第15話

「あのね、卒論もオレンジもいいけど、息抜きに春の山野草見に行かない?」


朝一番の恵ちゃんの話。


「いいね。どこ?」


僕が話に乗る。


「八ヶ岳あたり」


「カタクリ、エンレイソウ、ヒトリシズカ、サクラソウ、ニリンソウ、ヤブレガサ、シラネアオイ、などなど」


「まだ、花には早いものもあるかもしれないけど」



「何だ。ほとんど大学の山野草ガーデンで見られるものばかりじゃん」


大樹の話。



「あのね、野生で生き生きした花たちを見るからいいの。うまくいけば、一葉蘭も見られるのよ」


「それはレアだね。見たことないし」


大樹も乗り気になってくる。


「空気もいいし、アイスクリームも美味しいし」


「中央道使えば、そんなに時間もかからないし」



「恵ちゃん、大樹、行こうよ。僕は行くし、義雄も行くはず」



義雄が研究室に入ってくる。


「おはよう」


「おはよう」


「ねえねえ、義雄くん。八ヶ岳行かない?」


恵ちゃんが誘う。


「いいよ。いつ?」


「いつ……」


「言い出しっぺの恵ちゃんも、いつかまでは決めてなかったようだ」


「来週、そう、来週にしようよ。平日。土日は高速が混むから」


「火曜と水曜はお互いに専門課程の必須授業があるから、木曜日か金曜日にしようか」


「そうしよう」



「ところで、八ヶ岳はいいけど、山に詳しいのは恵ちゃんだけだね。何か心配だね」


僕が話すと、


「そうね……」


恵ちゃんも少し自信なさげ。


「生物環境工学研究室の院生の明石さんに声かけてみようか。明石さん、山岳部で山のことものすごく詳しいから」


「そうね。明石さんね。ワンボックスカーも持っているし。皆でお願いすれば車も出してくれるかもしれない」


「俺は反対だね」


大樹が異議を唱える。


「俺らだけで行こうよ。山の奥底に入る訳ではないし。俺の車があるし」


「俺も山歩き得意な方だから、恵ちゃんと一緒なら大丈夫よ」


恵ちゃんが言う。


「でも、迷ったら大変よ」


「尾根沿いに歩き、花を見つけに谷間に向かう。また尾根に向かい進んで、谷間へ」


「同じことの繰り返しだけど、谷間に行くと見晴らしがきかず方向がわからなくなる上、滝や崖があったりして、転落、滑落の危険もあるの」


「やっぱり、山岳部の人とかいれば安心」


大樹がごねる。


「地図をよく見たり、みんなで集団行動すれば大丈夫だよ」


「大樹くん、あのね、地図上の赤い破線が尾根とは限らないの。道が不明瞭だったり、廃道だったりして」


「そして、谷間で皆が皆、一緒にいることは意外に難しいの。それぞれ、興味のある方向に向かう習性があるから」


「大樹。僕、これから明石さんに会って相談してくるよ。その方が安心だよ」


「でもさ……」


大樹は乗り気じゃない。


「もしかして……、大樹、山歩きの大好きな歩ちゃんもついてくると困るからじゃないの?」


大樹が慌てる。


「違う違う、それは違う」


恵ちゃんが笑う。


「大樹くんの顔に、赤い破線で書いてある。不明瞭だって」



「僕らは大樹、羨ましいよ。好きになってくれる女の子がいて」


「いや……、俺は、別に……」



「まあ、とにかく善は急げ。これから明石さんのところに行ってくる」


「正、頑張ってな」


「正くん、よろしくね」


義雄と恵ちゃんの声援。大樹は、ぐちぐちつぶやている。




ーーーーー



「明石さん。おはようございます」


「やあ、正くん。おはよう」


「どうした?」


明石さんは、生物環境工学研究室で、宇宙ステーションでの地球向け野菜栽培の可能性、という壮大なテーマで研究を進めている。がっしりとした体、いつでも日焼けした顔。


大学へは、いつも十数キロの迷彩模様のリユックを背負ってきている。そこには何やら、寝袋だとかボンベ式のガスコンロだとか乾パンだとか、3〜4日野宿できるくらいの荷物が入っているらしい。私服も、いつも野性的な出で立ち。


「実は、うちの研究室で八ヶ岳に野花を見に行こうと盛り上がっているんですが、案内人が恵ちゃんしかいなくてどうしようかと思ってまして……」


「ああ、僕に水先案内人、頼みたいと言うことね」


「端的にそうです」


「いいよ。春だし、僕も気晴らしがてら、山の散歩でもと考えていたんだ」


「いつ?」


「来週の木曜か、金曜」


「ちょっと待ってね」


明石さんはPCのスケジューラーを開く。


「大丈夫、どちらでもOK。できれば木曜日がいいかな」


「あの……、ガソリン代は出しますけど、ついでに明石さんの8人乗りの……」


「ああ、車ね。いいよ。運転も任せて」


「何から何まですみません」


「ちょっと待ってね」


明石さんは、隣の実験室に入って行く。


微かな声で、歩ちゃん、歩ちゃんと呼ぶ声が聞こえる。だいたい予想通り。歩ちゃんを誘っている。


可愛らしい丸顔でポニーテール。中肉中背、女子校出のお嬢様。洋風というより、和風の女の子。大樹のことを大好きな子。


おてんば娘の恵ちゃんと正反対。物腰の柔らかい女の子。



「正くん、歩ちゃんも行きたいらしいけど大丈夫かな?」


そらきた!


「大丈夫ですよ。園芸学研究室4人と、明石さんと歩ちゃん。計6人ですね」



「さて、正くん、楽しみだね」


「僕も最新の八ヶ岳の地図を周到に調査して、いい山歩きにしてあげるよ」


「ありがとうございます! また、打ち合わせに来ますのでよろしくお願いします」


「いいよ。いつでもおいで」

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