食事という名の不可思議

 オーブンで焼けていく、トッピングをプラスしたピザを見ながら思い起こす。

まともじゃないかもしれないけれど、無神経な程に姉の居場所を自分の趣味で埋めたあの我が儘少女の方が、生きる気力をくれたのだ。出会う前は、食欲さえ感じなくなり始めていた。

 そういえば食事云々での思い出の一つに、橘が桜花と初めて一緒に食べたのはピザだった気がする。

 少し朧げになってしまった記憶を辿りつつ、焼けたピザを取り出し、飲み物と大事な主食を置いてトレーに乗せて食卓に。

「桜花、出来たぞ」

 自画自賛ながら、そして冷凍モノにマッシュルームなどを上乗せしただけだが、上手く出来たと橘は自分を褒めたくなる。

 匂いに釣られたのか、ととととっ、と軽く弾むような音を立てて現れる桜花。

にこにことした満面の笑みが眩しいほどだ。この笑顔に救われた、訳ではないが、笑っている人を見ないと自分の笑顔の形さえ人は忘れてしまうという桜花の言葉を思い出した。釣られて笑っている橘が、桜花という助手の見つめた最初の証拠だろう。

「さてさて、ピザですよっ。しかも飲み物は珈琲のようです。ランチ、ランチ、ランチっ」

 食卓のテーブルに座って、切り分けられるのを待つ桜花の瞳は、まるではしゃぐ幼い子供のようだ。

 ついつい、引き摺られて笑みが深くなる。

 黒い長髪が揺れて、着物の上で流れた。その下は桜花の通うお嬢様学園の制服という不思議な組み合わせだが、それが妙に桜花には似合うのだ。

 可愛いと綺麗の中間。洋と和の間。現実と理想の狭間。

 地に足が着いていない青春だからこそ、そのユメの塊のように、桜花は笑う。

「さあ、ランチですっ。ランチ、ランチ、ランチっ」

 珈琲を注ぎ、切り分けたピザをお皿に。

 そして、満面の笑顔を更に持続して貰う為、大切な主食を添える。

 その時、不自然な事が起きた。

「ランチっ、ランチ、ラン……チ……?」

 目の前に出された昼食に、何故か凍り付く桜花。

 じーっ、と湯気を立て、美味しそうな匂いをあげる食事から目を離さない。幽霊を見たかのように、止まっている。

 むしろ、かたかたと震えている指先は、何かの異常を伝えようとしているようでもある。

「どうかした? 何か、苦手なものでも入っていたか?」

 これだからエセお嬢様はと橘が嘆息した瞬間、凄まじい勢いで椅子から立ち上がり、テーブルの上に並べられている料理に指を突きつけた。

 さも、死体を見つけた探偵の助手のような驚愕の表情と共に。

「ピザでランチと思ったら、ピザにライスがきましたよ!?」

「……ん?」

 そんな、よく解らない事を口にした。

「……ああ、桜花って関東出身かな。珍しい?」

「珍しいとか珍味とかそういうレベルではないですよ!?」

「いや、関西ではお好み焼きと一緒にご飯を食べるんだ。……どっちも丸くて粉ものだ、問題ないよ」

「いえいえいえっ。問題ありますよ、この食べ合わせっ!? 鰻に梅干しよりきっと強烈です。橘 彰さん、あなた、正気ですか!?」

 わなわなと震える桜花。ビックリマークとクエスチョンマークが頭の上で乱舞しているが気にしない。この少女が不思議なのは何時ものことなのだから。

 橘は無視してピザを切り取り、ご飯の上に載せて一緒に食べる。

「美味い」

「何がですかっ!?」

 たんたんっ、と机の上を叩く桜花。だが、どうにもこの少女の思考回路が橘には理解出来ない。首を捻るばかりだ。

 こんな騒動は何時もの事だが、桜花が声を荒げるのは珍しい。新手の暇つぶしかとピザとご飯を食べて、珈琲を啜る。美味しい。お米は至福だ。

「いえいえ、あのですね。ピザは洋食です。洋食にもライスが付く事はありますが、これは可笑しい。私の語彙では言い表せない狂気を感じています」

「……ふむ」

「そうやって冷静に口に運ぶ橘さんは狂気の塊です、邪神の僕です。私の正気が削れていきますっ」

「桜花、お前って正気だったのか?」

「私の事はどうでもいいんです。良いですか、今は橘さんの事を心配し、目の前のピザをどう美味しく食べるかを心配しています!」

 たんたん、たしたしっ、とマシンガンのような勢いで机を叩く桜花。食事の際のマナーを喪失していた。

 ついでにいうと、自分で正気ではないと言外で桜花は認めていることになっているが、気付いているのだろうか。きっと自覚の上でのあえての奇行だろうと納得する橘。

 橘の感覚では何も変な事はしていない。可笑しいのは何時だって桜花だ。

「良いか、桜花。俺達は日本人だ。日本人はお米を愛し、食べる――判ったか?」

「判る訳ないでしょう!? ええ、もう良いです。何かシチューにご飯がついて出た時点で可笑しいと思いましたが、パンを下さいっ」

「着物を羽織るくらいに日本文化が好きで、民俗学オカルトマニアだろう? なら、問題ない。喰え」

「初めて私に命令形で話しましたね。橘さん、お米への偏執狂ですか!?」

 橘が愛するお米とそうでもないピザを食べている間にも続く桜花のツッコミと、机をたしたしと叩く音。橘も正直、煩いので黙らせる事にするのだと強硬手段に出た。誰であろうと愛するお米に文句はつけさせない。

「お米を食べないなら、ピザは抜きだ」

「え……?」

 その言葉の真剣さは伝わったのだろう。我が儘な姫君が止まる。

「え、え。私、ただ、ピサを食べたいだけ、ですよ?」

「ああ。だから、ご飯にあうようにピザのトッピングとかを変えたんだ。折角作ったのにもそれでも食べないなら、ピザは抜きだ」

「……残る、のは?」

「珈琲」

 一瞬でぶわっ、と涙目になる桜花。

 その理屈は解らないが、ピザとご飯と珈琲へと三角の形で視線を巡らせている。

「うん、ええ。一つ一つ別に食べれば問題ありません。前菜と主食と考えるんです、私。ああ、でも、それは行儀が悪すぎますよー……かといって、私、珈琲を飲みきれないですし、ピザは美味しそうですし」

 ぶわわっ、と瞳で湛える涙の量が増えていく桜花。何かの拷問を受けているかのようだが、理由が解らず、お米を咀嚼する。

 机をあれだけ叩いたのだから、行儀も何もないだろうに。

 が、本人にとっては大事な事らしく唸りながら考え、ついに眦を決して椅子に座る。

 真剣な顏はいっそ綺麗だ。悲壮感漂う気もするが、凛としたそんな顏付きで、口を閉じていればいつもしていれば美人なのにと思ってしまう。

 本当に黙って大人しくしていれば繊細でキレイな少女。不思議さが、一転して本性を掴めないミステリアスさになる。

 そこに、少しだけ惹かれた。

 勿体ないとは思わない。

 それこそ、自分だけが知っていれば良いなんて独占欲、苦いものが嫌いな桜花の珈琲に、こっそりと入れた砂糖の分だけしか思わないけれど。

 出逢った時のあの神秘性を思い出して、今とのギャップで橘は苦笑してしまうけれども。


――こんな馬鹿をしている余裕ないんだって、忘れさせてくれる事が嬉しかった。


 必死で切実なのだ。子供だからと橘や桜花のことを馬鹿にしないで欲しかった。

 願い、祈り、信じて探す。形がなくて、目に見えなくて、あるかどうかも解らないものを。

 まるで透明な硝子の箱を探すようだ。

 そこにあるか解らず、影も作らないほど透き通る硝子。まず見つける事が至難だ。無理かもしれない。

 その上で掴む事が出来るかさえ解らないし、掴んだ途端に割れてこの掌を傷つけるかもしれない。夢を追って、幻想を求めて、傷だらけになる青春時代の話はよくある。

 でも、見えないから、見つからないからって探すのを諦める事は出来ない。

胸にあるのは諦観じゃなかった。飢えるような、乾くような、恐怖と希望が入り混じった衝動ばかり。

 後悔は、するのだろう。

 硝子の箱なんて、そもそもないかもしれない。見つけて、その中身も硝子のように透明で、目に見えず、見つけたと誇れば周りからは裸の王様のように見えるだろう。

 それでも何処までも一途に、真剣に、そして殉じるように、消えてしまったモノとヒトを探す。

 橘 彰と、四条 桜花は、そんな風にして、この世にないかもしれないものを探す探偵ごっこを始めている。

 時間の砂がさらさらと零れ落ちるのを気にせず、それ以上の速度で不吉さと不気味さと不思議なものへと、転がり落ちていく。

 まだ見ぬ何かなら、失ったものを、最初から亡くしてしまっていたものを、取り戻せる気がして。

 不可思議なヴェールの向こうにあるものを、探す愚かな探偵と、彼を巻き込んだ助手の話。

 橘が何時かこの物語を閉じた時、せめて誰かの退屈凌ぎになれば良いと思う。


 抱き合うように、高速で転げ落ちながらお互いに壊れていく橘と桜花の二人の方が――よっぽど、不可思議な怪奇事件そのものなのだろうから。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る