第5話 過ぎた時間

あぁそうか。なんだ。もうここにいる事も待つ事も彼の顔を見る事も出来ないのか。


「大丈夫?」彼女は私を気遣うように囁いた。私は彼女の思いが嬉しかった。

あっ!彼は?彼はどうしたのだろう?私は彼の事を聞きたくなった。


「あの…聞いていい?彼はどうしてるの?」

あの日、彼も学校に向かったはずだった。

もしかしたら彼も迷っているのでは?

その思いが頭をよぎった。


彼女が語った言葉はとても衝撃的だった。「彼は成人し、その後結婚して3人の子供と5人の孫に囲まれて、それなりに暮らしてるわ。あれから60年も経過してるしね。」


「そんなに…。」

私は愕然とした。60年って言うと彼は77歳。私にとっては、ほんの2~3日のような気がしていた。


不意に彼女が私に囁き始めた。

「あなたは彼が憎らしい?自分に訪れない時を刻んだ事を。」


彼女は私の心を揺さぶるように尋ねる。


「待ち合わせの約束をしなければ、あなたも時を重ねていたかも知れないのよ。」


私は私の中にあるどろどろとした感情を思わず口ずさんでいた。


「憎い。」

「妬ましい。」

「許せない。」


言葉にして吐き出して見ると、それは長くは続かなかった。代わりにあの日の彼への思いと彼の優しい声が心に響いてきた。

その瞬間どろどろとした感情が薄れ始め、

雨が全てを流すかのように、先程まで感じていた薄暗く鈍よりとした物は跡形もなく消えていってしまった。


「彼は幸せなんだよね。」ポツリと呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る