第6章 優樹、海里と好きな人について話す(後編)

 イカの乗った海鮮ピザの代わりに、パイナップルの乗ったピースをもらって、満面の笑みで優樹は話を続けた。

「それでまぁ、なんというか、きちんと作られてるはずの法律でも、特殊な条件だと『法の抜け穴』を通って変なことできちゃうってあるじゃないですか」

「うん」

「サンドボックスにも、小さーい抜け穴が見つかって、そこから砂場を抜け出せちゃうことがあるんです」

「ええー。悪用されちゃうんじゃ?」

「そうですね。悪い人にシステムを書き換えられちゃったりしたら大変なので、Androidを作ってるGoogleも、iOSを作ってるAppleも、抜け穴が見つかり次第、どんどん直して穴を塞いでいくんですけど」

「おお」

「抜け穴を使いたいと考えたのは、悪い人だけじゃなかったんです」

「うん?」

「というのは、システムをカスタマイズしたいと思ってる人がいたんです」

「カスタマイズって、こう、使いやすいように作り変えるみたいなこと?」

「そうですね。ある意味、カスタマイズってみんなやってるふつうのことだと思うんです。家の間取りを好きなようにしたり、家具を改造してみたり」

「うん」

「スマホに限っても、好きなようにアプリを入れて使いやすくすること自体、カスタマイズですしね」

「それはそうか」

「で、中にはスマホのシステム本体に手を入れたいっていう人もいて、でもさっき言ったサンドボックスの仕組みがあるから、基本的にはシステム本体をいじることはできないわけです」

「あ。それで、抜け穴を使うってこと?」

「そうです!」

「禁止されてるところをやるって聞くと、すごく悪いことに聞こえるけど、カスタマイズしたいだけですって言われたらちょっと印象変わるね」

「そういう、サンドボックスから抜けて、ダメなことリストに入っているはずのことをできるようにしちゃうことを、『root化』とか『脱獄』って言うんです」

「『脱獄』っていうのは、制限されてるところから脱出してスマホが自由になるからってことか」

「というか……iOSだともともと、サンドボックスを作るために、jail(ジェイル)っていう機能を使ってるんです。jailっていうのは監獄とか牢屋とかって意味なんですけど、これはアプリを部屋に閉じ込めるイメージですね」

「ふうん」

「それで、抜け穴を使ってjailを抜け出すことを、jailbreak(ジェイルブレイク)、脱獄、って言うんです」

「ああ、じゃあ別に、スマホが自由になるってことじゃなくて、単純にサンドボックスを抜けるって部分を指してるのか」

「はい。まぁ、使う人はだいたいはカスタマイズが目的だから、自由になったぞーっていうニュアンスも合わせて使われてるんだとは思いますけど」


 付け合わせで注文したフライドポテトをつまみながら、海里が聞く。

「iOSでは『root化』とは言わないの?」

「そうですね。iOSは『脱獄』『jailbreak』で、Androidが『root化』って言われます」

「ルートって……道って意味だよね」

「それは英語の綴りが違うやつですね。道の方のroute(ルート)じゃなくて、根っこって意味のroot(ルート)です」

「じゃぁ、root化っていうのは、根っこになるってことなの?」

「ええと……色々と経緯があるんですけど……すごく短くまとめると、システムを根っこから変えられる状態になることをroot化って言うんだと思ってください」

「ふうん」

「iOSの『脱獄』と意味はだいたい同じですけど、Androidの基になってるシステムで前から『root化』っていう言葉があったのと、Androidではサンドボックスを作るのに、iOSとは違ってjailじゃない別のやり方を使ってたから、呼び名が違うんです」

「なるほどね」

「サンドボックスの抜け穴を使って、システムをいじれるようになる点では同じなので、似たようなものだと思ってくれていいです」

「りょーかい。……でも、ここまでの話だと、基本、やった方が便利なことに聞こえるけど、優樹はなんで渋い反応なの」

「……よくわかってる人が慎重にやるならいいんですけど、トラブル起こす元にもなっちゃうんですよ」

「そうなんだ?」

「まず、システムを書き換えることで、ちゃんと動かなくなる場合があるっていうのがあります」

「なにそれ」

「機械の部品を好き勝手にいじったら、まともに動かなくなってもおかしくないですよね」

 海里が、ちらりと壁を見てからうなずいた。

「そうだねえ」

「……何か身に覚えが?」

「実家から持ってきた古い時計があったんだけど。壊れたから直してみようと思って、裏ぶたを開けてみたんだけど」

「直らなかったんですね」

「というか、途中からバラすのに夢中になっちゃって。『こんなんなってるのかー』ってやってたら戻せなくなっちゃった」

「それはもう、どうしようもないやつですね」


 海里が顔を手で覆った。

「続きをどうぞ」

「は、はい。スマホのシステムも似たようなもので。実際、『脱獄』や『root化』をしてから、スマホが起動すらしなくなったっていう人も、ふつーにいるんです」

「ええ……」

「勝手に改造してる状態だから、メーカーの保証も聞かなくなっちゃって、ふつうに修理に出せないし」

「えええ……」

「それと、そもそもスマホを安全にするためにサンドボックスがあるのにその外に出るっていうのは、今までウィルスに感染したりせずにすんでたのと引き換えになるんですよ」

「そのためにあったんだもんね」

「はい。あと、iPhoneで脱獄したら、その後、脱獄済のスマホ用のアプリを入れると、カスタマイズができるんですけど」

「ほう」

「ふつうのアプリはAppleが審査してて、おかしいアプリができるだけアプリストアに載らないように弾いてるんですけど、脱獄したスマホ用のアプリは、Appleとは関係ない人たちが運営されてるアプリストアがいくつかあって、そこから入れるんですよね」

「Appleみたいな審査はされないの?」

「されないですね。よほどひどいのは削除されたりするでしょうけど」

「ちょっとこわいね」

「で、ここからは個人的にこんなこともありうるって思ってるレベルですけど」

「どうぞ」

「カスタマイズのために脱獄やroot化する人って、やれば便利になるらしいって聞いて気軽にやってみてる気がするんですよね」

「ふうん?」

「そういう人たちがたくさんいるとしたらですよ。脱獄したスマホ用のアプリストアって、悪いこと考える人から見たら、言い方悪いですけど……カモが集まってるみたいに見えるんじゃないかと思って」

「ううーん」

「だから、一見便利なだけに見せかけて、例えば電話帳のデータを盗むようなアプリを、そういうストアに出しても、使ってる人たちは気づきすらしないかもしれない」

「なんかサスペンス映画みたいな話になってきたね」

「まぁ……そんな感じで、脱獄やroot化はリスクも大きいってことですよ。そういうの、自分で対策できるとか、何かあっても対処できる人ならいいんですけど」

「素人は手を出すな的な?」

「そうですね。メリットとリスクがなかなか釣り合わないというか……例えるとですね」

「うん」

「海里さんのバイト先に、すごい年下の後輩が入ってきたとするじゃないですか」

「うん、実際あるね」

「で、その子は地方から初めてこっちに引っ越してきて、一人暮らしを始めたところです」

「うん」

「それで、何かのときにその子が言うわけです。『やっぱり地元とこっちは色々違って大変です』って」

「あるある」

「『実家にいるときは、昼間いないときに届いた荷物も、家族が受け取ってくれたんですけど、こっちで一人暮らしだと、配達の人に持ち帰られちゃうんですよ』」

「うん」

「『それで、いいこと考えたんです。うちのカギを封筒に入れて、ドアに貼っておけば、配達の人が中に荷物入れて帰ってくれるんじゃないかって』」

「あはは。それは止めないとだね」

「ですよね? 脱獄とかroot化って、そういうところがあると思うんで、海里さんには……」

「お勧めできないと」

「はい」


 言いたいことを一通り喋った優樹は、ふと上を見上げた。壁時計が目に入った。

「って、もう2時ですよ」

「ほんとだ。寝ようか」

「寝ましょう、寝ましょう」


 優樹は照明のスイッチを消した。

 暗がりの中、ロフトの方から海里の声が聞こえた。


「root化はやめておくね」

「はい」

「……」

「……」

「……」

「明日の朝、起きなきゃいけないのに、長く話しちゃってすみません」

「いいよ。優樹が心配してくれてるってのがわかって、嬉しかったよ」

「……」

「正直さ、結構頻繁に誘ったりコンピューターの話をしてもらったりしてるから、ウザがられてたらどうしようと思ってたんだけどね」

「そんなわけないじゃないですか!」

「そうか」

「そうですよ」


 数時間前、アイスを買いにコンビニ行ったときのことを思い出した。

 そのとき考えたことを言うべきか、言わざるべきか。

 暗闇の中で考えた結果、今なら言ってしまってもいいような気がした。


「だって、海里さんのこと、好きなので」

「……」


 優樹のところからはよく見えないが、暗がりに包まれているロフトから、布が擦れる音がした。

「……どういう意味の好き?」

 落ち着いた声で海里に聞き返されて、優樹の中になった『今なら言ってしまってもいい』と言う気持ちが、早くも揺らぎ始めた。

 とはいえ返事をしないわけにもいかず、優樹は、

「……そういう意味の好き、です」

 微妙にぼかして答えたが、そこからなぜか、胸の内が言葉になって外に出た。

「はっきり気づいたのは、ついさっきなんですけど、たぶん、前から好きだったと思います」

「……」

「一緒にいて、話をするのが楽しくて。それは海里さんが頼り甲斐あるからってだけかなぁとも思ったんですけど」

「……」

「その、頼り甲斐のあるところが、好きになっちゃったみたいです」

「……」

「すみません、いきなり。気持ち悪いですよね。海里さんは全然そんな……」


 その時、ロフトの上で海里ががばっと身を起こしたのがわかった。

「好きだったよ」

「……えっ?」

「好きだったよ、最初から」

「……えぇっ?」

「最初に電車で優樹が寄りかかってきた時から、ずっと好きだったよ」

「……ええぇっ!?」


 それからしばらく、2人とも言葉を発しなかった。

 優樹の耳にはドクドクという自分の鼓動だけが聞こえていた。

 様々な思いが優樹の脳裏を荒れ狂った。

 最終的に、今すぐ海里の近くに行きたいという想いに駆られて、手探りでハシゴを探り当て、ゆっくりと登った。

 上までたどり着くと、海里の手に掴まれて、布団の中へ引っ張り込まれた。

 優樹はどぎまぎしたが、海里は優樹は抱きしめて、頭を撫でた。

 そうされると、急に安心感が全身を優樹の全身を覆った。

 優樹も海里を抱きしめて、頭を撫でられるままにした。

 海里はいつまでも、撫でるのをやめなかった。

 そして、そのまま、2人は眠りに落ちていった。

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