三つのオレンジ色の恋

アンジェラ

第1章

第1話

「三人の中で、私好きなのだーれだ?」


 僕を含めて、三人とも手を上げる。


 恵ちゃんは微笑む。いつもの冗談のような挨拶。


「よし。お願い聞いてくれそうね」



 櫻井恵。おてんば娘。昔の漫画、キャンディキャンディのような雰囲気の子。目がクリクリしていて可愛い。

 不思議なのは男っ気が全くないところ。というか、男に興味がない感じ。サークルは植物同好会。とっても花好き。


 華奢な体に、今日は白のフリルのワンピース。


 癖っ毛と枝毛なことが悩みらしい。時々、朝寝坊した時なんか、後ろ髪が跳ねているまま研究室に来る。でも、そういうところも含めて可愛い。



「ねえねえ、このオレンジ色のカーネーション、とても綺麗でしょ」


 恵ちゃんが花屋で見つけたらしい。10本も買ってきた、スタンダード系と言われる大輪咲きのカーネーション。


「うん。綺麗だ」


「まずは花瓶か何かに挿して飾ろう」


 恵ちゃんは、実験室にある一番大きなフラスコを持ってきた。



 僕ら4人は、東名大学農学部の4年生。入学時に40人いた僕たちのクラスは、麻雀やパチンコにハマったやつ、友達同士の付き合いがうまくいかなかったやつなど7人が退学している。33人の級友は8つの研究室に配分され、僕ら4人は花卉、野菜、果樹などを研究する園芸学研究室を選んだ。今年は、珍しく4人とも花卉。


 僕と、同級生の林大樹、鈴木義雄は、恵ちゃんが持ってきたカーネーションをじっと見つめる。


「よく考えると俺、オレンジ色のカーネーション、初めて見たかもしれない」


 大樹が呟く。


 林大樹。身長が高くがっしりとしたからだ。話好き。眉毛が濃く軽い天然パーマのソース顔。大樹を好きな子が他の研究室にいるのだが、彼は恵ちゃんが好き。

 サークルは軽音楽部。ロック一筋、ドラムを叩く。



「俺は見たことあるよ。都内の駅構内のフラワーショップのブーケに入っていた」


 鈴木義雄。マジメ一筋な男。顔立ちは女の子受けしないが優しい。その優しさのファンの子もいるらしいが付き合っている子はいない。やはり、恵ちゃんの魅力の虜。

 どこのサークルにも入っておらず読書好き。シュールレアリスムがお好み。



「僕は知っているどころじゃないよ。おじさんがカーネーション農家をしていて、品種開発、すなわち育種もしてる。カーネーションの花色、模様などの組み合わせで、百通りくらいの種類があるんだよ」


 僕は、佐藤正。中肉中背。身長は170cm。モテ顔ではないしょうゆ風。おっとりした性格。趣味はクラシック音楽。サークルはオーケストラでホルンを吹いていたが、もう四年生。サークルには足を運ばなくなった。



 恵ちゃんが花をまじまじと見つめる。


「どうしてオレンジ色になるんだろうね」


 興味を持った時の恵ちゃんの不思議顔は言葉にできないくらい可愛い。クリクリとした目で隅から隅まで穴のあくほど対象物を見る。皆がその可愛らしさの虜になってしまう。


「簡単さ。オレンジ色の色素が花弁にあるんじゃない」


「キク、バラ、カーネーション。三大花卉の一つだよ」

「もう解っているに決まってるさ」

「はい。おしまい」


 大樹は席を立ち、アイスコーヒーを人数分持ってきてくれた。



「ねえ。みんなで自由研究してみない」


 恵ちゃんが話し始める。


「何?」


 僕が問いかける。


「あのね。実はカーネーションにはオレンジ色の色素というのはないらしいの。さっき図書館で本を読んできた」


「オレンジ色のこと。あまり分かっていないの」

「中間色という表現で、文書や写真には乗っているけど」


 大樹が話す。


「でもね、カーネーションだよ。世界中で何世紀も知れ渡っている花だよ。解ってるよ、きっと」

「論文を探せば、山ほどその秘密が書かれているよ」


 僕も大樹の話に別方面から継ぎ足しする。


「恵ちゃん。カーネーションの花色は複雑だよ。もう還暦を迎える専門家のおじさんでさえ、よく分からないと話している」


 恵ちゃんは話す。


「大樹くんは楽天的で乗り気なし。正くんは複雑であろうということが、ちょっぴり分かっている」


「義雄くんはどう思う?」


「僕は細胞とか遺伝子の分野だから、今はなんとも言えないね」



「やろうよ。カーネーション、オレンジ色の秘密探し」


 恵ちゃんのキラキラとした瞳。



 大樹は言う。


「無理だよ。皆自分たちの実験、卒業論文であたふたしているんだから」


「僕は電子顕微鏡で、バラの花粉の表面形態を見て分類する研究があるし、正は、アイソザイム? だっけ? まあ、いわゆる酵素多型によるバラ属の分類」

「義雄は、ナデシコ科植物の細胞融合、プロトプラストに関する研究」


「これで皆手一杯なんだよ」



「でもみんな就職先は内定したでしょ」

「私だって、胡蝶蘭の光合成に関する研究があるよ」



「恵ちゃんのは一番楽。胡蝶蘭を密閉したチャンバーの容器に入れて、光合成測定装置を設置するだけ。あと、その蘭の葉の厚さを測るだけでしょ?」


 大樹が話す。



「私のために一肌脱ぐ人だーれだ?」


 今度は、恵ちゃんの問いに3人とも手を上げない。


「私、知りたいの。このオレンジ、とても綺麗だから」


 恵ちゃんは拗ねる。


 一度言い出すとなかなか引かない恵ちゃんの性格。


 僕は実験室から、試験官より少し太めの菅ビンに70%メタノール溶液を入れて持ってきて、オレンジ色のカーネーションの花弁を十数枚外して溶液に浸けた。


「冷蔵庫に一晩入れておくと、明日には色素が溶け出しているはずだよ」


「まあ、この件は一晩寝かせよう」

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