第4章 優樹、海里とステーキについて話す(前編)

 よく晴れた秋の朝。優樹は買い物のために、自宅近くの家具屋に向かっていた。

 もっとも、近いと言っても30分ほど歩いたところにあった。電車で行ってもいいのだが、自宅も家具屋も郊外にあるせいで、直接歩いた方が早く着くのだ。

 途中、カンカンカンと何かを叩いている音がして、その方向を見てみると、新築工事をしている家があった。

 優樹は、工事している様子を眺めるのが好きだ。子どもの頃、実家の近所で工事をしているのを見つけると、道端に座って見物していたものだ。

 街にはふだん、完成した家だけが立ち並んでいるわけだけれど、建設中には、地面が掘り返されて土台が作られ、骨組みだけの家が作られ、床や壁や屋根が足されて、ピカピカの家ができあがっていく。その様子が、図鑑で機械や乗り物や生き物が図解されている様子にも似ているし、滅多に見られないのでちょっとしたイベントの感もある。

 さすがに、大人になった今となっては、他人の家の工事をじっと眺めたら不審者扱いされてしまいかねない。

 今日のように工事している横を通り過ぎる間だけ、横目で様子を見て楽しむのだった。


 この家の工事はだいぶ進んでいるようで、外観はおおよそできかけていたが、窓から内部を覗くと内装をやっている段階のようだった。

 ところが、予想に反したことが起きて、優樹の意識から工事の様子が吹き飛んだ。

 というのも、玄関先に集まっている作業員たちの中に、よく知った顔がいたからである。

「か、海里さん!」

「あれ、優樹じゃん」

 初めて会った時と同じオリーブグリーンの作業服を着て、海里が立っていた。

「何してるんですか?」

「何って工事だよ」

「バイトですか? スーパーの方は?」

「今日は向こうは休み。というか、工事がないときだけスーパー行ってるんだ」

「そうだったんですね……」

 ふと優樹は海里の全身を眺めた。

「あ、今、こんな華奢なやつに力仕事できるのかと思ったでしょ」

「いや、そんな」

「あはは。いいんだ。ある意味当たってるし。風呂とかのタイル張りを専門でやってるんだ」

「そんなに細かく分かれてるんですね、担当するところ」

「そうだよ。まぁこれだって結構力はいるんだけど」

 優樹は、満員の電車内で、海里にもたれかかったときのことを思い出した。

 確かに細身ではあるけれど、あの揺れる車内にあっても海里はまっすぐ立っていて、よりかかった優樹の体を海里のしなやかな筋肉が押し返していた。

 ずっと海里に対して持っている頼り甲斐のような感覚は、あの時の触覚から生じているのだと思った。

「優樹はどこかにお出かけ?」

 海里の声で、優樹は回想の世界から現在へと戻された。

「買い物に行くんです。この先にある家具屋のコトリに行こうと思って」

「そっか。なら、昼、一緒に食べない?」

「いいんですか?」

 おずおずと尋ねた優樹を見て、苦笑しながら海里が答える。

「こっちから誘ってるんだから、いいに決まってるでしょ。ほら、最近別れたばっかりだから。人恋しいんだよ」

「……」

「こことコトリの間くらいにファミレスがあるから」

「好きですね、ファミレス」

「いいじゃん便利なんだから。そこの前で、12時待ち合わせでどうかな」

「了解です!」

 笑顔になって手を振って家具屋に向かう優樹を、海里は何ごとか考えているような表情で見送った。


「こちらに名前を書いてお待ちください」

 昼間のファミレスはさすがに混んでいて、待合い用の椅子にもすでに先客が座っている状態だった。

 2人は立って順番を待ちながら、近くの棚に並べられた玩具や菓子を見ていた。

「ファミレスの入り口にあるこの手のって、買ったことないなあ」

「そうですか? 子どもの頃にめっちゃ欲しくて、ねだって買ってもらったことありますよ」

「こういうのを?」

 プラスチックのヘビを持ち上げて、海里が首をかしげた。緑色の短い筒をたくさん繋げて蛇の体にしてある。頭には目が書かれていて、口からは赤い舌が出ていた。

 優樹はその様子を見て、電車を思い起こした。このヘビは、筒同士の連結部分が関節になっていて曲げられる。その構造が、ちょうど電車の車両同士が連結されている様子と同じなのだった。

「これは買ってもらってないかなぁ。でも、欲しかった記憶はありますよ」

「マジか」

「小学校入るか入らない頃だったと思うんですけど、曽祖父の葬式が終わった後にファミレスに寄ったんですよね。うちの家族の他に、親戚の家族もいたかな」

「うん」

「それで、大人たちが長話をしてる間、子どもたちは……親戚の家族にも、同い年くらいの子がいたんですけど、みんな小さいからそこら辺歩き回ってたりして」

「あぁ、おもちゃコーナーに行ったわけか」

「はい。それで、このヘビのって、置いてあるおもちゃの中では大きい方だから、目立つんですよね。試しに、ぐにゃぐにゃ曲げてみたりして。まぁ、そのうちに大人が気付いて『お店のものをいじらないの!』とか言って席に戻されちゃうんですけど」


 そこまで話したところで、空席ができて店員に呼ばれた。注文をすませて待っている間に、海里が言った。

「ちょっとまたスマホのことで聞きたいことがあるんだけど」

「なんでしょう」

「モバイルバッテリーっていうのあるよね? 外でもスマホを充電できるやつ」

「ありますね」

「今日の現場でそれ持ってる人がいてさ。すごくオススメされたんだけど、買ったほうがいいと思う?」

「ふつうに使っててバッテリーが持たなければ、買えばいいと思いますけど、そうじゃないなら要らないかなぁ。モバイルバッテリー自体を家で充電しなきゃいけないから、使わないなら面倒なだけですよ」

「そうなんだ。それじゃ、今のところはなくてもいいか。……そもそもバッテリーってなんで減るんだろう」

「そこから聞いちゃいますか」

「聞いちゃうねえ」


 水で口を潤してから、優樹は話し始めた。

「スマホもパソコンもゲーム機も、コンピューターの仲間だって前に話したと思うんですけど」

「うん」

「コンピューターっていう言葉は、計算するものって意味なんです」

「計算」

「コンピューターの中心になってるのは、いろんな計算ができる、CPUっていう部品なんです」

「しーぴーゆー……」

「でもCPU自体が素でできることって、実はあんまりないんです。足し算・引き算・掛け算・割り算みたいな算数の計算と、あとは条件によってなんの計算するかを変えるとか、そういうの」

「えぇ?」

「計算の性能を引き上げるために、GPUっていうサポート役の部品が足してあることも多いです」

「じーぴーゆー……」

「とは言っても計算だけだと大したことできないので、いろんな部品を足してあって、その司令塔みたいな役割もCPUがやるんですけど。まず、メモリやストレージ……前に話したマス目がいっぱいあるところからデータを読んだり、そこに別のデータを書き込んだり」

「うんうん」

「あと、スマホやノートパソコンだと、コンピューターにディスプレイ、つまり画面がくっついているので、そこに絵を出せるようになってたりしますけど」

「うん? 画面がついてないコンピュータもあるの?」

「据え置き型のゲーム機とかそうですよね」

「あぁー。そうか」

「スマホだと、携帯電話会社のアンテナとの間で電波でやり取りする必要があるので、そのためのモデムっていう機械もくっついてますね」

「そこも別の部品なんだ」

「はい。あと、スマホはセンサーがたくさんついてますね。GPSのセンサーとか」

「GPSはわかるかな」

「加速度センサーっていうのもあって、スマホをしゃかしゃか振ると反応するアプリが作れたりするのはそのおかげです」

「LINEとかのか」

「最近だと、明るさを測るためのセンサーがついてて、暗い場所では自動的に画面が暗めになる、みたいなのもよくありますね。あと……」

「多いな!」

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