【TBA】

【TBA】

「あたしは忘れ物を取って帰るから、みんなは先に帰っててもいいわよ」


 未那は僕達を待たせるのを悪いと思ったのか、それだけ言いつけた。


「わかった。なら僕らはたぶん寄り道して帰ると思うから、何かあったら連絡して」


 別に戻りを待ってもよかったけれど、用事が済んだら連絡ぐらいはくるだろうし、本人がそう言うならと思って軽く答えた。


「オーケー、じゃあね」


 と、それにもあっさり未那は返事して、小さく左手を挙げて僕達を見送っていた。


 由那とマリアの三人で下駄箱のある玄関へと歩き始めた。


「なんか今日の未那、おかしくなかったか? 元気ないっていうか」

「そうですね。いつもなら未那ちゃんのほうから、いろいろ話を振ってくれるんですけど!」


 長い付き合いだ。マリアもちょっとした違和感のようなものを感じたらしい。


「そうかな……? んーでも、体育の授業のときはすごく元気だったよ……?」

「ふーん、じゃあ気にしすぎだったか」


「あーそういえば! 今日は左手に腕時計をしていましたねよ!? いつもはしていないはずですけど!」


 ……腕時計? なるほど、たしかにいつもはしていなかったという印象がある。さすがマリアはそういうところはよく目が届いていると関心する。


「それかなぁ……。今朝のテレビの占いがよくなかったのよ……それでラッキーアイテムの腕時計を……」

「未那ちゃんでもそういうの気にすることあるんですね! ちなみに今日のマリアのラッキーアイテムは、四葉のクローバーです!」

「なんでそんなにベタなんだよ。マジでいい加減な占いだな」


 マリアが投げる言葉のボールは、バントぐらいで返すのがちょうどいい。


 靴を履き替え、校門を出た辺りで腕時計を確認すると、液晶のデジタル表示は十八時二十五分。未那からの連絡はまだこない。


 陽はだいぶ傾きかけているけれど、真っ直ぐ帰るにはまだ早い。


「どっか寄ってくか?」

「そうですね! それなら駅裏に出来たスイーツ店のクレープが、めっちゃ美味しいらしいんですよ!」

「うーん、それはまた未那の居るときがいいな」


 あとで話題にでもなったときに、「なんで、あたしだけ」などと機嫌を損ねられるのも面倒だ。


「あっ! 今日は木曜日ですね、漫画雑誌の発売日でした! 本屋さんに寄って行ってもいいですか?」

「それなら……、わたしも気になる小説を買いたいから、書店のほうにしよっか……」

「たまには、◯◯本店にでも行ってみるか」


 昨今ではデジタル書籍が普及して、「かさばらない・すぐ買える」などのメリットが取りざたされるようになっているが、由那とマリアはもっぱら現物派だ。どうやら本棚に整然と収まっているという、コレクターとしての安心感が好きらしい。



 学校からは少し距離はあるが、この街で一番品揃えのいいことで定評のある書店にやって来る。


 早速、由那はお目当ての小説のほか、いくつもの書籍を手に取っては、ぱらぱらとめくってまた棚に戻すという作業に没頭している。

 欲しい本を全て買える小遣いがあるはずもなく、こうやって当たりをつけられるのはデジタル書籍にはない紙媒体のメリットだ。


「これは時間がかかりそうだな」


 由那に関しては放っておいても手がかからないので、マリアの様子を伺いに雑誌のコーナーに足を向けた。


 ……? ぱっと見、少年誌・青年誌の雑誌コーナーには、あの目立つ頭のやつはいない。


「ん? マリアのやつどこにいった」


 一本通路を隔てた女性向け雑誌のコーナーにマリアの姿はあった。


 見た目が女の子だからその場に違和感はないが、一体どんな雑誌を夢中に読んでいるのか気になって、遠巻きにあいつが手で開いている雑誌と棚の表紙を見比べた。


 嫌な予感は的中した……。それはBLというジャンルで一部の層で爆発的に人気が高いことは知っている。だが、マリアに至ってはことほかベクトルが違う。


 僕は、それを見なかったことにして、身震いをこらえてその場から後ずさった。


 その後、一時間ほど店内をぶらぶらすると、由那とマリアのふたりは書店の紙袋を腕に抱えて、ほくほく顔で戻ってきた。


「シュウちゃん……ごめんね。待った……?」

「別にいいよ、そのために来たようなもんだしな」


 本好きの人間と本を買いにくるということは、おおむねそういうことになる予定だから心の準備はできていた。


「シュウ君! それじゃあ、このあとどうします?」

「んーそうだな。由那、未那から連絡はあった?」

「どうしたんだろ……一回もなかったよ……」


 ……おかしい。いつもならこういうことは未那が一番しっかりしている気質たちなのに。


「そっか、こっちにもまだ来てないな」

「さすがにこれだけ遅いと、今日はもうなさそうですね!?」

「しょうがないな。ひとりで帰ったのか? じゃあ今日は僕らも帰るとしよう」


 未那のことは妙に引っ掛かったが、そういうこともあるか……と、思い込ませて家路につくことになった。





 のんびりと歩いて帰ったので、自宅の玄関をくぐったときにはすでに二十時半を越えていた。


 居間に明かりが点いていて、中に居る母親はこれっぽちも息子の遅い帰宅に心配する様子もなく、呑気にテレビドラマを観ている最中だ。


「ただいま」

「おかえり、可愛い彼女が三人もいると大変ねぇ」

「恋愛ドラマの見過ぎかって……」


 それに、いくつか間違いもあるけど、あえてツッコミたくはなかった。


「ご飯はどうするの?」

「食べるよ」

「じゃあそこにあるから、あとは自分で温めて食べなさい」


 テーブルにはラップのかかった料理が置いてある。それをレンジで温めて胃袋に収めていく。

 それでいい。味には不満はないし、高校生にもなって母親にあれこれ世話を焼かれるのも気持ちのいいものでもない。


 空腹を満たしたあとは、シャワーを浴びてから自室に籠もった。


 特にすることもなく、ベッドで横になると自然と目蓋が重くなり、浅い眠りにつきかけたときだった。


 突然、ケータイの着信音で微睡まどろみから引き戻された。


 まるで、さながら天才画家サルバドール・ダリが『記憶の固執』などで用いたといわれるイメージ制作法を試された気分だ。


 発信者は由那。なんともいえない不安に掻き立てられて、間を置かずにケータイを取った。


「由那。どうかしたか」

「シュウちゃん、あのね……」


 スピーカーから聞こえる由那の声は、くいまにも泣き声に変わりそうだった。

 こんなことは滅多にない。すぐに何かあったのだと――。いや、問題があったのだと察するにはじゅうぶんだった。


「うん。どうした?」


「お姉ちゃんが……まだ帰ってこないの……」

「連絡は? ……ないか」


「メールも返ってこないし……、電話も何回もかけてるけど、呼び出しはしてるのに電話には出ないよ……」


 居留守でも使う必要がなければ、その状況が普通なわけがない。

 考えられるとすれば、ケータイをどこかに無くして受け取れないか、本人がいまだ帰宅していないことを考慮すれば、意識不明。最悪の場合は……誘拐という線もありえる。


「わかった。いまからそっちに行くから由那も出られるか?」

「う、うん……」


 ケータイを切ってベッドから跳ね起きると、有り合わせの私服に着替えて、速攻で家を飛び出した。

 途中で未那のケータイに電話をかけたが、やっぱりコールする音だけが続く。


「クソッ!」


 徐々に胸騒ぎが大きくなる。未那は僕達に心配させるようなことはしない。だから絶対何か悪いことが起こっているに違いないと、そう思わざるを得ない状況にある……。


 由那の家に駆けつけると、まだ制服姿の由那が自分のケータイを握り締めて玄関先に立って待っていてくれた。


「シュウちゃん……どうしたらいい……」


 動揺でいつもの冷静さはなく心細い声が届く。きっと、冷たい夜のとばりの所為も重なって、肩も小さく震えている。


「由那。未那のケータイの場所はわからないのか? GPSが使えるだろう」

「それが……お姉ちゃんのアカウントまでは知らなくって……」


 やはりそう思いどおり簡単にはいかないようだ。


「そうか。じゃあアテのあるところから探すしかないか」


 そう伝えると、由那と一緒に真っ先に思い当たる学校へと歩調を早めた。

 

 到着するとさっさと校門を抜け、校舎の外周をぐるっと回ってみる。


「……! シュウちゃん、アレ……」


 由那が校舎の上方を指さす。どうやら大当たりだったらしい。

 時刻は二十二時。にもかかわらず職員室の一角と校舎裏手側三階にそれぞれ一点だけ明かりの点いた箇所がある。三階のは紛れもなく理科準備室があるはずの場所だった。


 これではっきりした。未那は僕達と別行動になったあと、何らかの理由でもう一度部室に引き返し、そこで更に何か問題が起こった。必然、三秒で推理できる。


「どうやって入るかな」


 とっくに玄関は締め切られていて、隠れて忍びこむなんて不可能だ。


 緊急事態だからガラスの一枚でも割って中に入りたかったけれど、由那に引き止められて留まった。

 そこで、職員室でなにやら残業のようなことをしていたらしい教師を呼び出した。

 かといって、本当のことを話して事を荒立てるのも早急すぎる。なので、「部室に財布を落としてきてしまった」とウソをついて、なんとか校内にいれてもらった。


「お姉ちゃんの靴だ……それに内履きのほうは入ってない……」


 卒なく下駄箱の中を確認した由那は、僕にもそのことを教えた。

 それがどういうことなのか、想像するだけなら容易だ。問題は、まだ校内にいる可能性……よりも、実際に連絡もなく帰宅しない理由に尽きる。 


 校内の廊下は月明りしか差し込まないため仄暗ほのぐらく、いつも通う学校なのに夜は必要以上に不気味さを演出している。

 けれど、そんなことはいまは些細なことで、早足で部室である理科準備室へ急いだ。


 扉のガラスから蛍光灯の明かりが漏れる部屋を視界に捉えると、思わず駆け寄って激しく開け放つ。


「未那ッ!」


 視線を室内の隅々に這わせるが、本人の姿どころか、冷めきった現場はもはや人の居た空気じゃない。


「いないね……どこにいったの……」


 しかし、机の上に置かれた見覚えのある荷物とケータイ。確かにここに存在したという形跡は、はっきりと残っている。


「荷物があるってことは、あれから部室に戻ってきたのは間違いない」

「お姉ちゃんのケータイもある。それに……」


 気になるのは……、あの原子時計だったはずの金属ケースが開けられた残骸と、それに使ったであろう精密ドライバーが無造作に置いてある。


「これってあの原子時計だよな、何で開けてあるんだろ?」

「わからない……。でも、連絡取れなくなったのと、関係があるのかな……?」


 おかしいのはそれだけじゃあない。


「何か中身の部品が足りないみたいだけど、それっぽいものもここには見当らない」


 とある理由でマリアから預かった原子時計のカバーを開け、その一部をここで取り外したのだろう。


「未那が持ってったのか?」

「それでも……、ケータイを置いてくなんて……。普通じゃないよね?」


 そのとおりだ。未那の身に何があったのかはまだ把握できない。しかし、この現場の状態はあいつが残したメッセージにほかならない。

 それは数時間前の放課後の状況から比較してみても、誰かと争うなどして物が散乱したような跡もないことで判断できる。


 考えられるのは、ケータイや荷物を置いていかなければいけない理由があった? 誰かに呼び出されるなどして、自分から部室を出た? まだ校内のどこかにいるのか、それとも外に出たなら何故、靴も替えなかったのか? どれも不自然で腑に落ちないことばかりだった。


「由那、もう遅い時間だから未那の荷物を持って帰ったほうがいい。僕はもっとこの辺りを探してみる。見つかったら必ず連絡するから」

「シュウちゃん、でも……」


 由那が心配する気持ちは痛いほどわかる。しかし、ずっと一緒に行動するよりも、手分けして由那に任せなければいけないことだってある。


「それに、その未那の持ち物に何か手掛かりが残されてる気がするし、由那にはそれをよく調べてほしいんだ」

「え……!? そっか、うん……じゃあわかった。シュウちゃんも無理したらダメだよ……」


 机の上に残された品々を未那の鞄に片付けて、それを由那に持たせると部室から見送った。


 謎はいっさい解けないが、いまは未那の身の安全を確認するのが先決だった。


 僕も部室を後にすると、隣の理科室をはじめ、鍵のかかっていない教室があれば、ひと部屋ずつ捜し回った。

 けれど、結局その努力も虚しく徒労。いくら捜しても未那は校内のどこにも居やしなかった……。


 とりあえず、職員室で怪訝な顔をしていた教師にひとこと言って学校を出た。


 事態は悪化したと感じながらも、諦めるわけにはいかなかった。

 いまごろ未那の身にどんな危険が降り掛かっているのか、考えると足を止めることはできない。


 確証もないまま、未那が行きそうな場所の記憶をたぐっては街中をあちこち奔走した。





 やがて、夜が明け始め、朝露で服が冷たくなって急激に体温を奪う。


 脚を引きずるようにして家に帰り、部屋のベッドに頭から突っ込んだ。

 苦しい……。喉は焼けるように熱く血の気配が滲む。全身の筋肉は悲鳴を上げて、いまにもりそうだし、もう膝関節から骨が見えてるんじゃないかって痛みがズキズキと疼く。

 

 疲労困憊こんぱい、体力が尽きて両目を閉じた。

 酸欠で頭が朦朧もうろうとするなか、なぜか確信できたことがある……。


 それは……。十七年間ともに過ごした幼馴染。

 『時乃世未那』は、誰にも理解できない方法で忽然と……。

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