3章

【3章】

Ⅲ.


 それは、まったく予想だにしていない、あってはならない結果だった。


 地上より重力の弱い地点にいることで、時間は進むことはあっても、けっして遅れるはずはない。

 それだけでも一般相対性理論とは矛盾する。


 それも、何兆分の一秒などという微々たる数字ではなく。短時間で三秒以上も遅延するなんてことは、おそらく現代科学では説明などできない。これは理解の範疇はんちゅうを確実に超えている。


「なぁ、未那? これって何か変なことしたんじゃないのか?」

「えっ、そんなことするわけないじゃない」

「でもおかしすぎるだろ。三秒も遅れるなんて……、どういうことだ?」


 そのとおり、コインロッカーへ入れる前に確認したときは全て同期は揃っていた。

 それはここにいる全員が観測したはずなのだ、何か要因があったとすればそれ以降でしかない。


 Cの個体は由那が持ち、Dは私自身が持っていた……。


 けれど、ツリーに上ってから下りるまでの環境や行動は、まるっきり同じだったことは記憶のとおり。どこでこれだけの違いが生まれたのか、さっぱりわからない。


「シュウこそ、さっきセットするとき何かやらかしたんじゃないのっ!?」

「やってないって! みんな、ちゃんと見てただろ……?」


「そんなの納得いかないわ、ちょっと貸してよ!」


 私は、それから小一時間。全ての原子時計を何度も何度も入れ替えて再確認したけれど、結果は一向に変わることはなかった。


「ダメね……。これは完全にミステリーだわ」


 無意識に腕組みをして推理を巡らせるが、迷宮入りの未解決事件といった様相だ。


「未那、もうだいぶ遅いから、今日はこの辺にして帰らないか」


 シュウがあくびを噛み殺しながら吐露する。

 そう言われれば、料理はとっくにからっぽだ。こちらを見る店員の視線も若干冷ややかに感じられる……。


「それもそうね、マリアもなんだか眠そうだし」


 虚ろな目のマリアを揺り起こすと、ぴくんとおさげが跳ねた。

 テーブルの上の装置と原子時計をマリアの鞄にしっかり片付けて、私達はお店を去ることにした。





 それからは、どこへも寄り道などもせず、電車で自宅にほど近い駅へと帰ってきた。

 シュウの家はすぐ近所、いちばん離れたマリアの家でもたいして遠くはないので、帰り道は一緒だ。


「今日は楽しかったですね!」

「だな、また今度機会があったら行ってみるか」


「実験……失敗しちゃったのは残念だったけどね……」


(失敗……?)


 それで済ませていいほど易しい問題のはずがない。


 私には、これだけ高精度の計測器を使って出された結果が、ただのエラーとはどうしても考えられない。

 科学研究部部長としての探究心がうずく。この謎を解明して、シュウ達三人を驚かせてみたくなってしまった。


「ねぇ、マリア。まだ調べたいことがあるから、その原子時計。もうちょっとだけ貸してもらえないかな?」

「……!? それはいいですけど。どうしたんですか?」


 マリアは小首をかしげて、ちょっぴり困惑した小動物のような顔をしていた。


「お姉ちゃん……、本当に大丈夫なの? けっこう貴重な物なんでしょ……?」

「あっ、絶対に無くしたりしないでくださいね!? マリアが怒られちゃうんで!」


「安心して。それに、今日の結果じゃみんなも納得できないでしょう?」

「未那ちゃんらしいですね! それじゃあ、どうぞ! いくつ必要ですか?」


 マリアが鞄を開けて中を覗かせたので、そこからAとDの原子時計、ふたつを選んで借り受けた。


「ありがとう。二、三日借りるわね?」

「それなら装置のほうはいつでも使えるように、部室のロッカーに入れておきますね!」


 その後は、マリアを家の先まで見送ると、私と由那もシュウに自宅前まで送ってもらって解散した。


 時刻はもう、二十一時をゆうに過ぎていたけれど、シュウが一緒に居てくれたおかげで両親には叱られることはなかった。たいした信頼だと思う。


「ふぅ……、今日は疲れたわね。由那、お風呂先にどうぞ」

「うん。じゃあ……わたし先に使うよ」

「おわったら呼んでね」


 自室にはいりポケットから原子時計を取り出すと、そっと机の上へと置く。

 それから部屋着に着替えて、ベットに寝転んだ……。


 今日は、いろんなことが起こりすぎて、なんだか頭が重い。


「由那のは何ともなかったのに、なんであたしのだけ?」


 気になるのはツリーのエレベーターで体験した、あの奇妙な現象。夢や幻覚とは思えないほどのリアリティで脳裏に焼き付いている。


「やっぱりアレかなぁ……。一体何だったのかしら」


 いま思い出しただけでも戦慄を覚える、あの感覚。

 と潰れるシーンまで想像できてしまう……。


「それにしても、三秒かぁ……。絶対おかしいわよね……」


 むしろ頭の中は、もうぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。


 時間にしてどれくらい脳内パズルを組み立てていたのだろうか、それすら忘れかけていた時。


 コン……コン……。一拍に余韻を残すような控えめで独特なノック音、これは由那のものだ。


「お姉ちゃん……、お風呂空いたよ……」

「わかったわ、ありがと」


 悩んでもロクに考えは纏まりそうにはない。とりあえずは、お風呂に入って疲れを癒すことにした。


 一階にあるお風呂場の脱衣場で着ていた服を脱ぎ、バスルームに入ると、先に使った由那のフローラルなシャンプーのいい香りが漂った。

 軽くシャワーで汗を流して湯船に浸かる。


「はぁぁ、あったかーいぃ……」


 遅くまで外を歩いてきたので、体が冷えていたから一段と気持ちいい。

 アロマ効果とあいまって、凝り固まっていた思考まで、リラックスして柔らかくなっていく気分だった。


 …………!


「あっ! そうだった……」


 私は完全に間違っていた。


「おかしいことなんて、本当は無かったんだ……」


 相対性理論なんて最初から関係無い。


「アレは実際に起こったこと……」


 三秒もの時間の遅れは、紛れもない現実だ。


「ただ単に、その結果を引き出すことができる、という真実の方法がきっとあるんだわ」


 発想の転換だ。ありえないと謎を深めるのではなく、あらゆる可能性から真理を解き明かすべきなのだ。


 その結論に行き着いたことで、わだかまりをすっきりさせることができた。

 お風呂の全工程を入念に済ませバスルームを出た。


 いつでもフワッフワに仕上げられたバスタオルで体の水滴を拭きとると、用意した清潔な下着を着用し、そのうえにパジャマ代わりのTシャツと短パンを着込んでから、洗い髪を乾かした。


 明日、ほかに検証することがあるか考えてみよう……。

 何故か、心を踊らせながら眠りについた。



 朝早くケータイのアラームの音で目を覚ますと、もはや習慣となっている当たり前の仕度を始めることになる。


 ――五月三十一日。


「おはよう……お姉ちゃん」

「ええ、おはよう。相変わらず早いわね」


 由那はひと足先に準備を終えて、ダイニングで朝食を取っていた。


 朝の時間はなにかとやることが多く、双子の私達はサイクルをずらして段取りがとどこおらないようにしている。


 私もテーブルの席に着いて軽めの朝食を口にしながら、テレビのよくある情報番組に目を移すと、これもまたよくある占いランキングが紹介される場面だった。


 誕生日を最近迎えたばかりの双子座。その順位は……?


 ほら、やっぱりね……見事、十二位。最下位の確率が十二分の一であるはずなのに、自分の星座がそれ以上に最下位になっている気がするのはだ。


「今日は最悪らしいから、気を付けたほうがいいわよ。由那」

「それは、お姉ちゃんもだからね……。とんでもない災難に合う日……。ラッキーアイテムは腕時計だって……」

「あたしはいいのよ、どうせこんなのいい加減なんだから」


 私は基本的に占いというものを信用しない性格だし、そんなもので自分の運勢や未来を決められたくはないからだ。

 百歩譲って占いで先を見透せるというなら、十回引いたカードが十回とも同じ結果となるならば、それは諦めて従わざるをえないとは思う。


 しかし、その一方で運という要素が絡むことがある事実も認めている。

 例えば入試の選択問題。迷った末に埋めた空欄の解答は、その後の人生を左右することだってありえる。


 朝食を済ませ、また自室に戻って来る。


 段取りどおり制服に着替えて、鞄に今日使う教科書・ノートを整える。

 机の上には、昨日マリアから貸してもらった原子時計のAとDのふたつが、そのまま放置されていた。


 実験ではAは変化が無いことが証明されているから、依然基準として使うことができるので、机の鍵付きの引き出しに収納して保管することにした。


 …………!


 引き出しを開けたとき、たまたま中にあった小物入れに収まったままの腕時計が目に止まった。


「ラッキーアイテムは腕時計ねぇ?」


 今どきケータイさえあれば時間の確認なんて事足りるわけだから、普段は腕時計をすることはない。

 けれど、ラッキーアイテムひとつでとんでもない災難とやらが回避できるなら安いもの、とか本気で思ったわけじゃないが、一応何かに使えるかも……と左手首に巻いた。 


 そして、ちょうど空いたスペースにAの原子時計を代わりに据えて、引き出しを閉める。

 ぬかりなく最後に鍵をかけ、その鍵はいつもの場所へと隠す。


 問題のあったDは更に変化があれば、数値の差が変動するのでそれで比較できる。

 私はDの原子時計を制服上着の内ポケットに入れた。


「お姉ちゃん……準備できた? そろそろ時間だよ……」

「オッケーよ。行きましょう」


 二階廊下から小気味よく階段を下りて、先に由那が表で待つ玄関内で足を止めた。


「いってきまーす」


 靴を履きつつ、キッチンで後片付けなどをしているお母さんに声をかける。


 このまま一日を普通に過ごして何か変わるかどうか、それとも違う実験が思いつくかもしれないと……。そのときはわりと軽い気持ちで考えていた。


 けれど……、おかしな違和感はすぐに現れた。


 玄関のドアを開けようとした時、私はもうすでに……。


 一流のスポーツ選手は、あれこれ考える前に体は勝手に動いているという。

 意識し考えてから判断して動いているようでは出遅れる。そうならないように練習で徹底的に体に覚えこませている。


 それとも少し違う感じもするけれど、何かしようとしたときにはもう終わっている。そんな突飛なことが、度々たびたび起こった。


 校庭で仲のいい同級生を見かけ、挨拶を交わそうとした。すると……。

 …………!

 もうそこには、同級生の後ろ姿しかなかった。


 校舎三階にある教室へ移動する際、階段を上ろうとしたときは……。

 …………!!

 気付くと踊り場に片足がかかっていた。

 

 お昼ごはんのお弁当を食べようとしたときも……。

 …………!?

 知らぬ間におかずの卵焼きは口の中に運ばれていた。


 誰でも考え事をしていたり、疲れで意識が散漫になっていたときなどでも、案外普通に事が済んでいた。なんて場合ケースがあるので気の所為せいだとは思いたかったけれども。


 変な脳の病気だったらイヤだなと、私は不安になった。


 五限目は体育の授業だったので、由那とふたりで体操着の入ったバッグを持って更衣室に移動した。

 由那とはクラスは別々だけど、体育など一部の授業は合同だ。


「お姉ちゃん、体育……バスケットだって……」

「あら、あたしは好きだけど?」


 由那もけっして運動音痴なほうじゃないのだが、直接相手とやり合うコンタクトするような競技は総じて苦手としていた。


 更衣室で自分のロッカーのハンガーに制服をかけて、バッグの中の体操着にテキパキと着替える。

 由那は長い後ろ髪を紐で結んで、可憐なポニーテールを完成させているところだ。体育の授業中は安全のため眼鏡もしっかり外している。


 女子の体育はお気楽なもので、楽しくワイワイやっていれば大抵は済まされる。ちょっとのミスぐらいで、口うるさく言ってくる人なんかは稀だ。


 その中でも真面目にプレイしている生徒も少なからずはいる。

 そこは運動部の生徒達にとって、ちょっとした活躍の場なのだ。


 体育館のコートではシューズが鳴る小刻みで甲高いステップ音と、ボールを巧みに操って発するドリブルのバウンド音がリズムよく響き続けている……。


 ――スコアは僅差。残り時間を考えれば、このワンプレイで勝負は決まる。


 私は右サイドからドリブルでマンマークをかわして、ショートコーナーへと詰める。しかし、相手のディフェンスが立ち塞がって、シュートコースは消されていた。

 そこへ味方のひとりがセンターから走りこんでくるのが目に入った。目の前のディフェンスにフェイントを使ってから、その味方へ鋭いパスを送る。


 パスを受け取った彼女はそのままジャンプシュートの体勢。

 それをマークにはいった相手ディフェンスも大きく跳んで、これを完全にブロック! 彼女の舌打ちが聞こえてきそうだった。


 ディフェンスの目は、全員ボールに向いた。


 その隙に私が目の前のひとりをかわしてゴール前へと飛び込むと、彼女のジャンプシュートはこれまた絶妙なフェイント! 私へパスをリターンしてくれた。

 マークの外れた私は、そこからフェイドアウェイでシュート!


 ゴール下のディフェンスが伸ばした指先はタッチの差で届かず、綺麗な放物線でボールはリングに吸い込まれた。

 巧みなパスをアシストくれた彼女と、軽くハイタッチを交わしてともに微笑んだ。


 そこで、授業終了のチャイムが鳴った――。


「お姉ちゃん、カッコよかったよ……」


 由那が手渡してくれたタオルは、その肌触りも抜群ながら、爽やかな香りが優しく鼻孔をくすぐる。


「うふふっ、由那の視線が熱いから、ついついがんばっちゃったわよ」


 などとじゃれ合いながら、更衣室で今度はまた制服に着替え直す。


「次は、古典かぁ……ちょっとだるいわね」

「へぇ、わたしは好きだよ……?」


 さっきの仕返しにと、由那はいたずらっぽく笑った。


 六限目。古典なんて退屈な授業は片手間にして、私は今朝から始まった不思議体験の分析をするため、起こった現象を詳細にノートに書き連ねていった。


(うーん、発生タイミングは不規則で関連なさそうね)


 今日になって、時折り起こるようになったのは自らの記憶に相違ない。


(昨日のエレベーターで感じた現象ともなんだか違う……)


 そう、まるで漫画のひとコマを見落としたように状況が進んでいるのだ……。


 夢中で考察しているうちにノートは丸一ページ、分析したチャートで埋め尽くされていっぱいだった。

 そうこうしている間に古典の授業は終わりの時間を迎えたようで、日直が号令をかけていた。


 起立しようと意識した。その直後――。


「ねぇ、未那? さっきからずっと突っ立ってて何やってんの?」


 ……!


 後ろの席のクラスメイトから、背中に声をかけられていた。

 この現状はなに……? 私が気付くと、ひとり席を立ったままだった。


 どれぐらいこうしていた……?

 とっくに授業は終わって、生徒達はてんでんにバラけ始めている。


 これじゃはたから見てたら、ちょっとおかしい子じゃないの……? 引きつり笑いしか出てこない。





 それから終礼まで一段落し放課後に突入すると、私は足早に部室へと駆けこんだ。


 案の定、部室にはまだ誰も来ていなかったので、照明のスイッチを押して明かりを点ける。


「みんなが来るまで、ちょっとひと休みしようかな」


 食器の入った棚の戸を開けて、マイカップを取り出そうと手に取った。


「えっ……!?」


 自分の目を疑い、たまらず声が漏れる。

 無理もない。手元のカップには、湯気の立つ熱いコーヒーが、すでにいれられているではないか。


 だが、今日起こった出来事を踏まえれば、ここで派手に取り乱したりしないでいい。


「ちょうどコーヒーが飲みたかったのよね。……じゃないわよ、やばすぎるわねコレ」


 何かが狂い始めている――。もはや気の所為などではない。

 いくら器用な私でも、無意識でコーヒーをいれられるほど便利じゃない。


 あたかも、脳に一箇所、山の欠けた歯車が混じっているように、すっぽり行動が飛んで結果だけがギリギリで繋がっているみたいだった。


 なんだか気持ち悪いから、そのコーヒーは部室のシンクに流して、新しくインスタントのコーヒーをいれ直す。


 自分のイスに腰を下ろし、コーヒーをひと口飲みこんでから短い吐息をひとつ。

 ……少しは落ち着きを取り戻した。


「なによ、ラッキーアイテムなんて……ぜんぜん効果無いじゃない」


 占いの「とんでもない災難」ってのが、このことなのかはわからないけれど、ラッキーアイテムなどといっても実に不確かで頼りないものだ。


 ひと息ついているうちに、外から部室の扉が開けられて、シュウ・由那・マリア達の三人が揃って一緒にやって来た。


「なんだ、未那もう来てたんだ?」

「遅いわよ」


 ほんとに遅い……。誰かがさっきここに居たなら、いま私に起きた状況がどう見えていたのか聞いてみたかった。


 三人はひとまず、自分達の定位置の席に着くと、マリアはいつもどおり手早く持ち込みのお菓子を広げ、それを見た由那はインスタントの紅茶を淹れてみんなに出した。





 今日もまた、かれこれ二時間半ほど談笑を続けていたが、昨日の実験のことは三人ともさほど気にしてなかったらしく、まったく話題には挙がらなかった。


「どうした未那。今日はなんかおとなしくないか?」


 ギクリ……。あの変な現象などのことが常に頭の隅に引っ掛かって、会話にうまく乗れていなかったのかもしれない。シュウが心配そうに口にした。


「失礼ね、あたしはいつもおとなしいわよ。それよりここらでひとつ話題を提供してあげるわ」


 さらりとトボケつつ、話をらすつもりで、お約束となっている議論をみんなに投げかけた。


「さて! 今日は、『(新)双子のパラドックス』について考えてもらいましょうか」


 『双子のパラドックス』には、相対性理論に関係した既存のものがあり、私の考案したものはそれとはかなり趣向が違うので、(新)を付けて区別させてもらうことにした。


「ん? 何だよそれ」


「とりあえず、あたしと由那を例に挙げましょうか」


 由那とマリアも黙って耳を傾けた。


「時間を遡ってふたりが、産まれる前の性別が決まる前まで戻ったとしましょう」


 性別が決まっている段階だと、それを問題にすることは当然できないからだ。


「それからあたしと由那が双子で産まれてきて、由那が女の子だった場合。あたしも女の子として産まれてくる確率は何パーセントになるでしょう?」

「今日のテーマは超簡単ですね!? 性別は男と女の二通りしか無いから、それは勿論、五十パーセントですよ!」


「それって、マリアが言うとすごく違和感あるぞ」


 付け加えて、この問題ではマイノリティな性別は除外してほしい。


「マリア、そんな単純な答えでいいの?」


 私は片目だけつむってサインする。


「待ってくれ、双子のうちの由那が女の子として決定してるんだから、もうひとりの未那のほうも女の子の可能性が圧倒的に高くないか?」


 ここで、マリアの出した答えにシュウは疑問を呈した。


「えーと、なるほど確かにそれもありますね!」


 シュウの意見に、マリアはあっさりと乗っかってしまう。

 この問題のもっとも引っかかりやすい点でもある。統計がどうかはまた別として、双子といえば同性が多いというイメージが確実に浸透しているからだ。


「なんだか『男か? 女か?』のパラドックスに似てるけど……、それだとお姉ちゃんが女の子で産まれる確率は、およそ三十三・三パーセントだよね……」

「鋭いじゃないの、さすが由那ね。んじゃ、説明できる?」


 シュウと由那のふたりなら、いずれこの結論に至るとは予想していたけれど、まさかこれほどあっさり出てくるとは驚いた。


「えっと、ふたり兄弟姉妹の産まれるパターンは(兄:弟)(姉:妹)(兄:妹)(姉:弟)の四パターンで、いまの問題では、わたしが女の子で確定してるから(兄:弟)のパターンは無くなる……。よって、残り三パターンのうち(姉:妹)となるのは三分の一だから、結論はおよそ三十三・三パーセント。これでいいのかな……」


「その題材を元に、あたしが更に練り直したのよ! 導かれる確率と実際に双子が同性で産まれる結果とが、見事にパラドックスしてるでしょ?」


 私は得意気に胸を張ってみせた。


「未那、いまの論理も実は引っ掛けじゃないか?」

 

 つぶやくシュウの瞳が、ひとすじ流星っぽく輝いて見えた。


「あら、どういう意味?」


「産まれる前の母親のお腹の中では(兄:妹)と(姉:弟)は同じで、産まれた順番だけの違いだから、実質は(女:女)と(男:女)の二パターンしかない! だから答えは、やっぱり五十パーセント。でどうだ?」


「おおっ! なるほど、さすがシュウ君、きっとそうですよー!」


 マリアは胸の前で、ポンッと両手を合わせて、シュウが着目した双子ならではという視点からの答えに、ずいぶんと感心していた。


「そこに気付くとは、シュウもなかなかやるじゃない」

「じゃあ、正解か? よしっ、今日は論破できなかったようだな」


 シュウの満足気なその言葉に、私は不敵な笑みを浮かべてやった。


「でも残念ね、正解は百パーセントよ!」

「えーっ、なんでですか? さすがにそれは無いんじゃないです!?」


  マリアをはじめシュウと由那のふたりも、それには簡単に納得できない。という風に眉をひそめていた。


「最初に言ったでしょ、時間を遡ったのがあたしと由那なら。として、としてでしか産まれないからよ」


 そこまで言うと三人とも唖然あぜんとして絶句する。





 そこからまたひとしきり他愛たあいもない雑談などしながら過ごし、今日はこれで帰宅する流れになった。


「あれ? お姉ちゃん……、荷物それだけ? 体操着は……」


 間際に、私の手荷物がひとつ足りないことに気付いて注意してくれた。


 そうだった。今日は体育の授業があったから、着用した体操着を持って帰って洗濯しないといけなかったんだ。


「そっか、教室に忘れてきちゃったわ」

「へぇ、めずらしくそそっかしいじゃないか」


 今日は考え事が多くてうっかりしていたのは間違いない。

 少々億劫おっくうに感じたけれど、何かあったら余計に面倒だと思って取りに戻ることにした。


「あたしは忘れ物を取って帰るから、みんなは先に帰っててもいいわよ」

「わかった。なら僕らはたぶん寄り道して帰ると思うから、何かあったら連絡して」

「オーケー、じゃあね」


 私は三人を見送ったあと、そそくさと自分の教室に戻って、体操着の入ったバッグを手に取った。


「やれやれだわ。んと、ほかに何も忘れてないかな?」


 服の上からぽんぽんと片手を当ててポケットを探る。ケータイ……、ハンカチ、原子時計……。


「…………!?」


 パチン! 手慣れた棋士が盤に駒を指すような……。頭のなかで、大事なひと欠片かけらが綺麗にはまる音がした。

 私はついに理解した……。これはもう確信といっても過言じゃない。


「これよ、パズルは解けたわ!」


 やっぱり……、異変の元凶はこの原子時計しかない。理屈ではわからないけれど、確かにこの原子時計には、得体の知れない秘密があるとしか考えられない。


 昨日のエレベーターでの現象は、私がコレを持っている間に起こった。


 家に帰ってからは机の上に置かれていたので、何も起こらなかったわけだし。

 今日の数々の現象も、すべて私がコレを身に付けている間にだけ起きていた。だから体育の時間は体操着に着替えていたから大丈夫だったんだ……。


 この原子時計には、絶対に感覚を狂わせる作用があるのは、もはや疑う余地がない。


 調べなければならない……。その小さなとっかかりをようやく見つけた。

 でも、それだけではじゅうぶんではない。

 すぐに確かめてみたい……。衝動にかられ、急いで部室へと引き返した。


 期待していなかったが、やはり部室にはもう人影はない。それでも、まだかすかに温度が残る室内に足を踏み入れ明かりを点ける。

 鞄と体操着入のバッグを机に置いて、自分の席に腰を落とした。


 何気なく腕時計を一瞥すると、針は午後の六時三十分を回っていが、、それよりもいまは知りたい気持ちが先に立った。


「まだわからないことはあるのよね……」


 昨日の由那には、なぜか何も起こらなかったのも不思議だ。

 四個の原子時計のうち、このDの固体にだけ問題があるのか? それとも私に問題があるのか? もしくはその両方か。


 制服の上着の内ポケットから原子時計を取り出す。


 あらためて原子時計をじっくりと調べてはみたものの、外観からでは特に何の変哲も見受けらない。

 原子時計のケースは底面にある小さなネジ数箇所で締められている。


「ちょっと分解したらダメかなぁ? ダメだとは思うけど……。でもバラしてみたい」


 机に突っ伏して、手の中で原子時計を転がす。


「あっそうだわ! 確かこれに電池が内臓されてるって言ってたわよね……。電池が切れちゃったから交換しようとしたってことにして、一回開けて見ちゃおう」


 迷っていてもらちが明かないので、ここは適当な理由をつけて思い切ってやってみることにした。


「ええっと、確かこのあたりに……昔、何かの修理に使ったやつが……」


 準備室の机にある、工具が片付けられた引き出しをあさる。


「あー、よかった。やっぱりここにあった」


 部室の物の位置は自分の部屋のように把握していたので、精密ドライバーのセットを探り当てるのに手間はかからなかった。


「これで楽勝っと」


 ケースの小さなネジをドライバーでひとつずつ外していく。


 そして、最後の一本を外し終え、慎重にケースの蓋を開ける――。


 …………!


「何なの、これは……」


 いやが応でもその奇妙さに戸惑わされる。


 基盤と思える部品はあまりにも緻密で、これまでの電子機器では見たこともない構造だった。その心臓部には大きな結晶の振動子しんどうしらしき塊がひとつ、圧倒的ウソくささで鎮座されていた。


 「電子部品って感じじゃないわよね……」


 結晶は、『ねじれ双五角錐すい』の特殊な形状。長さ四センチぐらいでケースになんとか収まる大きさだ。

 アメシストに近い紫のガラス光沢で、興味深いのはその中心にはシンプルな指輪のようなリングが浮いた状態で、ゆっくりと自転している。

 更には、リングを取り巻く無数の粒子が磁界のごとく対流しているのが、透けた内部に覗き見える。


「どんな仕組なの? こんなことって……」


 本物の原子時計の中身を見たことは無いけれど、きっとこれは違う。とても現代科学の技術で作られたとは思えない。

 世界舞台が異世界だったなら、いにしえのクリスタルとして神秘的なパワーぐらいはありそうな気さえする。


「まさか、『オーパーツ』ってやつ?」


 ネットやオカルト系雑誌などでちょくちょく目にしたりはする言葉ワードではあるが、大抵はいわくつきで眉唾なものだったりする。

 だが、この謎の結晶はいままさに、生きているかのように動き続けている……。


 あまりに幻想的ファンタジーで優美なフォルムに、思わずケータイのムービー機能で撮影することにした。


 この中身のことを、マリアは知っていたのだろうか?

 昨日の様子はとてもそんな風じゃなかった。だけどこの装置を持ってきたのは、マリア本人なのは確固たる事実だ。

 仮に知っているなら、マリアはこれまでの天真爛漫な言動とは裏腹に只者ではない秘密を抱えていることになり。

 例え真相を知っていなくても、こんな怪しげな代物を持っていることは、謎の存在が身近にいる可能性が極めて高いということにもなる。


 この結晶の正体を明らかにすることは、マリアが何者かを必ず追及することになる。


 シュウや由那に相談したほうがいいか……? それはふたりを巻き込んで未知なる危険に晒すことになるかもしれない。

 そう思うと躊躇ためらわざるを得なかった。


 このまま見なかったことにして、素知らぬフリでマリアに返してしまうのが得策ではないか?

 本当にそうしてしまいたいとも思った。


「まいったわね……」


 にわかには信じられなかった。まさかこれほどやばいものが出てきてしまうとは、思いもよらなかった。これは想像の遥か上をいっている。


「仕方ない。たまには部長っぽいこと、しなきゃいけなくなったようね」


 幼馴染の仲間を問い詰めるなんてことは、心苦しくて胸が張り裂けそうになる。

 でも、こんな秘密を知ってしまっては、そんなことも言っていられない。目的だけでもハッキリさせなければ、これまでどおり接するなんてできそうにない。


 考えごとをしながら、ふと結晶に指を触れたときだった。

 一発激しい静電気みたいなのが走ったかと思うと、驚くほど呆気なく、くっついていた基盤からぽろりと結晶が外れてケースの外にこぼれ落ちた。


「え!? ちょっと」


 ダイレクトに床へと落下しそうになった結晶を咄嗟に片手でキャッチ! 手の中で握り締めた。


「あっぶないわね……、しっかり固定されてないの?」


 ――直後、部屋の空気が一度、大きく鼓動した……。


「えっ!? 何っ?」


 指を開いて結晶を見ると、淡い紫色にぼんやりと発光している。


「どうしよ……、壊れちゃったかな」


 気が付くと結晶内のリングが徐々に停止。いままでとは逆回転を始めようとしていた。

 やがて、空気中から光の粒子がどんどん結晶に吸い込まれて、リングの逆回転は加速していく。

 光の集束は激しさを増し、眼を開けていることさえできなくなった。


「頭が……」


 数字? 文字? 記号? 細分化された量子データを思わせるような、わけのわからないものの羅列が、膨大なイメージとなって直接脳に入り込んで来る。


「イヤ……やめて!」


 脳の記憶領域が覚醒される。私の十八年間の思い出が……、次々とケータイのお気に入り画像をスワイプするように流れて消える。


 一体何が起きようとしているのか、考えることすらままならない……。


 また、あのときのように身体と意識が分離しているような気がしたけれど、もう何も感じることはなくなっていた……。





 それから…………どれくらい時間が経ったのかわからなかった。


 実際は一分も過ぎていなかったのかもしれない。


 今が朝なのか? 昼なのか? それとも夜だったのか……。


 基準となるものは何も無かった。


 静寂。いっさいの音の波すらかき消される究極の無。


 音が聞こえれば外の状況が推測できた。

 空気が存在しなければ、空間に音を伝えることはない……。


 暗闇。ひと筋の光さえ消滅する完全なる闇。


 明るさが視認できれば時間の周期を把握できた。

 光が存在しなければ、眼に写る情報は無く物は認識されない……。


 温度を感じない。暑いのか、寒いのか。どれだけ経過しても季節のうつろいを想うこともない。


 重力を感じない。どちらが上なのか、下なのか。寝ているのか、立っているのかさえも自覚することはできない。


嗚呼あぁ、あたしは……)


 どうやらかろうじて、まだ私という自我の断片は残っているみたいだった。


 けれど……手足を動かしても、それぞれがどこにも触れることはなく、身体があるのかもわからなかった……。


 私は……死んでしまったのかと思って、悲しい感情が溢れた……。

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