第336話


 エディが銃剣を突き付けると、ファルは呆けた様に目を丸くした。武器を持って来いと言った時点で予想は出来ただろうに、それでも頭の処理は追い付かないらしい。


「……先輩」

「今から、ボクと打ち合いをしましょう。……どうせ、謹慎処分で腕もなまってるんでしょうし、鬱憤を晴らす良い機会っすよ」


 言いながら、エディは率先して銃剣を引き抜く。

 一丁は出来合いのものだ。呪詛事件で一丁を溶かされてから、新しく発注したものはまだ届いていない。もう数日かかるという話だった。

 ファルも目ざとく気付いたらしい。いきなりの提案にもいぶかし気な顔をしていたが、片方の銃剣を見て更に疑惑の目を向けてきた。



「……それ、エディ先輩がいつも使ってるやつと違いますよね?」

「そうっすね。まあ、間に合わせのものですが、充分でしょう」

「……。……馬鹿にして……っ」



 怒りを放つ様にファルが剣を抜く。

 相変わらずショーテルを使っているらしい。穂先が半円の様に曲がったその剣は、いつ見ても不思議だ。あれでよくぞ様々な場面に対応出来る。エディは使い方を教えはしたが、使いこなすのは到底無理だった。

 しかし、彼は物にした。

 色んな武器を試した結果、エディが勧めたショーテルを選んで、死に物狂いで訓練したのだ。

 ああ、懐かしい。



〝えー、変じゃないですよ! エディ先輩って優しいし、……オレ、ここに入れて良かったなーって〟



 あれだけ酷いことを言われたのに、今思い出す過去は全て優しい。



 何故だろうと考えて、エディは一つに結論に辿り着いた。その理由は、もう既にこの身をもって学んでいたのだ。

 そして――。


「……良いでしょう。……あくまでそっちが馬鹿にしてくるというなら、その甘ったれた胸を借りて全力でぶっ倒しますよ!」


 ファルが怒りでぎらついた眼差しで貫いてくる。

 同時に、弾丸の如く迷いなく突っ込んできた。

 かなりの速度で迫って来る彼は、三年前よりもずっと素早い。成長しているのだと、今更ながらにエディは感嘆する。

 だが。


「……素早さなら、ボクも負けないっすよ」


 ファルが、エディの構えた銃剣をすり抜けてショーテルの一撃を横払いで繰り出してくる。

 だが、それは後方に跳躍してかわした。一閃はエディの眼前をすり抜けて虚しく空を切る。

 しかし直後、更に大きく踏み込んで、彼は返す刃でまた横払いを放ってきた。息つく間もない彼の踏み込みの大胆さに一瞬目を丸くしたが、エディも負けじと後ろに飛ぶ。同時に今度は、銃剣を振るって受け流して相手の軌道を逸らす。


 ショーテルは、本当に戦い方が特殊だ。


 大きく湾曲わんきょくしている形故に、構えた武器を飛び越えて斬り付けられるのだから、堪ったものではない。おまけに、右に左に素早く払っても脅威になるため、躱しても気が抜けないのだ。

 拉致事件の時よりも、彼の剣技は鋭さが増している。あの時は本調子ではなかったのだと知って、エディはどこかでホッとする自分がいた。その事実に、また心の中だけで苦笑する。

 エディの戦闘スタイルは遠近両用ではあるが、第十三位の布陣故に遠距離になることが多い。なので、近接戦闘はどちらかというとファルに軍配が上がりやすいのだ。

 しかし、そんなことで怯むわけもない。



「――修羅場なら、ボクの方が多くくぐり抜けていますからね」

「――っ⁉」



 何度か切り合い、躱した後、エディは一瞬空いた彼の横の隙を突いて勢い良く走り抜ける。同時に片方で銃を放ち、もう片方で剣の峰を叩き付けた。

 ファルも何とか反応して銃弾の方はショーテルで弾いたが、太刀の方はまともに食らっていた。がっ、と、うめきながら少しだけ吹っ飛ばされて地面に転がり落ちる。

 立ち上がろうとする彼に銃口を突き付け、エディはあくまで冷淡に見下ろした。


「もう終わりっすか。あっけないっすね」

「……っ。まだ……!」

「動いたら撃ちますよ。……まあ、これは訓練用なので実弾じゃないっすけど」


 インク弾のため、全身がカラフルになるだけである。

 それでも、ファルにとっては屈辱だろう。それだけ攻撃を受けたという証になるのだ。

 彼が悔しそうに歯ぎしりするが、どこか力が抜けた様に項垂うなだれている。

 以前の彼なら、どこかで隙を窺ってぎらつく眼光を絶やさなかったのに、現状は違う。随分と腑抜けたな、と微かに疑問がちらついた。


「……あんた、三年前より弱くなったんじゃないっすか?」

「はあっ⁉ んなわけないでしょう! 三年前なら、こんなに持ちませんよ!」

「そうっすね。じゃあ、弱くなったのは心ですか。あれだけ上に行くって言って息巻いていたあんたは何処に行ったんすかね。見る影もない」

「――っ」


 挑発する様に責めれば、ファルは唇を噛み締めて睨み上げてきた。怒りと憎しみに渦巻かれながらも、やはりぎらつきがない。

 それが、何故か悲しかった。


「腕だけ上がったって、もろいもんです。拮抗したら、最後は気合が物を言うんですよ。……心が弱くなったから、銃口突き付けられたくらいで、あんたは諦めるんです」

「はあ? ……だって、今はあんたが、これで終わりだって」

「昔なら、もっと貪欲に食らいついていた。ボクもヒヤッとする時があった。でも、……今のあんたじゃ、百回やったって百回とも楽に勝てる。ほんっと、弱すぎです。それでよく上に行くとか言ったものっすね」

「……な、んですって……っ」


 言葉にするたび、ファルの顔が憎々し気に歪んでいく。エディの心も脈打つ様に痛んだが、止めるわけにはいかない。


「ボクなんかまだまだ弱い方っすよ。フランツ団長やシュリア姉さん、レイン兄さんという化け物が世の中にはいるんですから。ああ、パーシヴァル殿や、魔王の様にこの世に降臨するケント殿は言わずもがなっすよね」

「……っ、せん、ぱ……っ」

「だって言うのに、たかだかボクごときに負けるとか。新人でさえ、ボクと互角なまま終わる時が多くなってきたっていうのに」

「は……」

「あーあ。がっかりっす。三年前、少しとはいえ一生懸命教えていたボクの労力は、全部無駄になりましたね」


 はあっと大袈裟に溜息を吐き、エディは冷たくトドメを刺すことにした。



「ファル。あんた、弱いっす。――いい加減、夢は夢のまま終わらせたらどうっすか」

「――――――――」



 瞬間。



 がきいっと、エディは真正面からの一撃を銃剣で受け止める。びりっと、受け止めた右手が痺れる様に揺れた。

 だが、それだけでは終わらない。ファルが食い千切る様な形相で、鋭く、激しく、息つく間もなく強烈な一閃を繰り出してくる。

 全て全力だと分かる猛攻に、エディも逃げずに真っ向から全て受け止めた。普通なら馬鹿正直にここまで受け止めない。そんなことをすれば、目に見えるほどに力がすり減っていくからだ。

 けれど。


「あんたに、……あんたにっ! 何が分かるって言うんだ!」

「……はあ? 何って何ですか? ボク、あんたの本音なんて全然聞いたことないんで」

「あんたには分からない! オレは、……オレは! 上に! ……上に! 絶対上に! 行くんだっ‼」


 言い聞かせる様に、挑む様に、ファルは切り込みながら同じ言葉を繰り返す。

 それが、まるで呪いの様に――決意というよりは悲鳴の様に聞こえて、エディは一瞬だけ目を細めた。胸の奥がきしむ様に痛む。


「そうだ……あんたなんか踏み台でしかない。第十三位も踏み台でしかないっ。あんたみたいにへらへら笑っているだけの奴なんかと、オレは違う! オレは! オレは、早く上に行って! 全部押しのけて上に行って! 今まで見下してきた奴ら全員、見下してやらないといけないんだ!」


 叫びながらも攻撃は止まない。どこにそんな馬鹿力がと言わんばかりに全て重い一撃で、エディはそろそろ辛くなってきた。押される様に少しずつ後退していく。

 それに勢い付いたのか、どんどん彼の攻撃は苛烈かれつに増していった。叫びをそのまま剣戟けんげきに乗せているのが、嫌でも伝わってくる。


「パン屋の息子だからなんだ? 平民だからなんだって言うんだ! お前らなんか、ただ聖歌や聖歌語が使えるってだけで、ろくに訓練もしないくせに! 地位だけもらった軟弱者のくせに! お前らなんか! 聖歌語封じられたらただの木偶の坊じゃないか! 実際、オレにぼろくそにやられたくせに! 後で姑息に仕返ししてくるとか、ほんっと腹立つ! ……腹立つ腹立つ腹立つ腹立つっ!」


 ファルの激昂がエディの目を貫く。

 だが、その激昂は既にエディには向いていなかった。


「オレが少し成果を上げたら陰口! オレが上の人と話しているのを見ただけで暴力! オレがほんの少しでも褒められたら部屋を荒らして物を破壊! お前ら、少しでもオレより何か秀でてることあんのかよ! 真面目に訓練してきたのはオレだ! 聖歌語使えなくたって、強くなったのはオレだ! 聖歌語や聖歌にあぐらかいて鍛練怠ったのはお前らだろ!」

「……」

「平民だからこの席に座るな! 平民だから風呂に入るのは最後! 平民だから、平民だから、平民だからあああああああああっ! うんざりなんだよっ! お前らの常套句は聞き飽きた! 実力でねじ伏せてから物を言え! 弱いくせに吠えるのだけ一人前とかうざいんだよ!」


 がんっと、殴る様にショーテルを叩き付けられる。エディは、踏ん張ってそれも受け止めた。

 振るわれる一撃一撃に、彼の悲鳴や怨嗟えんさが乗っている。一つ一つに、無念と慟哭どうこくが込められている。

 ならば、エディは受け止めなければならない。

 第十三位にいた時は、聞けなかった。

 彼は、どこかで本音を――本当に微かな本音を漏らしてくれていたのに。



〝……エディ先輩は、……オレにはこれが似合うって思っているんですよね?〟



 あの時、エディはファルの面倒を見ていたけれど、深く踏み込むのが恐かった。

 だから、聞けなかった。

 彼が上に行きたがっていたのを知っていたのに、その理由をきちんと尋ねたことはなかったのだ。

 武器を勧めた時の彼も、少し様子が変だったのに。

 それまでもにこにこ笑っていたけれど、どこか感激した様に、何かを堪える様な笑い方をしていたのに。


 それなのに、エディは見て見ぬフリをしたのだ。


 変だと気付いたのに、人に――ファルの内面に触れるのが恐くて、逃げた。

 彼が他の人に陰口を叩いていたのを目撃した時だって、すぐに殴らないで、彼の話をもっと聞けば良かった。



 もっと、一緒にいた時に彼を信じて、歩み寄れば良かった。



 今になって、怒涛の如く後悔が押し寄せる。

 分かっている。あの時のエディには無理だった。周りは敵だらけで、誰も信じていなかったエディでは、ファルの嘆きを受け止めるのは無理だっただろう。

 新人カイリが悪口を言いふらしていると勘違いした時も後悔した。

 エディは歓楽街にいた時からずっと、後悔だらけの人生である。

 だからこそ。



〝俺、第十三位が一番信頼できるって思っているし。エディ達のこと好きだし、尊敬しているし。ここ以外の場所なんて考えられないよ〟


〝例え、それで命を落としたとしても後悔はしない。……俺は、俺の心を裏切る行動をした方が、ずっと後悔すると思うから〟



 ――ボクは、もう後悔しないために前に進むと決めた。



 それが、自己満足だとしても。それが、遅すぎる選択だとしても。

 エディも、自分の心を裏切る行動だけはもうしないと決めた。


「どいつもこいつも馬鹿にしやがって! パン屋の息子のこと……パン屋のこと! 馬鹿にしやがって!」

「……、はい」

「パン屋の息子で何が悪い⁉ パン屋の何が悪い! お前ら、パンを一回も食べたことないのかよ⁉ 違うだろ! 毎日毎日ばくばくばくばく食べてるくせに! 美味いとか言って食べてるくせに! パン屋を馬鹿にするなら食べるなよ! パン屋馬鹿にするのもいい加減にしろ!」

「はい」

「オレは、……オレは! 確かに毎日平凡で退屈だったけど! 両親みたいな平凡な生き方はしたくないって思ってたけど!」

「はい」

「でも、……でもっ。……オレは、……オレはっ! ……そんな平凡な生き方の中で、辛いことがあっても、いつだって笑って過ごせるあの人達を、本当は、……本当は……っ、……ずっと、尊敬してたんだ……っ!」


 だから。


 ――ああ。だから、なのか。


 ようやく聞き出せた本心に、エディは震える様にまぶたを閉じる。



「だから、……だから! ――パン屋を、……オレの父さんと母さんを! ……馬鹿にするな……っ‼」



 がん! っと一際ひときわ大きな一撃が叩き込まれた。

 エディはそれを踏ん張って受け止めた。流しはせずに、懸命に力を振り絞って受け入れる。

 ファルはその一撃を最後に、ずるりと崩れる様に地面に落ちた。は、は、と乱れた呼吸が彼の全力の叫びを物語っている。


 彼が騎士になりたかった理由は、最初は別にあったのかもしれない。


 だが、きっとその内に目指す理由が変わり、毎日受ける屈辱に絶望し、だんだんと捻じ曲がっていったのだろう。

 人は、弱い。逆境の中でも常に強く自分で在ろうとする人の方が、圧倒的に少ないのだ。

 エディだってそうだった。歓楽街で生きていた時も、足抜けした時も、ロディを避け続けてきた時も、弱かった。騎士になってからは、如何に男娼と見られないかを意識して言動を偽ってきた。

 だから。



〝例え偽善だと言われようと、俺がそうしたいからするんだ〟



 新人――カイリの生き方は、眩しい。

 でも、だからこそ、彼と共に生きたいと強く願った。


「……あんた、ちゃんと強くなりたい理由、あったんすね」

「……」

「まあ、それで、あんたを馬鹿にした奴らと同じになってちゃ世話ないっすけど」

「……うっさいですよ」

「うるさくても事実です。正直、カッコ悪いです。それだけ胸を張れる理由があるのに、あんたの今までの行動で全て台無しです。大抵の奴らは信じられないでしょうね。あんた、同じことしてるじゃんって」


 ぐうの音も出ないのか、ファルは押し黙ってしまった。自覚はちゃんとあるらしい。

 だが、自覚があるのは良いことだ。

 少し前の彼なら、聞き入れなかったかもしれない。

 彼も、何かをキッカケに変わろうとしている。それを知れただけでもう充分だった。



「あんたが今までしてきたことは許されることじゃないですし、許せないです。ボクは、一生貴方がボクに、ボク達に、新人に、そしてロディ達にしたことを許すことはないでしょう」

「……っ、……ええ。だから、こうやってオレを笑いものに」

「だから、これからはきちんと生きて下さい」

「――」



 ファルの自虐を遮り、エディは静かに突き付ける。

 彼が驚いた様に見上げてきたのを見て、エディは笑いかけたくなるのをぐっと堪えた。今ここで甘い顔をしたら、彼はまた流されるかもしれない。


「ボク達にした過去は取り消せないですけど、未来はこれからです。あんたがこれからどうやって生きるのか、どうやって変わっていくのか。ボクは監視することにします」

「……エディ先輩……」

「過去を許すことはないですけど、これからのあんたを否定することはありません。……あんたが、騎士として正しい行いをして、騎士として弱い人を助けて、守り抜く。何より、両親を誇って、両親の誇りになれる様に堂々と歩いて行けるのかどうか、確かめたいと思います」

「……」

「それで変わるなら良し。変わらなかったら、……所詮しょせんそういう人間だった。そう判断するだけです」


 カイリ達が受け入れるかは分からない。あくまでエディの決断だ。

 けれど、それで良いと思う。エディが決めたことを、カイリ達はとやかく言わない。何かを言いたかったとしても飲み込んで、ただ笑って「そうか」と認めてくれるだろう。

 エディは本当に恵まれている。第十三位に入れて良かった。


「言いたかったのはこれだけです。じゃあ、ボクはこれで」

「え、……っ、え、エディ先輩! 待って!」


 背を向けると、呆けていたファルが、我に返って慌てて服の裾を掴んでくる。

 腕や肩じゃなかったのは、彼なりの配慮だろうか。エディはあまり人に触れられるのが好きではない。


「何で……」

「何で?」

「何で、そんな……、……そんなこと言えるんですか」


 唇を震わせ、ファルは言い募る。


「オレは、あんたにかなり酷いことを言いました。……昔の過去のこととか、匂わせる様にカイリ殿に言ったりとか。……一人になった時に、色々過去をえぐる様なこと言ったりとか、……わざと、色々、ぶつけて」

「……」

「普通、もう見捨てるでしょ。……こんなオレなんか嫌でしょ。オレだって嫌だ。こんな、……親切にしてもらいながら、恩をあだで返す様な、薄情ですぐに裏切るこんな、……、……………………こんな……っ」


 それ以上の単語が出てこないのか、ファルは口ごもってしまう。何を口にしても自虐しかない複雑な表情は、三年前を思い出す。

 そうだ。三年前の方が、遥かに彼は表情が豊かだった。初めて入ってきた時は、ただただ笑顔で、それ以外の表情なんて無かったのだ。

 しかし、第十三位で過ごしていく内に、表情の変化がどんどんどんどん増えていって。



〝オレ、ここに入れて良かったです〟



 あの時の笑顔は少なくとも本物だった。そう、信じたくなったのだ。



「……。確かに、第十三位を抜けてからのあんたとは、嫌な思い出ばかりっすけど」

「……。……だったら」

「でも、……あんたと過ごした日々は、少なくともボクにとっては全部優しくて、良い思い出ばかりだったので」

「――――――――」

「だから、ボクはもう一度あんたを信じてみることにしました。……甘いって言われても、誰もが馬鹿にしようとも、ボクはもうこの気持ちを偽りません」



 だから、と。エディは振り返って、ようやく――ようやく、彼の前で花開く様に笑えた。



「ファル。どうか、今度こそ、貴方の信じる道を進んでください」



 彼は上を目指すうちに捻くれ、心を落とし、大切だったはずのものすら切り捨てて間違った道を歩み続けてきた。

 だが、エディに対して葛藤を抱けているのならば、戻れるはずだ。全ては彼次第だが、彼が本当の本当に願った道を歩けることを祈る。

 ファルが眩しそうに、――泣きそうに顔をくしゃりと潰して見上げてくるのを最後に、エディは今度こそ背を向けた。伝えたいことは伝え終わった。後はファルの問題である。

 レインは本気で最後まで口を挟んでは来なかった。見届け人の役割を正しく果たしてくれたらしい。


「……レイン兄さん。ありがとうございます」

「おー。……お前、確かに甘いよな」

「カイリみたいに?」

「ああ。……エリックの墓前で言ってたあいつの言葉、思い出しちまった」


〝エリックさんのことを許せなくても、大好きなこと。助けてくれて嬉しかったこと。否定しないで、歩いて行きます〟


 許せなくても、好きなこと。

 助けてくれて、嬉しかったこと。

 矛盾する気持ちを否定せずに、全て受け入れて歩いて行く。


 彼の背中を、決意を見ていたからこそ、エディもこの結論けついに辿り着けた。あの姿を見たことがなければ、今もエディはファルと向き合えないままだったかもしれない。


「……はあ。カイリは本当、弱いくせに強いですよね」

「そうだなー。……そろそろ新人呼びやめるのか?」

「いいえ。しばらくは、新人と呼びます。……もう少し先輩風吹かせておきたいので」

「おーおー、ま、好きにしな。……もう、あんまり先輩って感じがしねえけど」

「何言ってるんです! こんなに立派な先輩じゃないっすか!」

「いや? 兄って感じじゃね?」

「……。それなら、許します」

「……。……こいつ、ちょろいな」

「悪かったっすね! どうせちょろいんです」


 呆れた様に肩をすくめるレインに、エディは遠慮なくむくれる。昔のエディなら突っかかりはしても、ねる様な真似は出来なかった。

 そんなやり取りが出来る様になった自分が、少しだけ誇らしかった。











「はあ……あの人、本当に馬鹿だなあ」


 草むらに寝転がりながら、ファルは独り言の様に呟く。実際独り言だ。他に誰もいないのだから。

 嫌がらせを受け、散々甚振いたぶられ、傷をえぐる様な真似をした者に、情けをかける。そんな馬鹿はきっと、そうそういないだろう。

 そうだ。



〝だから、ボクはもう一度あんたを信じてみることにしました〟



 そんな甘いこと。エディだから言えるのだ。


「……、……何で……」


 心がぐちゃぐちゃだ。彼を踏み付けたいと思うと同時に、こうして手を握って引き上げようとしてくれることに、どうしようもない歓喜が湧く。

 彼の顔を歪ませて、優越感に浸りたかったのに、笑いかけてくれただけでホッとする。

 嫌って欲しかった。憎んで欲しかった。殺してやりたいと罵って欲しかった。

 そうすれば、ファルは解放される。第十三位ではなく、エディというくさびから解き放たれて、自由になれる。

 そう、思っていたのに。



〝ファル。どうか、今度こそ、貴方の信じる道を進んでください〟



 結局、今もファルは、エディに支配されている。



〝じゃあ、今日はここまで。ほら、座って下さい。手当てするから〟



 第十三位で、彼に世話を焼かれた時から、ずっと。


「……、……これからの未来、か」


 過去は取り戻せない。やり直しもきかない。どうしたって、罪はあがなえない。

 それでも、新しく始めることは出来るのだろうか。こんな腐った人間でも、もう一度立ち上がって良いのだろうか。

 本当は。



〝オレ、ここに入れて良かったです〟



 あの時、第十三位にこのままいたいと思っていた。



 ただ上にのし上がるためだけに第十三位を利用して、『あの人』に言われるがままに彼らの悪口を吹聴し、悪意を振り撒くことしか考えていなかった。

 それなのに、いつの間にかあそこが今までで一番居心地が良くなっていた。

 一度、受けた依頼を断ろうと考えたこともあった。そうすれば、彼らを――エディを裏切らなくて済むのではと思ったのだ。

 けれど。



〝君。少し、頼まれてくれませんか〟



 ――『あの人』の頼みを断ったら、果たしてどうなるのだろうか。



 相手は底知れない。当時訓練生だったファルでさえ、得体の知れない空気を感じ取った。

 あの時はただ特別な人に認められて浮かれ上がっていたけれど、よくよく考えると変だ。何故、あれだけ普通とも言える集まりの第十三位を、あそこまでおとしめようとしていたのか。

 天秤にかけて、結局ファルは自分を取った。欲望と自己保身を選んだのだ。

 しかし。


「……いつまで経っても、燻った気持ちは晴れなかったし」


 素直になっておけば良かったのかもしれない。エディにこれだけ執着していたのは、彼に認めて欲しかったのだと、恥を忍んででも受け入れれば良かったのだ。

 死んでいたかもしれないが、人として大切なものを捨て去って見下してきた輩と同じ人種になっていれば世話が無い。エディの言う通りだ。


「……。……パーシヴァル団長なら」


 この情報を、正しく彼らに伝えてくれるだろうか。

 今のファルでは、信用がまるで無い。第十三位の宿舎を訪ねても、きっと門前払いだろう。それだけのことをした。自覚はしている。

 だから、数少ない――むしろ唯一信頼出来る団長に託すべきだろう。もしかしたら、ファルが思う以上にあの頼まれた一件は厄介かもしれない。


「……、身の振り方、……考えるか……」


 謹慎処分を受けた時から、頭では考えていた。ぐだぐだと煮え切らず、踏ん切りが付かなかっただけだ。

 カイリが拉致された時、全く心が晴れなかった。エディ達が彼を助けようと必死になっていた時、胸が悲鳴を上げる様に軋んだ。

 それが自分の答えだと知った時、ファルはこれ以上己の心に嘘を吐けないかもしれないと悟り始めていたのだ。

 それでも勇気が出なかったが、今回エディに懐の深さを見せつけられて心が決まった。腹立たしいが、やはりファルにとってエディは特別なのだろう。



 未だにショーテルを使い続けている。



 それが、何よりの証拠だ。否定し続けてきたけれど、そろそろ受け入れて駄々っ子を卒業しなければならない。

 そうでないと、こうして一回り成長してぶつかってくれた彼に、本当に見捨てられてしまう。

 それに、両親に降りかかっている心無い噂も、少しは軽減しなければならない。

 だからこそ、ファルはもう選ぶ道が一つしかなかった。



「……あーあ。……ほん、っとうに。……エディ先輩は甘いなあ」



〝じゃあ! 明日を頑張るために、今日はラザニアにしましょうか!〟



 ――そんな甘い先輩の、ラザニアが食べたい。



 考えて、はっと吐き捨てる。本当に未練がましい。

 だが、それがよけいに自覚を促してくる。


 見上げた先では、諦めろと言わんばかりに涙の様な青空が広がっていた。


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