第2章 優樹、海里とナンパ男について話す(後編)

 電車が駅を出発して少ししてから、海里が話の続きを促した。

「絵の話の続きだったね」

「は、はい。画像のデータを保存するには、コンピュータの中で大量のマス、つまりバイト数が必要になるんですけど、色々工夫の仕方もあるんです。小さくするための」

「うん」

「一番わかりやすいのは、画像自体は小さいのにしておいて、表示するときに引き伸ばすってやつです」

「あぁ、そういうのはできるんだ」

「はい。後は、圧縮って言うんですけど」

 そこで優樹は海里の顔を伺ったが、先ほどとは違って、表情は何も現れていなかった。

「圧縮っていうのは、要らない部分というか、省略しても問題ない部分を減らすことです。大きく分けると2種類あって、ひとつは、情報は減らさずきっちり伝えるけど、短くできる部分を探すようなやり方です」

「うん……?」

「細かいところまで説明すると本当に細かくなっちゃうんで、例え話にしますけど、バイト……これはコンピュータのじゃなくて、アルバイトの方のバイトですけど、シフトを決めるために予定を聞かれることってあるじゃないですか」

「よくあるね」

「そういうときって、1日ずつ答えたりはしないですよね。

 『月曜日は出られます。

  火曜日も出られます。

  水曜日も出られます。

  木曜日は出られません。

  金曜日は出られます。

  土曜日も出られます。

  日曜日も出られます』

 って」

「長い! 見たことないよそんなの。それだったら『木曜と土曜はダメだけど、他は出られます』とかじゃない」

「そうですね。全体が大体同じで、一部だけ違うなら、そこだけ言えばいいですよね」

「だろうね」

「もう少し細かかったとしても、

 『月曜日と火曜日は出られます。次の水曜日と木曜日は出られません。金曜日と土曜日は出られます。日曜日は出られません』

 みたいに、同じのが続くところをまとめて言ったりもできますよね」

「うんまぁ」

「そういう感じに、画像のデータも、全体がだいたい同じだったら違うところだけを表すとか、同じ色が続くところは『この色が30個続く』って表すとか、工夫できるわけです」

「そうすると、同じサイズの絵でも、少ないマス目に収められるってことか」

「ですです。あと、もうひとつ、もっとがっつり圧縮するやり方があって、例えば……そうですね……飲み会とかで恋愛話になって、今まで付き合った人を挙げることになったとするじゃないですか。例えば海里さんは……」

「ん?」

 海里の表情はやはり変わっていなかった。表情が崩れたのは優樹の方だった。

 自分はなんでこんなことを聞こうとしてしまったのだろうと思った。


「あ、いえっ、例えばの話です。例えば、あーっと、ある女の子がこんな風に言うわけです。

 『私は、高校の時の1個上の先輩と、大学の同級生の2人だよ』

 みたいに」

「うん」

「で、次に、出会った女の子と次々に付き合ってはすぐ別れちゃう男がいて、

 『オレ多いからなー。最初は小6で幼馴染の子と付き合って、次が中1の時に隣のクラスにいた子。でも、その子と別れる時に大揉めして大変だったから、その後は学校にいる子には手を出さないようにしたんだよ。そっから街でナンパして付き合った子が、30人くらいかな。今カノも渋谷でナンパしたんだけど、オレも社会人になったし、そろそろ落ち着いてこのまま結婚したいなと思ってる』

 と」

「なんだその微妙に詳しい設定」

「思いつきで喋ってるから、気にしないでください」

「オッケー」

「ところでこの2人、どっちが具体的な話し方だと思いました?」

「具体的? そりゃぁ2人目の男の方じゃないの」

「途中30人くらい省略されたのに?」

「でも、その前と後が詳しかったしなぁ。重要なところだけ詳しく話して、途中は省略しても話としては別にいいんじゃない」

「そう、そこなんですよ!」

 優樹の隣に立っていた大学生くらいの男が、ちらりとこちらを見た。声を抑えて続けた。

「海里さんの言うとおり、重要じゃないところとか、似たような内容が続くところは、表し方を工夫すれば短くできるんです」

「絵のデータでも同じようなことをやるの?」

「はい。夜のビルを撮った写真なんかがわかりやすいと思うんですけど、建物の輪郭とか看板の文字とかはくっきり写っていてほしくても、夜空の真っ黒な部分は、多少色味が変わっても人間の目にはわからないですよね」

「うーん。まぁそうかも」

「なので、夜空の部分については『この辺はだいたい真っ黒!』みたいにしてしまえば、さっきのナンパされた30人みたいに、短く表せちゃうっていうのが、2つ目の圧縮の仕方なんです」

「何もそんな心ない例にしなくても……」


 海里は電車の窓から外を見て少し考えてから、優樹に向き直った。

「でも、絵とか写真で色味が変わっちゃうのって、嫌がる人もいそうじゃない?」

「いますね。なので、高いデジカメとかだと、撮影したままのデータを圧縮なしで保存できるやつもあるらしいです。カメラ持ってないんで詳しく知らないですけど」

「ほぉー」

「アプリの場合は、画像データのサイズが小さいほうが読み込みが早くなったりするんで、両方組み合わせたりもしてますね」

「組み合わせる?」

「背景画像の草原はナンパ男方式でできるだけデータを小さくしつつ、崩れて欲しくないロゴとかボタンの部分はバイトのシフト方式で元の絵がきっちりそのまま出るようにしたり」

「なるほど」

「ここまでは画像、つまり絵とか写真の話でしたけど、留守番電話の録音とか音楽とか見たいな音声も、だいたい同じような感じで圧縮されますね」

「同じ音が続くところを省略したりとか?」

「そんなようなイメージです。あと、動画は、画像と音声の組み合わせですね。パラパラ漫画とかアニメみたいに、何百枚、何千枚って画像があって、それを次々に表示すると映像になって、同時に音声も再生すると動画になる、って言うのが基本なんですけど」

「へぇ。じゃぁ、画像も音声もそれぞれ圧縮すれば、動画のデータ全体が小さくなるってことか」

「はい。あと、動画の場合は、前のコマと次のコマを比較して、違うところだけをデータとして入れるっていう手法も使われてます」

「ん?」

「例えば、本屋の監視カメラで撮った映像って、ほとんどの時間は同じ絵だし、人が写ってても、棚とか本とかほとんどの部分は直前と変わらないですよね」

「そうだね。たぶん」

「そうすると、最初の1コマ目はちゃんと画像を保存しておくとしても、次の2コマ目は1コマ目と違う部分だけ保存すればいいし、さらに次の3コマ目も2コマ目と違う部分だけ保存すればいいですよね」

「あぁ、そうか。2コマ目以降は、前と違う部分の、小さい絵だけ取っておけば、全体丸ごと残しておかなくていいわけか」

「はい。まぁ、ここまで色々と話してきましたけど、画像も音声も動画も、いろんな人がいろんな手法を考えてるんですよね。年が経つにつれて、新しく改良された方法が広まったりもします」

「そういえば、親がガラケー使ってたけど、あれってすごい写真も動画もすごくちっちゃくて粗かった気がする。今のスマホは綺麗に撮れるけど、圧縮の仕方が改良されたからなのかな」

「そうですね。動画は特に。あとは単純にガラケーよりスマホの方が性能がいいからっていうのもあります」

「性能? データがいっぱい入るとか?」

「それもありますけど、データを処理するのが速くなってるんですよ」

「スマホを新しいのに買い換えたらサクサク動くようになった、みたいな意味合い?」

「そんな感じです」


「長くなっちゃったけど、最初の話に戻りますね」

「なんだっけ?」

「海里さんのスマホの空き容量が足りないっていう話ですよ!」

「そうだったそうだった」

 海里が照れた。

「優樹に教えてもらったことを考えてみると、こういうことかな。写真や音楽のデータも結構場所を取ってるけど、圧縮されているおかげでこれくらいで済んでいる。で、アプリには、ひとつのアプリの中に、画像や音楽や動画のデータがたくさん入っていることがあるから、そういうアプリで使っていないやつを消すと、一気に空きができる」

「そうです! ……なんか、話が脇道にそれすぎてましたね。ごめんなさい」

「いいよ。それじゃぁ、これとこれを消して……お、一気に5GBくらい空いた!」

「よかったぁ」


 気が付くと、電車はもうすぐ優樹の最寄駅に着くところだった。

 海里との別れが惜しいなと思いつつ、優樹は言った。

「あ、次で降ります」

「え? 同じ駅だったの?」

「え?」

 2人は顔を見合わせた。


 よくよく聞いてみると、駅と優樹の自宅のちょうど中間あたりに、海里は住んでいるらしいことがわかった。

「なぁんだ。それじゃあ今までも電車で海里さんに会ってたのかなあ」

「そうかもね。……驚いた記念に、一緒に1枚、写真撮ってもいいかな? せっかく容量も空いたことだし」

「えっ、はい」


 撮った写真は、後で優樹のスマホにも送ってもらったが、爽やかな笑顔で写っている海里に比べて、優樹はだいぶこわばった表情だった。

 しょうがないのだ、ふだんあまり写真を撮る習慣がないのだから。

 今度、何かチャンスがあったら、撮り直させてもらおう。きっと次こそ、笑顔で、もっと仲よさそうな写真にしたい。

 そう思いながら、今日の写真も、これはこれで大切なもののように思えた。

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