第3章 優樹、海里と遠恋費用について話す(前編)
9月半ばの金曜日。
優樹は今日も夜のオフィスでひとり仕事をしていた。
帰宅途中のスーパーでたまたま海里に出くわして以来、仕事が多い日は進んで残業をするようになった。
上司は心配して、ひとりで仕事を抱え込んでないかとか、急ぎでないタスクは明日でもいいのではとか言って、おりにふれて優樹を帰らせようとしたけれど、当の優樹は、
「大丈夫です。今日のうちにやってしまった方が、楽に終わらせられると思うので。気にしないでください」
などと言って、逆に上司を家に帰した。
優樹自身もその言い訳を信じ込もうとしていたが、本当は海里と一緒に帰りたいからだというのは薄々わかっていた。
その証拠に、スーパーの閉店時間が近づくと仕事に対する優樹の集中力はさっと消え、急にいそいそと荷物をまとめて会社を出てしまうのだった。
目論見どおり、海里はレジにいた。商品を手早くスキャンしながら、優樹に声をかけてきた。
「今日も帰り遅いね」
「海里さんだって、同じじゃないですか」
「いやいや、こっちは昼からなんだから。優樹は朝からでしょ」
「まあ」
「早めに帰らないと疲れちゃうよ……3925円です。お会計、4番でお願いします」
商品のスキャン自体は店員が行うが、代金の支払いはレジの横に並べられた支払機に、自分で現金を投入するようになっていた。
いまだに慣れないなこの仕組み、と思いつつ、優樹は会計を済ませながら、次に並んでいた客の対応を始めた海里の横顔を盗み見た。
やっぱり、整っている。
太っているでもなく、やせこけているでもなく。濃すぎるでもなく、薄すぎるでもなく。
凛々しいけれど、キツい印象はなくて。
ベリーショートの黒髪も相俟って、きっと誰にでも爽やかな印象を与える。
背が高いから、海里と話すときの優樹はいつも見上げる格好になるのだけれど、何度か会ううちに、自分にとっての海里は「頼れる先輩」のようだと思うようになった。
そういえば子供のころは年上のきょうだいが欲しいと思っていたことを思い出した。
買った品物をビニールの袋にまとめ終わって、店を出る前に、またちらりと海里の横顔を見た。
何度見ても飽きない。
ふと、いいなぁ、と感じた。どういう意味なのでいいのかは、よくわからなかった。
スーパーの閉店後に海里と待ち合わせをするのも、いつものことになっていた。
閉店してからどれくらい後に海里が出てくるかは、日によって違った。
最初にたまたま見かけた日は、海里が店に断って定時ダッシュしてきたらしいけど、さすがにいつもそうできるわけではない。
長い時間待たされることもあったけれど、優樹は毎度、店の前の駐車場で待っているのだった。
今日は珍しく、海里が他の店員と一緒に出てきた。ダウンジャケットを着た地味な中年の男で、いかにも安そうな自転車を押していた。
そういえば最近はすっかり寒くなって、海里も厚手のコートに身を包んでいた。
「お待たせ。いつも待ってもらって悪いね」
「いえっ。勝手に待たせてもらってるだけですから!」
すると、男がニヤニヤしながら、優樹の方を見て言った。
「君が噂の、いつも海里を待ってる子なんだね」
「噂……?」
「はい、そこまで。優樹、帰るよ」
急に海里が割り込んだ。
男は、
「あはは、つめてーなー。ま、いいけどさ。お疲れ様ー」
と笑いながら、自転車に乗って去っていった。
「面接した時の担当がさっきの鈴木さんって人でさ。その後も何かと教えてもらったりしてるんだ」
言いながら、海里が目の前のボタンを押した。グラスにグレープジュースが半分ほど注ぎ込まれる。
今2人がいるのは、自宅最寄りの駅近くにあるファミレスの、ドリンクバーだった。
「いい人なんだけど、とにかく喋るのが好きなんだよね。おとなしくしてられないっていうか」
苦笑しながら別のボタンを押す。ジンジャーエールが注ぎ足された。
優樹もマネして、グレープジュースにジンジャーエールを足す。
席に戻って、ふぅと一息吐いてから、海里がスマホを取り出し、職場で取った写真を見せてくれた。
「鈴木さん、なんか一人だけ変なポーズつけてますね」
「そう。確か別の時も……」
海里は画面をスワイプして、別の写真を探し始めた。
次々に流れていく写真を見ながら、優樹は別のことが気になった。
自宅で撮ったと思われるものが結構な数、混じっている。
そして、そのような写真ではたいてい、海里のとなりに、もう一人。いつも同じ人物が写っている。
「これって」
「あ、この人?」
「も、もしかして、海里さんがおとぅ、お付き合いされている……」
内心では、そうじゃないとことに期待していた。
だって、自分の恋人が写っている写真を、ふつうこんな風に躊躇なく他人に見せるものだろうか。
しかし海里の答えは、
「そうだよ。というか、そうだった、が正しいのかな。最近別れたから」
「えええあぁぁ、すみまっ、すみません」
「なんで謝るの」
「いやあぁ、プ、プライベート? プライバシー? 的なその……」
「別にいいよ。全然、深刻な別れ方じゃなかったし」
「……」
「2年くらい付き合ってたんだけど、だんだん『なんか自分が付き合いたいのは、こいつじゃないかも』って気がしてきてたんだよね」
「……」
「お互いそんな感じだったから、じゃぁ別れようか、みたいな。さらっとしたもんだったよ」
「……」
「……そういえば、このスマホなんだけど」
「は、はい?」
「この前、空き容量を増やしてもらったじゃん。あれが嬉しくて、またスマホ使いまくってたんだけど、そしたら、途中からネットがすごく遅くなってきたんだよね」
急に話題が変わって、優樹は混乱していた。
「それでさ、今度優樹に会ったら、どうしたらいいか聞こうと思ってたんだ」
「は、はぁ……」
「何かわかる?」
「えーっと……その、使いまくってたっていうのは?」
「一番多いのは、写真撮ったり? あと、アプリも新しいのをいくつか入れて、試してみたかな」
「アプリ?」
「『小説書きになれや』と『カケヨメ』って小説読めるやつと、『Amoebanプライマルビデオ』っていうテレビ番組とか映画とか見られるやつ」
「えぇ」
「あとはゲームかな。『冒険者育成学園』っていうのと、『セブンスリバーシ』っていうの」
「なるほど……」
「もともとスマホってあんまり使ってなかったんだけど、最近、通勤とか休憩時間にちょこちょこやるようになって……ダメだった?」
「いえ、ダメじゃないです。ないんですけど」
「けど?」
「ネットが遅くなった原因はやっぱりその辺りですね。通信量の制限に引っかかってますね」
「つうしんりょう?」
「ネットでデータを送ったり受け取ったりするのを通信って言うんですけど、その量が多すぎたんです」
「ネット、あんまり見てないよ? 鈴木さんのブログ見るときくらいかな」
「あの人ブログもやってるんですね。それはともかく、ネットでって言うのは、ブログとかを見るのだけじゃなくて、アプリが通信したりするのもあるんですよ」
「そうなの?」
「例えばこの『Amoebanプライマルビデオ』で動画を再生するときには、アプリが動画をダウンロードしてるんです」
「えー、そうなんだ」
「動画は映像と音声の組み合わせでっていうのはこの前も話したと思うんですけど」
「その分、スマホの中でマス目をいっぱい使うんだって言ってたね」
「それをダウンロードするっていうことはつまり、そのマス目の中身を、この場合だとAmoebanの会社にあるコンピュータから、海里さんのスマホに送ってくるってことなんです」
「それが通信量が多いってことなんだね」
「はい。テレビ番組だと30分とか1時間、映画だと1時間半から2時間くらいあると思うので、結構多いですね」
「そっかぁ」
「あとは……ゲームも画像や音声のデータが含まれているので、ダウンロードしたり最新バージョンに更新したりすると、新しいデータをダウンロードする必要があるから、その分通信量が増えますね」
「小説は?」
「うーん。文字のデータが中心だと思うんですよね。前にも説明しましたけど、1文字あたり多くても3〜4バイト、つまりマス目3〜4個分ですから。文庫本1冊あたり10万文字として、40万バイト」
「結構多い?」
「いえ、画像だったら1枚で何十万とか何百万バイトですからね。動画なら1本で百万とか千万の単位になるので、それに比べたら小説は大したことないです」
「じゃぁ『小説書きになれや』とか『カケヨメ』はいいんだね」
「そうですね。どんどん使ってください」
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