第6話 忌みと名ある下手

      1


 吐息を肌で感じられそうな至近距離に。椿梅ツバメがいる。

 いますぐにでも捕まえたいのに。

 届かない。触われない。

 透明な壁があるみたいに。

「なんだこれ」本当にあった。

 透明な壁が。

「ようやくお目覚めですの?」椿梅が顔を離して、身体をもたれかける。

 白い腕と白い肩が。

 白い首筋と。

「あんなに過激な催しが生放送されていましたのに。ちっともお目覚めの気配がないんですもの。死んだのかと思いましたわ」

「死んでない」

「そのようですわね」

 自分の周りにぐるりと一周。円状に透明な壁が。

 そこから見える床や天井やエレベータに、

 見覚えがありすぎて若干寒気がした。

「なあ、お前か。俺を」

 円柱状の展示ケースの中だ。

 私はいま、

 そこに閉じ込められている。

「お前だろ。おい」叩く。手が痛くなるだけだとわかってはいたが、

 叩かないわけにいかない。

 抵抗の方法がそのくらいしか浮かばない。そのくらい絶望的な。

「出せよ。出せ。こんなとこ。どうするつもりだ」

「どうするもこうするもありませんわ」椿梅が、くるりと一回転する。

 腕に引っ掛けてある白いニセ毛皮も時間差で、

 ふわりと弧を描く。

「失望していますのよ? ケージさん。ケージでなくなっても変わらずわたしを追いかけてくださると思っていましたのに。わたしの買い被りすぎだったようですわね」

「どういう意味だ」

 ケージでなくなっても?

 ケージじゃないか。

 俺は。

「追いかけるもなにも、追いかけられねえんだよ。俺一人で何が」

「あら、基本的に単体で行動されていたあなたの台詞とは思えませんわね。あなたがたった一人でわたしを捕まえようと奮闘されていたようにお見受けしましたけれど?」

 それは、

 そうだが。

「いいから、こっから」

「出しません。といいますか、出せないのです。わたしには。あなたを助けることができないのですわ」

「助けるとかじゃなくていんだよ。こっから出すように」メイドに言うとか。

 メイドに?

 まさか。

 エレベータに向かって。左。

 7は空っぽのまま。

 息を吐く。その向こう。

 暗くてよく見えない。間接照明なんてまどろっこしいもんを使うな。

 3は?

 0は?

 どうなってる。

「ほら、わたしのことなど眼中にない」

 3と0には。

「どうなってる?模型が」

 入ったままなのか。

 何かが入ってるのは見えるのだが。人体模型が入っているようにしか見えないのだが。もしそれが、

 人体模型と差し替えられた人体模型そっくりの人体模型の雛形としての。

 人体。

 だとしたら。

「見てこい。早く」

 3と0は。

「まだ、ですわ。ついさきほど」

 ノイズ。

『お選びください』

 雑音。

『制限時間を迎えました』

『冗談じゃないわ。あんたたち、頭イカレてんでしょ? だれが』

『了解しました』雑音。

 ノイズ。『わたくしどもの作品の原材料を大量生産していただくとともに、生産能力が落ちたと同時に、わたくしどもの作品として自らを提供していただけると』

『以上でよろしいでしょうか』

『よろしいわけないでしょ。帰らせなさいよ。あたしは』

『おカネが欲しくはないのですか』

『勿論ただでとは言いません。わたくしどもに協力していただけた暁にはその報酬として、ココヅカ様の借金を残らず肩代わりいたしましょう』

『なんであんたなんかに肩代わりされなきゃなんないのよ。サイアクよ。そこ退いて。帰るんだから』

 狸狐塚ココヅカ氏と、

 メイドが言い争っているようだが。

「さきほど?」

 まだ。

 椿梅はそう言っていた。

「0と3に関してはまだ、なんだな?」

 じゃあどれが。

 まだ。

 でないんだ?

 エレベータに向かって。右。

 15は空っぽのまま。

 それはそうだ。中に入るはずの奴が眼の前にいるんだから。

 18も空っぽ。

 がらがらがらがら。ショウケース搬入用のカートを、

 椿梅が押してくる。

 その上に。

 人骨が。

「なにしてんだ」

「わたしのひ弱な腕ではこれが精一杯のようですわ」なにを言う。この期に及んでか弱さを演出しなくていい。「本当に口惜しくてよ? こんなところでお別れなどと」

「何言ってるのかわかんないんだが」

「ケージさんがわたしを見てくださらないことはよくわかりました。失望したわたしはすごすごと国に帰ろうと思いますのよ。一週間後の最終便で帰りますわ。名残惜しいですけれど、ここも爆発されるそうですし。巻き込まれますのも。ねえ?」

 爆発?

 いや、

 そんなことよりもっと重要な。

「いま、なんつった? 帰る?」透明な板を叩くことしか思いつかない。「どういうことだ。帰る? お前」

「せっかく、お偉いさんにお願いしてケージさんを首にしてもらいましたのに。無駄な徒労でしたわね」

 いま。

「なんつった?」クビに?

 おえらいさんにおねがいして?

 お前が。

 俺を。「辞めさせたのか」なんで?「お前、俺に」捕まりたいんじゃ。

「捕まえられませんわよ? 捕まりませんもの、わたし。もしも万一わたしがお情けでケージさんに捕まったとしましょう。すぐに釈放ですわよ? おカネなんかいくらでもありますし、お偉いさんにお友だちもいますし。なによりも」国際問題。

 だから。

「辞めさせたってのかよ」意味ないから。

 捕まえたって。

 その瞬間だけの話。そもそも捕まえられるわけがない。

 椿梅自身に。

 捕まる気なんか。

「捕まりたいとか言ってたのは」

「ケージさん、本気になりますでしょう? 違っていて?」

 なにもかも。

 無意味だった。

 わけか。

「クビにして、そんで、俺が」どうなってるのか。どこまで落ちてるのか。

 確認したかったのだ。今回のこれは。

 招かれざる客は、

 俺だ。

 来た意味はたったいま消滅した。

「なんもしねえでつまんねえもんになってるのを嗤いに来たんだろ? どうだ? 嗤えたか」面白かっただろう。

 面白くもない俺を見るのは。

「おもしれえか」

「面白くもなんともありませんわ」椿梅が透明な板越しに。

 指を。

 手の平を。

「ちっとも面白くなんてありませんでしたのよ。ねえ? ケージさん。わたしを追う方法は一つだけではなくてよ? わたしが悪いことをしないように見張るのは、なにもケージでなくたって。いいえ、ケージではできませんのよ決して。ケージさんならおわかりになるはずですわ。ずっと、ずっとわたしを追ってくださっていたあなたならば」

 睫毛が。眼球が。

 アクリル越しでよかった。

 触らなくて済む。

 届かなくて。

「そのために辞めさせたと言いましたら、ケージさん。どうなさいます?」

「お前なんだな?」

「一言仰ってください。そうしたら、わたしは」

 鼻が。

 口が。

「壊してさしあげます。こんな、わたしとあなたを隔てるものなど」

「俺に、お前の」仲間になれと。

 隷属しろと。

 そういうことか。

 おかしくなりそうなのを。

 渾身の力を込めて。殴った。透明な壁じゃない。

 そこにいる椿梅を。

 そこにある俺を。

 壁なんかあろうがなかろうが。

 殴って。

 殴り飛ばした。いくら殴ろうが無傷の椿梅を。

「てめえ、俺が。お前みたいな大悪党の仲間になるとでも思ったか。お前はニンゲンじゃない。ただの人殺しだ。んなてめえみたいなのと一緒にだ? どうかしてる」

 透明なはずの壁が濁っている。

 私の呼気と。

 血液で。

「どこへでも行っちまえ。もう二度と俺の前に」

「承諾書にサインをいただけなかったということでよろしいかしら」

「しねえよ。んなもん」承諾書?

 椿梅が。

 突き出したのは。「ではこれは戴いておきますわね。今生のお別れの記念に」

 上着のポケットをあさるが。意味がない。

 だってそれはそこに。

 眼の前にあるのだから。どういうわけか。

「何しようって?んなもん」

 解答用紙。

「ドロシィさんとルーシィさんがどうしてこのようなものを書かせたのか、まだおわかりになりませんの? 随分と鈍ったのではございません?」

「サインがなんだって?」考えるのが面倒だった。

「どのようなときに直筆のサインが必要ですかしら」

「勿体つけてないで言え。なんだ」取り返したくて手を伸ばすが。

 届かない。

 触われもしない。

「あのお二方の目的は、作品の原材料を仕入れることでしたのよ? でき得る限り簡便で簡素な方法で。突然いなくなっても大勢に影響のないような。存在自体が後ろめたかったりですとか、遺産を手に入れるためのだしに使われた可哀相なこまごまとした駒だったりですとか、愛する旧友と心中されるおつもりですとか」

 行方不明にされる。

 ために。「遺書か」

「これがあるだけでぐん、と信憑性が増しますものね? 発想は悪くなくてよ」

「で、孫と養子は?」さっきの館内放送は孫のようだが。

 まだ。だから。

「黄泉返りじーさんに見つかりませんように、こっそりと」人骨を。

 持っていこうと。していたらしい。

「旧友のコレクション諸共逝ってしまおうという本日のメインイベントが予定されていますのよ?」

 そうだった。

 爆発だ。

「置いてくんだよな?俺を」断ったから。

「キスでもしてくださいましたら考えましたのに」

「考えるだけだろ」

 ふふふ、と椿梅が笑う。「それでは。ケージさん、わたしはそろそろ。知らないうちに死んでしまうのも哀れですから、ここに」懐中時計。

 そんなもの持ってたか?

「定刻の一分前に鳴るようにセットしておきましたわ」

「お前それ鳴ってるの聞いてるうちに死ぬんだが」そもそも懐中時計って鳴るのか?

「はい」放り投げる。

 傾きの大きな放物線を描いて。展示ケース内に。

 受け取る。

「鳴るとかじゃなくて、具体的に何時なのか言ってくれたほうがよかないか」

「一週間後ですわよ? 最終便ですから」

「何の話だ」

 がらがらがらがら。

 椿梅は、

 エレベータに。後ろ向きに入って。

 ドアが完全閉まってしまうまで。手を振っていた。

 白い残像。

「だから」何の最終便かって。

 空か?海か?陸なのか。

 そもそもどこから出てどこへ行く便だ。

 わけがわからない。それを言ってどうする?

 追ってこいとでも?

 冗談きつい。国外逃亡だ。

 まるで共犯じゃ。

『ツバメ様。勝手なことをされますと』早速見つかった。

 メイドの音声。

 言わんこっちゃない。

 銃声。

 銃声?

『それはわたくしどもが作品』

『混乱に乗じて盗もうなどと』

『許されることではありません』銃声。

 銃声。

 銃声。

『ルール違反の方を見逃すわけにいきません』

『サダクラ様』エレベータが到着する。

 顔から手から何から前面が、

 返り血でべっとりなメイドの片割れが。「爆発などゆめゆめ起こりません。どうぞご安心ください」カートを押して。

 人骨が載っている。

 黒い液体でべっとりと汚れた。

「ツバメは」


      2


「どうしたかって聞いてんだよ」今度こそ本当に壁を壊したかった。

 ヒビすら入らない。

 こんなにやってるってのに。うるさいだけだ。

 骨を通じた視覚が。

 ちりちり。

 じりじりと。

「どうかおやめください。サダクラ様の手が」

 俺の手なんかどうなったって構わない。

 椿梅は。

 こんなところで死ぬような魂じゃ。ないことを証明してほしい。

 証人は俺しかいない。

 私は証明にはならない。

「出せ。出さねえと、てめえら全員」ぶっ殺さなきゃなんない。

「それならば尚更10より出すわけには参りません。お鎮まりください」

「お鎮まらねえようなことしたからだろうが」痛いんだか痒いんだかわからなくなってきた。壁が黒く薄汚れて、

 メイドの姿がよく見えない。

 一人しかいないことは辛うじてわかるのだが。

「ツバメ様は無事です」

「てめえらの無事と、俺の思ってる無事ってのが同じとは思えねえんだが」

「生きています」

「息も絶え絶えってのは生きてることになんだろ?」

「呼吸もありますし、わたくしどもの呼び掛けにも答えられます」

「じゃあここに連れてこいよ。その、生きてて呼吸もあって呼び掛けにも答えるって状態のツバメを」できねえだろ。

 できるわけがない。

 椿梅。お前が死ぬなんて思っちゃいないが。

「できません」

「んじゃ信じられねえな」

 がらがらがら。メイドはカートを押して、

 15の前に。

 そいつはそこじゃない。

 18だ。

 なんでそこに立つんだ。15の。

 15は。「そこじゃねえよ」

「ツバメ様に並々ならぬ執着がおありになるようですね」

「あったらなんだ?」

 メイドが片手を付ける。

 15のケースに。

「サダクラ様を10に入れてほしいと提案されたのはツバメ様です」

「それがなんだ?」

「上部が開いているのは、10だけです」

「だからそれが」開いてる?

 そういえば。懐中時計が落ちてきたわけだし。

 開いている。

「逃亡を切望しているのだと推察されますが」

 目算。2メートル。

 台座の分を足して、+50センチ。

 やれるか。

 やれるとかやれないとかじゃない。やるしか。


      3


 ドロシィだかルーシィだかが、

 2階までエレベータガールを務めてくれた。お蔭で地上近辺に戻ってこれた。

 巨大な水槽はなぜか空っぽだった。

 みっしり詰まっていた奇奇怪怪の水棲生物は、

 もれなく椿梅が持ち去ったのかもしれない。遠路遥々足を運ばせた手数料として。

「建物の外に出た場合」メイドが事務的に言う。「失格となり解答権を失います。それでもよろしければ」

「終わったんだろ」ゲームセットだ。

 終了宣言をしておいて。

「あいつらは」狸狐塚氏と、良ノ沢氏。

 館内放送は引き続き生中継なのだが如何せん、

 ノイズが酷すぎて。

 誰が喋っているのか誰も喋っていないのか。

 何もわからない。

「作品?とやらに」

「ご覧になられますか」地下を。「きっとお気に召すかと」

「死んだのか」

「彼らは」永遠を「手に入れようとしています」

「なあ、お前ドロシィだろ」

「左様でございます」

「と見せかけてルーシィなんだろ」

「左様にございます」

 駄目だこりゃ。

 取り付く島もない。

「じゃあな」

「またのご来館を心よりお待ち申し上げております」ドロシィでルーシィなメイドは深々とお辞儀する。

 世の中は夜だった。

 ステップを一段一段下りる。転ばないように。

 とっくに閉館時刻なのか、照明らしきものがこぞって消えている。

 北斗七星に気をとられていてに察知に遅れる。

 地面に。

 なにか。あれだ。

 メイドを呼ぶための。私のがここにあるのでそれは。

 椿梅が落としていったものだろう。

 故意に。

 烏鷺口ウロコ氏から零れ落ちたものか。

 意図して。

 右は。質問があるときに。

 超高音。

『お前さん、ようやくだ。ようやくわしはお前さんの元へ』旧友の最期の言葉。

 後追い心中。

『あんたたちのキモチワルイ人体模型になんか。そんなのになるくらいならね』孫の最期の言葉。

 先走り自殺。

『ねえ、俺何のために生まれてきたの? ヤダよ。なんでこんな』養子の最期の言葉。

 中出し他殺。

 左は。解答を提出したいときに。

 重低音。

『本当に?得られるんですね唯一絶対の解が』主治医の最期の言葉。

 飛び降りる前の。

 誰に向かって言った?

 誰に。

 唯一絶対の解を。

 烏鷺口氏が着陸した辺りの地面。頭上。

 スピーカがあった。

 そこから流れていたようだ。さらに上を見る。

 最上階は。

 ふと椿梅からもらった懐中時計で爆破までの時間を。見ようと。

 爆風。

 手元が。手元を。

 見たくなくて力を緩める。落ちる。

 拾えない。

 ちがう。そんなはずそれはたしかに。

 懐中時計であって。

 爆音。

 炎が。

 捨てるしかない。ああ、

 駄目だ。指紋が。

 いい方法を。

 思いつく。手探りで拾って。

 投げる。

 火に喰わせる。

 鳴らなかった。鳴るわけがない。

 懐中時計。

 蓋を開けようと。

 まさかこんなものが爆破のスイッチだなんて夢にも。

 もし館内で時刻を確認しようとしていたらと。考えたくもない。

 考えなかったのか。

 考えたのだろう。椿梅にはわかる。

 明るいところで時計なんか見ないことを。

 文字盤なんか見えやしない。

 真っ暗闇で。

 パンダの鳴き声がする。


      4


 赤血球が放水して。

 白血球が救出に向かう。

「死んでいなくて何よりだよ」陣内チヒロが、敬礼の花道をなぎ倒しながらやってくる。

 見てない日数分きっかり嫌味が増していた。

 無駄に光る銀縁のメガネとか、強烈に上等を訴えるスーツの上下だとか。私より十も歳下のはずなのだが、奴が笠に着ている権力がデカすぎる。洒落のつもりは断じてない。

 奴が羽織っている夜霧みたいなコートがやたらたなびいていたせいで。夜は気温が下がることと、いまが真冬なことを再認識する。

「寒みい」

「僕も」僕?「とても寒い。というわけで帰ろうか」

 奴にコバンザメしていたお供001がすぐさま運転席を占拠しようとするのを。

 遮る。

「君が帰ると言った憶えはないよ」

 運転手が、それは自分の仕事何かあっては夜も遅いですし、と食い下がるのを。

「僕が事故るとでも思っているんだね君は。僕が事故る。面白くもない冗談はやめたまえよ」と一方的に捲くし立て、私を運転席に押し込める。

「おい」

「僕が運転なんかするわけがない」陣内は、当然の如く助手席を陣取って。「満足かい?」ウィンドウ越しに口パクしてみせる。

「帰り道に崖がなかったか」

「君はそんなことしないさ。まだ死ぬわけにいかない。こんなところで大嫌いな俺と」やっぱり僕は猫被ってたのか。「道連れるわけにはいかない。違うかな」

「道なんか知らないぞ」嫌な顔を見ないために、闇雲にスタータ音を鳴らすしかなさそうだった。「どうやってここまで来たんだ? お得意の徒歩なんてこと」

「送迎バスが出てた」

 単調な峠を下っている。センタラインが鬱陶しい。時たま忘れて制限を取っ払って景気よく走っていると、視界に飛び込む白い玉にひやりとする。

 まだ応援が要るらしい。

「にしても管轄外だってのにまあ、ど派手にやるもんだ」

「管轄内だよ。国そのものが俺の管轄になった」

「そりゃめでたい」拍手の代わりにステアリングを叩いてやった。それはそれは盛大に。

 鈍い音がする。

「泳がせて大収穫だ。感謝するよ。疑似餌の君には」

 どこまでも嫌味な。

 駄目だ。単なる挑発。

 私みたいなのは、

 怒らせるとぼろぼろ本音を落っことす。

「ちゃっかり見張ってやがったわけか」到着が早いわけだ。

 コバンザメ00いくつだろう。

 今度会ったら殉職させてやる。

「どうだったんだ?一年ぶりの再会は。この一年で一番いい顔をしている」

「見てたみたいだな」肉眼で。

「見てたさ。君から眼を離せない」

「相当気持ち悪りい」そういえば免許証を持ってたかな。

 ヤバイな。バレたら現行犯逮捕だ。

 別件でとっ捕まって。非合法な尋問を繰り返される。

 陣内チヒロの必殺技。

 なにせ陣内は、

 人無いの誤植だという専らの。人でなし。

 ニンゲンじゃない。

「次のデートはいついつに取り付けたか教えてくれてもいいけど」

「一年もこそこそしてやがったんだろ? 一週間延びたとこで」

 陣内が嗤う。

 密室に監禁されて自白こくるまで陣内とお見合いを強要されるより一億倍いい。

 言ったところで。

 捕まるわけが。

 お前らが束になってかかったところで。俺が単体で捕まえられなかったんだ。

 お前なんかにどうこうできるはずもない。

「やけに饒舌なのは。そうか。愛でも確かめ合えた?」

「場所も時刻も」最終便。「そっちでなんとかしろ」

「日付だけ決めてあとは当日のお楽しみってことかい? サプライズにもほどがある」

 国家権力と結婚した奴にだけは言われたくない。

 喉まで出掛かって呑み込んだ。

「なんとかなるか」

 国家権力と結婚した奴に頼るしかない。

 私は、

 なんとしても。椿梅を。

 どうするんだ?捕まえられないなら。捕まる気がないなら。

 逃げたら追う。国外だろうが海の向こうだろうが。

 それでよくないか。

「君の頼みじゃ断るわけにいかないな。わかったよ。条件を呑んでくれるなら」

「疑似餌は疑似餌らしく最後まで」喰いつかれろと。

 そこを国家権力という網で一網打尽に。

 できるだろうか。

「お前、捕まえる気」ないんじゃないのか。

 捕まえることがすなわち国際問題になる。ような奴を捕まえたがるだろうか。

 国家権力と結婚した奴が。

「そっくりそのまま返そうか。傾国の美女とお楽しみだったとかいう」

 運転中でなかったらそのメガネへし折っていた。

 私が知る限り、奴のメガネの寿命は短い。最長で一年。

 いままさにその記録が更新中なのだが。

「壊されることの予想が付いてるにもかかわらずどうして俺がコンタクトにしないかわかるか」

 あの部屋を追い出された日も置き土産として。

 割った。

「メガネの耐久実験でもやってんだろ」

 信号でもあればいいのだが。

 一本道にもほどがある。

「カネがない」

「飯なら奢るよ。何がいい?」

「スーツケースが欲しい。ちょうどお前が入るくらいの」

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