二、番人

 眼前に浮かぶ様々な色と形の門に、ナギは疲れたように首を横に振った。

「駄目だな。閉じる力が弱いのか、直ぐに開いちまう」

 深い溜め息を吐き出しながら、手近の門を閉じようと翳した手に意識を集中するも、それは直に口を開いてしまう。

 どうしたものか。

 ナギが首を捻って悩んでいると、不意に彼女の周りを淡い光がふわりと舞った。

『また、獣を逃がしたわね?』

「仕方ねえだろ。アンタから貰った力をまだ完全に使いこなせていないんだ。門がきちんと閉まらない上に、数も多い。一人では限界がある」

『なら、あの子たちに手伝ってもらえばいいじゃない』

 あの子たち。

 光はそう言うと、ナギの後ろに建つ可愛らしい一軒家の中に入っていった。

 そこにはすやすやと可愛らしい寝息を立てて眠る双子の姿がある。

「……まだ子供だぞ。武器なんて握らせたくない」

『一人だと限界だって言ったのは貴女でしょう? わがままな子ね』

「そんなに言うなら、女神さまのお力であいつらを何とかしてくれよ。アレはアンタが創造したもんなんだろ?」

『出来るならとっくにやっているわよ。それと、アレは私が造ったものじゃありませんから! 廃棄物よ! 廃・棄・物!! 勝手に自我を持たれて困っているのは私たち(・・・)の方だわ!』

 ぷんぷん、と怒る女神の声に、ナギは再び溜め息を吐き出す。

「あっちにはマリアが居るからそんなに心配はしていないが、問題はこっちだ。近いうちに誰か寄越すなり、術を施すなりしてくれよ」

『そうね。お兄様たちに相談してみるわ』

 光はすう、と空間に溶け込んでいく。

 完全に消えると、女神の声は聞こえなくなった。

(くそ……っ)

 魔王と別れてから、ナギは彼の子供を身籠っていることに気が付いた。

 幸いなことに、先程の女神――この世界の創造主を名乗っていた――サラがナギの異変に気が付き、必要なものを空間内に揃えてくれたため出産は上手くいった。

 だが、この空間は人間界と魔界の中間にある所為か時間の流れが恐ろしくゆっくりであった。

 外では三十五年が経過していても、境界では三年半しか時間は進んでいない。

 そのため、ナギの子供たちはまだ三歳半だった。

 彼らを庇いながら次元の獣と戦うのは苦しい。

 産まないという選択肢を持たなかったのはナギだったが、子供を守りながら戦ったことのない彼女には、聊か分が悪かった。

「かあさん」

「んー、おかさん」

 むにゃむにゃと二人してどんな夢を見ているのか、幸せそうに己を呼ぶ子供たちにナギの表情が柔らかくなる。

「……マリア。生まれるはずのなかった、十五番目のアリス。女神サラはどうしてお前を造ったんだろうな」

 ナギの妹分であるユミルが教会の前で拾ったマリアが、普通の存在ではないことにナギは早々に気が付いた。

 彼女から自分と同じ魔力を感じ取ったからだ。

そして、ナギはそのことを女神サラに問い質した。

 せっかくルーシェルとアリスの縁を断ち切ったのに、あちら側に再びアリスを造るのは危険だと。

 だが、彼女はくすくすと笑って「大丈夫よ」と言った。

 曰く、マリアはナギのようにアリスの魔力を元に作られたわけではないので、オリジナルとは縁が結ばれていないらしい。

 彼女が持つ性質は『鏡』。

 十四番目のアリスであるナギを写し取った存在が彼女だ、とサラは告げた。

 それではアリスではなく、二人目の自分になるのではないかとナギが首を傾げると、それに近いかもしれないとサラは笑っていた。

 魔界は魔力が濃い所為で獣は近付けないが、人間界は違う。

アリスの守護を無くした人間界は剥き出しになった貝柱のようなものだ。

知性の低い獣は、迷わずごちそうの方に目を付けたわけである。

「すまないマリア。お前には辛い役目を任せることになる」

 小さく呟いたナギの声は、誰に伝わることもなく、静かに空間へと染み込んだ。


 ぱちぱち、と何かが爆ぜる音が聞こえて、アッシュは緩慢な動作で瞼を持ち上げた。

 窓の外はまだ少しだけ夜の布団を被っている。

「……誰です?」

 大きな欠伸を零しながら、音のする方に声を掛けるも返事はない。

 その代わり、より一段と忙しなく動き始めた気配に、アッシュは部屋に侵入した犯人を特定した。

「マリア様」

 名を呼べば、彼女はいつも大袈裟に肩を震わせる。

 別に怒っているつもりはないのだが、仏頂面の所為でいつも怖がられてしまう。

 子供の頃から一緒に育った仲だ。

 いい加減、慣れてくれても良いだろうに。

 そう胸中で独り言ちると、キッチンでガサガサと動きを再開しようとするマリアの腕を少し強めに引っ張った。

「こんな時間に、こんな場所で一体何をしているんです?」

「……は、腹が減って、その、」

「ビーフシチューを三杯も食べていたくせに、まだ足りなかったんですか!?」

「う、煩いな! そういう年頃なんだよ!!」

 だからと言って、家人が眠る部屋に侵入し、あまつさえ食べ物を漁ろうとするのは頂けない。

「食堂に行けば、誰か起きているかもしれないのに、どうして私の部屋に……」

「卵があるって言ってたろ」

「……」

 アッシュは怒鳴らなかった自分を褒めてやりたかった。

 時間が時間だったこともあるが、「卵がある」と言ったのはマリアではなく同期のフィンだ。その話を彼としていたとき、マリアはユミルと談笑していたはずなのだが、食べ物に目がない彼女は地獄耳を発動させたのだろう。

「それで、その……。ついでに、朝飯を作ってやろうと」

 パンを貰ってきたから、サンドイッチを作っていた。

 何故か頬を赤くして、マリアはキッチンで音を立てていた理由を白状した。

「パンを貰ってきたなら、食堂で食べれば良かったでしょう!」

「卵を挟みたい気分だったんだよ!! 食堂でオレが自由に持ち運び出来るのはパンだけだって知っているだろ!」

「だから、持ち出さなくてもその場で食べてしまえばよかったんですよ! どうしてわざわざ寝ている男の部屋で料理をするんだ、と言っているんです!」

「だって、勝手に使ったら怒るだろ」

 唇を尖らせてそんなことを言うマリアに、アッシュは逆にどうして怒らないと思うんだと頭を抱えた。

「だから、怒られる前に料理してしまえば、お前は怒りながらでもちゃんと食べると思って」

 ん、とマリアが顎で示した先には、先日農家から貰った卵がふんだんに使われた料理が並べられていた。

 エッグサンドに、スコッチエッグ。それからコンソメスープに卵を落としたもの。果てはプリンまで食卓に並んでいる。

 一体何時から作っていたと言うのだ。

(というか、この量はもしかして……)

 アッシュの嫌な予感は的中した。

 調理台の隣にある食材用の棚を慌てて確認するも、卵を保管していたはずの籠の中身はものの見事にすっからかんである。

「……ゆで卵にして食べようと思っていたのに」

「あるぞ」

「は?」

「お前がゆで卵好きなのなんて、皆知ってるっての」

 ほら、と差し出されたのは今まさに出来上がりました、と言わんばかりにほくほくと湯気を上げる艶やかなゆで卵だった。

「あ、ありがとうございます? っていや違う! もとはと言えば、お前が勝手に料理するのが間違いだと俺は言いたくてだな!」

「ふふっ。『俺』に戻ってんぞ、卿」

 花が咲いたような顔で笑いながらそんなことを言われて、アッシュは頬に熱が上がるのを感じた。

「マリア。揶揄うんじゃない」

「へいへい。そんじゃ、エッグサンドだけ貰っていくからな」

「待ちなさい! まだ話は……」

 終わっていない、と言うアッシュの声を最後まで聞かず、マリアは部屋を飛び出した。

 煌びやかに並べられた料理の数に、「一人で食う量じゃないだろ!!」とアッシュはついに悲鳴を上げた。


「早いですね、団長殿」

「おう。お前も早いな、アーロン。またロクサーヌと喧嘩したのか?」

「開口一番に夫婦仲を心配される俺って……」

 泣き真似をしながら馬の餌を運んでくる中年の男に、マリアは笑った。

 父親が居たらこんな感じなのだろうか、と続々とやって来る団員たちと会話を交わしながら食堂へ向かう。

 今朝のエッグサンド(と言っても殆ど深夜である)は、自分で言うのも何だが格別に美味かった。

 舌なめずりをしてにやにやするマリアの前に、不機嫌を隠そうともせず、眉間に濃い皺を寄せたアッシュが姿を見せる。

「おはようございます、マリア様」

「お、おう。さっきぶり。何だよ、怖い顔をして……」

「何だよ、じゃありませんよ! あんな量の料理を一人で食べきれるわけがないでしょう!? 貴女じゃないんですから!」

「男のくせに軟弱な胃袋だなぁ。それで、オレにどうしろって言うんだ?」

「責任もって、ご自分で食べてください」

「良いのか!?」

 ぱああと目を輝かせたマリアにアッシュは深い溜め息を吐き出す。

 この娘、最初からそれが目的だったな、とどこか遠い目をして、自室からやっとの思いで運びだした卵料理を並べた卓の前にマリアを誘導する。

 爛々と光る眼に、団員たちの間で苦笑が広がった。

 マリアはその細い体にどうやったら入るのか、と言わんばかりによく食べる。

 女神の加護を受けている所為か、マリアは燃費が悪い。

 特に大型の獣と戦った後はそれが顕著に表れる。

 食べても、食べても、満足できないのだ。

 酷い時には教会のひと月分の備蓄を食べつくしてしまうこともある。

 その対策として、ユミルはマリアら紅蓮の騎士団に畑と鶏の飼育を任せることにした。

 畑からは芋や小麦、鶏は卵。どうしても飢えたときに限って鶏の肉を食べることを許された。

 牛の肉は近隣の農家から献上されたときだけ食べることが出来る特別なものだったが、マリアはこれが大好物だった。

 あまり日持ちするものではないため、獣と戦闘が長引くと食べることが出来なかったが、昨日はそれにもありつけた。

 従って、腹は八分目ほど満たされていてもおかしくはないはずなのに、日ごとに増す飢餓感に、マリアも、そしてアッシュも気が付かないほど鈍くはない。

「……ユミル様にご相談するべきでは?」

 他の者に聞こえないようにアッシュが小さな声で耳打ちするも、マリアは何のことだか分からないと言った顔で首を傾げた。

「何が?」

「貴女の、その食欲のことですよ。昨日もあんなに食べていたにも関わらず、まだ足りないとは、力を使う度に悪化しているようにしか思えません」

「そうかぁ?」

「そうです」

 真剣な顔でこちらを見つめるアッシュに、マリアは唇をへの字に曲げた。

 そんなことを言って、ただの成長期だったらどうすると冗談めかしに言ってみても、アッシュの眼光は鋭さを失わない。

「分かった。言うよ。言えばいいんだろ?」

「そうしてください」

「ったく、お前は俺の母ちゃんか」

「似たようなものです」

「冗談にマジで返すな! 笑えねえ!」

 途端に周囲からドッと笑い声が漏れる。

 どうやら知らない間に声が大きくなってしまっていたらしい。

 二人のやり取りに団員たちがカラカラと野太い声を上げて笑っている。

「な、何だよ! お前ら! 何、笑って」

「いや、何。団長と副団長のやり取りが面白くってねえ」

 アーロンがくふくふと熊のような顔を柔らかくして笑う。


「はあ!?」

「どこがです!?」


 息ぴったりで反論を返すマリアとアッシュを再び笑い声の波が襲った。

 一体どこが彼らのツボなのか分からない。

 じとり、と二人して団員たちを睨むも、今は逆効果である。

 暫くの間、食堂を賑やかな笑い声が包んだ。

「随分と楽しそうね」

 三人ほど修道女を連れて現れたユミルに、大口を開いて笑っていた男たちは揃って口を閉じた。

 流石に最高指導者の前では食事をしながら笑うことは憚られるのだろう。

 しん、と静かになった紅蓮の騎士団に、マリアは短く溜め息を漏らした。

「おはよう、マザー。今朝は何の用かな?」

「新しいシーツを持ってきたの。そろそろ皺が大変になっている頃だと思ってね」

「それはありがたい。寮暮らしの奴らは何度言っても洗濯を出さないから困っていたんだ。早速、古いシーツを持ってこさせるよ」

 さっきの仕返しだ、と言わんばかりにマリアの目が光る。

 それにどこからともなく、ひぃと悲鳴が上がった。

 慌ただしく食堂を飛び出した男たちの背を追うように、三人の修道女が籠を持って続く。

「ったく、マザーが来たら、ころっと態度を変えやがって。オレも二番目に偉いってこと絶対忘れてやがる」

「ふふ。良いじゃない。娘みたいに可愛がってもらえて。私なんてどこへ行ってもペコペコ頭を下げられてしまうから、少し羨ましいわ」

 ユミルは少しだけ芝居かかった風に悲しそうな顔をする。

 それにアッシュが苦笑を返すと、自らもシーツを取りに部屋へ走った。

「お前もかよ!!」

 マリアの声がアッシュの背中に刺さる。

 罰の悪そうな顔をしてユミルに一礼したアッシュを、呆れた表情で見送る。

「そう怒るものではありませんよ、マリア。アッシュは貴女の分も人件費や書類の整理に追われているのですから」

「それは、そうだけど……。子供に書類を任せられないって言ったのはあいつだぞ」

「まあ、ねぇ。貴女に任せると人件費も食費に変わってしまいそうで不安だったのでしょう」

「うぐっ」

 痛いところを突かれて、マリアは両の瞼を片手で覆った。

 そんな彼女の様子にユミルが笑みを零す。

「でも、二人とも楽しそうで何よりだわ」

「そうかァ?」

「ええ。とっても楽しそう」

 ユミルの手がマリアの髪を優しく撫でる。

 マリアは彼女に頭を撫でられるのが好きだった。

 借りてきた猫のようにおとなしくされるがままになっていたマリアと穏やかな表情を浮かべていたユミルの耳にナギの声が聞こえてきたのはほとんど同時である。

『すまん、油断した』

「……分かりました。マリア」

「おう」

 二つ返事で飛び出したマリアの背をユミルが叩く。

「気を付けてね!」

「夕餉までには帰るよ!!」

 二日と経たずに獣が現れるのは初めてだ。

 マリアは引き攣った口元を隠すように白い鎧を身に着ける。

 厩に行くと、既にマリアの馬が鼻息荒く出陣を待ち望んでいた。

 鼻っ柱を撫で、落ち着かせてやる。

「アッシュ――マーブル卿の指示に従え。オレは先に向かう」

「はっ!」

 馬当番だった騎士に言いつけるや否や、マリアは一足先に教会を飛び出した。

 獣の気配は教会の敷地内から感じられた。

 それも孤児の子供たちが住んでいる区画だ。

 あそこには戦える者は少ない。

 鞭の回数がいつもより多くなっていることにマリアは舌を打つ。

「間に合え!!」


 のっそりと歩く巨大な獣が見えた頃には、マリアは村の入り口に辿り着いていた。

 馬をどこかに括りつけることもほどほどに、走りながら叫ぶ。

「獣だ!! 急いで本部へ逃げろ!!」

 マリアの声に、子供たちは訓練された軍隊のように隊列を成し、教会がある方に向かった。

 途中すれ違い様に十字架を投げて寄越す子供が数名居たが、マリアはそれを残らず受け取り、首からぶら下げる。

「マリア様!! 死なないで!!」

「後から皆を追いかける! 振り向くんじゃあねえぞ!」

 にこり、と少しでも恐怖心が和らぐよう、彼らに笑顔を向けて、マリアは大剣を抜いた。

 赤く燃える刀身に獣の眼が大きく見開かれる。

(チッ、気付かれたか……)

 白いローブを纏っている子供たちは獣の目からは見えない。

 だが、マリアの刀身は別だ。

 獣を倒せる唯一の刃。迦楼羅の浄化の炎が纏っているそれは、獣の目にも鮮明に映っているはずである。

「来い! こっちだ!」

 出来るだけ子供たちから遠ざけるべく、マリアはわざと大剣の炎を大きく燃え上がらせて走った。

 ゆらり、ゆらり、とまるで影のように後を付いてくる獣に目を細める。

 今までに見たことのない、人型の、それも巨人のような形のそれは、ぐんぐんとマリアとの距離を詰めた。

 森へ逃げようと思っていたのだが、巨体からは予想もつかない速さに、逃げることを諦めて、広場で足を止める。

 迎え撃とう。

 柄に力を込め、マリアは獣を振り返った。

 一つしかない青い眼が、じぃとマリアを、大剣を睨みつけている。

「マリア!!」

 声がした。

 アッシュの声だ、と振り向くより先に、無数の火矢が獣へ襲い掛かる。

「まったく、貴女は無茶をして!! 何かあってからでは、遅いんですよ!!」

「何も無かったんだから、問題ないだろ。それより、子供たちは?」

「全員無事です。今、聖子・イザベルが騎士を伴って護衛してくれています」

「そうか。ならいい」

 フッと軽く息を吐き出す。

 身体の内側が燃えるように熱い。

 大剣を片手で持ち直したマリアを見て、アッシュは馬を止めた。

「全員動くな!! これより浄化作戦に移行する!」

 アッシュの号令に、彼の後ろに続いていた騎士たちの動きがピタリと止まる。

『浄化作戦』とは名ばかりの、マリアが一人で敵を薙ぎ払う単純な作戦だ。

 ただ、その炎は味方をも燃やす諸刃の剣。

 神の炎だ。人間が操るには、聊か暴れ馬が過ぎる。

「迦楼羅」

 名を呼べば、それはすぐに姿を見せる。

 炎を纏った絶世の美女がマリアの大剣へと優雅に腰を据えた。

『あら、何? 今度は人の真似事? 笑っちゃうわねぇ。全然似合ってないっての』

 口調はおどけていても、目が笑っていない。

 不気味に光る深紅の眼に、マリアは同調した。

「まったくだ。反吐が出そうだぜ」

『……久しぶりに地獄の炎の恐ろしさを見せてやりましょうか』

「いいねぇ。こんがり焼いて、喰ってやろう」

 ぎらり、と光ったのはどちらの眼だったのか。

 誰かが息を呑む音を合図に、マリアは地面を蹴った。

 四肢で駆ける狼のように、低い体勢で獣との距離を詰める。

 獣の陰に入ったのと同時、大剣を一閃。

 鈍い唸り声を上げた獣が左の足を抑えて倒れ込む。

 続けざまに、宙へ飛びあがると柄を握る手に力を込めた。

「獄炎(ヘルフレイム)!!」

 獣の胸にマリアの大剣が深々と突き立てられた。

 燃え盛る炎の渦が、獣を飲み込む。

 赤から青に変わる炎の色を騎士たちはただ茫然として見守っていた。

「ぺっ、うえ! げほっ、口に入った!!」

『やぁん、マリアったら汚いわぁ! 直ぐに身体を洗った方が良いわよぉ』

「分かってる!! ぎゃ、何か踏んだぞ! 目玉! 目玉踏んだって!!」

 赤黒い血で白の鎧を汚しながら、マリアが戻ってくる。

 にこり、と微笑む彼女に手を伸ばすのがアッシュの務めだった。

「お疲れ様です。片付けは我々で済ませておくので、貴女は身体を清めてきてください」

「お、何だよ? 今日はやけに優しいんだな?」

「まあ。不本意ながら、貴女の作る料理が美味しかったので」

「そ、そうかよ」

「誰か団長の馬を引いてこい。それから清潔なタオルと新しい着替えも」

 アッシュの命令に、近くに居た女性騎士がマリアへタオルと着替えを差し出す。

 獣退治の際は決まって返り血を浴びてしまう為、彼女の着替えは女性騎士、もしくはアッシュの常備品リストに項目が並べられている。

「悪いな。村に大浴場があったはずだから、先に入ってくるわ」

「ごゆるりと。終わり次第、追いかけます」

「おう」

 片手を上げたマリアの元に、彼女の馬が届けられる。

 流石に血塗れの主人を乗せるのは嫌だったのか、馬は常より低い声で鳴いてみせたが、マリアが「頼むよ」と言うと仕方なさそうに彼女を鞍に乗せた。

 馬蹄の音が遠ざかっていったのを合図に、あちこちで嘔吐を始める騎士にアッシュは苦笑を漏らす。

 歴戦の騎士であっても、この惨状には未だに慣れないらしい。

 この場で吐いていないのは最古参であるアーロンと僅かな年配騎士だけであった。

「それじゃあ、アッシュ様。あとは我々でしますんで、この若い衆を頼みますよ」

「いつもすみません」

 へたり込む若い騎士たちを連れて、アッシュはマリアの後を追うことにした。

 身寄りのない孤児を育てるために作られた街だ。連絡や物資の補給の為、住居や商店は森からほど遠い場所に建てられていたことが幸いし、被害は少なく済んだ。

 だが、街の中心部に至っても鼻に衝く嫌な臭いが流れてきている。

 これは二、三日ほど街に戻れないな、とアッシュは眉間に皺を寄せた。

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