【1章】

 放課後の科学研究部部室。部員のひとりである僕は、自分を含めた四人で、この日も集まっていた。

 部とは言ってもこれといった名目などなく、青春という時間を持て余した仲間うちの集いの場でしかないのだが。

 それぞれが校内の自販機で買った飲み物や、持参したお菓子などを広げてくつろいでいるところだ。


「ねぇ、シュウ。あんたはどう思うのよ? 時間移動ってできると思う?」


 双子姉妹の姉。時乃世未那(ときのせ みな)は、今日もまたとんでもないことを言い出したもんだ……。


 シュウと呼ばれたのは、泡沫終(うたかた しゅう)で僕のこと。

 また。と思ったのは、僕にとってはこれがいつものことだからだ。


 時乃世未那について少しだけ説明させてもらうなら、僕の家とは近所だったこともあり、親達も懇意にしていたので、幼いときから付き合いが長く、所謂いわゆる幼馴染というやつだ。

 僕より、ひとつ上の十八歳。三年生で、この部の部長でもある。

 綺麗に整った顔立ちと、ふわりと肩まで広がる髪。街を歩けば男女問わず、一度は振り返るモデルスタイル。

 控えめに言っても美少女の部類だと思う。


 未那には由那(ゆな)という双子の妹がいて、そちらが副部長であり、実は僕の彼女だったりする。


 今日はやっかいなテーマだな……。と思いながらとりあえず、答えることにした。


「はぁ? 何なの突然! 時間移動って、タイムマシンとかでタイムスリップするってこととかの話?」

「わかりやすいとこで言えばそうね」

「それはアレだろう、あのアインシュタインの相対性理論からすると、未来方向には行けるけど過去方向には戻れない……っていう」

「えぇ、特殊相対性理論ね、光速に近づくと時間の流れは遅くなる。つまり遅く流れた時間からみると、早く流れた時間は未来になると」


 未那はまるで、最初から僕がそう返すと想定していたかのように話しを繋げる。


「俗に言う、『ウラシマ効果』ってやつで、タイムマシンとは違うけど。主観者が先の未来世界を体験できるって意味では、時間移動って言えないかな」


 僕がそう付け加えると、未那の口元が僅かに笑ったように見えたのは、彼女は僕を論破することを日々の生き甲斐としているからだ。


「その場合、主観者が移動中だった時間は、普通に生活していなかった未来が訪れるはずね?」

「まぁ、そうだろうな……。主観者が時間移動をしないで普通に生活した先の未来と、時間移動して世界と干渉せずに訪れた先の未来が同じになるわけない」


 だとすると、本来訪れるはずだった未来はどちらか?

 そして、この話の展開は、すでに未那の思惑か……?


「それを以って実用化するとしても現代科学じゃ不可能! 遠い未来なら、あるいは……って、ぐらいだろうね」


 結論を簡単に言ってしまったが、今度は未那の口元がちょっとムッとしたように見えた。

 どうやら、このテーマをもっと議論したいようだ。


「大体その相対性理論の信憑性ってどうなのよ?」

「それは、とんでもなく偉い科学者さん達が、きっちり証明してるんじゃないか?」


 科学の常識。普通そんなことに疑問を持ったりはしない。


「そうとも言い切れないのよね、当時の検証が精確じゃなかったり……。今日こんにちの科学の進歩によって相対性理論では証明できない事象だったり、検証結果が出てきてるの……」


 ここで双子姉妹の妹。由那が僕の曖昧な言葉について答えていた。


 未那と由那は一卵性らしく、見た目の背格好や顔の作りはうりふたつだけど、由那のほうはストレートで美しい艶髪が腰まで伸び、いかにも知的と思わせるような眼鏡をかけている。

 眼鏡をかけているのは、これといって眼が悪いわけではなく周囲の人がふたりを区別しやすいようにとの心遣いだそうだ。


「へぇーそうなのか? じゃあ、飛行機に乗って移動すると、機内に持ち込んだ時計は時間が遅れて、地上の時計より僅かに差が出るって話は?」

「それって、1971年のジョー・ハーフウェルとリチャード・キーティングの世界一周旅行実験が元になってるんでしょうけれど」


 すかさず未那がくいつく。


「十億分の五十九秒遅れる、だよね……。『原子時計』っていう極めて精密な時計が使われたらしいけど……」

「そうそれ、理論値だと一致するって話らしいんだけどさ。いくら調べても飛行速度とか飛行時間や経路。一般相対性理論も考慮するなら、飛行高度も安定してたかどうか? 当時の実験データが出てこないのよねぇ」


 一般相対性理論とは、単純にいうと重力の影響も考えるというもので、時間は強い重力を受けると遅く、逆に弱い重力では相対的に速くなる。つまり、飛行機は地上から離れることで地球からの重力は弱まり、時間の流れは速くなる。


 ふたりともよく調べてるな。由那は前々からしっかり勉強しているようだけど、特に未那は今日のために、何か仕込んできてる感じさえする。


「実験が捏造を含むのか。静止状態じゃない不安定な環境が原子時計に誤差を発生させるような、何らかの要因があった可能性も考えられるか」

「一方で、相対性理論で証明できる事象もあるから、全て間違っているとも言えないんだけど……」


 相対性理論が現代物理学で根強く提唱されているのは、それに代替する優れた理論が発見されないからでもある。


「でもね、当時の旅客機が巡航速度でおよそ九百キロメートル毎時だったとしても、地球上では常にもっとズレが出ているはずよね」


 未那がチョココートされたスティック菓子を持った指で、くるくると宙に輪を描いている。


「そうか、地球は自転で赤道付近は約千七百キロメートル毎時で回ってる。だから飛行機よりも常に速く移動してることになる」

「逆に……赤道から遠ざかる程に、移動距離は少なくなって速度は遅くなる……」


「つまりは! 地球では赤道から北極・南極点にかけて常に時間軸が歪んでるってことですか!?」


 お菓子をつまみながら、しばらく黙って話を聞いていた四人目の部員。『マリア』が、いつもの明るい口調で、ようやくこの話題に入ってきた。


 少々やっかいだけど、こいつの説明もしなければならない。

 マリアは僕のひとつ下で十六歳、一年生。科学研究部は四人しかいないので、こいつが最後のひとりだ。


 僕達とは小学校からの付き合いになるので、かなり長い友人の間柄でもある。

 容姿は小柄で、特徴ともいえるサイドで結んだ長いツインテールが可愛らしさを引き立たせている……。


 僕は、マリアにずっと前から好意を持たれていて、これまでにも何度か告白されてきたけれど、その都度断ってきて今に至っているのだが……。

 高校に入って由那と付き合いだしてからは、ぱったり諦めたのか告白されることは無くなった。

 マリアのことはぜんぜん嫌いじゃないし、僕とか未那や由那とも違う、屈託のない明るいそのキャラクターはこの四人のバランスを保つうえで、むしろなくてはならない存在だ。


 それでも、これまでマリアの告白を断り続けてきたのには、れっきとした理由わけがある……。


 どこからどう見ても少女そのものの容姿でありながら、本名は間理空(はざま りく)。

 ……正真正銘の男だ。現代風に言うなら『男の』に分類される。

 たぶんマリアは生まれ持って、選ばれた男の娘としての完全資質を持っているのだろう……。両親や、まわりの人間もいつの間にかすっかりそれを受け入れていた。


 さて、ついさっきマリアが言った言葉の内容をイメージしてみる。


「時間の歪み……。人間には普段、認識されないレベルだろうけど、そんなもんなのか」


 本当に時間とは、それほど簡単に歪むものなんだろうか? なかなか頭だけでは理解できない。

 そこら中で歪みまくった時間の流れを、まるで精度の悪い時計をリセットするかのように整合して、何事もなく世界は成り立っているのだろうか……?


「時間の概念を持っているのは知的生物だけでしょうからね」


 未那は、おそらく『時間』という概念を持たなければ、それ自体を計り知ることもできないという意味で話を切った。


「ミジンコには時間観測はできない! ですね!」

「シュウはミジンコかな?」


 未那が冗談っぽく笑う。


「えーっ! シュウ君はミジンコなんかじゃないですよー!」


 マリアは真面目に否定してくれるが……。

 僕としてはべつに気にも留めなかったし、よく考えようともしていなかった。


「とにかく、僕には時間の歪みを計測することも、相対性理論の真偽を検証することもできないし。それを応用した時間移動が可能になるかもわからないぞ」


 タイムマシン理論には次に、時空を歪めてそれを利用しようというものがある。代表的なものに、『ワームホール理論』、『宇宙ひも理論』なんかがそのたぐいとされているけれど。

 どちらにしても、相対性理論が組み込まれていて、そこをはっきりさせないことには成立しない。

 第一、宇宙のどこにあるかもわからない仮説の穴やひもを発見して、人間がどうこうできるなんて、僕自身が思えなかった。

 まず間違いなく、僕が生きている間の地球の科学力では実現不可能だろう。


「由那は? どう思うんだ?」

「シュウちゃんが……、ミジンコ…………?」


 由那は、僕がミジンコかどうか本気で考えていたようだ。まぁ大方、哲学的なことまで思索にふけっていたんだろう。


「そ、そうじゃなくって! 時間移動、タイムマシンが作れるかどうか? ってことについてだよ」


少しあきれた言い方で促すと、一拍呼吸をあけて由那は口を開いた。


「わたしは……、できないと思う……。未来永劫…………」


 意外だった。由那のことだから、『タキオン理論』や『セシウムレーザー光理論』のような新しい粒子加速を利用した方法を考えているのかと思っていた。


「あら。未来永劫ってことは、遠い未来には時間の仕組みが解明されて、どれだけ科学技術が発展したとしても無理ってことよね?」


 女の子は自分の主張の肯定や共感を好むと言われるけれど、ここでは忌憚きたんの無い意見が求められる。


「うん……」


 由那は自信なく答えるが、考えもなく結論を出す性格じゃあない。


「なんか根拠がありそうだな?」


 問いかけると、小さく頷いた……。


「タイムパラドックス……。時間移動での過去の行動は、どんな些細な行動でも改変が加わると、その影響で想像もしない結果が起こると思うの……。現時点で深刻なパラドックスが起こってないということは、誰も過去を改変していない証拠……」


 そうだ! 『パラドックス』時間移動のテーマとは切っても切り離せない問題だ。


 『親殺しのパラドックス』は誰でも一度は聞いたことがあると思う。

 時間移動者が産まれる前の両親のどちらかを殺した場合。結果として移動者本人は産まれてこないことになり、産まれてこない子供は将来、時間移動をすることなく親は殺されることはない。

 同様に、過去に時間を遡って自分自身を殺す。タイムマシンを発明できないようにそれを阻止することなども、終わらないパラドックスを生む。


「確かにそれはあるよな、もしタイムトラベラーがいたとして、そんな規格外で便利な力を持っているのなら、何で自分の都合のいい歴史に作り変えなかったのか? ってなる」

「それがいいひとだったら、きっと預言者になってて戦争や大災害も回避できていますし! 平和で犠牲者のいない歴史に変わったなら、たぶんその人がやったことの偉業が痕跡となって残りそうですよね!」

「そして、第二・第三のタイムトラベラーが現れたら、歴史は改変競争になっているはずで、現実はそうなっていないから時間移動しての改変は実質不可能ってことか」


 大規模な改変があれば大勢の人間の人生が変わって、それに関わる人間の行動の結果から今とはまったく違う未来(現在)が訪れていただろう。

 たとえ小規模な改変だったとして、歴史が変わる程度じゃなくても、別の過去・記録を持つことになって現在の記憶とは混乱し、必ずどこかにほころびが発生する。


「それについては、パラドックスを生まない説がいくつか考えられているわね」


 未那は話題がパラドックスに言及することまで予想していたようだ。


「まず、どうやっても過去は改変できないとする説。パラドックスが起きるような行動は全て何らかの形で失敗するのよ」

「ほんとにそんなことってあるか? 人間の意志を持って実行されることがそう簡単に失敗するとは思えないなぁ」


「それはそれで、不自然な結果を生みそうですよね!?」


 例えば、極端な話。至近距離から武器を突きつけて、目的の人間を殺そうとしたなら、一体どんなイレギュラーが起こるというだろう? もし、そんな状況を失敗に導く現象が起こるとすれば、別のパラドックスが生まれてもおかしくない……。


「そうね、この説は人間の自由意志を失うことになって、あたしも好きじゃない」


 未那の好き嫌いはこの際別として。どんな行動も失敗に導かれるというのは、正直おそろしく神の所業しょぎょうを感じさせる。


「創作では深刻な改変やパラドクスを阻止するための組織、『タイムパトロール』なんてのも考えられてるわね」

「あ、それはドラ〇もんでも何回か使われてますよね!? 知ってます!」


 マリアは科学研究部の部員として、僕達と話を合わせようと知識をマンガやアニメから取り入れている。それでもこういったテーマの内容では決して無駄ではない。

 空想科学を進歩させてきたのは、そういった近代サブカルチャーでもある。


「超文明まで発展・進化した宇宙人か何かが宇宙の秩序を守ってるのか……。それなら安心だな」


 別にマリアを褒めたわけじゃないけど。長い結び髪を犬のしっぽみたいにゆらゆらと揺らして、マリアの顔は心なしかうれしそうだ。


「次に、平行宇宙・多世界解釈とかのパラレルワールド説ね。おおまかに言うと時間移動した先は元の世界とそっくりな枝別れした別世界で、そっちでの行動はそのままその別世界での未来をつくるわ」

「その説でいくと、元の世界では影響を受けなくてパラドックスが起きないから……。わたしが想定してる時間移動できないって証明は無くなるんだけど……」


 姉の言葉に、由那は少し困った表情で首をかしげてみせる。


 だが考えてもみれば、パラレルワールドっていうのはどこで誕生するんだろう? 勿論、その世界でも地球の属する銀河系宇宙や、更には見果てぬ全宇宙までもが存在するならば、世界が分岐した瞬間にその全ての宇宙が展開しなくてはならない。

 宇宙とはそんな都合で増殖していいのだろうか? それこそタイムパトロールに逮捕されるであろう案件だ。


「おもしろいと思うけど別の問題が出てくると思わないか?」

「そうですか? 時間移動とパラドックスを起こさない方法としては、なんとなく成立してそうですけど!?」


 マリアはお菓子を頬張りながら返事をした。


「それとは別のことだけど重要なことだと思う。時間移動して別世界に移ったのが、ひとりの主観者なら、元の世界に残されたその他大勢の主観はどうなる?」

「別世界は元の世界と干渉しないから……、全員の主観はそのまま……」

「そうすると別世界で過去改変した先の未来は、元の世界の人間には認知されないから、せっかく変わったはずの未来はそいつの主観だけのものだし、本来やりたかったこととはちょっと違うんじゃないかなって」


 過去を改変しようと時間移動する目的は人それぞれだ……。

 未来の自分の人生を変えたい者。知識を利用して自らが金儲けしようと思う者。はたまた事故や災害で亡くなった家族や恋人の宿命にあらがおうとする者。だから、別世界での未来をその主観者が自己満足とするなら、この説でも問題にしないのだろうか。


「そう……だよね……? わたしが好きになったシュウちゃんは、この世界のシュウちゃんで……、別世界のシュウちゃんじゃないもんね…………」


 由那がうつむき加減で消え入るような声で呟いた。

 その小さな呟きが未那の耳にも届いたのか、目の奥が一瞬、寂しそうに曇って見えたのは、気の所為せいだっただろうか……。


「あとは、過去改変はすでに歴史に組み込まれてる説。だとか」


 気を取り直したように、未那が再び切り出した。


「ようするに、現在はすでに未来からの改変干渉の結果で成り立っているってことね。このパターンだと現在にいる主観者からは改変されたことを認識できないわね」

「現在で起きている歴史や事件は、未来人が引き起こした改変を成立させる道筋として、導かれた結果だということなのか?」


 未来には結果が先にあり、全ての歴史はそこに向かって経過していく、という『逆因果』もこれにあたる。結果を捻じ曲げることで、それを形成させる歴史の流れも強引に曲げてしまう。

 だが、これはすぐに主観者は誰か? という問題に行き着く。

 過去が改変されれば未来は変わり、未来が改変されれば過去も変わるというパラドックスが際限なく繰り返されるからだ……。


「そして、最悪の場合は……。パラドックスによって全てが消滅するっていう説……」


 由那が、やけに真剣な面持ちで言い洩らした。


「そう、パラドックスの矛盾を解消できないことによって、全宇宙もしくはパラドックスの原因のある宇宙の一部が消滅するとされる考え方ね」


 現在の世界が消滅せずにいまだに残っていることは、この説の誤りか、これまで世界に深刻なパラドックスが起こってこなかったことの証明かもしれない。


「時間移動した先の自分と接触しちゃいけないとかは、わりと使われてる話ではあるけれど」

「もし、ほんとに消滅しちゃったら大問題ですもんね!」

「タイムマシン開発にブレーキをかけるものがあるとすれば、この問題が一番だと思うな。安易に過去を改変しようとしても宇宙が消滅してしまったら元も子もないだろ」


 これはさすがに確認のしようがない。


 さて、ここまで長々と時間移動の方法とパラドックスを回避する方法について、いろいろと話し合ってきたけれど……。

 率直に言って、僕には判断がつかなかった。理論をいくら並べても仮説の域を出ることはなく、実用とするにはほど遠いだろう。

 けれど、科学の進歩にも可能性を期待したい。いまある仮説とはまったく違う理論が発見されるなどして、いっきにタイムマシン開発が進むことは無いだろうか……?


「それなら、ひとまずパラドックスは起きないって前提でならどお?」


 未那は机の上に頬杖をついて構えた。こうなったら何らかの結論を出すまでは帰る気はなさそうだ……。


 そういう未那はいったいどう考えてるんだろう?

 あいつのことだから、きっと今日も僕を論破することが目的だ。


 おそらく僕が可能と結論づけるなら、不可能という論を持ってきて、逆に不可能と結論づけた場合は可能とする論を無理やり持ってくるはずだろう。

 それでも、今日の議論の内容からは可能と裏付ける材料は殆どと言っていいほど無い。、未那は可能といえるロジックを持ってるってことか?


 聞いてみたい……。僕達には想像もつかない方法で、時間移動は可能と言い切るというのか?

 それとも、「実はあたしは未来から来た!」とかいうネタをぶちまけるつもりだろうか。

 僕は好奇心に負けてしまった。今日は素直に未那の持論とやらを聞きたくなった。


「まいったよ……。何かとっておきのアイデアがあるんだろ? 時間移動とパラドックスを回避できるいい方法がさぁ」


 未那はニヤリと勝ち誇った笑いを浮かべて。


「聞きたい……?」


 わざと憎らしく、ちょっとだけもったいぶってみせた。


「まさか、何も無いとは言わせないからな」


 すごくしゃくだけど、ぜひ聞いておかねばならない。

 由那とマリアのふたりも息を呑む。


 おおげさに間をつくったかと思うと、やっと答えを口にした。


「ヒントはね……、『幽霊』よ!」


「…………!?」


 未那の口から飛び出したのは、到底科学研究部部長とは思えない言葉。

 意外すぎる台詞せりふに、三人ともがしばし固まってしまった……!


「あははっ! ありえないですよー! 未那ちゃん!」

「くすくすっ……。お姉ちゃん……、どうしたの?」


 これだけ長いネタ振りから、こんなバカらしいオチっていうのは未那ならではだからかもしれない。

 由那とマリアのふたりは、真顔だった未那のギャグに笑いを抑え切れないでいた。


 けれど、僕が固まった理由はふたりとは違っていた。幽霊というその単語に背筋が凍りついて冷や汗がにじみ出た。


 何故なら、僕は一年ほど前からしばしば幽霊のような気配を感じ取るようになっていて、けっしてそれがありえない存在では無くなっていたからだ。

 そのことはこれまで三人には秘密にしていたけれど、未那に見透かされたような気がして、すこし気持ち悪くなった。


「ちょっと、未那。いつからオカ研になったんだよ?」


 動揺をさとられないように、僕もつとめて笑いながらツッコむ。


「まぁまぁ、ちゃんと最後まで聞きなさいって」


 おや……!? 本当は冗談じゃなかったのか……?

 まだ言いたいことがあるようなので、再びみんなは沈黙した。


「幽霊って普通は亡くなった人が、残って現れているってことでしょう?」

「…………!」

「それってつまり、一種の時間移動状態だと言えるはずよ」


 見方を変えるなら、過去の人間が時を経て現在になっても尚、保存されている……。

 聞いていた三人ともがハッとなった。まさに目からウロコ。


「そして……、幽霊の存在によって世界に一度もパラドックスが起こったことが無いなら」

「パラドックスを必ず回避できる方法が存在するってこと……なのかな……?」


 少なくとも宇宙が消滅するような結果にはならないらしい。


「未那ちゃん、すごいですよー! じゅうぶんありえます!」


 確かにこれは完全に盲点だった。方法がどうというのではなく、という観念を考え直さないといけない。

 全員から一定の理解を得られて、未那は気をよくしていた。


「勿論、幽霊理論で全て解決するなんて言わないけどねっ」

「いや大事なのは、現代科学では解明されていない方法。まったく違う理論で以って、現在でも時間移動できているという事実があるってことだ」


 さすが未那だ……。固定観念をくつがえす視点から物事を詰めてくる。


 まだ興奮は冷めやらないが、気が付くとだいぶ日が暮れて外は暗くなっていた。それでも熱心な運動部などのために校内では明かりの点いている所は多い。

 部屋の時計をちらりと確認すると十九時を回っていたけれど、僕達にはよくあることだったので家族はたいして心配なんかしてないのだが……。


「さて、一応の結論は出たことだし、今日はもうそろそろ帰るとしましょうか?」


 僕が時計を気にした所為か、部長である未那が気を利かせて場を締めようとしていた。


「そうですね! 続きは明日もできますからね!」


 言いながら、マリアは食べ終わったお菓子の箱などを、しっかりみんなのぶんまで片付けていた。出来のいい後輩がいて有り難いと心の中では感謝しておく。

 それぞれの帰り仕度が済んだようで、部室である理科準備室の扉を未那が開けると、並んで薄暗い廊下へと進み出る。


 列の最後にいた僕が、右手をのばして部室の蛍光灯のスイッチを押して消す……。

 闇が降りた部室を後ろ目に見ながら、扉を閉じようとしたその時。


 ――――ッ!


 まただ。ほんの一瞬だったが部室の隅に霊的な何者かがいる気配を察知して、全身に冷たい悪寒が走った……。

 今度は眼を凝らして見ても、その影すら見えないし気配もすでに消えてしまっていた。きっと見間違いだと頭に思い込ませようとするも、数分前の未那の言葉がよみがえる……。


 それは恐怖に満ちた形相なんかが見えるわけではなく、断末魔の叫びが聞こえるわけでもない。ただ、いつも何かを必死で訴えかけているような、念みたいなものが空気の中に色濃く混じっている……。


「シュウちゃん……?」


 鞄を持つ左腕の袖をそっとつままれながら、由那に小声で名前を呼ばれた。

 僕の不自然な間に何か感じ取ったのかもしれない。由那は頭の回転が早いし、感も鋭い。さぞかし不安な表情をうかべていることだろう……。


「あ、あぁ……、なんでもない。部室にケータイを忘れたかと思ったけど、大丈夫みたいだ」


 何事も無かったように扉を閉め、微笑みでつくろいながら向き直る。


「帰ろう」


 由那の不安を打ち消すように、つまんだ手を取ってしっかりと繋ぎ直すと、彼女は何も言わず、普段の優しい顔に戻った。


 廊下を少し進んだ所で、未那とマリアが僕達を待っていたので、すぐに追いついて四人横になって歩く。



 ¶



「あっ、そうです!」


 学校の玄関を出ると、いきなりマリアが何か思いついたように声をあげた。


「明日はちょっとした実験をしてみませんか!?」

「……実験?」


 も不思議そうに聞き返した未那だったが、その声はどことなくたのしげだ。

 未那も今日のような議論ばかりも少なからずは飽きていたのかもしれないが、科学研究部としては実験などは望むところだ。


「先に言っておくけど。未那の幽霊理論を実践して、時間移動したい! なんて言うなら止めておきたい」


 僕の冗談に、マリアは笑いながら首を横に振った。


「今日の時間移動の話の殆どは、相対性理論が関係していますよね?」

「そうね、議論のとおり相対性理論無しでは語れないわ」


「だけど、その相対性理論自体がだいぶ疑わしい、ってことじゃないか?」


 僕にはマリアの言いたいことが、イマイチよくつかめないでいた。


「はい! だからこそ相対性理論の真偽の裏づけが必要だと思うんです!」


 それはしかり。だがもし、正しくないことが証明されれば、既存のタイムマシン理論は破綻しかねない。


「けど、どうやって? あたし達には調べようもないわよ?」

「そこはマリアに任せてください! 家におもしろい物があるのを思い出しました!」


「おもしろい物って……?」

「それはまた明日、家から持って来るので! それまでナイショってことにします!」


 双子姉妹は揃って釈然としない様子の顔を見合わせた。


「そうか、なんか楽しみだな」


 めずらしくマリアがすごくやる気を出してくれているようなので、誰もが水を差すようなことは言わなかった。


「そういえば……聞いてなかったよな。マリアはどっちなんだ? 時間移動は可能だと思うか?」

「えっ、マリアは――」


 立てた人差し指を唇にあてがって考える仕草をしながら、ドキッとするような少女の笑顔を見せる。


「できると思います! だって、アニメやドラマだと特に根拠は無いけど、タイムスリップする話はいっぱいあるじゃないですか!」


 その言葉が本気だったのか冗談だったのかはわからないけれど、やっぱりこいつはいつも無邪気でいいな。と、僕は思った……。

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