第6話

街中を抜け、平坦な田園風景の続く道を1時間半くらいひたすら道なりに走るとおじさんの家のハウスに着く。方向としては、海へ向かう道。


田んぼ、点々としている大きなハウス群、種々の農産物の一大産地を通り抜ける。



車の中では恵ちゃん以外、おやつを食べるわ、お茶やコーラーを飲むやの大騒ぎ。


今日は、有田先生が運転してくれている。



「みんな、トイレ近くなるよ」


恵ちゃんが注意してくれているのに、誰も聞く耳持たず。大はしゃぎ。


「困った人たち」


恵ちゃんが小さく呟く。




「先生……、俺、トイレ」


「この辺は店やコンビニのないところだから、もう少し我慢して。あと30分」


大樹は沈黙を始める。



「もうダメだよ、俺」


大樹がもがき苦しむようにお願いする。


「ねえ、先生。おしっこむぐす……」



僕は義雄に尋ねる。


「なあ、むぐすって何?」


「俺もわからん」


「大樹、むぐすって何だよ」


「だから、むぐす」



有田先生が話す。


「大樹くんの故郷の北海道弁だよ。漏らすって意味でしょ?」


「そういえば大樹、とても美味しいを、なまらうまい、と言うしな」


義雄が言う。


「だから、今、方言云々を話している場合じゃない」


大樹が悶える。



恵ちゃんが冷めた目で、


「だから言ったじゃない」


呆れ顔。



仕方がない。路肩に車を止め立ち小便。


恵ちゃんはため息をついて、反対側の窓から外を見つめる。



「さて、着きましたよ」


有田先生が車を止める。


おじさんが丁度ハウスから出てくるところ。



「佐藤さん、お久し振りです」


「やあ、有田先生。本当、久しぶりだねえ」



「あれ、先生、おじさんと知り合いだったんですか」


「僕が大学に助手で入って間もない頃、挨拶にだけ来たことがあるんだ」


佐藤宗男、還暦を迎える今年60歳。身長は180cm近く、大柄でしっかりとした体型。僕は体型はともかく、身長は少しおじさんの遺伝が欲しかった。



「正、そしてお友達もご苦労様」


「こんにちは」


皆で声を合わせて挨拶する。



「皆さん、まずはお茶でも飲みますか?」



恵ちゃんが大樹を見つめてからかう。


「お茶でも飲みますか?」


みんなで爆笑する。




ーーーーー




「そうかい。オレンジ色の秘密かい」


おじさんが話し始める。


「俺のパチンコ育種では、なかなか爽やかなオレンジ色が出ないんだ。いや、出たことがない。薄い、くすんだようなオレンジ色はよく出てくる。でもその花には、赤い縞の模様みたいのが必ずと言っていいほどついてくるんだ」


「だから、爽やかなオレンジ色のは種苗会社を通して買ってる。イタリアで育種されたものらしい」



大樹が尋ねる。


「パチンコ育種ってなんですか?」


「はっ、はっ、はっ」


おじさんが笑う。



「皆知っているよね。営利用のカーネーションは種から栽培するものじゃなく、苗から栽培するものなんだ」


「いわゆる、栄養繁殖性植物」


「種苗会社では、例えば一つの品種を、健全な母株から出るわき芽を取り、増やしていき、何十万株にも増やして農家に販売するんだ」

「中には、オランダから輸入されて販売されている苗もある」


「ほとんどの人は、種苗会社の営利品種の苗を購入する」

「種苗登録された品種は、勝手に苗を増やすことは禁止されているし、何万本も一農家で一度に準備することはできないでしょ」



「バラや菊と同じですね。栄養繁殖」


義雄が話し始める。


「ただ苗をどんどん増やして栽培していくうちに、ウイルスに罹病して生産性が落ち込んだり、場合によっては花や葉に病状を示したりするんですよね」


「僕は今、そのウイルスフリー株を好条件で維持管理し、効率よく繁殖させる技法を研究しているんです」



「俺もそこは、一部種苗会社さんに手伝ってもらっているんだ」

「大学とかでより効率の良い方法が見つかると大いに助かるね」


「よろしく頼むよ」


おじさんは笑顔で義雄に声をかける。



「それはさておき、パチンコ育種」


「育種では色々な育種素材同士を交配して、それで結実した種を取り撒く。千なら千の実生(みしょう)から、花色に優れ、生育よく、生産性に優れ、病気にも強いなどの性質を持った株を選ぶ」


「パチンコ育種とは、パチンコのように一つ当たりが出たら儲けものと言う比喩だよ」

「さっき言ったように、目的に叶った当たりの実生が見つかれば、その一つの株を母株として、苗を増やしていく」


「日本では、俺みたいにカーネーションの育種をしている農家は多くはない」

「俺は俺のオリジナル品種を作り、苗生産もほとんど自分でしている」


「購入する苗代がもったいないと言うより、種苗会社の販売していない花色や花模様のオリジナル品種を中心にブランドとして売り込んでいるんだ」



皆、なるほど、と言う顔でおじさんの話に食い入る。



「さて、ハウスでも見て回るか」


「その前に……」


「すまんが、消毒した長靴に履き替えてくれるかな。5人分準備した」

「土壌病害のフザリウムとか細菌病にかかると、えらいことになるから」



おじさんが先導してハウスを見学する。


茶色、くすんだ紫色、暗い暗赤色、ショッキングピンク、グリーンなどのスタンダード大輪系、普通のピンクとニュアンスの違う透き通るような明るいピンク。そして、僕らの研究ターゲットの爽やかなオレンジ色の大輪。


しかし、花色の種類、花模様の種類が豊富だ。普通の、赤、白、ピンク、黄くらいかと思いきや、おじさんの生産用ハウスには、十数種類の珍しい花色、花模様のものが栽培されている。


「これ、3分の2くらいオリジナル品種なんだ」


「おじさんが育種したやつ?」


「そう。パチンコ育種だよ」


おじさんは笑顔。



「こんな普通の花屋じゃ売っていないようなカーネーション。どこに卸しているんですか」


恵ちゃんが興味深げにおじさんに問いかける。


「青山や渋谷の花屋で販売してる。もちろん市場は通すよ、ルールだからね」

「特化した花屋、フラワーアレンジメンターの人たちと契約しているんだ」


「だから、その人たちに育種ハウスを見せて、花色の選抜をしたりもしてもらっている」

「ニーズを追いつつ、ウォンツ、すなわち、こんなものが欲しかった、と言う市場を発展させるんだ」



「そうなんですか。ほんと、素敵な花ばかり。見とれちゃう」


「ちょっと待ってね」


おじさんが、数種類の花色の花を組み合わせてブーケにして恵ちゃんに手渡す。


「わあ! 素敵! ヨーロピアン調ですね。特に薄茶色、セピアカラーの花が優しい。グリーンも素敵」


「オレンジ色どころの騒ぎじゃない。いろいろな中間色、濃色、淡色」


「ねえ、すごいすごい!」


恵ちゃんが僕らに振り向き、我を忘れて大喜び。



「育ちのいい子ですから」


僕がおじさんに言うと、おじさん以外、皆で爆笑した。

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