第5話 逆又で掛かったしゃちらさんぼう

     1


 課長の提供した情報を信用するなら、オズ君は港近くの倉庫に閉じ込められているということだった。

「応援が行くまで」課長が言う。「て言っても行くだろうね。君がすることはわかってる?」

 私は作戦とやらを復唱する。

 言った端から忘れていった。

「このメッセージは録音されています」課長が人工音声のように喋った。

「のちほど」電話を切る。

 海が見えた。

 上方向の視界が電信柱と電線に遮られず、どこまで行っても真っ平ら。地上の方が馴染みがあるので自分が異物になったように感じる。埋め立て地はニセモノの街みたいに見える。

 それにしても。

「どこで仕入れるんだ?」連れてきたパンダに声をかける。

 パンダは首を振る。

 風がきつい。コートの前を押さえる。

「盗んだのか」

 パンダは首を振る。

 あのときはブラックパンダだったが、いまはフツーのパンダ。パンダにフツーもフツーじゃないもないが。

 盗まれたパンダか。頭が痛くなってくる。

「そいつ着てるせいで咄嗟のとき出遅れるなよ」歩きながら言う。

 パンダが頷く。

 水族館側の商業エリアならいざ知らず、倉庫エリアには人影はない。もしいても三箇日からご苦労さまということで。

 夕刻。天気が優れないので夕日は分厚い雲に覆われている。

 電話をかける。

「よぉ、その気になったっつうことかぁ?」ビャクローは3コールほどで出た。「いまどこだ」

「たぶん、近くにいる」周囲確認をしながら言う。

 何かが飛び出してきたらパンダの陰に隠れようと思った。

「へぇ、そりゃあいい。迎えに行く手間が省けるってもんだ。パンダちゃんに代われや」

「心配しなくても連れてきている。なにせパンダなんだ。どうやって人間様の電話を使う?」

 数秒の沈黙。

「ワリィワリィ。黒いでっけー虫がちょろちょろしててよ。踏んづけてたわ」

 ビャクローの近くに、黒髪の女がいるのだろう。その女を眼線でやり取りするだけの時間。

 パンダが私の周囲を見張る。どう見ても丸腰なんだが。

「電話を切らずに聞け」ビャクローが言う。ビャクローの個性を根こそぎ削ぎ落としたような平板な声音だった。「海沿いに真っ黒いコンテナが積んである。ひい、ふう、みい、よお。四つだ。その裏に船がとまってる。そんなに大きな船じゃない。そこにパンダちゃんを乗っけて後ろを向け。そんで振り返らずにコンテナの表側に回れ」

「オズ君が先だ」

「安心しろや。交換っつーこった」ビャクローが言う。個性を取り戻した。「おにーさんがパンダちゃんを乗っけてる間に、りえーちゃんをコンテナの表側に待機させんだ。信用しろや。俺が嘘吐いたことあったかよ。あ?」

 丸ごと信じるにはリスクが高すぎる。しかし、この方法に従わなければオズ君は返ってこない。

「あ、そだよな。りえーちゃんのかわいー声、聞きてぇよな? ほれ」

「来ないで下さい」たぶん、オズ君だった。「来たら死にます」

「死ぬのは私か、君か」

 汗なのかなんなのか、とにかく電話を持っている手が滑る。持ち替えてもまたすぐに滑り出す。電話から汗がにじみ出ているのだ。

「両方です」

「はーい、終わり終わり。りえーちゃん、あんま脅かすなっての」ビャクローの声に誤魔化しのような焦りは感じられなかった。「なんか目立つ建てもんとか、目印とか言ってくれちゃったらナビすんぜ」

 パンダが向きを変えて私の後方に立った。

 なにか、

 くる。

 最初に見えたのはいろんな色の頭。

 黒、茶、金。

 ガキだった。

 一人や二人じゃない。

 十人、二十人ていう単位が。

 いくつできる?

「おい、お前ら、どこに」

 声が届いていない。

 まるで私とパンダなんか最初からいなかったかのように通過する。

 例えぶつかったとしても、それこそ電柱あたりにぶつかったが如き対応で。

 ガキどもの眼が、

 何かを見ている。

 と同時に、

 何も見ていない。

「おい、なんだこりゃ」ビャクローに聞いた。「まさかこいつら」

 オズ君が、フライングエイジヤとやらで募ったガキ。

「待て。まだ15日じゃ」

 Xデイではない。

 とするなら。

「お、来た来たーってな」ビャクローが言う。「りえーちゃんが忙しそうにしてたんでよ。俺が代わりに呼んじゃったってワケよ。ちーっとばかし、前倒しでな」

 まずい。これでは、さすがに課長といえど対応できない。

 15日に間に合うように準備を整えていたところにこれは。

「止まれ。おい、お前ら」

 無駄だとわかっていた。

 パンダもわかっていた。

 そいつらは続々とある方向を目指している。

「あーそっか。俺のナビいらねーやな」ビャクローが言う。「付いてけよ。見失うぜ? あと、わかってると思うが、電話切んなよ?」

 黒いコンテナが見える。

 パンダが走りだす。追いかける。存外早い。

 目算で百人は超える。

 そのすべてのガキを追い越して、パンダは我先に黒いコンテナの向こうに消えた。

 追いかける。

 追いつくか。

「おーっす、パンダちゃん」ビャクローの声が耳を貫く。「一緒に行こうぜ?」

 コンテナの裏に回ろうとしたが、表側に見つけた姿に一瞬足を取られる。

「オズ君!」

 その一瞬で、

 汽笛。

 しまった。

「笛が」オズ君の口がそう動いた。

 黒い頭と、茶色い頭と、金の頭が勢揃いして海を見つめる。

 電話は切れていた。



     2


 課長に洗いざらい話した。その見返りにオズ君を連れ戻すことができた。

 安いもんだろう。

「パンダちゃんの身柄は惜しいけど、重要参考人が無事だし」課長が白々しく言う。「後始末は任せてよ。パンダちゃんとそのビャクローちゃん?がいないんなら、もう何にも起こらない。連続眼潰し事件は、万事解決さ」

 そうだろうか。

 こんな何もかもすぱっと闇に葬られる形で。

「あぁ、君の身柄?」課長が思い出したように付け加える。「上司のことは残念だったけど。それでもあんな警察に戻りたいなら口を利くし、あんな警察に飽き飽きしてんならこのまま僕の部下になってればいいよ。好きな方を選べばいい。答えは待つよ」

 電話を切って部屋に戻る。

 オズ君が背中を向けて座っていた。シャワーを浴びて着替えを済ませている。私が買ったパジャマだ。

 私は、冷蔵庫からアルコールを出す。夜くらい、ゆっくりしたっていいだろう。

 そうか。

 もう夜か。

「なんにも聞かないんですか」オズ君は顔を見せてくれない。

「君がここにいるだけで満足だよ」

 無言。

 無音。

 私は缶を半分ほど空にする。

「君の母親に会った」

 オズ君が顔を上げる。

「くれぐれも君をよろしくと」

「嘘です」

「嘘だよ」

 オズ君が私を睨みつけた。

「そうゆう、たちの悪い冗談はやめてください」

「わかった。以後気をつける」

 オズ君はまた黙った。

 私は残りの半分を飲み干してしまう。冷蔵庫にもう一缶あったはず。

「いまのところ犯罪なんですよ」オズ君が言う。

「ああ」

「今後しばらくは犯罪なんですよ」

「ああ」

「ああ以外に言うことないんですか?」

「ないよ」私は冷蔵庫のドアを閉めてオズ君を見る。「言ったろう。君がここにいるだけでいいと」

 クッションが飛んでくる。

 オズ君が投げた。私の顔面に命中する。

「なにか、君の気に障るようなことを言ったかな」クッションをソファに戻す。

「まだ13ですよ?」オズ君が立ち上がる。私が近くに来たからだろうか。

「知っているよ」

「15も違うんですよ?」

「そうだったな」

 改めて言われると、割と開きがあったなぁと思い出す。

 でもすぐ忘れた。

「おかしいです」オズ君が言う。

「おかしいだろうか」

「おかしいでしょう?」オズ君が私を見上げる。「おかしいです。こんな」

「君は私が嫌いか?」

「なんて答えたら満足しますか?」

 なんだろう。

 なんと答えてほしいのだろう。

「座ってもいいだろうか」隣に。

「いいんじゃないですか? あなたの家でしょう?」

 あなた。

 他の呼び名はないだろうか。

 なんと、

 呼ばれれば満足するのか。

「あなたは僕の父親になりたいんですか?」

 そうではない、と。

 しっかり伝えていなかったように思えて。

「私は君を愛している。君さえよければ、私の生涯の伴侶に迎えたい」

「頭大丈夫です?」

「先ほどの返答を聞きたい。君は」

 オズ君が下を向く。

「正直に言ってくれていい」

「正直に言うなら、よくわかりません」オズ君が言う。「そんなこと言われたこともないし、考えたこともないから」

「これからどうしたいのか希望はあるだろうか」

「どうって」オズ君が私を見る。「母親が生きてる限り僕はあの家に戻らないと」

「そうしない方法もあるんだ」私は課長から受け取ったパンフレットをテーブルに置く。「高校卒業まで閉じ込められることにはなるが、その先は自由だ。大学に行くなり、働くなり好きにするといい」

「全寮制なんですか」オズ君がパンフレットを検分する。興味を引いたようだ。「もしかして、それで」

 私は頷く。オズ君の母親に会った理由の一つは確かにそうだ。

 本当の理由は、まだ言わなくてもいいだろう。

「ちょっと待ってください」オズ君が言う。「高校を卒業したら、て。卒業したらここに一緒に住めっていう条件付きですか?」

「君さえ嫌でなければ」

「さっきから」オズ君が身を乗り出す。「きみ、きみって。僕が拒絶したらどうするつもりなんですか?」

「そうだな」

 拒絶。

 考えていなかった。

 ちょっと悲しくなる。

「大丈夫です?」オズ君が私の顔を覗きこむ。

「拒絶するのか」俯いたまま言う。

 沈黙。

 重たい。

 だんだん首が重くなってくる。

「あの、いますぐ決めろってんじゃないなら」オズ君が言う。「てか、本当に大丈夫です?」

 顔を上げてオズ君を見る。

 手が勝手にというやつで。

 断じて私のせいではないのだが。

「僕さっき散々言いましたよね?」

「ああ」

 オズ君の顔に触れる。

 頬に。

 耳に。

 首に。

「言わなければいい」

「そうゆうことを言うわけですか」オズ君が溜息をつく。「せめてケーサツじゃなければよかったのに」

「警察でなければ君に会えなかった」触れている手を離す。

「物は言いようですよ」

 オズ君が握りしめているパンフレットに目を遣る。

「そこに通うタイミングは君に任せるよ。なにせ被害者だから、しばらく入院という手もある」

「毎日お見舞いに来られるから嫌です」オズ君が口を尖らせる。

「わかっているじゃないか」

 しばらく隣でぼんやりしていた。オズ君も特に何も言わなかった。私が何か喋ったらよかったのかもしれない。場つなぎに。場を和ませるために。

 アルコールはもう要らない。

 頭が冴えすぎる。

「そろそろ寝ます」オズ君が立ち上がる。「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 オズ君の姿が見えなくなるまで眼で追った。ドアが閉まる。

 5分経過。

 10分経過。

 私はPCを立ち上げて、検索エンジンに「フライングエイジヤ」と入力する。

 更新があった。

 ―――笛の音が消えない。

 更新時刻は、

 ほんの5分前。

 ―――ハメルンの笛がやまない。

 静かにオズ君の部屋のドアを開ける。

 寝息は聞こえなかった。

 Xデイまであと、12日。



     3


 オズ君の母親は、オズ君にそれほど似ていなかった。お陰でそこそこの理性を保ったまま話ができた。

「あの子は無事なんですか?」オズ君の母親は開口一番私にそう言った。

 隣の課長に眼を遣るが、聞いているかいないかの境目でPC画面を監視している。

 課長は自分で課長だと紹介していないから、私の方が上司で、課長はそのメモ係くらいにしか思われていないのかもしれない。

 仕方ない。

「娘さんは、ある意味では、無事です」私は言葉を選んで言った。「失礼ですが、事件のことをどこまでご存知ですか?」

「娘が主人を殺した犯人に誘拐されて、あなたがたの尽力で救いだされたことです。早く娘に会わせてください」母親は相当に悲痛な表情を浮かべている。

 これは、演技だろうか。

「娘さんは無事です。どうかご安心を。私どもも奥様にお聞きしたいことがあって伺いました」ここまでが前置き。「ご主人が亡くなった時間帯、奥様によく似たかたがご主人のマンションの防犯カメラに映っていました。それについてお話いただけますか」

 ブラフでもなんでもない。課長が見つけた。

「私を疑っているんですか?」母親の顔に亀裂が入った。「そんなことより早く娘に」

「ですから、あなたの返答次第では、娘さんに会わせることができないと言っているんです」

 自分の身体から線香のにおいがする。

 お邪魔してすぐに焼香を済ませたのでそのときの残り香だろうか。

「ご覧になりますか」課長がようやく喋った。「僕らが根も葉もない言いがかりをつけに来たわけではない、ということがまずはわかっていただけるかと」

 課長がPCモニタを正面に向ける。

 マンションに入って行く姿。その30分後に出ていく姿。

 この解像度では、誤魔化しが利かない。

「奥様ですね?」課長が言う。

「ええ、確かに私のようですね」母親はモニタを凝視しながら言う。「ですがこれが何か? 私が主人のマンションに行くのが何かおかしいかしら」

「奥様はご主人の別宅をご存じだった、と?」私が言う。

「ええ。お恥ずかしいことですけれど」母親が苦々しい顔で頷く。

「ご主人はこの家に帰っては来ずに、その別宅で暮らしていた」

「ええ、いわゆる別居状態にありました。もうよろしいですか? 早く梨英に」

「ですから、会わせるわけにいかないんです」私は多少語調を強めに言った。「奥様にはいま、ご主人の殺害容疑がかかっています」

 課長がモニタの向きを戻す。

「冗談じゃありません」母親の顔が歪む。「こんな映像だけで決めつけられたら。それに犯人は別にいると。そうです。あの映像。主人を殺した様子を映した動画。あれの分析はどうなっていますか」

「すでに解析が済んだことで、ご主人の頭部が発見されました」極力平板に言う。「首から下に関しては捜索中です。ただ、もしかすると、奥様はご主人の首から下の行方について何かご存じでないかと」

「意味がわかりません」母親が立ち上がる。「帰ってください。気分を害しました。娘には心配なので早く戻るよう伝えてください」

「実は先ほどの映像のさらに30分後、再度奥様の姿が同じカメラに映っているんです」課長がモニタを母親側に向けながら言う。「何をしに戻ったんですか? 証拠隠蔽ですか?」

「本当に警察の方?」母親は座らない。眼線はちらちらとモニタに落ちる。「出て行ってください。だいたい失礼ですよ。主人が亡くなってまだ間もないというのに。こんな夜に、急にやってきてずかずかと」

「そうですか。間もないほうが、記憶が鮮明かと思ったんですが」課長が言う。「いまご覧になっている方の映像なんですが、実は一部加工してあります。どこかおわかりになりますか?」

「出て行って下さい」母親が甲高い声で叫ぶ。

「お暇する前に僕からの忠告を一つ」課長がPCを片付けながら言う。「あなたがエントランスですれ違った女の子。彼女が連続眼潰し犯です」

 母親から表情が剥離した。

「では、お邪魔しました」課長が出て行こうとするが。

「待ってください」母親が言う。「その子と会ったのは、最初に行ったときです。覚えています。梨英の友だちにしてはちょっと年が離れているように思ったので。そうです。最初に行った時ならその子が主人を。そうですよ。だって私が行ったときすでに主人は」

「生きてたんじゃないんですか? まだそのときは。奥様が行かれたときは」課長が言う。「さぞ吃驚されたんじゃないんですか? 殺そうと思って、というのは言いすぎかもしれませんが、それに近い思いを抱かれて行ったところ、なぜかその本人は血まみれで倒れていた。どうしてその段階でケーサツを呼ばなかったんです? 第一発見者は確かに怪しまれますが、あなたは確かにやっていない。それなら堂々と通報すればいいんです。ではなぜ、通報しなかったのか。答えは一つしかありません」

 課長は母親が何かを言うのを待っていた。

 しかし、それはいつまで経っても叶わない。課長にも私にもそこまでお人好しな時間はない。

「あなたは、娘さんがやったと思った」課長が言う。「なのでさも誰かが殺したかのような動画まで撮って、一生懸命隠蔽をした。違いますか?」

 線香くさいのは私じゃない。

 家自体が線香くさいのだ。

「ご主人の首から下は、どこに隠しましたか?」課長が言う。

「やっぱり動画が拙かったでしょうか」母親が言う。

 母親の顔だった。

 課長の推理は当たっていたのだろうか。私はまだいま一つ信じていないが。

「動画の出来というより、二度もカメラに映っていたのが決め手ですね」課長が言う。「一度ならまぁ、何かのついでに行ったかもと思うでしょうけど、死亡推定時刻付近に出て入って出て入ってが2セットもあれば怪しいと勘繰らざるを得ない。実際何をしに戻ったんです?」

「おわかりではないんですか?」母親が言う。「だって葬儀は済んでいるんですよ?」

 眼の下の致命的な隈にようやく気づく。化粧で隠してはいたが、もう隠す必要がなくなってメッキがはがれたのだ。眠れない日が続いただろう。死体があろうとなかろうと早くに葬式を終わらせたかっただろう。

 葬式を終わらせることこそが、隠蔽工作の最後の仕上げだったのだから。

「そうですね。葬儀は終わっていました。僕も参列させて頂いたのに」課長が私を見る。

 すでに、法医学の手と眼をかいくぐっている。

 灰になって墓の下か。

「どうせなら首から上も一緒に燃やせばよかったのに」課長が言う。

「二度目に戻ったときに、首から上が誰なのか判別がつかなくなっていたので」母親が言う。「ああ、この人は碌な死に方をしないんだなぁと思ったんです。なので、どうでもよくなって」

「ご主人の肉でハンバーグでも作ろうと?」課長が言う。

「私の料理なんか、誰も食べてくれませんけどね」母親が言う。「こんな瑣末なこと、梨英には言わないで下さい。それを条件にならこのまま自首いたします。連れて行って下さい」

 マンションの入り口に一課の彼が待っていた。身柄をそっち預かりにするという条件で、課長と二人だけで母親に会うことを許可してもらった。すべて課長の口車だったが。

 いずれにせよ、対策課の管轄外だ。母親は未成年じゃない。

「女口説く方法、俺も習っとくかな」オズ君の母親が車に乗ったのを確認して彼が言う。

 制服と鑑識が入れ違いでエレベータに乗る。この家も根こそぎ調べられる。

 オズ君の部屋くらい、見ておけばよかっただろうか。

「これにて一件落着ってか?」一課の彼が課長に聞こえないように私に耳打ちする。

 口がヤニ臭かったので距離を取る。

「おいおい、そんな邪険にせんでも」

「先に戻ってるね」課長が手を振って歩き出す。

 時刻はすでに夜。課長の姿はほどなく闇に溶けて見えなくなった。

 あの人は闇だ。

 闇の中から生まれて闇の中に消えていく。

 闇からは何も生まれない。闇は、消すのが本分だ。

「お前さん、俺んとこ戻ってこんか」一課の彼、いや、私の最初の上司が言う。「行き場がねぇんなら俺が上にかけあってもいいし」

 課長といえば、私の中ではそもそも彼のことを指す。紛らわしいので呼ぶのを控えるが。

「行かなくていいのか」取り調べ。或いは墓暴き。

「現場にゃあ、それぞれ適材適所ってのがあんだよ」一課長が言う。「被害者と容疑者の間にゃあ、一人娘がいんだと。しっかし長らく家には戻ってきとらん。その不良家出少女の行方なんだが、なんか知っちゃいねぇかな」

 飴が現場復帰で、鞭がオズ君の身柄か。

 無知だろう。何も知らないんだから。

「戻る」

「はいよ。戻れる場所があんのは、いいこった」一課長は止めなかった。

 おそらく、感づかれている。

 私を拷問したところで口を割らないのをよくわかっている。

 誰も追跡していないのを確認してから車に乗る。家に帰らなければ。

 15日まで、私はオズ君から眼を離すわけにいかない。



     4積


 パンダの中身が、パンダちゃんじゃないって気づくべきだった。

 でも気づいたところで中身まで想像できてたか。

 言い訳だ。

 ぜんぶ、言い訳。

 俺の不始末なんだから俺に罰を与えればいい。

 俺が勝手にやったことなんだから俺だけ叱ればいい。

 なのに、なんで。

 何度あんたを失えばいい。

 何回あんたで償えばいい。

「ごめん」

 返事はない。

「ごめんな」

 返答できない。

 声はもう出ない。

「ゆうたやろ」

 遺伝子を書き換える音がする。

「望まんことはせんといて、て」

 俺の大脳はまた削られる。



     5


 パンダの中身を串字路修真くしじろシュウマではなく、祝多イワンにするアイデアは課長によるものだった。私としては串字路修真でなければ特に反対する理由もなかったが、中身になる本人が承諾するのか。それだけが懸念材料だった。

 結論から言うと、二つ返事でオーケイだったらしく。

 何か裏があったとしか思えない。課長の口車がいかに達者だったとしても、あの女が何の餌もなく着ぐるみなんかに入りたがるだろうか。

 例えば、ビャクローとその一派と何かのっぴきならない因縁があるとか。そうでなければ、無事で帰ってくる保証もない、殺害現場になるかもしれない危険な戦場(奇しくも船上になったわけだが)に積極的に赴くはずがない。

 ところで船は出港したが、祝多店主は無事だろうか。

 忘れてた。

「あれ? 今日、仕事は」オズ君は私を見るなりそう言った。「おはようございます」

「おはよう」

 オズ君の起床は思いのほか遅かった。私と同じくらいだったら朝食を一緒に採ろうと思っていたのだが、生憎と私にも段取りがある。簡単に言うと、空腹に耐えられなかっただけだが。

「え、仕事は? 行かなくていいんですか?」オズ君が私と時計を見比べる。

「2週間ほど休みをもらった」

「え、それってクビじゃ」

「君を監視するためにね」変に警戒されるよりいいだろう。「申し訳ないが、君がやろうとしていることを阻止することになる」

「へえ」オズ君はあらかじめ想像がついていたのかいないのか、微妙な表情で一旦ドアの向こうに消えた。

 追いかけようと立ち上がると絶妙なタイミングでドアが開いて「着替えをのぞく大義名分ですか」と心底嫌そうな顔で言われたので部屋の前で待つことにする。

「前にあなたが言ったこと憶えてますか」ドアの内側からオズ君の声がする。「あなたは夢の中の出来事と思っているかもしれませんが」

 僕には僕の考えがあって僕のやりたいことがある。とオズ君が言って。

 やりたいことをすればいい。と私が答えた。

「憶えているよ」

「それでも阻止するんですね」オズ君の表情が見えないが、声の感じからあまり機嫌はよくなさそうだった。

「君はどこに行くつもりなんだ?」

 返答はなかった。

 しばらくして、着替えの済んだオズ君が部屋から出てきた。見たことのない上下だったので、自分で買ったものだろう。でき損ないの雪だるまを連想させた。

「朝食はどうする」居間に戻りながら言う。「食べるのなら用意しよう」

「重要参考人てやつですか?」オズ君が言う。ソファに腰掛けた。「取り調べとかしたらどうです?」

「君は口を割らないだろう」正直に言うことにする。「それに、私は取り調べが苦手だ。拷問になる」

 オズ君がぷ、と吹き出した。

「笑わないでくれ。気にしているんだ」

「顔もそこそこ、いいえ、相当怖いですしね」オズ君が大げさに腹を抱える。「拷問になっちゃうんですか? ひどいですね、ケーサツのくせに」

「拷問の件は忘れてくれ。ところで朝食はどうするんだ?」

「え、料理とかできたんですか?」オズ君が疑り深い目で見る。「てゆうか、もう朝食っていう時間でもないでしょう。それに、あんまり構わないで下さい。いままでだって放っておかれてたんですから、いまさらそうゆうのは」

「笛、というのはなんだね?」

 オズ君はついさっきまで寝ていたことになっているが、そうではない。

 フライングエイジヤのサイトの更新をしていた。ビャクローよろしく、サイトを見張っていたので知っている。

「ハメルンの笛というのは」

「やっぱ見てましたか」オズ君がケータイをポケットから出す。「実は管理者権限でアクセスできないようにできるんです。でも、そんなことをしても端末を変えさえすれば見れますのでいたちごっこなんですけどね。安心して下さい。意味がないのでしませんよ」

「質問の答えが聞きたい」オズ君の向かいに座る。隣に座るのは勇気が要る。

「聞いてどうします?」オズ君はケータイをいじりながら言う。「笛ぶっ壊しますか?」

「壊せるものなのか」

「さあ、どうでしょうね」

 触れてほしくない話題なのか、オズ君はそれきり黙ってしまった。熱心と片手間のあいだでケータイを操作している。更新状況は課長も追ってくれているので、何か著変があれば私のケータイがメールを受信するようになっている。

 メールは来ない。サイトの更新ではなく、個人的なやり取りか。

 誰と?

「だいたいですね、僕をどこへも行かせたくなかったら、こんな生ぬるい監視なんかしないで、両手両足縛りつけて、ケータイもPCにも触らせずに拘束しておけばいいんですよ。頭使いましょうよ。時間の無駄ですって、こんな」

 課長にはそう提案された。

 私が断った。

「阻止なんかできませんよ」オズ君がケータイ画面から顔を上げる。「僕は確実にあなたの目をかいくぐっていなくなります。予言します」

「させないさ」

「やってみろってことですか?」オズ君が皮肉っぽく笑う。「こんなガキにしてやられるわけないって? いいですよ、勝負ってことですか」

「違うさ」私は首を振る。「君は自分の意志で、ここに残ることを選ぶよ。予言する」

「それは自信ですか?」オズ君が言う。不快そうに眉を寄せた。

「いや、願望だ。それに君を監禁したとして、君は何らかの方法でそのサイトでお仲間を呼んで君を救出させるだろう。私としては自分の家に知らないクソガキを招きたくない」

 オズ君が馬鹿にしたように鼻から息を漏らした。すべてお見通しなのが不快なのだろう。

 見通したのが他ならぬ私なら鼻にもかけようが、残念ながらこうゆう先読みは課長の専売特許なので。要は課長は、自分で提案した案を自分で否定しにかかった。

「ああ、それで」オズ君が言う。「僕をこうやって人道的に監視するために、あなたは2週間僕と家族ごっこをしろと命令が下ったってわけですか」

「その通り」まさにその通り。「君はただの囮で、首謀者で、扇動者で、先導者で、それでいて私のなによりも大切な人だ。みすみす命を危険に晒すようなことはさせない」

「今度は決意ですか?」オズ君が言う。口調に棘がある。「僕が自殺するって? それとも人でも殺すって? そうだ、あの女、どうなるんですか? ぜんぶ知ってるんですよ」

 故意に黙っているつもりはなかったが、敢えて言う必要もなかった。

 問われても、私には。

「君と母親は別人だ。もちろん、死んだ父親ともね」

 知らないのだ。

 実を言うと、私はオズ君以外のことはほとほと興味はない。

「誤魔化さないで下さい」オズ君の声がちょっと上ずった。「僕は目撃させられたんです。見てるんです。眼玉抉り出されたクソジジイが分解されるとこを」

 死んだ元上司だが、私と別れたあと、家電量販店からの帰り道、串字路修真の標的にされ別宅マンションまで追跡。あの下衆な男のことだ、串字路修真がパンダを脱いでいたのなら無条件で自宅に迎え入れる。そこを一突き。痛みでのたうち回っていたところに妻というかオズ君の母親が乗り込み、とどめを刺す。

 時間軸的には、そのあとの出来事だ。

「君はビャクローに攫われたんだろう?」

「ビャクロー?」オズ君が眉をひそめる。「ああ、あの白い」

「君が言いたくないならこれ以上は聞かない」私が聞きたいのは。「ビャクローの近くに、黒髪の男がいたと思うが」

 オズ君の表情が一瞬遠ざかった。のを見逃さなかった。

「オズ君?」こちらに引き戻す。

「聞きたいんですか?」なんとか眼が合う。「僕が何されたのか」

「すまない。そういうことじゃない」聞きたくなんかない。

 見たくだってなかった。

 課長のせい。いや、もたもたしていた私の落ち度だ。人のせいにするな。

「別にいいですよ。僕の体なんかもう手遅れなので」

 自分で話題を出したとはいえ、やめておけばよかった。私にとっても、オズ君にとっても気持ちのいい話ではない。

 場面と思考を切り替えるために、コーヒーを淹れる。オズ君の分も作ってソファに戻る。

「よかったら飲むといい」

「変な物入れてないなら」とは言いつつ、オズ君はカップをだいじそうに両手で持ち上げる。「ブラックです?」

「すまなかった。気がつかなかった」オズ君の甘党な舌にブラックは厳しいだろう。「何が要る?」

「飲みやすくなるなら何でも」

「どれでも使うといい」砂糖とミルクポーションをテーブルに置く。

 オズ君は一つ入れては味見し、また一つ入れては味見し、仕舞いには手づかみで持って来れた分をすべて混入してしまった。それでは市販のコーヒー牛乳と大差ないだろう。あれはコーヒーでもなんでもない。コーヒー風味の牛乳入り砂糖水だ。

「美味しいですよ?」

「君がいいならそれで」

 オズ君が飲み終わるまで待った。特に突き詰める話題が見つからなかったとも言う。

 窓の外が見えた。雪は降っていない。

「なんですか? 出掛けるんですか?」オズ君が私の目線に気づいた。

 どこへなら。

 私と一緒に行ってくれる?

「笛のことなんですけど」オズ君がおもむろに言う。「笛なのかよくわからないんですよ。なんか、すっごく疲れたりすると見える蜃気楼みたいなもんで。幻聴?なのかな。あの、これって治りますか?」

 行き場所が決まった。

 頼むから、未成年に見せられるまともな格好で出迎えてほしいものだが果たして。

 文葦学園は、オズ君は入れるが私は入れない。オズ君だけを預けるわけにいかないので、どこか別の場所を。

 先生のもう一つの顔とやら。なんといっていたか。研究所。

「行ってもいいが私はそこにいないぞ」先生が電話口で言う。「痛たたた。病室を抜けだしたことがバレてちょっとした閉鎖的環境に置かれてしまった。ああ、電話は気にしなくていい」

「つまりはどこにいるんだ?」

 先生のマンションは、私の家からさほど離れていなかった。軽々しく住所を教えてくれるとは思っていなかったので拍子抜けしたが、死んだ上司と同じだろう。別宅。

 既婚者で子どももいるそうだが、こちらも上司と同じか。別宅を構える理由は異なるだろうが。なんだろう。不倫?

「セカンドハウスに別の男を呼ぶほどの無神経さは私にはない」先生は私の顔を見るなりそう言ってロックを解除した。エントランスモニタ越しでもわかるらしい。

「女の先生?」オズ君が顔をしかめる。

「問題があるかな」道すがら先生のことは紹介してあったが。「そうか、性別は言っていなかったな」

 女性に何か潜在的な嫌悪感があるのか。母親のことが重なるのかもしれない。

「精神科って聴診器使ったりします?」オズ君が小さい声で呟く。

 エレベータで上へ。先生の家は17階だそうだ。

「君が不快に思ったらすぐにやめさせる。それでいいかな」

 オズ君が小さく頷いた。

「なまじ不倫相手より頻繁に会うじゃないか。入ってくれ」先生は腹部を押さえながらドアを開ける。

 白衣姿ではないのと髪を緩く結わえてあったのとで、視認に多少時間がかかった。丈の短いスカートというより、丈の長いセーター。脚を露出しなければいけない呪いでもかけられているのだろうか。

 ところで、やはり不倫か。

 ワンフロア丸ごとなので相当に広い。天井も高く、窓が大きいので開放感がある。オズ君が小さい声で感嘆をもらしていた。

「大したことはない。何もしないときに来る家だからな」先生は窓際のソファに横になった。「すまないが、いまのでなけなしのエネルギィを使い果たした。茶は各自で都合をつけるように」

「構わない。いつも急に都合をつけさせてすまない」私は先生の頭側のソファに座った。脚側だと見たくないものが見えそうだった。「紹介する。この子が電話で言っていた」

「ほお」先生の眼球が、オズ君を頭のてっぺんから爪先までスキャンした。「大王。言いたくはないが、ただの犯罪だと思うがな」

「僕もそう思います」オズ君が食い気味で同調した。「はじめまして。あの、先生、お願いがあるんですが」

「ん? なんだ。名乗る前に随分と不躾じゃないか。気に入ったぞ。言ってみるといい」

「僕は近々名前を変えるつもりでいます」オズ君が言う。「なのでここでその名前を名乗っていいですか?」

 先生が若干虚を突かれた。ように見せただけかもしれないが。

「いいですか?」オズ君が言う。表情は真剣だった。

「大王。なかなかの逸材じゃないか」先生が私に視線を寄越す。「成長が楽しみだな。いいぞ。その名前とやらを聞こう」

「トヲルです。くえいまく・トヲル」

 久永幕 透と書くらしい。オズ君がメモ用紙を見せてくれた。

 そして私の隣に座った。

「付けた名前に意味なんか込めるのは親くらいのものだ」先生が体を起こす。「痛たたた。私の紹介がまだだったな。瀬勿関せなせきだ。専門は精神科ということになっているが、本当はここの解剖だ」自分のこめかみをつつく。「うちの学校に来る気はないか。聞くところによると、そこの現役未成年略取公務員以外の身寄りがないらしいが」

「学校?」オズ君が私を見る。「ああ、もしかして。僕も行けるんですか?」

「入学条件になんら不備はない」先生が言う。「君自身が拒む以外はな。私はそこの校医でもある。君が入学を決めてくれさえすれば、私は晴れて君の主治医になれる」

「主治医にならないと話ができないんでしょうか」オズ君が言う。

「君は治療を望んでいる」先生が言う。「治療は契約関係だ。治したい君がいて、その手伝いをする私がいる。この関係が信頼以外の関係を結んでしまうと、治療というのは得てしてうまくいかない。君が私を信用できるかどうかは、君の自由だ。私側で君を信用させようとか、そういった裏工作は一切しない。したところで君は気づくだろう? この裏工作も治療の妨害にしかならない」

 先生はもしかすると、本当は名医なのかもしれない。なまじ外見が過激すぎるだけで。

 私がそう思いたいだけか。

 オズ君の内面を私以外に晒させる大義名分を探しているだけかもしれない。

「まぁ、この裏工作を君に気づかれないところで自然にやってのけるのが精神科医の特技なんだがな。こちらも商売なんでな」先生は自嘲気味に嗤う。「入学を決めかねているのならここでの会話に治療効果は望めない。そう思って足を運んでくれたのなら悪いが、過度に期待をさせても本意でないのでな。そういう前提条件の下でなら話を聞こう」

「治療代も自分で稼げないガキに、まともに取り合ってやる時間なんかない。そういうことですか」

「私は頭のいいガキは好きだがな」先生が言う。「わかった。君の賢さに敬意を表し今回は特別に、治療代はそこの人攫いに出世払いでつけておくことにしよう。奴にはぐんぐん出世してもらってやらせたいことが山ほどあるんでな」

 なるほど。先生側にも一応の理由付けが必要なのだろう。そうでなければ、何が悲しくて勝手に先生の下僕らしき地位に内定していなければならないのか。

 まずい。その可能性は大いにある。

「大王」先生が私に目線を寄越す。「こんな活きのいい上玉、どこで拾ってきたんだ? 電話をもらったときは、倒錯しきった性癖を一体どうやって矯正してやろうかと策を練っていたが、私の認識が多少穿った傾向に合ったことをここで詫びよう。大王、こいつは間違いなく化ける。ガキ相手にここまで高揚するのは久しぶりだ。絶対に手を離すなよ」

 窓の外くらいしか見るものがなかった。

「世間体と全面戦争も辞さない15も歳の離れたこの非常識な関係を祝福しているんじゃないぞ? 勘違いしてもらっては困るな」先生が言う。「大王が不要と判断した時点で、このガキは私の実験材料として研究所で飼い殺すことにする」

 冗談じゃない。先生を睨みつける。

「と、まぁここまでが前置きだ」先生は私の視線をいなしてオズ君を見た。「君が悩まされている幻聴とやらについて聞く前に、私も三つほど質問がある。交換条件というわけではないから、言いたくないならそう言ってくれれば打ち止めする。いいか」

 オズ君が頷く。

「一つ目。殺された父親について君がどう思っていたか。二つ目。君を庇って現在取り調べ中の母親について君がどう思っていたか。三つ目」先生はそこでわざと私を見た。「君と生涯を添い遂げようとしているそこの男について、君がどう思うか」

「私は席を外したほうがいいのか」オズ君に聞いた。

「眼を離すなっていう命令でしょう?」オズ君が溜息をつく。「それに、どうせこの部屋を出たところで別室でモニタするんでしょう? 裏でこそこそ聞かれる方が不快です。聞かれて困るようなことなら言いません」

「だ、そうだ」先生が言う。「大王、大方取り調べが拷問になるから何も聞けずにいたんだろう。いい機会じゃないか。私に恩を売ったと思って、そこでじっとしているといい」

「いいのか」私が聞いても。

「聞きたくないんですか?」オズ君が言う。

「そうではないが」

 一つ目と二つ目はいい。大方想像がつく。

 問題は三つ目だ。

 公開処刑だろう。おそらくオズ君は嘘を言わない。嘘を言うくらいなら、きょに当たるじつの周辺事項ごと伏せる。

 まだこの日の高いうちに、Xデイを前にして。

 私に死刑宣告をしようとしている。

「早くも解離か、大王」先生が言う。「そんなことでこいつをどうにかしようと思っていたのか? 不倫中の私が言ったところで説得力は皆無だが、そいつの全部を背負う覚悟なしにこの先一緒にいようだなんて思うなよ」

 オズ君の全部を背負う覚悟。

 あるか、ないか、ではない。そういう単純な話ではない。

 覚悟はあるのだ。

 私が恐れているのは。恐れている?

 何に?

 オズ君に嫌われることか。それだ。

「絶対安静なんて退屈な日にいい暇つぶしがのこのこやってきてくれて感謝している」先生は腹部を押さえながら身を乗り出した。「さあ、話してくれ。順序を間違えるなよ。1から順に頼む。この順番でなければ君はカタルシスを得られない。言い換えよう。この順に開示しなければ君は救われない。遠慮なく私の手術台に載せてくれ。原形を留めないほど、バラバラに解剖してやろう」

 オズ君の幻聴とやらの笛の音は、成育歴に関係するものなのだろう。

 敢えて調書ではなく、オズ君本人の口から開示させる理由は。

 ほどなくわかる。

 先生は、オズ君の治療を始めた。

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