第13話

「ほら、これ。30分ちょっと前のピーク。これカルコンだよ」

「正式に言うと、カルコン2’グルコシド。配糖化されたカルコン」


「これで犯人がわかったわよ」


恵ちゃんは科捜研の女の口調で話す。


「ドラマの見過ぎだよ、恵ちゃん」


大樹が言う。


「そういえば、なぜカルコンに糖がついているの? 今更だけど」


恵ちゃんが不思議顔して僕に尋ねる。


「カルコンは油脂性の物質なんだ。糖がついて水溶化されることで液胞に溶ける色素になる」


「へ〜え、そうなんだ」


「まあ、他も見てみよう」


カフェテリアでは2時間半ほどの暇つぶし。

まだ、サンプルは4サンプルしか進んでいない。


「あれ、最初の二つのサンプルはカルコンだけだったけど、そのあとの二つのサンプルには、20分前に大きなピークが二本現れてる」


「どれどれ」


恵ちゃんと大樹が覗き込む。


「本当だ。大きなピーク二つ。その後、カルコンのピークが出てる」


「なるほどね」


「何がなるほどなの?」


恵ちゃんからの質問。


「この20分前の二つのピークはフラボノール。つまりCHI遺伝子を何らかの条件で通過して無色色素になっているやつ」


「色素というものを作る基質、つまり色の素の量がカーネーション全てに等しいと考えると、カルコンだけのものは黄色が強く、フラボノールも存在するものは、そのフラボノールで黄色が薄められて薄くなっている可能性がある」


「カルコンだけのものはCHI遺伝子が無いか、ほぼ完全に破壊されている」


「フラボノールのある黄色は、カルコンができて、かつCHI遺伝子が、そう、ちょうど水道の蛇口を少しひねってタラタラ漏れたような感じで、フラボノールが溜まった可能性がある」


「もちろん、赤とか色のつくアントシアニンを合成するDFR遺伝子は無いか、壊れているけど」


「だから黄色単色でも、濃淡が生まれる」



「簡単だけど、謎が多いわね」


恵ちゃんの不思議顔を連続して見られるのが嬉しい。


大樹は腕を組んで考え事をする振りをしているが、頭の中には何も浮かんでいない。

親しい友人だから、すぐ分かる。


「有田先生呼んでこようか?」


大樹が言うが僕が止める。


「いや、少なくとも黄色花のサンプル分析が全部終わってからにしよう」


「夕方7時頃になると思うけど」



「私もいるわ」


「お嬢様は帰っていいよ。明日には全貌が分かっているから」


「いや、私見たい。黄色だけは、全部」


「歴史的知見の瞬間かも」



「箱入りさん、痴漢も出ちゃうよ。帰るのに電車で家まで1時間もかかるし」


「痴漢は、ここにいるわよ」


「?」


「大樹くんの持っている、電子顕微鏡で撮って貯めている写真ケースが、さっきから時折お尻に当たるの」


「痴漢よ、セクハラよ」


恵ちゃんがカラカラ笑う。


「ごめん、恵ちゃん。お互いパソコン画面に近づきすぎて」


大樹が謝る。



「まあ、あと3時間少し時間がかかる」


「僕は、髪を切ってくるよ」


「正くん、床屋さん?」


「うん」


「大学構内の?」


「うん、そうだよ。生協裏の」


「新しく変わった理容師さん。評判良くないよ、女子の間では」


「僕は短くなればなんでもいいんだ」



「私、切ってあげようか?」


「恵ちゃん、カットできるの?」


「うん。うちの犬のトリミングしてる」


「僕は犬かい……」


「大丈夫、任せて!」



悪い気はしない。恵ちゃんに髪を触ってもらえる。


新聞紙で上半身、首から下全て覆う。



「恵ちゃん上手だね。正、後ろとか横髪、綺麗になってるよ」


大樹が恵ちゃんを褒める。


最後に前髪。実験室の手術用ハサミを取り出してくる。



「あっ、前髪半分数ミリずれた。左右非対称ね」


「いいよ、そのままで」


「待って、ちゃんと揃えるから」


恵ちゃんのクリクリした瞳がすぐ目の前。じっと僕を見つめている。


10cmも近づいたらキスのできる距離。胸がドキドキ鼓動する。


「あら、また2-3ミリ……」


「はい。恵ちゃんそこまで」


「大樹、鏡見せて」


大樹は笑う。


「恵ちゃん。ちょっと変だよ」


「僕、前髪だけは床屋に行くよ」


「待って」


恵ちゃんが研究室の空気を止めるような深呼吸をする。


「次は大丈夫」


「前髪無くなっちゃうよ」


しかして、恵ちゃんにまた委ねる。


恵ちゃんが、僕に限りなく近づくから。



「やっぱり、ちょっと変ね」


「ああ。変だよ」


大樹も笑う。



結局、生協裏の床屋さんに行く。


前髪だけ、揃えてきてもらった。


いくら?


500円。


「随分と短くなったわね」


恵ちゃんは満面のニコニコ顔。


「誰のせい?」


恵ちゃんは自分を指差して、舌出して笑う。

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