第335話


「レイン兄さん、すみません。もう一つ、付き合って欲しいところがあるんですけど」


 歓楽街から商店街へ抜けたところで、エディは努めて平静に切り出した。内心はかなり緊張して心臓が爆発しそうだったが、軽く拳を握り締めてやり過ごす。


「おー、良いぜ。じゃあ、行くか」

「え? あの、……ボク、まだどこへ行くか言ってないんすけど」

「お前がつけなきゃならない決着なんて、あとは一つしかないんじゃねえの」

「――」


 声も出ずに驚いていると、レインが振り返ってからからと笑った。

 彼は、日頃から茶化したりからかうことはよくある。

 だが、こういう大事な場面で少し意地が悪いな、と思ったのはエディにとっては恐らく初めてのことだ。


「……兄さん」

「ったくなー。お前ら、ほんっとカイリにどんどん影響受けてってるよな」

「……どうして新人の影響だって思うんすか」

「それ、本気で聞いてんの?」


 更に意地悪く問いかけてくる。エディとしては早々に白旗を振るしかない。

 そうだ。こんな風に過去に――自分の気持ちに向き合う決意を持てたのは、新人が多分に影響している。自覚もしていた。

 エディは彼に自分の全てを丸ごと認めてもらってから、自信というものが少しだけ付いた気がする。過去を嘆いてうつむくばかりではなく、自分だって前を向いて歩いて良いのだと、そう思える様になった。


 だからだろうか。己の意見も言える様になった。


 大事な話し合いの時、普段はなるべく聞き手に徹して、己の意見はほとんど話さない様にしていたのだ。歓楽街での生活のせいでまだまだ世間に疎かったし、自分の言葉など軽いと、どこかで卑下していたからだ。

 しかし。


〝だから、……ボクを守ってくれた新人の進む選択を、ボクは信じてみます。もちろんまずいと思った時や、間違った発言をしそうになったら、全力で突っ込むっすけど〟


 パーシヴァルに協力を求めたいと相談してきたカイリに、誰かが切り出さなければならないと思った時。


〝村の人や国の大半の人達が幸せに笑っている中で、……あんただけが笑っていないなんて、嫌っす。みんなが笑っているのに、誰より頑張ったはずの肝心のあんたが笑えないなんて。それは、……見ているボク達がさみしいです〟


 新人が、実家と縁を切る。

 それは駄目だと思った時。



 エディは、いつの間にか自分の考えを口にしていた。



 そして、それをフランツ達は受け入れ、一つの意見として聞き入れてくれた。その時、初めてエディは第十三位に入ってから、自分は自分のままで良かったのだと知ったのだ。

 新人が自分を受け入れてくれて、感謝している。そのおかげで、最近こうして徐々に自分も行動してみよう、やってみようという気持ちを持てる様になっていった。

 しかし、それはエディだけではない。

 フランツ達もそうだし、それに。


「……レイン兄さんだって、新人に結構影響受けてるっすよね」

「ああ? オレがかよ」

「最近、それなりに『これが素かな』って思うことが増えたっすよ」

「……。……ほんっと、若人わこうどの成長ってのは早いもんだなー。お兄さん、感心するわ」


 四つしか違わないのによく言う。


 だが、レインの変化に気付いたのは最近だ。こうして今話しているだけでも、昔とは感触が変わったと感じる。

 エディはつい最近まで、彼は面倒見の良い優しいお兄さんだと本気で思っていた。いや、今でもそうは思っているが、印象が少し変わったのだ。

 彼は、困っていたら助けてくれるし、分からないところもちゃんと教えてくれる。必要以上に甘やかしたりはしないが、適度な距離を保って見守ってくれていた。頼もしい先輩だったし、兄の様に慕っている。

 けれど。



 新人と話す時の彼は、時折エディ達に対するのと違う空気をまとう時がある。



 こういう時、と明確に感じるわけではない。

 だが、一瞬だけ今、エディの知らない彼がいる。そう思わされる時が最近出てきたのだ。

 普段は新人にだって面倒見が良い。からかったりはするが優しくて、知らないことを教えているし、色々世話を焼いている様にも見える。

 それなのに、時々目に見えぬ刃を交わす様に、ぶつかっている錯覚に陥る時があるのだ。



 新人を、試している様な気がする。



 次に何を言うか、何をするか、どう返してくるか。

 そして、新人もきっと、それに対して真っ向から立ち向かっているのだろう。

 時間が経ってきた今、二人は初対面の時よりも遥かに距離が近くなっている気がした。

 エディが思うのだから、フランツ達も気付いているかもしれない。

 当のレインは、がしがしと頭を掻いて嘆息しているが、否定はしなかった。その反応こそが答えなのだろう。


 ――きっと、つい最近まで、兄さんは他人行儀だったんだ。


 突き放す様な言い方を、新人が来るまではすることなど無かった。優しく教え説いてくれることはあっても、厳しく導く様なことはしなかった。

 それはとても安心出来る接し方だったが、決して距離が近くなる様な付き合い方ではない。一定の壁を作られていたのだと初めて知った。

 新人が来たからこそ、そして踏み込んでくれるからこそ、レインも本気で向き合う様になってきた。そういうことなのだろう。


 その事実がとても嬉しい。


 思える様になった自分を、エディは驚きながらも嬉しく思う。

 そんな風に思いを巡らせている内に、いつの間にか騎士団の宿舎の区域に入り、目的地に着いた。

 くだんの宿舎の玄関に立ち、エディは一度大きく深呼吸する。手を上げて一瞬だけ止まった。

 けれど、躊躇ったのは数秒。


 ぴんぽーんと、軽快な音が辺りに響き渡る。


 その軽やかな音に反して、エディの心臓はばくばくと落ち着きなく跳ね回った。覚悟を決めてきたはずなのに、やはり緊張は強い。簡単には全てを受け入れることは不可能だ。

 それでも――。


「はい、どちら様、――」


 玄関を開けて顔を出した騎士が、エディの顔を見て息を呑む。次いで、その隣にいるレインの顔を見上げて更に騎士の表情は強張った。

 第十三位は、他の騎士団から厄介者扱いされている。恐怖なり嫌悪なり色々示されるとは予測していた。

 しかし、この反応は、どちらかと言うと彼らが『第十位だから』こその特有のものに思える。

 彼らは、第十三位に対して罪を犯した。聖歌騎士のカイリに対する傷害行為や、守るべき民を危険に晒した行為。どれを取っても大罪で、よくぞ謹慎処分や無給で済んだものだと思う。


「ここにファルはいるっすよね?」

「え? あ、はい……」

「呼んできて下さい。あと、武器も持ってこいって伝える様に」

「え? 武器……はい。少々お待ちを」


 ばたばたと奥へ駆けて行く後ろ姿は、まるで逃げる様だ。少し前までならエディに対しては侮蔑や好奇など、気分の良い視線は向けられなかった。

 それが、今ではどこか恐怖の色を感じる。どこで評価が変わったのかと言えば、やはり教皇拉致事件の時なのだろう。クリストファーもしっかりお仕置きをした様だし、団長のパーシヴァルも雷を落としたはずだ。色んな意味で風向きが変わっているのを、こういう時に実感する。


 そうして、数分経過した頃、ようやくファルが姿を現した。


 言われた通りに帯剣し、制服に身を包んでいる。

 少しやつれた気もするが、一番変わったのは目の印象だろうか。拉致事件の時までに見た、あの蔑みやぎらぎらした野心の光は一切見当たらなかった。

 エディは一度声を出そうとして、一瞬つぐむ。

 次に腹に力を込めて、努めて平静を装って注意深く声を出した。


「ちゃんと武器は持ってきたっすね」

「ええ、……先輩の言い付けですから」

「じゃあ、少し付き合って下さい。レイン兄さんはただの見届け人なので、気にしないで下さいっす」

「おいおい。オレの扱いぞんざいじゃねえ?」

「いいえ。すごく大事なことっす。見届けてもらえる役割を求められる人って、そうはいないっすからね」

「はいはい。……ったくなー。最近ほんっとカイリの影響受ける奴多すぎだぜ」

「――」


 ぴくっと、ファルの指が一瞬だけ跳ねた。

 カイリ、という単語に反応したのは間違いない。どういう意味合いを持つかを考え――すぐに詮無きことだと切り捨てた。


 エディの目的は、新人に対するファルの感情ではない。もっと個人的で、独善的なものだ。


 今更会話をする必要もない。ただひたすらに、目的地へと足を運ぶ。さく、ざくっと短く生い茂った草を踏みしめる音が上がり、まばらに青々しく育つ茂みの中を風が揺らしながら涼やかに通り過ぎていく。

 この宿舎の区画は本当に広大だ。所々に鍛錬やピクニック、逢引に持ってこいの広場がある。どれだけ権威を示したいのか。教会は空を仰ぎ見る勢いの建造物だし、宿舎と反対側にある学校の区画も広すぎて、未だにエディは全体図を把握しきれていない。


「……珍しいですね。先輩が、こういう奥まった場所へ連れて行ってくれるって」


 取り留めもないことをつらつら考えていたら、ファルがぼそっと零した。

 すぐに口を噤んだのは、彼自身無意識だったからかもしれない。少し振り向けば、彼が眉根を寄せて視線を逸らしているのが見受けられた。気まずいのか、未だにエディを軽蔑しているからなのかはよく分からない。



「そうっすね。こんなところ、当時の自分なら格好のカモになりますから。人目が無い場所なんて、絶対来たくはなかったっす」

「――」

「ま、今も来たくはないっすけどね。……レイン兄さんに来てもらったのには、そういう理由も含まれてはいます」



 淡々と口にすれば、鋭く息を呑む様な音が聞こえた。

 何故、そんな反応をするのだろうか。彼は、エディが男娼だと罵倒していたではないか。

 いや。



〝問題児だらけの、しかも! ……、……っ、……男娼なんて雇う様な騎士団!〟



 あの時。王族の城で新人を追い詰めた時に放った一言には、かなり躊躇いの空気が見て取れた。



 今思えば、という話ではあるが、エディが彼の口から『男娼』という単語を聞いたのは、あれが初めてだったのだ。

 新人が拉致され、夜明けに彼とぶつかった時にも気付いた。エディが彼の悪口を盗み聞きしていた時も、エディの名前は一度も出てこなかったと。


 彼が口に出して馬鹿にしたり罵倒してきたのは、エディ本人に直接なのだ。


 その時も、男娼の特徴は口にしていたし、それを匂わせる様な話の仕方はしていた。

 けれど。



 ――ああ。ボク、甘いのかな。



 脳裏によぎった言葉に、エディはふるふると首を振る。

 彼が第十三位を陥れ、周囲から孤立させていくはかりごとに加担をしていたのは間違いないのだ。それをエディは許すつもりはないし、これからも許しはしないだろう。


「よし、この辺で良いっすね」


 ある程度開けた場所に出て、エディは足を止める。頭上を見上げれば、見事なほどに綺麗な青空が広がっていた。雲一つないまっさらな蒼色は、涙が出そうなほどに吹き抜ける風を思わせる。

 全てが背中を押してくれている気がして、笑みが零れ落ちた。

 腹は、もうとっくに決まっている。

 だから。



「……じゃあ、ファル。剣を抜いて下さい」



 エディは真っ直ぐに銃剣を突き付け、静謐せいひつに告げた。


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