第2話
「おはよう、正君。どんな感じになってる?」
「綺麗なオレンジ色になってるよ」
僕は朝一番で、抽出液をろ過し、試験管に入れキャップを閉めて研究室の試験管立てにおいた。
ろ過など一連の作業は、実験室の排気口のあるドラフトと言われる場所で手袋、マスク着用で行う。有機溶剤の使用にはドラフト内作業と、有機溶剤の分別廃液管理が重要である。
僕はこの有機溶剤作業主任者の資格を持っている。卒業論文の酵素研究で、この資格の取得が必要だった。
「ほんとだ!」
恵ちゃんが窓の明かりに照らし、試験管内の溶液を見つめる。
「すごく綺麗ね。匂いはオレンジっぽいのかしら?」
「恵ちゃん。そういう見当違いな話、どの脳みそから出てくるの?」
「匂いはメターノール、だけど嗅いじゃダメ。メターノールは有機溶媒だよ」
「冗談よ」
「そう、少し調べてきたら、カーネーションのオレンジは、カルコンという黄色い色素と赤いペラルゴニジン3グルコシドというアントシアニン色素が液胞内に同居しているんだって」
「僕も調べたよ。恵ちゃんの調べてきたことに同じ」
「やっぱり、何も手を出すことないね。解っちゃったね、恵ちゃん。カーネーションのオレンジ色の秘密」
「あのさ、正君。でも不思議じゃない? 黄色は黄色、赤は赤のままでいいのに、なぜ液胞内で別々の色素なのに共存しているの?」
「僕、ついでに、ペラルゴニウム、いわゆるゼラニウムの花の色と色素についても見てみたんだけど、ペラルゴニジン、シアニジン、ペオニジン、デルフィニジン、ペチュニジン、マルビジン の6種類の色素が共存しているものもあったりするんだよ」
「分かるわよ。でもそれ全部アントシアニンじゃない。有色色素の共存は、いろいろあってそれでいい」
「でもカーネーションでは、カルコン色素のカルコンとアントシアニン色素のペラルゴニジンの共存よ。何か変」
「どこが変なの?」
「だって、カルコンはアントシアニンを作る過程の素みたいだから、カルコンがいるということと、赤いアントシアニンがあるということ自体がつじつまが合わない訳よ」
「おはよう」
大樹がやってきた。
「おはよう、大樹君。これ」
恵ちゃんが試験管を大樹に優しく手渡す。
なんだろう? 恵ちゃんが誰かにしてあげる仕草全てが気になってしまう。”好き”だから……。僕自身、良く分かっている。
「綺麗じゃん。これで何かわかった?」
「大樹、これでは何も解らないよ。色素を抽出しただけだから。しかも適当に70%メタノールで」
「おーっす」
義雄もやってくる。
「これね、オレンジ」
「そう、恵ちゃんと話していたんだけど、このオレンジは黄色色素のカルコンと、アントシアニンのペラルゴニジンが液胞で共存しているらしいんだ」
「正、俺も少し調べてきたけど、フラボノイド生合成系、つまり、カルコンやアントシアニンを作る生合成系から言って、カルコンとアントシアニンとが共存するというのは、簡単には説明できないんだ」
「義雄のいうこと、恵ちゃんと似てる」
恵ちゃんは得意げに話しだす。
「ね。遺伝子に詳しい義雄君がいうんだから間違えないわ、何か秘密がある」
「オレンジね〜。調べてみるか。色素」
大樹が呟く。
「正、実験室にある液体クロマトグラフィー動くか?」
「多分、大丈夫と思うけど、分析カラムが使えるかどうか。メンテナンスしていないからね」
「皆んなでさ、役割決めてちょっぴりだけ各々時間を割いて調べてみよう。カーネーションのオレンジ」
大樹が仕切る。
「義雄は遺伝子に決まり。義雄しかできない」
「正は育種と花色素分析、と言いたいところだけど、それじゃあまりに大変すぎる」
「正は色素分析かな」
「育種は俺。正のおじさんのところを紹介してくれれば、材料もいつでも取りに行ける」
「俺金持ちで、車あるし〜」
「大樹さ、恵ちゃんは?」
僕は尋ねる。
「そうだね、恵ちゃんは正のサポート。色素分析だね」
「私、いいよ」
恵ちゃんは微笑んで快諾する。
なんだろう、僕も心で微笑んでしまう。
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