、フラボノールが溜まるやつがいるんだ」

「じゃあ、一つは壊れ方の問題。二つ目はCHI遺伝子が2つある可能性」


「えっ! 2つある……。そんなこと、考えもしなかった」


「でも、これまでの知見から、まず先にターゲットのCHI遺伝子の活性を確認するだけで良いと思うよ」


「物事は、出来ることから始めるんだ」


「どんな複雑な事象も、徐々に紐解いていけばシンプルになってくる」

「それが科学だ」

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