第4話 熊猫とサブエキスパンダ

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 ホワイトタイガーもといビャクローの身柄が野放しになっている以上、ブラックパンダもとい汎唾来知路はんつばきトモジもとい串字路修真くしじろシュウマだけにすべての罪をなすりつけて事件ごと封印してしまうのは、対策略的性犯罪非可逆青少年課・課長にとって非常に危うい橋だと思われる。連続眼潰しもとい眼抉り殺人事件はまだ終わっていない。

 すでに別の戒名にすり替わって、いままさに起ころうとしている。

 それが何なのか、見誤る前に先手を打つ必要がある。逆に言えば先手を打てるのは、現在のところ幸か不幸か私しかいない。

 私の所属に殉ずるのなら上司に報告して然るべきだが、私はもうあの男の下で誰の都合ともわからない通称カツブシに属する意味も見失った。

 院長と教授はとっくにご存じだろう。電話がつながらないということは、そういうことだ。あの二人に同じ事象を二度もなぞる無為な時間などない。

 昼も過ぎて昨夜の雪の名残はほぼ消えた。ただしそれは、人通りがあって雪かきが望める街中だけに当てはまる。郊外の路面はいまだ白い部分が多かった。

 文葦学園。顧問医はここにいるだろうか。

 鉄柵の脇に呼び出しブザーがあった。カメラ付きの。

「始末書の追加なら理事長にしてくれ」顧問医の声がした。

 まだブザーは押していないが。

 鉄柵の上にカメラがあった。私はそこに向かって頭を下げる。

「先生にしかできない内密な話があって来た。入れてもらいたい」

「断る」食い気味で返答が来た。「昨日の今日でまだ懲りていないのか。女になって出直せと理事長に散々釘を刺されなかったか?」

「では外に出てきてくれ。すでに昼食が済んでいたら申し訳ないが、どこか二人きりで話ができる場所で」

「生憎と間に合っている。だいたい、昨日の片付けがまだ済んでいないというに。痛たたた。傷だってまだ」

 夜のうちに現場検証という名の隠蔽工作は済んでいる。理事長の催促と課長の手回しで。理事長が配慮したのはここで暮らす少女たちの精神面だが、課長がしたのは証拠隠滅と因果関係の捻じ曲げ。

 被疑者が飛び降りた痕跡は、もう何も残ってはいない。

 とすると、押し付けられたのは書類上の後始末か。顧問医も腹部を刺された。

「傷の件はおだいじにとしか言えないが、アポを取りたい。今夜にでも。急いでいる」

 失笑の音がした。

「しつこい男だな」顧問医が言う。拒絶の印象はなかった。「子持ちの既婚者に夜を空けろとは、なかなか言うじゃないか」

 子持ち?既婚者?

 あの外見で?

「確か理事長から聞いた内容によれば、君の好みは、もっと年端もいかないクソガキだそうだが」

「身体に用はない」私が用があるのは。

 回線が乱暴に切れた音がした。

 鉄柵の向こうに顧問医の姿が見えた。携帯電話を耳に当てている。

 私の電話が鳴った。

「この躯に用がないだと? 大王。後悔と謝罪は早いほうがいい」

 私が電話に出るなり顧問医は挑戦的な眼つきを向けた。

 相変わらずの、過激な身なりで。

 腹部の傷は表からはわからなかった。

「何故番号を?」

「聞きたいことはそんなことか。三つしか答えないぞ」

「ここでは言えない。アポを」

 上司は聞こえていないだろうが、課長と理事長に聞かれるわけにいかない。

 電話がメールを受信した。

 住所。

「何故知っている?」

 なんのことはない。私の住所だ。

「だいじなクソガキは無事か」顧問医が言う。

「言う必要がない」

「そのことじゃないのか」顧問医が電話を切って鉄柵に近づく。「どこで話そうが私がいる限り理事長には筒抜ける。私自身に盗聴器が仕掛けられているという可能性を考えなかったのか」

 雪が落下する。

 外灯から落ちた。私の後方での出来事だ。

「正直私も手をこまねいている。さすがにこれは度を超えている。強制されて命とひきかえにやらされているのならまだしも、これが唯一絶対の解法だと自分の頭で考え抜いたうえでがむしゃらにひた走っている。視野狭窄の極みだな」

 なんの、

 話だ?

「大王が助けたいのはクソガキの現在いまか? それとも未来か?」

 現在に関してはうまくいっているとは言い難い。過去はどうにもならないとしても、せめて未来くらい。

 違う。

 私が、なんとかしたいのは。

「過去から未来に至るまでぜんぶだ」

 顧問医が一歩前に出ると、鉄柵が開いた。そこにスイッチがあるのか、白衣のポケットに開閉ボタンがあるかのどちらか。どちらでもいい。

 とにかく、鉄柵は開いた。

「誰が入っていいと言った」顧問医が門の外に出ると鉄柵はまた元通り。「車で来てるんだろ? 密談と行こうじゃないか」

 顧問医に案内されたのは、明らかに如何わしいほうのホテル。今日はこんなところばかり来ている気がする。

「経費で落ちるだろうか」

「冗談にしては切羽詰まっていやしないか」顧問医が持参した鞄の中身を吟味する。赤と黒と紫が見えた。「覗いてくれてもいいが、大王の趣味とはかけ離れているぞ」

 衣擦れの音がして気が遠くなる。見えない角度のソファに腰掛けた。

「万に一つも大王を襲おうだなんて考えてはいないさ。いわば儀式だ。私のもう一つの肩書を披露しよう」

 理事長といい、女はみんな表と裏の顔があるらしい。

 オズ君もいずれそうなるのだろうか。あまり考えたくはないが。

 ゲーム機とモニタ。炬燵の後ろの本棚にはコミックスが1巻から順に並んでいる。若者集客のための工夫だろうか。

 床暖房のお陰で足は熱いくらいだが、なんとなく炬燵に引き寄せられる。

 あたたかい。

「待たせたな。構わんぞ」

 見たほうがよさそうだったので視線を向けたが、早々に後悔した。そうか。後悔とはこういう意味か。

 顧問医は、あられもない下着姿で、直に白衣を羽織っていた。妙に大きなベッドで脚を組む。色は赤を採用したようだった。見事に紅白。

「新年だからな。おめでたいだろう」

 それは先生の頭だろう、とは返さずに。「名前を聞いていなかった。紹介が遅くなってすまない。対策略的性犯罪非可逆青少年課の」

 腹部の大きなガーゼに目が行く。黒い血が滲んでいる。

「知っているさ。わざわざ名乗ったのは大王なりの誠意と採ろう」顧問医は肩にかかった髪を白い手で払う。「文葦学園顧問医をしている美人過ぎる先生は、瀬勿関せなせきだ。国立くんだて更生研究所で副所長を務める研究熱心な精神科医は、瀬名せなという。呼び分けに気をつけてもらいたいものだな」

「先生と呼べばいちいち分ける必要もないのでは?」

「なるほどな。それも一理ある」先生が頷く。たったいま気づいたかのような反応で。「まぁいいさ。理事長つまり祝多のもう一つの顔を知っているか?」

「三つ目ということか」

 一つ目、祝多出張サービス店主。

 二つ目、私立文葦学園理事長。

「人体コレクタ兼アーティスト」先生がそこで一拍置く。息を吐いた。「アングラなマニアにはそこそこ有名でな。作品はそれこそ億の値が付くらしい。名を、舞飛椿梅まいひツバメという。3年に一度、県を挙げての芸術の祭典とやらがあるだろう。県内の有名施設、美術館と地下街、シャッター街の復興まで盛り込んだ予算付きの公共事業だ。そこにかつて出展されたことがあったんだが、開催初日にまさかの公開中止をやってのけた、話題をかっさらった曰くつきの問題展示を創った張本人でもある」

 まさか。

「ホンモノを使ったんじゃないだろうな」

 公開中止程度で済んでよかったと言えるのか。自治体主体の祭典自体も次回以降開催が危ぶまれる。いや、国内の美術業界全体のモラルが問われる。

 違う。惑わされるな。

 ただの犯罪だ。死体損壊。

「大王は頭がよくて話しやすい。間違いなく長所だ。誇っていいぞ。私が保証しよう」先生が乾いた拍手をする。「とにかくだ、祝多は人間を活きのいい材料ぐらいにしか思っていない。これには賛成も反対もする気はない。問題はその材料をどうやって手に入れているか。何を材料にしているか。これでは語弊があるな、言い換える。材料となる人体は、何を基準に選ばれるか」

「知りたくもないが」

「まあ聞け。気持ちのいい話ではないがな」先生は脚を組み直す。「すまない。気が回らなかった。何か欲しいならそっちに冷蔵庫がある」

「私が運転だ」

 特に不要と伝えたつもりだったが、大げさに傷の痛みを訴えられる。平気そうにしているのですっかり忘れていたが、昨夜穴を空けられたばかりだ。炬燵から出たくなかったが仕方ない。

 奥に簡易キッチンがあった。ますます何のための部屋なのかぼやける。冷蔵庫もビジネスホテルなんかにある小型のものではない。ソフトドリンク、アルコール、つまみ。常温保存が利くものは戸棚に並んでいる。

「なぁに、面倒な調合は一切不要だ。水を頼む」

「どうぞ」先生の伸ばした手にペットボトルを持たせる。

 強く、

 引っ張られた。

 ベッドに仰向けに倒れる。

 最初に見えたのは天井ではなく、先生の胸部。

 騙された。

「傷が開くぞ」

「来て早々炬燵に入っているのは抑えきれない肥大化を隠しているものとばかり思っていたが、大王。本当に筋金入りだな。私のこの扇情的な肉体に何の興奮もなしか」

「万に一つが起こっているようだが」下半身をまさぐる手をつかむ。「話を続けろ」

 ガーゼが私のシャツにこすれる音がする。

「死んだほうがいい人間なんかいくらでもいる。私はそいつらを何百人何千人と見て来た。だがな、祝多のその基準だけは、賛同しかねる。あいつは、一番やっちゃいけないことをやろうとしている」

 重い沈黙が降って来る。

 先生はそこまで重くはなかったが、退いてくれる気がなさそうだったので目線のやり場に困る。

 谷じゃない。渓谷だ。傾国への警告。

 ギャグを飛ばしている場合ではなく。

「そのやっちゃいけないことに」オズ君も関わっているのか。

「15日にガキがごっそり消える」先生はようやくベッドに座る。「生憎と私は医者なんでな。人間を生かすことに関して他の追随を許さないほどの知識と経験があるが、その反面殺すとなると一切の策を持たん。倫理とか免許とか、そんなちゃちなものにこだわっているのではないぞ。あいつを殺す以外のことなら何だってするさ。それこそ、なんでもな」

 先生にはできない。したくない、と。そういうことらしい。

 ペットボトルが床に転がる。蓋は開いていない。

 先生が落とした。顔を伏せて項垂れる。

「それ以外に方法が浮かばん。浮かばんのだ」

 ペットボトルを拾ってサイドテーブルに置く。自分の分の水を一口飲む。

 そのくらいの時間が必要だった。

 炬燵に戻る気が起きなかったので床に座る。

 考えろ。

 ビャクローの狙いは、串字路修真を何者かに差し出すこと。

 オズ君の狙いは、クソガキたちを集わせてどこかにいなくなること。

 祝多イワンの狙いは、クソガキを材料にすること。

 先生の狙いは、祝多の狙いを阻止すること。

 串字路修真の狙いはなんだ?

 このまま大人しく捕まっているとも思えない。いまは拘留中かもしれないが、処遇が治療に切り替わったら、再度繰り返す恐れがある。

 ビャクローのだいじな人は、祝多なのか?

 まだ他に、手に入れていないパーツがないか。

「課長と店主はグルか」

「勘違いしてもらっては困るな」先生が顔を上げる。特に化粧は崩れていなかった。「あれは課長なんていうお偉い代物じゃない。私の実験材料だ。祝多がどうしても手元に置きたいとうるさいから貸し出した。期限付きでな」

 とすると、対策略的性犯罪非可逆青少年課というのは、そもそも。

 課長の管理下にはない。

 誰の、意思の下で動いている?

「大王。知らなくていいことを知ったな。その代償は、偉くなって償ってもらいたいものだな」先生が私の顔を覗きこむ。ベッドに座る先生が、私の前で屈む姿勢となる。「例えば、対策課の活動を名目ごと保護できるくらいの最高権力あたりが望ましいが。どうだ?」

 対策課?

「ん? 呼び名か? 長いだろう? このほうが短くて言いやすい。反面、本筋がぼやけてそもそも何を対策しているのかわからなくなる。お誂え向きだろう?」

 対策課か。

 いいかもしれない。噛まなくてよくなる。

 電話が鳴った。

 こんなときに、と思ったが、上司からだった。

「出ても構わんぞ」先生が言う。「私に隠し事なんかできると思うな」

 そうか。定期報告。

 催促の電話は珍しい。だいたい上司の中では事件は終わっているはずだ。私の完璧な報告書を見れば、誰だってそう思う。

 それとも、めでたく対策課が潰れたから手柄自慢か。

 その線が濃厚だ。

「やはりこの番号は君か」知らない声だった。

 表示上は上司の番号なのに、知らない声が喋るということは、

 そういうことなのだろう。

「いつですか」

 上司が死んだ。



     2


 翌日葬儀が行なわれたが、棺の中に上司は入っていないとのことだった。

 ではなぜ死んだことがわかったのか。

「ご丁寧にもね、ケータイに記録が残ってたらしい」課長はさも見て来たかのように言った。実際に見て来たのかもしれない。

 課長は私と違って葬儀に参列した。急ごしらえの遺影の代わりにその動画の上映会があったのかもしれない。

 私が遺族だったら、八つ裂きにしている。

「殺される一部始終がね」課長は聞いてもいないのに続ける。

 とてもコーヒーを飲む間の世間話には思えないのだが。

「飲んだら帰ってや」店主が私を睨んでいる。

「そんなことをして、犯人に何のメリットがあるんだろう」課長の話は止まらない。「むしろ動画解析班によって足がつく。見つけてくれ、或いは見つけてみろこのバーカくらいの意味合いだ。僕だったら動画撮影より一目瞭然の死体を置いていくけど、どう?」

 動画できちんと殺されている一部始終が映っているのであれば、実は死んでいないという可能性は消える。人質にするだけの価値は上司にはない。

「死体自体が目的かと」

「僕もね、そう思った」課長が言う。「てことだけど、なんか心当たりはない?」

「アチに聞くん?」店主が気だるそうにコーヒーをすする。

 私もそう思った。

 課長は、店主の正体を知っているのか?

「君の専門でしょ」課長が何の気なしに言う。

「アチがやったと思っとるの?」店主がカップを置いて課長を睨む。「アチのアリバイはあんたが一番わかっとるはずやけどな」

「それなんだ。死亡推定時刻というか動画撮影時刻、君は僕と一緒だったんだよね」

「改竄可能では?」

「残念。改竄の跡はないってさ。動画解析はとっくに済んでる」課長が両手を挙げる。降参の合図だろうか。「殺された場所もとっくに検討がついてて、とっくに鑑識が向かってるよ」

 鑑識が行ったところで、ああ確かにここで死にましたねという確認程度しかできないだろう。

 ビャクローがやったのなら、何も残さない。残っていない。

「君の本当の上司だったんじゃないの? よかったの?お葬式」

「死んで偉くなりすぎて私の上司ではなくなったので」

「そりゃいいや」課長が笑う。「これからどうするの? 正式に僕の部下になる?」

「アチは認めんで」店主が言う。

 新上司は付かない。挿げ替える首がいないのではない。

 通称カツブシは、事実上廃止だ。

 部外者の課長にだってわかる。そういう意味だろう。

 適当に理由をつけて祝多の店を出る。店というより祝多の住居だろう。課長も同居している可能性だってある。

 どうでもいい。

 今日は少し冷える。風もきつい。雪は降らないといいが。

 葬式は、出る気にならなかったというより、遺族に会いたくなかった。

 オズ君の母親。

 怒りで遺体を増やしかねない。

 オズ君は、知っているのだろうか。

 Xデイとやらまで、どこで暮らしているのだろう。

 私以外の、という妄想をかき消す。

 オズ君の父親が死んだ。

 これで母親も死ねば、という妄想も蹴散らす。

 そうではない。そうではないのだ。

 私が求めているのは、養子縁組ではない。

 車に乗ろうとしたら、課長から電話が来た。用があるならさっきのうちに言ってくれ。

「まだ近くにいる?」課長の声は深刻だった。

 何か、

 あったのか。

「眼潰し死体が増えたよ」

 嫌な、

 予感がした。

「場所は?」車に乗り込む。

「被害者のことは聞かないの?」課長が言う。

「一人しかいない」

 上司だ。

 やはりビャクローがやった。

「お葬式やり直しとかってあるのかな?」課長が皮肉を言う。

 遺体発見現場は、上司の別宅マンション。動画を解析して鑑識が向かった先だった。鑑識が調べ尽くすまで葬儀を待てなかったのだろうか。

 喪主にとってはさっさと死んでくれたほうが都合がよかった可能性。殉職後の遺族への手当か、そもそも不仲。両方か。生きていてほしいと願うなら、葬儀などしたくないだろうから。

 マンションのエレベータホールにいた制服に身分証明を見せようとした矢先、捜査一課のあいつが目線で合図した。裏口から出て植林の陰に移動する。

「だから俺は早まるなつったんだ」指揮系統の未熟さを嘆いている口調だった。

 相変わらず自動運動で煙草を咥えようとしているので睨みつける。

「あいあい。ここは寒くてかなわんな」

「そちらの態度次第だな」早く終わるかどうかは。

「相変わらず容赦ねぇな」彼がコートのポケットに手を入れる。「ありゃ、そういや俺の手帳」

「これか」あのとき借りたままだった。「すまない。記憶を引っ張り出すことになる」

「ひでえな。俺の記憶よか殴り書きのが頼りになるってか」彼が手帳をひったくる。「知りたいこたなんだ?」

「どこにあった?」動画解析が早々に終わっていたにもかかわらず、鑑識が調べ尽くさないと発見できなかった場所とは。「目玉はまだか」

「お前さん、昼食は?」彼が首を振る。「俺はさっき食った分すっかりおじゃんだ。久しぶりにいいもん食えたときに限ってこれだよ。ったく」

「バラバラか、ミンチか」

「言わんでいい」彼が口を押さえる。

 おかしい。課長は眼潰し死体と言った。

「首から上は無事なんだな」

「お前さんは脳と胃袋がつながっとらんのか」

「つながっていないほうがおかしい」

「物の例えだ。冗談の通じん奴だな」彼は息を吐く。白い呼気が消える。「俺は別の奴の仕業と思うがな。目玉がたまたまなかっただけで。他はまったく別の手口で」

 私服捜査員が彼を探しに来たが、気分が悪いからしばらくここにいさせろと言って追い払った。私の姿は植林の陰で見えないはず。

 首から上が無事で、眼玉がなくて。

「首から下は?」

「捜索中。まだ見つかっとらんよ」彼が口を押さえながら言う。「残ってても原形留めとるかどうか。こっから上は冷蔵庫。目ん玉の代わりに別のタマ嵌まってて。口ん中にナニがな」

「何?」

「いちいち拾わんぞ。それとミンチがな、こう、調理中だった。うえ…」

 ビャクローじゃない?

「被疑者は?」身柄がどこにあるのか。

「は? しっかりしろや。お前さんとこの預かりじゃ」

「本部じゃないのか?」

 まさか。

「どうゆうこった?」彼が首を傾げる。「そいつも含めてお前さんとこが出張ってきたんじゃ」

「邪魔した」

「おい。まだ話は」

 呼び止められて止まっている場合じゃない。

 車に戻りがてら電話をかける。

「遅かったね」課長はすぐに出た。「汎唾来知路ちゃんというか、串字路修真ちゃんなら学園に戻ったよ」

「全身拘束か、鍵のかかる部屋にいるのなら用は済むんですが」

「彼女はやってないよ。あの子にはやれない。あの子には、眼を潰すことしかできない。4人死んでて、眼は全部返ってきている。これの意味がわかる?」

「真犯人をおびき出す生き餌」

 空気が膨張する感覚。

「お腹に穴空いてるのに病院抜け出しちゃった美人精神科医と、如何わしいホテルで密談してた内容が聞きたいんだけどなぁ」課長が言う。「それとも、真犯人と思しき少女となんか取引してたんじゃない? 上司にはしっかり報告しようよ」

 この人は、どこまで。

「僕を味方にしたほうが都合がいいと思うけどなぁ。早く僕に最新情報を伝えてまともな捜査方針を立てさせないと、無能な一課の馬鹿どもは、被害者の娘(現在行方不明)を捜しに行っちゃうよ?」

「課長。あなたの権限は、私の元上司より上ですか?」

「対策課は潰させないよ。君みたいな畑違いの新人には、この価値がわからないさ」

 先生の言っていたことと矛盾する。

 どちらが正しい?

 どちらを信じる?

「ご存じだったんですね」対策課という略称。

「当たり前だよ。考えたの僕だよ」

 誰を信じて誰を疑えばいいのか。

「まだ店ですか」

「うん。理事長には席を外してもらってる」課長が言う。「今がチャンスだね。面白いものを見せてあげられそう」

「元上司の下半身じゃなければ何でも」

「それも含めて」課長が言う。「君のだいじなあの子の居場所、知りたくない?」

 雑居ビルの3階。祝多出張サービスという如何わしい表札を横目にドアをノックする。

「おかえり」課長が出迎えた。「てゆうか、さっきのうちに気づいて追及してくれてもよかったんだけど。いろいろありすぎてちょっと思考が止まってる?」

 店主は確かにいなかった。

「こっち」課長が奥のドアを開ける。「君にしか見せないからね、黙っといてよ?」

 室内は暗かったが、壁全体が眩しかった。

 色とりどりの明滅。

 これら、ぜんぶ。

「いい顔をするね」課長が中央の椅子に座る。キャスターが滑る。

「正気か」

 防犯もとい監視カメラの映像だ。

「正気じゃなきゃこんなもの見れないよ。もともとは僕が見てたんじゃない、て言って信じてくれるかわからないけど」

 祝多だろう。

 課長にここまでできる後ろ盾はない。課長の強力すぎる後ろ盾が祝多なのだから。

「県内全域がここにいるだけで把握できる。悪いことはできないよ」

「本部は」

「知らないよ。知っているのは君だけ。念押すけど、絶対に口外法度だよ」

「冗談じゃない」暗くて課長の顔は見えなかったが首から上を睨みつけた。「冗談じゃない。こんなことをして、一体」

「どうしても守りたいものがあるんだ」

「方法が間違っている」

「どうしても守りたいものがある君ならわかってくれると思ったけど」課長が言う。どこか遠い国の言葉に聞こえた。

 カメラは適宜切り替わるようだった。モニターが何台設置されているのか目算でもわかりかねるほど無数。それでも県内全域の監視カメラの映像をここで出力するには、無数のモニターでは足りない

 モザイクもない。解像度もそこそこいいので、個人の特定は容易い。

 そうか。事件の発見が早かったり、妙に筋の通った推論を披露すると思ったら。

 ここで、ぜんぶ。

「見ていたのか」

「音声まではさすがにね」課長が後ろを向いてキィを叩く。「この期に及んで、プライヴァシィ云々じゃないよ。試しにやってみようか?」

 すべてのモニタから音声が出力される。

 音というより、

 思考と欲望の渦。

 無数の人間の無数の思いが脳を撹乱する。

 耳を塞いだところで無理だった。

 流れ込む。

 入って来る。

 やめろ。

 やめてくれ。

 私は、

 そんな人間じゃない。

 言うな。

 わかっている。

 私は。

 私が一番わかっている。

 歪んでいる。

 歪んでいるこの思考は。

 私がわかっているのだから。

「もういい」

 音声が消える。

 私は膝をついていた。

「頭がおかしくなるでしょ? 映像だけで手一杯さ」課長が振り返る。「だから教えてくれないかな? 君が瀬勿関先生から吹き込まれた入れ知恵と、真犯人の少女としてた取引の全貌をね」

 額の汗がひどい。周囲の映像に惑わされるな。

 これらすべて、ニセモノの可能性だって。

 いや、こんな映像のニセモノを作って何の意味がある。

 精々私を狂わせるくらいしか。

 それが、目的か。

「時間がない。わかってるんだろ?」課長が言う。「一課の連中は無能だ。君が最も望まないシナリオに書き換えられるよ」

「書き換えるのは」課長だ。

「そうならないためには、ほら。方法がまだ残っている。手遅れになる前に」

「信用できない」

 こんなモノを見せられて。

 違う。

 オズ君を救えるなら。

 違う。

 オズ君を、父親殺しという冤罪をなすりつけられないために。

 なんでもできるだろうか。

「強情だなぁ。わかった。僕も誠意を見せよう」課長が再びキィに触れる。「よく見て。ここがどこか」

 恐る恐る顔を上げる。

 何分割にもされていた画面が、たった一つの映像を出力する。

 どのモニタも、まったく同じ映像。

 昆虫の複眼を想起させる。

「オズ君!」

 思わず叫ぶとはこのことだろう。

 オズ君は、

 両手両足を拘束されて、

 どこか、

 天井の低い場所に閉じ込められていた。

 カメラの位置は天井。

「どこだ?」課長に言った。

 課長は黙ってモニタを見続ける。

「どこなんだ」

「どこだと思う?」課長が言う。他人事のようだった。

「教えろ」

「交換条件だよ。君が口を割る。君のだいじな子が助かる。事件が解決する。イイコトづくめだと思うけど」

 私は課長の上着の襟をつかむ。

「これはどういう意味?」課長が言う。

「言わないと殺す」

「だから、何度も言うけど、交換条件なの。僕は事件を解決したい。君は小頭梨英おずリエイちゃんを助けたい。お互いの利益を邪魔してないでしょ?」

 オズ君以外の姿が画面に映る。

 後ろ姿。

 黒い。

 黒い髪の。

 黒い服。

 もう少しカメラの角度が。

 いや、

 この黒髪の女は、

 カメラの位置をわかっている。

「先に言っとくけど、祝多は事件には無関係だってさ」課長が言う。「無関係だからこそ本腰入れてくれてるんだけど」

 白い。

 白い髪が、

 黒い髪にこうべを垂れる。

 その姿に、

 ひどく見覚えがあった。

「この白いのが一連の事件の犯人、連続殺人鬼だよ。て、知ってるよね」

「対策課はなんだ?」

「その質問は答えづらいなぁ」課長が言う。「君の元上司が潰そうとしてた理由が知りたいの? 無駄な公共事業だと思ったんじゃない? ところがどっこい、どこの自治体にも先駆けた、時代の最先端事業だってのに。民間と提携して、てとこより、被害者のアフターケアにこそ全精力が注がれていることに目を向けてほしいな。ぶっちゃけ加害者なんかどうだっていい。死んだっていい。再犯さえしなければ。そっちのほうは先生が担当してるんだけど」

「一番上は誰だ」

「知りたいの?」課長が言う。「ところで、そろそろ首が苦しいんだ。放してくれないかな」

「言え」更に強くつかんだ。

「僕なんか殺してる間にまずいことになるよ。ほら」課長の目線が逸れる。

 見なければ、

 よかった。

 声は、

 出ない。

 オズ君。

 課長を床に落として画面に。

 食らいついたところで私はその場にはいない。

 この距離が、

 この距離が私と彼女を隔てる。

 なんで。

 なんでこんなことに。

 二度も。

 二度も私は。

 オズ君を。

「時間がないのは僕だって同じだ。声、聞きたくない?」

 やめろ。

「交換条件だよ」

 やめろ。

 それだけは。

 もう嫌なんだ。

 なんで私が。

 なんで私は。

 いつも、

 いつも同じところで間違える。

 止めればよかった。

 帰るなと言えばよかった。

「言う気になった?」課長の指はキィの上で静止している。

 ほんとうに。

「教えるんだな?」場所を。

 いまさら行ったところで。

 いまさら言ったところで。

「僕の推測が確かなら、君の英断によって助かることが三つもある」課長が指を立てる。「一つ目、小頭梨英ちゃんの命。二つ目、小頭梨英ちゃんの冤罪。三つ目」

「あんたの命だ」

 課長が笑う。息が漏れる音がした。

「そう。僕はこんな所で殺されている場合じゃない。どうしても守りたいものがある。死んでたら守れないよ」

 課長の守りたいものはどうだってよかったが、ビャクローのだいじな人とやらを抹殺する必要が出てきてしまった。ビャクロー自体はそこまで不快ではなかったが仕方ない。

 わたしのだいじなオズ君を傷つけるのなら、それなりの処遇を覚悟してもらわなければならない。

 地獄で詫びろ。



     3


 拾ってきた少女は、私が寝たのを確認して私のすぐ傍らに寝転がった。

 私は眠っている。

 眠っているのだ。

 しばらくそうしていたが、飽きたのか、気が変わったのか、私の布団を剥いだ。

 剥いだところで何も面白くはないだろうに。

 布団を剥いで、少女はしばらく私を見ていた。

 何か見るものでもあったのだろうか。

 それからゆっくりと、私を起こさないように細心の注意を払って、私の上に乗ってきた。

 軽かった。

 少女なんか乗せたことがないからわからないが。

 降りてほしいとは思わなかった。

 乗っていてほしいとも思わなかった。

 何も、思ってはいけなかった。

 思ってはいけないはずだが、少女は目ざとく、私が何かを思ったことの証拠を見つける。

 それが目的だとしたらすぐに覚醒してやめさせるべきだったのだ。

 簡単だ。

 目を開けてやめなさいと言うだけでいい。

 言え。

 やめてほしいと。

 そんなことをしてほしいから拾って来たのではないということを。

 私は知っている。

 これが初めてではない。

 私が疲れて寝た頃を見計らって、少女は何度も同じことを繰り返している。

 もうこれは何度目かもわからない、数えていない、夢の中の行為。

 夢だ。

 これは夢だ。

 醒めなくていい夢だ。醒めてほしくない夢だ。

 夢の中では私はすべての罪から解放される。

 現実の世界と真逆だ。

 なにも、

 気に病むことはない。

 眼を瞑っていれば万事終わる。

 眠っていさえすれば。

 私は眠っていた。

 罪はない。

 罰もない。

 一通り行為を終えると、少女は私から降りる。

 少女の息遣いが残響する。

「起きてるんでしょう?」少女が言った。

 私は眠っているので返事をしない。

「知ってるんですよ。わかっててやってますので」

 私は眠っているので返事をしない。

「あなたが僕を捨てないように保険をかけてるんです」

 嘘だろう。

 私は眠っているので黙っている。

「実はあなたが初めてじゃないって言ったら怒りますか?」

 私は眠っている。

「別に僕じゃなくてもよかったんじゃないですか?」

 私は眠っている。

「たまたま眼に入ったから、気まぐれで拾っただけなんでしょう?」

 私は、

 眠っている。

「そうゆう勝手な都合に振り回されるのはもうたくさんなんです」

 私に、

 言っていない。

「僕には僕の考えがあって僕のやりたいことがある」

「やりたいことをすればいい」

 私は、覚醒した。

「ほら、起きてる」少女が着衣を直す。

「起きたんだよ。そんなことをされれば誰だって起きる」

「いままで起きなかったじゃないですか。なんで急に」少女が後ずさりするので。

 私はその手を捉まえた。

「なんですか?」

「あんな程度で満足できると思っているのか?」

 少女が虚を突かれた顔になったのを見計らって、ベッドに押し倒す。

 簡単だ。

 少女はとても軽い。

 短い丈のワンピースの裾がめくれる。

「ほら、やっぱりそういう目的じゃないですか」

 白い首すじが眼に入る。

 細い腕。

 細い脚。

「いいですよ」少女が私の肩に手を回す。「でも明日にはさよならですけど」

「それでは意味がない」回した手を少女の頭の上でまとめる。「初めてではないんだろう?」

 首すじに近づく。

 近づいたのではない。

 気づいたら近くにあっただけ。

 嫌がればいい。

 やめろと泣き叫べばいい。

 どちらの反応もなかった。

 眼が、

 こわがっていた。

「すまない」両手を解放してベッドに腰掛ける。「どうかしていた」

「いくじなし」

「何とでも言ってくれ」

 それ以来私は、家に帰るのが怖くなった。

 同じことをしてしまいそうで。

 同じことをするだろう。

 その先を、その続きを。

 求めている自分が許せない。

 私を待てばいい、だなんて。

 言わなければよかった。

 裏切られたと思っているだろう。

 その通りだ。

 私は、君を裏切った。



     4減


 りえーちゃんは、怯えきった眼で俺を見た。

 俺じゃねーか。

 俺がいまぶっ殺したばっかの、

 なんだこりゃ。

 肉の塊?

「ざまーみろって、思わねぇの?」

 りえーちゃんは首を振る。

 涙も出てやがる。

 そんなに、

 お涙ちょうだいの感動モンだっけか、これ。

「だーいじょーかよ? ホンバンはこっからだぜ?」

 小さい声で、やめ、て聞こえた。

 やめねーよ。

 だいじな取引材料だかんな。

 りえーちゃんをりょーじょくしたこいつをぶった切って、

 穴空いたここと、

 穴の空くここにぶっ挿す。

「ひっでー。ケッサク」

 りえーちゃんは笑ってない。

 ああそうかよ。

 面白かねーか。

「実はな、俺もそんなに面白かねーのよ」

 散らかすと片付け面倒だし。

 そろそろお暇すっかね。

 りえーちゃんにはちょいっと気を失ってもらって。

 担いでアジトへ。

 パンダちゃんよ。

 やっぱあんたは、

 俺とよく似てる。

 りえーちゃんのクソ親父の目ん玉潰したの、

 あんただろ?



     4除


 白烏しらからす君は、庇ってくれたけど。

 まだ私を見ている目がある限りは、

 私は潰さないといけない。

 この人、

 知ってる。

 私を見てた。

 その眼がいけない。

 見てるからいけない。

 誘い出して。

 連れてって。

 潰す。

 赤が飛び散る。

 黒が散らばる。

 綺麗な色。

 ああ、

 だめだ。

 あっちにも、

 こっちにも、

 みてるみてるみてるみてるみてる。

 潰さなきゃ。

 潰さないと、

 私が潰れちゃう。

 知らない女の人がこっちに走って来る。

 その眼は、

 私を見てないから放っておいた。

 何か捜してるみたいだったけど、

 どうでもいいか。

 見つかればいいね。

 潰れた眼の人。

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