第4話 逝魂;いたたましい

      1


「ツバメは?」正解の景品として解放と相成ってないか。

「知らないわよ」狸狐塚ココヅカ氏が吐き捨てる。「あんたちゃんと鍵かけたんでしょ? なら平気じゃない」

「やっぱ合ってたの?」良ノ沢ヨシノザワ氏が、私の袖を摑む。「じゃあ、俺たち」

 見事正答し、ドン=ヘッヘルフのコレクションを受け継ぐか。

 不正解もしくは無回答により、あなた方の取るに足らないつまらない命を、わたくしどもに差し出すか。

「ハッタリだろ」

「何のために?」

 なんでそんなに怯えてるんだ?ガキ。あんなのは、場を盛り上げるための単なる。

 しかし確かに、烏鷺口ウロコ氏は。

 私の眼の前で引きずられていった。

「間違えたからセンセイあんな」良ノ沢氏が、強く握るから皺になっている。

 形見の上着。

「ああなったのは結果だ」原因じゃない。「いいか。ウロコが死んだのは」

 本当に死んだ?

 本当に?

 死体にしか見えなかった。死体を。

 見たことはないか。

「あいつが殺したんだ。解答権を奪うためにな。合ってたんだウロコは」

「どういうこと? 殺した?」狸狐塚氏が割って入る。会話的にも距離的にも。「殺せるわけないじゃない。ずっとあの部屋にいたのよ? そんなの、ドアの前にいたあんたが一番」

「それが離れたんだよ。ついさっき」眼線を遣る。

 ドアの前を離れてしまった最たる原因に。

「あ、たし」気づいた。

「あすこを開錠できるのは、メイドか」胸ポケット。「俺の持ってるこれを」

「なにそれ? あたしって言いたいわけ?」

 風呂に入ってる間に、脱いだ服からこっそり抜いて。

「なんであたしがそんなことしなきゃなんないのよ。信じらんない」

「なーる。おねーさん、おカネ困ってたもんね」良ノ沢氏が言う。「ちゃっかりバイシューされちゃってたんじゃないの? あの人おカネ持ちなんだっけ」

 理由はなんだってよかったのだ。私があのドアの前から離れさえすれば。そして、臭いだの臭うだのといちゃもんをつけて風呂に入らせて。

 カードキィを体から離させる。

 その鍵で部屋を開けて。

 烏鷺口氏を殺し。椿梅の部屋から時間差で落下するような仕掛けを作り。

 再び最上階の部屋に戻り。鍵をかけ。

 何事もなかったかのようにカードキィを私の服に戻せば。

「正直に言え」

「やってないわよ。やるわけないじゃない。第一、あの部屋の鍵を盗むにはまずあんたの部屋に入らなきゃ」

「入っただろ。そいつも訊いときたかった」

 部屋はオートロックだ。掛け忘れはあり得ない。

「どうやって俺の部屋に入った?」

「それは」狸狐塚氏が言いよどむ。「なんだっていいでしょ? とにかく、あたしはそんなことやってないし、そんなことしなきゃなんない理由もないの。なんであの女に手貸さなきゃ」

「だから、カネもらったんじゃないのか」

 小切手くらいなら通る。あの隙間でも。

「やってないったらやってないの。おカネなんか。おカネくらいであんなこと」

「じゃあ、どうやって俺の部屋に入ったか言えるだろ?」

 どんな魔法使った?

 孫の権限で実はマスタキィを持ってる。以外の方法で。

「ケージさんどの部屋? 何番?」良ノ沢氏が、カードキィを見せろとばかりに手を出す。

「わかるのか」

「何番?」

「10だったか」ポケットを探るのが面倒だった。「ありゃなんだ?」

「ふーん、で? おねーさんは?」

「言わなきゃいけない?」狸狐塚氏が一睨み。

「そうゆう言い方はないと思うよ」良ノ沢氏はやれやれといった調子で。「せっかくおねーさんのムジツをショーメイしてあげようと思ってるのに」

「知ってるでしょ? 交換してんの。あんたがイヤだったから」

「そーだったね。ごめんごめん。じゃあ、7だね? センセイが3で」

「交換?」なんのことだ。

「うん。おねーさんね、俺がヤだからってセンセイととっかえっこしてもらったんだ。ホントはおねーさんが俺のトナリで、ケージさんのトナリがセンセイだったんだけどさ」

 隣にいる。

 と言ったのでてっきりそもそも狸狐塚氏があの部屋だと。

「お前は?」何番だ。

「おねーさんのトナリ。わかんない?」

 10の隣が7で。

 その通路を挟んだ隣が3で。

 そのまた隣は。

「何番だ?」

「んじゃもっとヒントね」ようやく良ノ沢氏が、私の袖口を摑むのをやめてくれた。落ち着いたということだろうか。「あの人が15で、そのトナリが18ね。ハゲじじいの部屋だったんだけど」

「結論を言え」

「わかんない? ハゲじじいのトナリが23で、そのトナリが26なんだ。んで、一周して俺になる。どう? さすがにわかったと思うけどな」

「何番だ」狸狐塚氏に訊く。埒があかない。

「なんでもいいでしょ。さっさと戻るわよ。こんなキモチワルイとこ」狸狐塚氏がエレベータを呼び出す。

 数字は2・6・7しかない。

 1階へは階段で。

 3・4・5は通過。地下へも降りられない。

 到着音。

 開く。中に。

 赤黒いペンキが飛び散った縦横無尽の放射線の中心に、

 メイドがふたり。

 仰々しく頭を下げて。

「お待たせしました」

「これより」

「私どもがあるじ」

「ドン=ヘッヘルフの生涯をかけたコレクション」人体模型「そのすべてを公開いたします」「どなた様も奮ってご参加くださいますよう」

 ペンキではない。ペンキなどでは。

 私じゃなくてもわかったはずだ。良ノ沢氏は、とうとう私の腕にしがみ付く始末。

 ほぼゼロ距離にいる、エレベータをこのフロアまで呼び出した張本人、狸狐塚氏に至っては。両手で口を覆って、一歩半ほど後ずさるのがやっと。

「どうされたのですか」

「観覧を希望されたのは他ならぬ」

「何やった?」誰も訊かないからしょうがなく。「何をやったんだ、そこで」

 ひとつしかない。

 さっき眼の前を引きずられていったものは。

 眼の前で。それを引きずってった首謀者が、

 いるのだから。

「何やったかって」訊いてんだよ。

「お乗りください」

「扉を閉めます」メイドが各々左右の中指で。

 操作盤に触れると。

 通過だったフロアの数字が現れた。

 3・4・5が。

「まずは5階に参ります」

 3階から見せない理由がわかった。散会されたら困るからだ。

 誤解。

「いるのか」そこに。

「お誘いはしたのですが」

「興味がないと」

「そっちじゃない」

 死んだとは思えない。死んだところを見ていない。

 死体を確認していない。

 本物の死体を。

 聞いただけだ。

「永遠を」手放したと。「手に入れてどうする?」

 狸狐塚氏が、眼線だけを動かす。壁に寄りかからないように必死で立っている。両足を踏ん張って。

 良ノ沢氏が、さらに強く体重を傾ける。顔面まで押し付けて。私が倒れない限りは直立を保てる。

「俺たちもこうするのか」血を飛び散らせて。「タイムリミットだろ」

 いまさら誰がどう足掻こうが、椿梅の正解は揺らがない。

 到着音。

 不気味なショウケースが飛び込んできた。

 台座だけで高さ50センチはある。

 大きい。

 間接照明に浮かび上がる。円柱状の。

 エレベータを中心に。

 ぜんぶで、

 8つ。

 並び方が同じことに気づく。6階の客室。

 円状。

 台座に数字が振られている。金属レリーフ。

 3の隣は。

 7じゃなくて、その隣は。

 なかに。

 なにか。

「養子様はまだ」永遠を「手放されていません」

 良ノ沢氏だった。養子様?

 肉眼で確認したくなって。後ろを。

 見ようが見まいがショウケース内に。

 いるのは。

 あるのは。

「ニンギョウ」だよな。

「人体模型です」メイドが即答する。「左をご覧ください」

 3がナンバリングされた展示ケース。

「なによこれ。ちょっと、サイアク」狸狐塚氏が顔を歪めるのも無理はない。

 自分そっくりな人形が透明の壁の向こうにいるのだから。

「誰に断ってこんなこと」狸狐塚氏が乱暴にケースを叩くが。

「処分されても構いません」

 メイドの片方が台座に触れる。

「ココヅカ様が」永遠を「手放されるというのであれば直ちに」

「誰もそんなこと言ってないでしょ」

 永遠を手放したら。

「処分するのか」道が絶たれた証拠として。

「こちらをご覧ください」メイドのもう片方が、7の展示ケースの脇に立つ。「ここにはウロコ様の人体模型が飾られていたのですが」

 永遠を。

 手放したとやらで。

「処分したんだな?」

「処分て何よ。壊すってこと?」よくぞ訊いてくれた狸狐塚氏。

 脇腹をつつかれる。

 良ノ沢氏だ。10の展示ケースを見ている。

 10の展示ケース。

 私の部屋だ。私の。ということはここには私が。

 いない。

 いない?

 どうして。

「おい、どういうことだ」

 私はすでに。

 永遠を手放したと。

「まだ生きてるじゃない」尤もだ狸狐塚氏。

「あっち」良ノ沢氏が消え入りそうな声で。

 15の展示ケース。椿梅の。

 からっぽ。

 18の展示ケース。陸代氏の。

 骨格模型。

 23の展示ケース。

 26の展示ケース。

 この二つに至っては誰の部屋なのかわからない。

 なかみは。

 見たことないニンゲンが。いや、

 ニンギョウか。

 23が女。

 26が男。だとは思うが。

 体格から判断した。裸でないので断言できない。

 裸だとしても断言できない。

 誰だ?

「参加者じゃないだろうな」

 私たちと顔を合わせる前に失格になったとか。いや、

 失格になってれば永遠を手放してるから処分されてるのか。

「ほかに誰がいる」23と26には。

 事情を知ってそうな養子に振る。

「知ってるか」

「なんで入ってないの?」良ノ沢氏は違うケースを見ていた。15だ。

 椿梅の。

 まさか。「おい」

 永遠を手放すと。

 処分される。

「ありゃ誰の血だ」

 エレベータ内。

「言えよ」

 違うと。

 それだけは違うと。

 あり得ない。椿梅が?

 殺すことはあっても殺されることは。ない?

 本当にないと。

 言い切れるか。

 不意を突かれたらどうだ?

 椿梅に不意なんかあるか。

 メイド二人がかりなら。相手は女だ。狸狐塚氏とそう変わらない。

 見た目だけなら。幾らでも。

 誤魔化せる。

 椿梅がいい例だ。

 あいつの実年齢は誰も知らない。ことになっているが確実に。

 俺より上だ。

 どう低く見積もっても三十代が関の山だが。

 千年以上生きてるといっても全人類は驚かない。もし永遠が、

 本当にあるとしたら?それこそまさか。

 笑えない。

 切羽詰って悪いほうへ悪いほうへ思考が落下する。

「ツバメは」

「永遠を手放されました」

 だから人体模型が展示されていないのだと。

 人体模型が展示されるべき展示ケースが空っぽだということから、

 一目瞭然だろうに。

 メイドふたりはそういう眼で。「次なる解答者はどなたですか」

 眩暈がした。正解は、

 アレではないのか。

 人体コレクタの椿梅だからこそ可能な。

 永遠という解。

「開けろ」エレベータのドア。「開けろっつってんだよ。上に」

「行ってどうなさるおつもりですか」

「あの部屋はすでに無人です」

 なんで。

「無人かっつてんだよ」俺に黙って俺の許可もなく勝手に。「開けたってのか。開けてどうした?」自分でも何を言って何をやってるのかよくわからなかった。「開けて?どうしたんだよ。ツバメは」

 ドロシィだかルーシィだかに摑みかかってた。

 ドロシィだかルーシィだかに止められて、

 ようやく気づく。

「お放しください」

「これ以上の乱暴は許されません」

「乱暴だ? てめえらはどういう乱暴しやがったって? あ?」

「お放しください」

「失格にします」

「しろよ。失格だ? 俺あ、端っからんなくだらねえもんに参加してねんだよ」永遠が「欲しいだ? 寝言は寝て言えって。あ、とっく死んでるんだっけか」

「暴言も許されません」

「現時刻をもってサダクラ様の」

 死ぬわけない。死ぬわけが。

 椿梅は。

 俺が。

「お待ちになって?」館内放送?いや、

 その前に何か聞こえ。

 高い音。質問用ではない。

 到着を報せる。

 エレベータ。中から、

「普段はすかたん気取ってますけれどその方」

 血よりも赤く。

 骨よりも白い。その幻影、

「殊、大悪党のこととなると我を忘れて激昂しますのよ。まるで別の方になってしまったかのよう。ふふふ。それが愉しみですの。わたしが死んだ? そんな」

 世界が滅亡しますのよ。

 血まみれの箱から降りて。椿梅が、

 笑みを浮かべる。

「さあ、ケージさん。唯一絶対の解とやらを差し上げますわ」

 つまらない命の代わりに。


      2


 一酸化炭素を運びたくて仕方のないヘモグロビンみたいな髪。

 乳酸発酵し放題のミオフィラメントを編み込んだかのような衣裳。

 DNAより鮮やかに。それでいてATPより幽かな。

 手に入れる。

 欲しいものはすべて。カネで。それこそが、

 椿梅ツバメあざみゆう。こと、

 燕薊幽エン=ケイユウ

 今回は何を手に入れたい?

 ドン=ヘッヘルフの人体模型コレクションか。

 本当に?

「どうやって出た?」

「あら。鍵なんか最初から掛かっていなくてよ」

「どうやって出た?」冗談だと思って聞き流す。質問をまったく同じに繰り返してリセットしようと思った。

「きちんとドアから出ましたわ。ケージさんが開けておいてくれましたもの」

 言ってる意味がわからない。

「なわけないだろ」メイドを睨みつける。「勝手に開けた奴がいる。俺の許可なく」

「開いてたってどうゆうことよ。それじゃあ」狸狐塚氏が、7の展示ケースを見遣る。

 烏鷺口氏を殺すことができた。

 椿梅にも。

「お前だな?」

「それも含めて説明させてくださいな。事実無根を証明してみせますわ。ね?」椿梅が狸狐塚氏に微笑む。「あなたが正真正銘のお孫ということも」

「あんたが何を知ってるってのよ」

「なぜあなたにご両親がいないのかしら。ご両親がいればこのような面倒なことにならなかったのではなくて?」椿梅が、23と26の中間まで移動する。

 追う義理もないしここからでも充分見えるから付いていかなかった。

「何が言いたい?」

「ご本人に訊きたいのですけれど。よろしいかしら? ご両親は」

「言わなきゃいけない?」

「言わなければわたしが言うまでのことですわ。ご自分のお口で言いたいのかと思ったの。わたしが言ってもよろしくて?」

「勝手にすればいいでしょ」狸狐塚氏がそっぽうを向く。

 何を怒っている?

「ご本人の許可も得ましたわ。彼女のご両親は亡くなっています。十年以上も前に。行方不明といったほうが正しいかしら? ねえ?」

 狸狐塚氏は聞こえない振りをしている。

「それ、ホントなわけ?」良ノ沢氏が、私を盾にして口を挟む。「デタラメゆおうたってダメだよ。父さんには息子しかいないよ。俺だけどさ」

「あら、ちょうどよろしいですわ」椿梅が、養子と眼の高さを合わせる。屈む。「あなたのお話もしておきたかったの。どうしてあなたは養子に取られたのかしら?」

「父さん、子どもいなかったから」良ノ沢氏は眼を逸らす。

「理由になりませんわね。子どもがいないと養子を取るのかしら。戦国時代ではありませんのよ? 問題は」椿梅が、23にもたれかかる。「取りたくて取ったのか、そうでないのかということですわ」

「取りたくなくて取るのか。財産目当てでもないだろ」

「それはこちらのお孫ですわよ。借金を返さないといけませんものね? 相手の方は返さなくてよろしいと言ってますのに」

「さっきからなに言ってんのか全然わかんないんだけど」

 狸狐塚氏よ、挑発に乗るな。

 こういうタイプは怒りで前が見えなくなるから。つい本音が零れやすい。

 椿梅はそれを狙ってる。

「あなたに出資された方は、あなたに投資したかったからしただけのこと。返礼など求めていませんわ。孫を育てるのに返礼を期待するとしたらそれは、自分の遺伝子が確かに受け継がれているというエゴですわ。それとも近い将来の介護要員ですかしらね」

 では本当に。

「孫なのか」

「言っていたではありません? 護摩なのか胡麻なのか混濁するくらいに」

 孫を育てるのための出資。ということは。

 狸狐塚氏がカネを返している相手は、

 祖父。

 ドン=ヘッヘルフ。

「文字通り身体を張って稼いだおカネが何に使われているのかご存知?」

「あたしは、借りたものを返してるだけよ」狸狐塚氏が答える。

「いまの返答をわたしのお客に聞かせて差し上げたいですわね。素晴らしいお心がけです。借りたものは返す。その通りですわよ。あなた身体なんか売らないでわたしに隷属しませんこと?見込みありますわよ」

「おい」どさくさに紛れてスカウトするな。「養子がどうとかは?」

 せっかく良ノ沢氏が、私を盾にするのをやめてくれたんだから。

「知ってんの?おカネ持ちのおねーさん」

「ええ、知ってますわよ。おカネ持ちのおねーさんは」椿梅は、おねーさんだとか言われて嬉しそうだ。あのにんまり顔。「あなたが養子として養子に取られたわけではないことですわよね?」

「ふーん。おねーさん、父さんとどーゆーカンケイ?」

「だいぶ前に絶縁してますのよ? あなたとは違いますわ」

 養子じゃなくて。

 なんだ?

「俺にわかるように言え」

「愛人でしょ?」狸狐塚氏が、軽蔑の眼差しで吠える。「どうせあんたが誑かしたとかなんでしょ?サイアク」

 いくつ離れてる?数えたくもない。

 じじいと孫よりひどい。

「あの方のご趣味はどうでもよろしいですわ」椿梅が、23から26に移る。背を付けて腕を組み、片手で口元に触れる。「さて、お孫。この後ろの方に心当たりは?」

 男。

「あったらなんだってのよ」狸狐塚氏が言う。

「ありますの?」

「あるわけないでしょ。そんなキモチワルイもの。見たくもないわよ」

「そう。ではこちらは?」椿梅が、23を指さす。

 女。

「だからないってゆってんでしょ。いい加減にしてよ。さっきから、何がしたいわけ?偉そうに。探偵のつもり? 探偵なら」狸狐塚氏が私をちらりと見る。「やっぱグルってわけね。二人で仲良く探偵ごっこ? よそでやってよね」

「ケージさんはケージさんですわ。探偵などではありませんのよ」

「刑事って。元でしょ元。あんた捕まえ損なってクビんなったって聞いたわよ。わざとじゃないの?」

 そんなことは、一言も云った憶えがないが。

 ほぼ間違ってないのが嫌だが。

 しかし合ってもいない。否定するには惜しいし、認めるには足りない。

 椿梅の視線が痛い。

「本当のことを仰って? 秘密でも結構ですわ」

「んじゃ黙秘」私がなにか言ったところでなにも変わりはしない。戻らない。

 私の正義は、

 椿梅の悪の前に屈したのだ。それを、

 口にして認めるのが厭なのだ。

「ほら、言えないんじゃない。ホントのこと言われたからなんでしょ?」

 そう思いたいなら勝手にしろ。俺だって、

 思いたくない。

「お孫はこのお二方にまったく見覚えがないと。それは残念ですわ。そうやって離れていってしまうのかしら。親の心など子には届きませんのね」

「どういうこと?」狸狐塚氏が、椿梅に詰め寄る。23と26を見ながら。「親って。これがあたしの」

「ご両親よ。行方がわかってよかったですわね」

 狸狐塚氏は、23と26の間を行ったり来たりする。眉を寄せて。自分の中にある両親の記憶と照合しているのだろう。

 が、照合のしようもない。裸でないから。

 肌がないから。

 皮剥ぎの刑にあって。

「なによそれ。そんなわけ。なんで、こんな」

「信じられないのならそれでもよくてよ。行方不明のままのほうがよろしかったかしら」

 狸狐塚氏が、物凄い眼で睨み付ける。

「あんたね?あんたが」

「ものには順序がありますのよ。養子だけど養子でないおボン」お盆?「あなた本当にあの耄碌の相手ができていて? 死体相手にできるのでしたらそれは」

 したい相手?

「死んでるってゆいたいの?」良ノ沢氏は挑発に乗ってこない。

 このタイプを落とすには弁論大会で打ち負かせばいい。

 椿梅の特技だ。

「愛人は他にいたのではなくて?」

「シテたよ。相手」

「あの方に少年のシュミはございませんわ」

「なにがゆいたいわけ? 俺が父さんとヤってちゃいけない?」

「あの方は性行為の原因にも過程にも結果にも興味がありませんわ。あの方の興味は、知っていて? 知ってますわよね? 子だというのなら」

 これだ。

 私たちを取り囲む。人体以上に人体に似せた、

 人体模型コレクション。

「人体のニセモノを作り出すこと。必ずモデルがいますのよ。わたしと違うのはそこですわ。あの方は、ホンモノをホンモノのまま残そうとしますの。ニセモノが完成したのち、ホンモノとニセモノというよく似た二つの人体が存在してしまう。同一個体というわけのわからない概念が登場するのもそのせいですわね」

 ついメイドに眼が行く。

 いない?

 まさか。私はエレベータの前にいた。

 私の眼を盗んでエレベータに乗ることは可能だ。しかし、

 もっとまずいことが。このフロアは、

 メイドがいない限り他のどのフロアにもアクセスできない。

 エレベータの呼び出しボタンが存在しない。

 置き去りにされた。

「おい」

 椿梅以外誰も、この緊急事態に反応しない。それどころではないだろう。

 狸狐塚氏は、皮剥ぎされた両親に十年ぶりの対面らしいし。

 良ノ沢氏は、苦々しい顔をして立ち尽くしている。

「待つしかありませんわね」椿梅が言う。

「んな悠長なこと」

 頭痛い。ただでさえ置いてけぼりなのに。

「必ずいらっしゃいますわ。あるじを連れて」

「地獄から?」

「死んだって、連れてこれますわ。ほら」

 到着音。

 エレベータより、

 メイドがふたり。その後方に。

「わたしは一度もお会いしことがありませんの。ですからコレクションを譲っていただく以外にここに足を運ぶ理由はございませんわ」

 和装の。

 無毛。

「そうじゃったか。それは失礼した」

 永遠を手放した。イコール、

 死んだ。

 という等式は必ずしも当て嵌まらないらしい。

 陸代ロクシロ氏。

 ぴんぴんに生きてるじゃないか。「じじい」


      3


 父親がダレかは知っていた。父さんだ。

 だけど、

 母親がダレかは知らなかった。母さんは。

 どっち?

 父さんの近くにいる女なんかこのふたりしかいない。

 頭の先から足の先までそっくりな。

 ドロシィ。

 ルーシィ。

 このどっちかが俺の母さんだ。父さんは何もゆってくれないけどそうに決まってる。

 そうじゃなかったら。

 俺が父さんと一緒に住んでるイミがない。

 ここにいれば、母さんに会えると思って。こんなブキミなとこにガマンして住んでるわけだから。そんなこと父さんにはゆえないけど。

 またあいつが来てる。

 父さんの友だちだとかいう。友だちなもんか。

 友だちはこんなことゆわない。

「お前さんが死んだら、わかっとるだろうな」

「またその話かな。しつこいね君も」

「しつこく言わにゃあ。反故にされたらかなわんからな」

 父さんもそんなの相手にしないで。

 俺と。俺は。

 友だちだとかいうそいつとおんなじことはしたくないけど。

「いいか。わかっとるだろうな。火葬の前にわしを呼んどくれよ」

 来るたびあいつはそればっか。

 父さんの骨なんかもらってどうするつもりなんだ。

「あれは骨を蒐集めていてね。熱心すぎてこちらとても困るよ」父さんは苦笑いしながら教えてくれた。

「集めてどうするの?」

「蒐集めるのが趣味なんだよ。私だって、蒐集めてるだろ。同じだよ」

 こそこそするのは好きじゃない。直接メイドにきいてみた。

 どっちが俺の母さんなのか。

「どっちが、というのは正しくありません」ハモった。

「両方ちがうの?」

「わたくしがもし、養子様の母上ならば」ドロシィが言う。

「わたくしも、養子様の母上ということになります」ルーシィが言う。

「よくわかんないんだけど」

「わたくしがもし、養子様の母上でないならば」ドロシィが言う。

「わたくしも、養子様の母上ではありません」ルーシィが言う。

「両方ってこと? そんなことあるの?」

「養子様は、わたくしどもが母上様であるとお思いでしょうか」またハモる。

「ちがうの?」

「わたくしどもは」ふたりの間に鏡があるみたいだった。「人体クリエイタ並びに」ドロシィが言う。

「人体アーティストにございます」ルーシィが言う。「人体を創造し、加工するのが仕事。受精と出産は承っておりません」

「ちがうの? そうなの?どっち?」イライラしてきた。

「わたくしどもは」

「養子様の」

「母上たり得ません」そう言って、

 メイドは同時にスカートをまくり上げた。別にパンツなんか見たくもないんだけど。

「これがなに?」下着まで同じ。

「おわかりにならないのなら」

「おわかりになるまで」

「お話できません」そう言って、

 メイドは同時にスカートをもどした。

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