第5章 優樹、海里とカクテルについて話す(後編)

 ふと気づくと、またグラスが空になっていた。

「海里さん、何飲みます?」

「じゃぁ、モーニング・グローリー・フィズ」

「また知らないカクテル……フィズってよく聞くけど、何なんですか」

「お酒のソーダ割、かな。レモンとかライムみたいな果物の酸味と、砂糖の甘みを足してシェイクしたのをフィズって言うみたいだよ」

「おー、詳しいですね」

「ここに書いてあるからね」

 海里がメニューを開いて見せた。

 優樹が覗き込むと、店主の手書きと思われる字で、カクテルの種類ごとに簡単な説明が書かれていた。

「だまされたー。……じゃぁ、フィズつながりで、このインペリアル・フィズって言うの飲んでみようかな」

 再び店主に注文して、優樹は続けた。

「ちょっと話が脱線してましたね」

「えぇっと、スマホが重いって話から始まって……」

「……うー、データ自体が大きい場合と、データを処理するのに時間がかかってる場合があるって話したんでした」

「そうそう。で、データを入れる場所の話で、メモリとストレージがあるって話になったんだ」

「長々脱線して何を説明したかったかと言うと、ストレージに保存されているデータをメモリに読み出したり、メモリにあるデータをストレージに保存したりするのには時間がかかるってことなんです」

「ふうん?」

「読み出すときでいうと、ストレージのマス目に入っているデータを、メモリの側のマス目に書き写さないといけないので」

「なるほど。画像1枚でも10万マスとか100万マスとか使うって言ってたもんね」

「ですね。まぁそれでも1枚なら今のスマホの性能なら一瞬ですけど。たくさん書き写さないといけないときは、さすがに時間がかかります」

「でも、言ってもコンピューターのやることだし、速いんじゃないの?」

「量にもよりますけど。ほら、ゲームとかで、“Now Loading”とか出て待たされることがあるじゃないですか。あれは、この書き写すのに時間がかかるからですね」

「あれがそうなのか。確かによく見るね」

「どうしても、ストレージはメモリより遅い部品なので、時間かかっちゃうんですよね。それと、通信はもっと遅いです」

「通信?」

「調べ物するためにネットで検索したり、新しいアプリをダウンロードしたりするじゃないですか。ああいうのは、データを通信で取り寄せて、メモリやストレージのマス目に書き留めていくっていうことになるので」

「あぁ、アプリのダウンロードは、確かに時間かかるね。そういうことなのか」

「通信も、昔のガラケー時代よりはずっと速くなってるんですけどね。代わりにアプリがどんどん複雑になってデータが大きくなってるから、ダウンロードにかかる時間はなかなか短くならないですよね」

「そういうものなんだ」


 優樹は、店主の方をちらりと見たが、すまし顔でシェイカーを振っている。

 酒が届くにはもう少し時間がかかりそうだ。


「という感じで、データが多いと待たされるので、重いと感じるっていうのがひとつ。もうひとつは、処理に時間がかかるやつですね」

「その『処理』っていうのが、なんかイメージわかないんだけど」

「そうですね。今話したみたいなデータの読み書きとか、計算とか、そういうコンピューターがやる仕事をまとめて『処理』って言うんですけど」

「うーん」

「前に説明したことがあるのだと……画像とか音声を圧縮してデータが使うマス目を少なくしたり、逆に圧縮されてるデータを元の画像や音声に戻したり」

「あぁ、なんか難しい計算してるんだっけ」

「そうですね。こういうのは、メモリとストレージの間でデータを送るときみたいに、そのままデータをコピーすればいいわけじゃないから、一生懸命計算してデータを変換しないといけないんですけど」

「うん」

「これにCPUがかかりっきりになると、他のことをする余力がなくなって、なんかスマホ全体の動きがもっさりしてきます」

「なるほど」

「あと、画面に文字やボタンを表示したり、人間が入力した文字を漢字に変換したり、画面の上の方に時刻を表示したり、操作に応じてゲームのキャラクターを動かしたり、そういうのも全部、コンピューターがそういう風に処理しているんです」

「なんかこう、画面に見えたり、動いたり、人間の操作に反応したりみたいなのが、全部含まれる感じ?」

「そうです。で、こういうのも基本的にはCPUがやるので。ひとつやるだけなら簡単な仕事ですけど、たいていは一度にたくさんのことをやらないといけないですからね。積もり積もって余裕がなくなってくると、追いつかなくなってきちゃうことがあります」

「アクションゲームとかレースゲームのアプリで、なんかもっさりしてるな、タップしても反応鈍いなみたいなことがあるけど、こういうことなのかな」

「まさにそうです。一応言っておくと、データも多いし処理も複雑ってケースもあって、対戦ゲームのアプリとか、ネットでブログとか企業サイトとか見ててもっさりしてるときはこのパターンですね」

「へぇ」


 店主が酒を持ってきて、2人はそれぞれカクテルに口をつけた。

「なんか優樹のやつ、泡立ってるね」

「そうですね。ちょっとビールみたい」

 カウンターに戻りかけていた店主の方を伺うと、モーニング・グローリー・フィズには卵白が入っているのだと教えてくれた。

「卵白って、卵の白身ですよね。カクテルって、結構意外なものが入ってるんですね……」

「でもほら、卵酒なんてのもあるし。酒と卵って、思っているほど相性悪くないのかもよ」

「そんなもんですかね……」

「ところでさっきの話だけど、CPUっていうのも、やっぱりスマホの機種によってはいいやつ入ってたりするの?」

「そうですね。高い機種だといいCPUが載ってたり。あと、スマホを作っている会社もいろいろ考えてて」

「うん」

「動画の再生に必要な計算だけすっごく速くできる部品とか、大量のデータを一気に計算するのが得意な部品とかを開発して、CPUと組み合わせてスマホを作ってるんです」

「複雑なんだ」

「もちろんアプリを作る人とか、ネットのサイトを作る人とかも気を使ってて、やっぱり工夫を重ねてるんですけど」

「じゃぁいつかは、スマホが重くて悩む必要がなくなるのかな」

「まぁ、使ってる人がコンピューターに期待することも増えていきますからね。新しい機種が出ては、しばらくするとちょっと重くなって、また新しい機種が出て……っていうのを繰り返すんじゃないですかねー」

「難儀なことですなあ」


 気がつくと、他の客はいなくなって、優樹と海里だけが残っていた。

 閉店時間が近いようだ。


「このスマホも、そろそろ買い換えた方がいいのかな」

「気になってるなら、買い換えた方がストレスなくていいかもしれないですね。バックグラウンドで動いているアプリが多いようなら、要らないのを消すとかでもマシになるかもですけど」

「それはこの前もうやったんだよねえ。たぶん近いうちに買うから、一緒に店に選びに行ってくれない? 他に、頼れる人、いないし」

「は、はい! ぜひ!」

 その夜、帰路に着いた優樹の足取りは、たいそう軽かったという。

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