謎は、隠されるもの


 西峰が遭遇したという事件を語り終わった頃には、夕立も止んでいた。

 不可思議な話ではある。けれど、実際として起きたのだと西峰は言うし、周防 奏は行方不明だという。わざわざ嘘はつかないだろう。

 ぽつぽつと落としていった言葉に続いて、その眼からは涙も一筋流れている。

 その時の事を思い出しているのだろう。堪えるように自分の掌を強く握り締めて、語り続けていた。

 終わった今、ようやく、本音が覗いたように西峰は小さく呟いた。

「……なあ。俺も、あの時、奏と一緒にいってやれば良かったのか」

 どこか遠くに。ここではない場所へ。

「……あの時、他に出来る事は、あったんじゃないのか?」

 掠れて、剥がれるような声。全ては、自責のものだ。共感さえ覚えてしまうものに、橘は瞼を落とした。

 何か出来た筈。何もあったのではないだろうか。無力な自分は知っている。それでも他に出来たことがあるかもしれない。違った今があるのではと、考えて考えて、考え抜いてしまう。

 ぐるぐると回る思考は、向こう側にいきたがっている証しなのだろうか。この場所ではもう何も出来ないから、別の世界を求めている。出口や解決策を。

 今と違う現実を求めている。

「……消えた、跡か」

 橘だって、姉のいない現実を否定したい。姉のいる現実を求めている。

 だから容易な慰めは出来なかった。たとえ西峰が隠し、嘘を騙ると気付いても、その想いだけは本物だと感じている。

 悪い奴ではないのだ。橘の家族は姉だけだと知って、よく話しかけてくれた。友人の一人で、それは奏も同じだったのだ。堪えることに限界はあって、それがついに、糸がぷつんと切れるよう、起きてしまった。

 だから、どうするべきなのかと橘は躊躇した。桜花へと視線を向ければ、にここにこと、答案の提出を待つような顔を浮かべている。

 桜花は橘の手にした、中央に向かって消えていく足跡の映された数枚の写真を覗き込みながら口にする。公園の端のベンチから伸びて、真ん中で途切れている。

「そう。消えていく足跡です。まるであちらの世界、幽世に一歩、一歩、踏み出していったかのように。痕跡がこの世界から消えていく。旅立つ、足跡です」

 桜花の口調はまるで歌でも諳んじるかのようだった。

 あなたはどう思いますかと、返し歌を求める少女。着物の裾を揺らして、口元を隠す。

「消えていく跡」

 頬に残る涙の跡が残した筋に似ている。始まりは強く、終わりにかけて薄らいでいく。

 文字通り、それは涙という液体の体積が減っていくからだ。頬に少しずつ残り、張り付いたせいでそうなっていく。

 なら、奏では少しずつその存在が消えていったのだろうか。体重も、心も、そして身体さえも。声さえもう聞けないと、西峰は首をたれた。

 ただ、橘は思うのだ。

 橘は今、何も出来ない訳ではない。

 けれど、どうすれば良いのか解らない。今でも西峰は必死なのだろう。靴跡の刻まれた写真を見ながら、橘は桜花へと問う。

「……なあ、桜花。お前は何を知っている?」

 余りにもぼかした言葉に、目を細めて桜花はするりと答えた。

「こういうものは、一般的に神隠しと云われます。人が怪奇現象に巻き込まれ、幽世とか異界とか、彼岸などに連れ去れてしまった話……有名なものだと、山神さまが攫ってしまうとかありますね。古くからの、日本にあるお話しです」

「…………」

「ある話を説くと、昔、昔、とある村で少女がいきなり、とある夕暮れにふらりと姿を消しました。その最後の目撃者は少女が誰かに誘われるようにして森へと消えていったと言います。けれど、その誘う人を見た人もいなければ、その娘さんを見た事もなくなったそうです――ある時までは」

「ある、時?」

「ええ。二十年ほどたって、同じ村、同じ森の付近で、その当時と変わらない少女の姿が見つかりました。一切歳を取らず、姿も変わらずに。そして、こう言ったそうです。『遊びましょう』と」

「ふむふむ」

「勿論、それを見た人はすぐに逃げて帰ってきたそうですけれど、その時、遊びに誘われて、応じていたらどうなっていたでしょうね? 遊びへの誘いに応じたから、その少女は神隠しにあったのかもしれません。そして、次の人を攫い隠す存在になったのだと」

「まるで、奏が西峰を連れていこうとした、と言っているようだな」

「まあ、あくまで民俗学に残る神隠しの話ですよ。後は入ってはいけない森の中に入れば、行方不明となった女性が歳も取らずにそこに居続けたという伝承があります。柳田國男でしたでしょうか。もう来てはいけないと云われ、けれどまた十年後にふらりと迷い込めば、食べるものも、過ごす場所もないだろう森の中で、まったくやつれもせず変わらないままの女性がいたそうです」

「ちょっとしたらホラーだな」

 まあ、ですね。と肩を竦める桜花。

「神隠しっていうのは、この世から消えて、別の世界のものになってしまうということ。でも、ここに一つだけ条件というか、共通点があるのです」

 にこにこと笑っているのに、橘は桜花に見透かされるような気がしてしまう。

「――この世界に馴染めない。この世界に居場所がなくて、何処か遠くにいきたいという人が、神隠しに出逢いやすい体質だと云われています」

 本当のこの事件にぴったりですよねと、くすくすと笑う桜花に、橘は告げた。

 全てを見透かして、この世のものではない謎を探しに行こうと云った少女に。

 溜め息を吐いた。写真を見て、それだけで解ってしまう。落胆したのかもしれない。

同時に、言葉にする事に迷いがあった。

「なあ、桜花。お前は何処まで解っている?」

「探偵さん。私は、探偵さんの助手ですよ。謎を見つけてきました。でも、それを解くのは探偵さんです」

「……そうか」

 つまり、桜花は気づいている。

 それはそうだろう。橘だってすぐに気付いたのだ。

 不思議な事を求め、民俗学にもどうやら知識の豊富な桜花。頭の回転だって悪くはない筈だ。聡明さを感じてしまう。少しずつ誘導されて、こうして橘が事件の資料に向き合っている事がそれを示している。

 そして桜花は、この事件を解決することを捨てている。だから橘に回答を求めているのだろう。

「そして、問い詰めるならば――どうぞ。正しいひとに。でなければ、事件は解決しませんから」

 風のようにふわりと、あるいはさらりと流す桜花。

 二人の視線が動いて、西峰を見つめる。どうしても避けていられない問題だった。

 では親友に突きつけるべきなのだろうか。余りにも一途で必死な西峰に、言葉の切っ先を。

「ね、探偵さん。探偵さん」

 歌うように、しずしずと口にする桜花。

 それは誘うかのようだった。もしかしたら橘を試しているのかもしれない。

 本当はどうしていたいのか。橘の胸の中、ずっと願っていたものは何なのか。桜花は既に知っているかのように、優しく口にする。

「消えた人を――探したいのでしょう? 見つけましょう。それが幸せではなくても、あなたが求めるならば」

 甘い声だった。

 するりと耳朶を抜けて脳に達し、思考を麻痺させる。陶酔感と、反面、胸の奥で疼くものがあった。

 鼓動が脈打つ。その度に、橘が何を願っているのかが強く、形作られていく。

 桜花が夕焼けを背にして語ったことだけではない。あれに誘発されて、求めたのは確かだろう。

 でも、そこから先は橘自身の心だった。だから、もう嘘はつけない。

 嘘付きと、桜花に責め立てられたくなかった。

 友人を庇っても何も変わらない。そうすれば、ただ桜花がするりと消えてしまう気がしたのだ。

「西峰」

 名前を呼ぶ。ゆっくりと西峰の顏が上がり震えて、恐怖とも焦りともつかない表情が見えた。

 痛々しい。きっと橘も、さっきまではこんな顏をしていたのだろう。でも、今は違う気がするのだ。

 そっと、桜花の手が橘の手の上に重ねられた。にこにこと笑う、優しくて暖かい雰囲気を感じる。それがあれば、彼女の示したこの世から消えてしまったものを、ひとつずつ、見つけていければ変わる気がするのだ。

 もうダメかもしれない。神隠しにあった存在は、変質するのだと桜花はいった。

 死んでしまったら戻らない。変わったものも戻らない。

 けれど、そうやって失ったことを嘆くばかりでは、脚を一歩も動かせないのだ。

 ひとつずつ、消えたものを見つけたい。

 酷い我が儘だった。でも、このままでは何も変わらないから、残酷な真実と現実を、叩きつける。




「西峰、周防 奏を何処にかくまっている?」




 嘘を暴いて、謎を切り裂いて、世界の全てを明らかにしても、きっと心の隙間は埋まらない。

 ただ、この世のものでなければ違うかもしれない。それは桜花の言った通りだ。説明のつかない謎にこそ、心の傷は埋められるのだろう。今、寄り添い、そちらへと誘う桜花の心がそうであるように。

 だから、現実の謎、普通の謎を、橘は斬り捨てる。

「何、を言っているんだ?」

 戸惑うような西峰に対して、橘は一拍もおかずに告げた。

「友人としての警告だ。……狂言回しでの事件なんて、辞めろ」

 その言葉に虚を突かれたように。或いは、今まで抱えていた重荷の紐を斬られたかのように、西峰は目を見開いた。

「端的に言う。こんなの茶番で、文字通り狂言での事件だよ……西峰、奏の為にしたのかもしれないが、それじゃあ何も変わらない。お前の言った事は、証言は、嘘だらけだ」

 写真をテーブルの上に投げる橘。

 覚悟は決まった。姉は消えた。奏も消えた。けれど、奏は簡単に見つかるのだ。

 もう誰も消えて欲しくない。居なくなって欲しくない。そして、探し出して見つけたい。

 それが橘の願いだった。

 想いを乗せた指先を、靴跡の写真へと突きつける。

「まるで向こう側の世界、体重さえなくなっていくかのように、中央に向かって靴跡が浅くなっていく? ああ、確かに歩く方向に向かって、靴跡が浅くなるって可笑しいよな。どんどん土が雨を吸ってぬかるんでいくのに」

 でもと息を吸い、つぅと指で靴跡の辿った道を示す。

「ああ、可笑しいよ。……こんな変な事、警察だって取り合ってはくれないさ」

 そう続ける西峰。

「だから、橘を頼りたかった。友達、だろう?」

「ああ……だから、聞くしかないんだよ」

 だが橘はこれは有り得ないと。余りにも出来過ぎていると、笑ってしまう。

見えてしまった事実が苦くて、きっと姉が浮かべていたような笑みを顏に張り付けながら。

「二人とも、この偽の証拠を作り上げる為に雨を待っていたのか?」

 こんな靴跡を残す為に。

 公園の中心に向かって歩くにつれ、跡が浅くなっていく。

 なんて不自然なのだろう。可笑し過ぎて、他のものにも目がいってしまう程だった。

「こんな靴跡は普通残らない。とんでもない土砂降りでも、ここまでくっきりと足跡が残る程、土がいきなりぬかるむ筈がないんだ。まるで雨が降り出したから、歩き出したみたいだな。わざわざ、跡がくっきりと残るほどに雨が降り続くのを待ってから歩き出したかのようだよ」

 雨がずっと続いていたなら土は泥になって靴跡を残しただろう。

 だが、いきなり降り出したと西峰は言った。いいや、その気配はあったと口にはしている。

 なら、どうして雨の降りそうな公園で二人は合って話していたのだろう。誰もいない公園。それこそ、最初から雨が降るから、誰も来なかったかのような場所で。

「でも、写真は……」

「ああ……写真の靴跡は確かに可笑しいよ。普通は公園の中央に向かっているのに、足跡がどんどん浅くなるだなんて。でも、他のことがもっと可笑し過ぎる」

 一つに気付けば他もボロボロと出てくるのだ。

「足跡の深さが余りにも不均等に過ぎるんだ。まるで体重がなくなっていったかのようにって西峰は言ったけれど、だとしても可笑しいね。一歩ごとに減っていく、足跡を残した体重の変化がバラバラみたいだ。まるで、どれだけくっきりと足跡を残せたか確認しながらやっていたみたいに、跡の深さが不均一に変化している」

「……け、ど。それは少しずつ向こうに、中央に向かうにつれて消えていった証拠、だろう?」

 確かに中央で足跡は途切れている。靴跡は全て中央の方向に向いているのに、途切れていた。

 そこから先がないように。何処かに消えてしまったみたいに、中央でぽつんとと残っている、くぼみ。

「そう。その先がないように。そこから消えてしまったように。でも、見方を変えたら簡単だよね。そこから靴跡が始まっていたとしたら? 雨が降り始めて、土がぬかるむのを待ってから『中央から後ろ向きに歩き出した』としたら?」

「……っ」

 息を呑む西峰。嘘の得意ではない友人のついた、必死の嘘をひとつひとつ暴いていく。

「そして、土がぬかるんで、靴跡を深く残していくのを待ちながら、後ろ向きに歩いて行く。雨は強くなって、足跡は深くなる。中央から後ろ、公園の端に向かえば向かう程、深くなる」

 その証拠にと、中央の写真を示す橘。

「だから、中央の靴跡はくぼみなんだ。ここでずっと立って、土が泥になり始めるのを立って待っていたから、しっかりとした靴跡にならない。身動きを全くしないなんて出来ないから、重心の変化でズレた分、しっかりとした靴跡にならない。そして少しずつ体重を支えきれなくなった土がくぼみを作る」

 次に示すのは写真。公園の端と中央を繋ぐ、深い足跡。

 確かにしっかりとした靴跡が残っている。でも、よくみれば可笑しいと気付くはずだ。

靴跡なんて人はあまり見ない。だから一瞬では解らないけれど、理屈で考えれば簡単なものだった。

「公園の端から中央に向かって歩いたとすれば、先に踵の部分から泥に踏み込んでいく。が、前に歩こうとすれば最後に地面から離れるのはく靴の爪先だけれど、この時は体重がもう片方の脚で支えられて、跡が残る筈がない。そして、片足の踵、その一点に残った体重の全てが掛かってしまう。だから一番深くめり込んだ跡を残すのは踵部分のはず。……なのに、この写真では違う降り返った痕跡を残さないよう、おそるおそる後ろ向きに歩いたように、踵の方が浅くて、爪先部分の方が深い。前に向かって歩いているなら、こんな風な跡は残らないよ。何時だって靴が磨り減るのは、体重のかかる踵からだろう?」

「…………」

「誰かの声を頼りに、誘導されて、後ろへと歩いていったみたいに」

「……違、う」

 絞り出すような西峰の否定に、ゆっくりと橘は首を振った。

「西峰、俺は誘導したのがお前だとは、まだ言っていないよ」

「…………」

「嘘が苦手、だな。相変わらず」

 これからどう否定するというのだろう。奏は消えたのだと、どう信じさせるつもりなのだろうか。

 せめてそれを聞こうと、口を閉ざす。でも、何も続かない。

 沈黙ばかりが続く。時計の秒針が、制限時間を削っていく音がした。

 もう、無理なのだ。子供の浅知恵では、子供さえも騙せない。

「これは西峰と奏の狂言事件だよ。最後のダメ押しを、しようか?」

 視線を外、雨の降り止んだ外へと向ける。けぶるような夕闇が街を包み込む時間帯。

 まだ雨の名残がした。玄関にまで出て、携帯で通話していたせいで、雨に濡れた西峰の髪の毛は、まだそのままだ。

 湿って、そして、少しだけ艶やかに。雨に濡れながらも、誰にも聞かれないように、通話していた。

 奏の事件を橘の元に持って来たというのに、そこまでして、誰と通話していたのか。

「さっきまで通話していたのは誰かな? 携帯を、貸して」

「…………」

「奏と、そして心配だと言っていた俺を無視してまで電話していたのは、ひょっとして警察? 警察とかが動かないから、素性を知らない桜花や、引き籠もっていた俺を頼ったのに?」

 一番可笑しいのはそれなのだと、橘は告げる。

 西峰の抵抗は、これ以上は無理だった。携帯を手渡された橘が、着信履歴を見る。

 知らない名前が、ずっと続いている。毎日どころか、半日に一度以上のペースで電話をかけあっている。

 机の上から橘は自分の携帯を取り出す。確認するのは奏の通話番号だ。それを西峰の奏名義のアドレスと見比べる。

「……奏の番号が変わっているけれど、何時変わったのかな?」

 もうこれ以上は何も言えない。

 何を口にしてもボロが出るだけだ。

「そして君の携帯には、俺の知らない人の名前で、奏の番号から着信がかかっている。これは奏を攫った人から、かな? 或いは奏の携帯を見つけた人? だとしたら、警察に届けないといけないけれど――その前に俺がかけてもいいよな?」

 アドレス帳の名義を換えただけの、必死の偽装。お金さえない学生の、偽装工作の限界。

 プリペイド式携帯を買うことさえできなかったのだ。

 だとしたらそんなもの、ただの自爆にしかならない。西峰も奏も気付いている筈なのに。

「良かったな、西峰。奏の携帯で誰かが通話しているなら、警察だって動いてくれる。親だって仲が悪くてもGPSの追跡装置を使ってくれるだろうね。俺みたいな半端ものでも、あるいは桜花のような見知らぬ人に『これが事件だ』と一緒に証言してくれなくても、よくなった」

 すう、と息を吸い込む。

 がたがたと、肩を震わせる西峰。彼にとっては必死だったのだ。

 これでも考えた。嘆願で哀切で、叫びだった。好きだった人を、守りたかったのだ。

「一緒に消えるなんて無理だ」

 そんな事出来る筈がない。

「一緒に遠くに行きたくても、そんなの出来る筈がない」

 だから、事件に仕立て上げる。大きな不審事件にして、警察も巻き込んで、限界の状態にいる奏の家庭状況を変えたかった。

 西峰一人では、奏を助ける事なんて出来ないから、嘘をついて並べて誤魔化して、色々な人を巻き込もうとした。

 友人の橘も。それより大切な奏の為に。

 自分の無力さは知っている。西峰は感じて、考えて、ようやく出した答えだった。

 狂言。狂った証言。嘘つきでも構わない。奏は悲しそうに笑ったけれど。

 それでも自分への怒りが、西峰を突き動かした。無力で、何も出来ないのは嫌だった。

 せめて、せめてと出来るのが、これだけだったから。



「なあ、それが間違っているというなら、どうすればよかったんだよ!?」



 現実では何処にも逃げ場はなかったのだ。

 二人で行ける場所なんてない。そんなものこの世界にありはしない。

 不思議な、この世のものではない事件を探す少女を見つけて、巻き込んだ。バレそうになって、箔を付ける為に探偵事務所として橘の所を選んだ。この街には他にも沢山の探偵がいて、桜花が紹介してというなら、本当に見つけたいならプロの所にいくべきだったのに。

 見つからない方が、良かったのだ。

 そのまま、一年だけでいい。消えたままにしたかった。

 そうすれば何かが変わる筈だと。そう信じて。

 でも。

「全然、現実的じゃないですね」

 とても冷たい、春の夜の風のような声。

 身体を震わせながら口にする西峰を流し目で見つめる桜花がいた。

 そこには侮辱も軽蔑も、怒りも憎悪もない。代わりに、ひどく冷たい哀しみの色がある。もしかしたら、こんな茶番に対して、桜花の方が悲しんでいるかのようだった。

「現実は――退屈でどうしようもない、翼を広げる事も出来ない、鳥籠です」

 ふと、瞼を伏せて言葉を閉ざす桜花。

 桜花も何か、自分を取り巻くものを籠と認識するようなものに囲われているのかもしれない。そこから抜け出したくて、怪奇現象や心霊現象に出逢いたいのかもしれない。 

 民俗学は、幻想だ。それを求めている。神隠しの世界に本当にいきたいのは、この桜花かもしれなかった。

 そして橘は、消えた人を探して見つけたかった。

「なあ、西峰。俺は、嫌なんだ」

 もう誰かが消えるのは嫌だ。それを見ているだけで、何もしないなんて出来ない。

 姉が消えた。行方不明の失踪。帰りを待っても、きっと帰ってこない。

 そういうものを、二度と味わいたくない。だから、必死で抵抗する。西峰が奏の心が壊れないようにと嘘と狂言で世間に抗ったように、橘も抗う。

「――知っている人が居なくなるなんて、嫌だ。俺にとっても、奏はクラスメイトで、友達だ。お前ほど大切に思っていない、けれど」

 そこで一瞬、言葉が途切れる。だが止まれない。意を決して息を吸い込み、告げた。

「奏を消さないでくれ。消えさせないでくれ。その笑顔も守る為なら、俺も手伝うから」

 どうやって?

 何も出来ない学生なのに?

 市の保護課や警察は動いてくれるだろうか。無理な気がする。所詮こんなの、大人から見れば家庭の事情だ。

 それでも。

「逃げても仕方ないだろう」

 怒りに、恐怖に、悲しみに震える西峰に、ゆっくりと語りかける。

「見つけよう。どうにか、消えずにすむ方法を。消さずに、見失わずに、亡くさない方法を」

 そんなものがあるかは解らない。ただ、二人で悩まれても解決は出来ないのだ。

 三人寄れば文殊の知恵という。そして、何故だか、それを何とか出来そうな少女が、夕闇の空を見ていた。

「消えてしまったものを見つけるのは難しいですから。ええ、そうですね。とても面白い探偵さんと知りあわせてくれたお礼です……私からも、手伝いますよ?」

 少しだけ笑って、桜花は告げる。

 興味を失った猫のように、小さな声で。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る