桜の助手と、橘の探偵





 奏は近くの廃工場でテントを設置して生活していたらしい。

 どの道、そんな生活が長く続く訳もない。桜花の言葉で、西峰が奏を橘の家に連れてくることとなった。

 桜花がどうするつもりかは解らない。だが、彼女には何かしら考えがあるように、にこにこと笑顔を取り戻している。

 不思議な少女。その桜花の印象はずっと変わらない。

 橘は何か肩から重荷が取れたように息を吐きながら、淹れた二人分の珈琲を淹れて事務室へと戻る。

 どうしてそうしたのかは解らない。けれど、ソファに座る桜花へと、それを差し出す。

「……お疲れ様」

 何か疲れる事があったのかと、言った橘自身が苦笑してしまう。

 厄介ごとを持ち込んだ桜花が疲れるというのだろうか。推理も何もかもしたのは橘なのだ。

 最初から、桜花は解っていただろうに。あの足跡の写真を撮ったのは、桜花自身だったのだから。

「いえいえ、お疲れ様なのは橘さんですよ。見事な名推理でした」

「何をどの口で言うんだよ。あれだけの写真とか揃えたんだ。最初から解っていたんじゃないか?」

 マグカップを両手で受け取りながら、桜花がはにかむ。

「そうでもないですよ。まあ、狂言だというのは気づきましたが、それを指摘して確実に自白させる為の材料が足りませんでしたし。携帯に目をつけたのもやはり見事です」

 明るく笑いながら、珈琲に口を付ける桜花。だが即座に、苦いです、と眉を顰める。

 我慢できない程だったのか、むむむっ、と顏を強張らせる程だ。どうやって目の前にある黒い液体を飲めばいいのか解らない子猫のように、マグカップの中身と睨み合いをしている。

 横にあるミルクと砂糖の使い方が解らないらしい。そんな姿が微笑ましくて、あえて教えない橘。

「で、お前は何時までいるつもりなんだ? もう大分時間も遅いぞ?」

 少なくとも橘の知る限りでは桜花が着物の下に来ている制服は、この街の学校のものではない。多分遠くから来たのだろうと予測を立て、尋ねる。

「どーも、その抜けている所とかを見る限り、良い所のお嬢様だろう? 着物も豪華だし。親が心配しているから、奏が来たら……」

「帰らないですよ?」

 即答だった。この人は何を言っているのですかと、小首を傾げながら橘を見つめる桜花。

 そしてどうやら桜花にとってはごく自然な理屈であるらしいことを告げていく。

「言ったじゃないですか。探偵さん、探偵さん。この世のものではない不思議を探しに行きましょうって」

「いや、言ったけれどさ」

「言いました。聞きました。そして、橘さんは私に歩み寄りました。これはOKという事です」

「待て。そこまでは肯定していないぞ」

「いーえっ、橘さんは心霊探偵になって、私はその助手さんになるんです。じゃないと、私、帰らないですし、奏さんの事も助けないですよ?」

 くすくすと笑う姿は何処か楽しげで、橘も思わず嘆息するが、反論が出てこない。

 ようやく見つけた。ようやく出会えた。そんな風に、微笑んでいる桜花。橘と桜。名にあるように、二つは繋がっているのだと、運命を信じる少女のように。ふと、瞼を閉じて、静かに口ずさむ桜花。今までの明るさを一点させて、しずしずと。

「ようやく、ようやく退屈さから抜け出せそうです。ツマラナイのは嫌です。不自由のない世界は、ただの退屈な鳥籠ですよ……橘さんに出逢えて、ようやく探せそうです」

 何を、とはもう問わない。この世にものではない謎。この世から消えてしまったもの。

 神隠しを、桜花は探す。

 消えた人を、橘は探す。

 二人してそうしなければ、心が軋む。そうしなければいけないと、心が砕け散りそうな程に強く願ってしまっているのだ。もしかしたらもう壊れているのだろうか。だからこんな風に感じるのだろうか。

 強い夏の夜の風が窓硝子にぶつかり、かたかたと音を鳴らす。外ではびょうびょうと、何かが始まったことを伝えるように風が走りまわっていた。

 何かが動き出した気配。不吉な予感。

 でも、だというのに橘の胸から零れたのは安堵の溜め息。

「そうだな、ようやく――探しにいけそうだ」

 ようやく、やるべき事を。やれることを見つけたのだと、橘は笑ってソファに倒れ込むように座った。

 何も出来ない訳ではないのだ。そう、探して見つける事が出来た。

 初めてのそれは友人の狂言事件だったけれど、確かに消えた人は見つけられる。決して失って、二度と逢えないという事はない。

「探偵さん、探偵さん」

 未だに珈琲を飲めない桜花が、弾むような口調で語りかける。

「お給料はいりませんっ。むしろ私が出すので、心霊現象を探しに行きましょう!」

「お前は、また」

「私のことは桜花で良いですよっ。でも、良かった」

 朗らかな笑顔で、横のソファにいる橘を見上げる桜花。やはりくすくすという笑みが、小さく聞こえる。

「やっと、橘さんが、出逢ってから初めて笑いました。私が笑っていたら、私がいたら、笑い続けていてくれますか?」

 囁く。誘うように、そして導くように。

 これから先、きっと不可思議で可笑しくて、常識なんて知らないような事に巻き込まれるだろう。

 この部屋を桜花は借りると言い出して、封筒から札束を取り出す。元からその気だったとしか思えない手際の良さだった。

 でも、にっこりと笑うその顏と、言葉を否定出来ない。

「閉じこもっていると、こんなにも楽しい事件を見逃すんですよ。消えてしまった人を、探すのは楽しいですね?」

 桜花がいなければ、出逢わなければ、消えてしまった人を探す事が出来るとは考えられなかった。

 そしてそれが逃避や代償行為だとしても、姉を探す事に繋がっている。だから、橘は今笑えていて、先の事を考え始めていた。

「――消えた人を、この世界からなくなってしまったという謎を探しに行きましょう? あなたの、お姉さんさえも」

 それが目標。とても可笑しな探偵と、助手が走りだして転がり出した理由。

 この世にあるものは余りにも理不尽で、青春時代の学生ではどうしようもない。だから、どうにかなりそうな、本当は恐ろしいかもしれないこの世ではないものを探しに行く。

 それだったら、まだどうにかなるかもしれない。謎が謎のままである時は、希望をも内包している。

 もしかしたら。万が一。ひょっとして。

 そんな夢を、思い描けるから。

「さあ、始まり、始まり。私達の最初の事件が終わって、消えたものを探しに、転がりに行きましょう」

 痛みを感じて堪え、世界という籠の狭さに翼を傷付けながら、それでも始まる。

 いずれ二人は出逢う。赤い森の幽霊と。それまで、夏休みを駆け抜けるように、幾つもの事件に絡んでいく。

「さあ」

 さあ。

「探しに行きましょう?」

 現実に絶望しながら。事実を見れば希望なんてない二人は、そこから外れたものを探し始めた。

 かくして転がり始める、少年と少女。

 どうしようもないと頭では解りながら、それでも心が求めるままに。


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