第3話司礼と司文
司文から見れば曽祖父ということになる。
司礼は歴史家で、烈国の歴史書編纂に携わった人物だ。
烈国の歴史を整理し、皇帝に献上した。一族に語り継がれるほどの偉業を成し遂げた人物でもある。
司礼のお陰で今の司陵の地位があると言っていい。
(まあ、俺自身そんなに頭も良くないし、野心もないから平の役人に収まってるわけだけど…。)
司礼は大変な変わり者だった。
(正に司文そのものなんだよな…。頭が良くて大胆なことを思いつく。それに何より…権力者を何とも思ってないところが一番似てる…。)
そう考えながら司陵は朧げながら司礼の姿を思い出した。
立派な髭を蓄えた、仙人のような人物。
幼い司陵によく自らが作った歴史書について語って聞かされた…のだが司陵は興味がなかったので少しも話の内容は思い出せない。
『烈皇帝は歴史の何たるかを全く分かっていない。儂が一から教えて差し上げなけらばならぬなあ。』
と、良く口に出していた。その言葉に幼い司陵は驚いた。
一般の人々は皇帝を神のように崇めている。皇帝が住まう後宮の方角へ手を合わせて祈るのが日課なんて人もいる。
皇帝の名を出すことさえ恐れ多い。悪評なんて以ての外だ。
司陵も国を治める偉い人、神に近い人なんじゃないかと考えていた。
なのにこの祖父ときたら、まるで駄目な生徒に口出しするように接している。
幼い司陵が「皇帝様のことをそんな風に言って大丈夫なの?」と、問うと司礼は大口を開けて笑った。
豪快な笑い方だった。
『大丈夫も何も!烈皇帝は人間さ。恐れるもんじゃない。どんな権力者も長い目で見れば歴史書の一行に過ぎない。こんな老いぼれに腹を立ててるようじゃ国なんて治められんよ。』
何故かそんなたわいも無い会話は覚えている。程なくして、司礼は司文が生まれる前に亡くなった。司陵が妻である夏端(かたん)と籍を入れた頃だった。
やがて司文が産まれたのだが、難産のため夏端は司文を残して数ヶ月後に亡くなった。
悲しみに暮れる暇もなく、司陵は闇雲に働いて司文を育てた。
司文は女中を雇い、幼い頃は一時的に面倒を見てもらっていたのだが司文の成長は早かった。
女中が居なくても10才を過ぎた頃には一人で家事をこなすようになった。
司陵は娘の才能に早くから気づいていた。
まず言葉を覚えるのが早かった。教えればすぐに文字も覚えた。
そしてなによりも驚かされたのは、家に置いてあった歴史書を7つの時に一人で読み漁っていたことだ。
歴史家のいる家柄、貴重な歴史書が身近にあった事が司文を歴史好きの少女に成長させた原因でもある。
そして常々司陵は考えてしまう。
(司文が男だったら、じじ様のように出世したろうな。)
そこだけが不憫でならない。学問ができたとしても、学問所や官吏の職は女人禁制である。
才能があるのに生かすことできない。司陵は司文以上に歯がゆい思いで一杯になっていた。
(寧ろ俺に司文の頭があったらな…。いやいや!女で頭の良さを生かすっつたら…やっぱり後宮か。)
後宮。
女の世界。皇帝の世継ぎのために集められた女性たちが住まう場所だ。
彼女たちは勿論ただの女では無い。美しいだけでなく教養も兼ね備えていなければならなかった。そのため家柄も貴族階級が多い。 そもそも教育を受けること自体金がかかる事なのだ。
民衆は日常で使う文字を理解しることができるが高度なもの、書物になると読めるものは少ない。だから民衆の間で書物が出回ることは少なく、演劇や詩歌によって物語が広まることが多かった。
司文に後宮入りを提案すると呆気なく突っぱねられた。
「お前、男だったら相当出世したろうな。」
後宮入りを断られた後で、なんの考えもなしに司陵は司文に悔しい思いをぶつけた事があった。
言った後でこれは本人に言うべきことではなかったと、司陵は後悔した。もしかしたら司文を大いに傷つけてしまったかもしれないからだ。
しかし司文は意外な反応を示した。
「何言ってるんです?
男だろうが女だろうが私は私。未来のことなんて誰もわかりませんよ。男の私が出世してたとしてもそれが良いことかどうかなんて分かりません。
ただ、私は今の生活が楽しいですよ。」
そう寝転びながら司礼の歴史書を広げて司文は言った。勿論英月が活躍した時代の頁を広げている。
見たことのあるあの大きな笑みを浮かべながら。
(ああ。やっぱり。じじ様はまだここに居るんだな。)
司陵はくすりと笑うと良くできた娘の頭を撫でた。
「そうかよ。じゃあ、婿でもとって貰おうかな。いつまでも歴史書よんで家でゴロゴロされちゃあ困るんでな。」
「な…。ちゃんと家事はやってるでしょ?それに父上のお世話も。いつもゴロゴロしてるわけじゃありません。」
そう娘は頬を膨らませながら答えた。
そして現在、娘が『後宮に行く』と言いだし始めたのに至る。
新英月伝 ねむるこ @kei87puow
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