第259話
クリスがカイリとケントの間に割って入った瞬間、カイリの中で別の意思が激しく
それをカイリは己の内側で感じ取り、思わずクリスを眺めてしまう。
「おや? どうしたのかな。人間如きに割って入られたから、驚き過ぎて声が出ない?」
《っ。……人間如きが……、邪魔を……するなよっ!》
叫ぶと同時に、『神』が部屋全体を猛烈なる波動で一気に薙ぎ払う。
じゃっと、鋭く熱を持って走る風の衝撃を、フランツ達は身を
だが、そんな物騒なやり取りの中、クリスだけは涼しい顔で何もせずに受け止めていた。相変わらずケントをぽんぽんと優しく叩いて
まるで、駄々を
その異常な様相に、『神』が荒れ狂うほどに激昂した。
《き、さまっ⁉》
「うん? 今、何かしたかな? 人間如きだから、認識出来なかったよ」
《……っ! ほんっとうに……、……しぶとい奴よ……っ‼》
真っ黒に燃え盛る憎悪が、カイリの内部で激しく巻き上がっていく。あまりのどす黒い激情に、カイリは、ぐあっと声無く悲鳴を上げた。自分の心ではないはずなのに、焦がれるほどに荒れ狂う黒い熱が気持ち悪くて仕方がない。
何故、この『神』はこれほどまでにクリスを敵視しているのだろうか。攻撃を難なくいなされたからか。
そもそも、知り合いなのだろうか。
この『神』は、クリスを認識した途端、揺らいだ。否が応でも疑問が掠める。
「おやおや。どうしたんだろうね? 人間如きに何故そんなに怒っているのかな」
《貴様が……っ! ……っ!》
「ああ、そういえば」
くっと、クリスは喉を鳴らした後。
憐れむ様に、微笑んだ。
「実は君、カイリ君のこと、教会に来るまで見つけられなかったんでしょう」
《――――――――》
「人間如きだから、すぐに気付かなくてごめんね?」
《な、っ》
「まあ、言い換えるなら。完全無欠の神様も、所詮はその程度ってことだね」
《――っ! 黙れっ‼》
爆ぜる様な怒号を吐き捨て、『神』が大気を地割れの如く震わせる。
びりびしっと、支配されているはずなのにカイリの肌が切れる様に深く痛んだ。フランツ達も、ケントでさえ顔を
それなのに、ただ一人、冷めた目で見つめ返しているクリスは、淡々と劇を鑑賞しているかの如く静かだ。
探る様な視線が不快なのか、カイリの深くに根を張る『神』が、更に心を真っ黒に荒く波立たせる。
《何故だ! ……何故、お前がいる?》
「いや、何故って。俺は、ケントの父親だからね。人間如きだけど、息子のピンチに現れるのは当然だろう?」
《そういう意味じゃない! それにっ、……何故だ。……何故、こいつが見つけられなかった?》
激怒のあまり震える両手を通し、中にいるカイリを睨みつける如く『神』が吐き捨てる。
先程まであれだけケントに対して高圧的で余裕があったのに、何の変化だろうか。クリスが話しかけることで、何を壊したのか。突然の変化にカイリは混乱してばかりだ。
《……っ! ……まさか、お前が……っ!》
「おやまあ。どうやら神様はイレギュラー続きで苛立っている様だ。口調もすっかり変わってしまって。せっかく今、ようやくお望み通りとやらになったのにね?」
《っ、うるさいですよ!》
「流石は、――から生まれた神だ。
《――――――――》
クリスの言葉は、一部がカイリには全く聞こえなかった。
けれど、『神』には十二分に伝わったらしい。唇の微かな動きを読み取り。
《この、……たかだか人間風情が……っ!》
どおっ! と、今まで一番強く、大気が猛烈に噴き上がった。がたがたんっと、テーブルや棚などあらゆるものが怯える様に震え上がる。
思わずフランツ達が伏せたが、それもクリスが何事かを唱えるだけですぐに静まった。まるで何事も無かったかの如く、静寂が怯えを薙ぎ払う。
その事実に更に『神』が苛立ちを吹き荒らす。まるで地団駄を踏みまくる様な衝動を覚え、カイリは必死に感情に飲み込まれない様に食い縛った。――呑まれていないという事実に、カイリはまだ己が完全に支配されていないことを再認識する。
《そうか、おかしいと思ったのだっ。……こいつがまだ成人したてなのも、ケントがまだ二十歳そこそこなのもっ。この二人の転生が明らかに遅すぎたのは、お前の仕業か!》
「おや?」
「……。え?」
クリスが目を丸くする横で、ケントも
だが、『神』は彼らの反応に意に介すこともなく爆発し続ける。
《しかも、ケントが転生したのがお前のところ! 私が前もって用意させたファルエラの一家ではなく!》
「え……。……ファルエラ……?」
《しかも、何故、……っ》
言いながら、口を
この流れから、何故彼なのだろうと疑問が
だが、すぐに『神』は目を逸らし、憎悪を飛ばす様に舌打ちした。あからさまに視界に収めない様に視線を固定したことで、カイリは大いに違和感を覚える。
レインとも何か因縁があるというのか。
彼の反応を見たかったが、カイリの体は支配を受けていてままならない。完全に視界から外れたせいで、彼の姿は全く見えなかった。
けれど、視線を感じる。とても強く、真っ赤な炎の様な深い視線を。
――レインさんが、俺を見てくれている。
支配されて、もう本人の片鱗も感じられないはずなのに、まるでカイリ自身を見つけてくれているかの様だ。
その事実に、カイリの心が泣きたくなるほど震える。
こんなにも、カイリは酷い態度を取っているのに。『神』に支配されていると知っているのに。
それでも、彼はカイリを見つけてくれるのか。
見れば、フランツ達も最初こそ呆然としていたが、今は隙を窺う様に視線が鋭くなっている。案じながらも強い眼差しは、カイリが帰って来るのを待ち続けているのが見え隠れしていた。
心が、強く求める。
――帰りたい。
カイリを待ってくれている、大切な居場所。
優しく支え、温かく受け入れてくれる、賑やかで幸せな輪を紡ぐ彼らの元へ。
《ちい……っ!》
形勢が逆転しつつあることに気付いたのか、『神』が苛立たし気に舌打ちする。
そんな人間らしい感情さえ振り撒く『神』は、本当に先程までケントを
カイリの脳裡に益々疑問が渦巻いていく中、クリスが「はいはい」と軽く肩を
「ほらほら。聞き分けのない子供は嫌われるよ? まあ、その態度だけで、どれほど君が焦っているのかがよく分かるね」
《焦る? 確かにお前は予定外だが、こいつは予定通り手に入った。こうしてこいつを手に入れた以上――》
「――ふんっ」
馬鹿にした失笑が、言葉を遮る様に大きく響く。
慣れ親しんだ音だ。カイリは動けないながら、『神』と共に吸い込まれる様にそちらの方を見やる。
いつでも真っ直ぐに全てを貫く、透き通った紫水晶の瞳。いつだって、カイリの背中を強く蹴り飛ばしてくれた強い眼差しに、どれほど恋焦がれただろうか。
《女……。何がおかしい?》
「ああ、いえ。あまりに馬鹿馬鹿しい
《馬鹿馬鹿しい、だと?》
「ええ。ヘタレが手に入った、とか。……はっ。ありえませんもの」
《……貴様っ。誰に向かって……》
「だって」
ふんっと、今度こそ真っ向から馬鹿にしてシュリアは微笑む。
見下す様に――けれど、誇らしげに。
「そこの彼は、あなた如きでは相手にもなりませんから。――根性も生意気さも、それこそ神さえ土下座するレベルですわよ」
シュリアは真っ直ぐに強い眼差しを、迷うことなくカイリ自身に叩きつけてきた。
さっさと帰ってきなさい、と。何をやっていますの、と。声無く
――ああ、本当に。
本当に彼女は――彼女達は、カイリを心から待ち望んでくれている。戻ってくると信じて疑っていない。
エディやリオーネも、シュリアの言葉に賛同する様に力強く頷いてくれていた。拳を握り締め、応援する様に身を乗り出している。
ケントも、クリスの腕の中で身を起こし、真っ直ぐにカイリを見つめ続けてくれていた。
ああ、そうだ。カイリはこんなところで足踏みしているわけにはいかない。
ケントも、傷付きながらもまだカイリを待ってくれている。カイリの意思ではないとはいえ、あれだけ酷い仕打ちを受けたのに、それでもカイリを望んでくれているのだ。
――みんな、待ってくれている。
気付いて、泣きたくなるほどの喜びが心をじわじわと満たしていく。
それに呼応するかの様に、カイリの体が熱を帯びていった。芯から深く燃え盛り、苦しくなるほど何かとせめぎ合っている。
それは、きっと。『神』を追い出そうと、カイリが動き始めたからだ。
《く……っ》
体を折り曲げ、『神』が小さく
それを目にし、クリスが楽しそうに見下ろした。
「ああ、そろそろかな。そうだよね。シュリア君の言う通り、カイリ君が大人しくやられているはずがないからね。やあやあ、時間が稼げて良かった良かった」
《――黙れっ! 我らが神の
「下僕? ああ、そうだとも。家族と大切な者を守れるのならば、俺は喜んで、俺の大切なものを助けてくれる者の下僕となろう」
だから、と。
クリスが、譲る様にフランツを見つめる。
フランツもそれを受け、一歩前に進み出た。
「帰ってこい、カイリ。――まだ、話していないことも、やるべきことも、たくさんあるだろう」
手を差し出し、フランツが笑って招く。ぼんやりと、彼の手が淡く光り輝いているかの様な温かささえ感じた。
本当に、カイリは果報者だ。
帰る道しるべが、こんなにもたくさん在る。
《……だからっ! もう無理だと言っている! ……こいつは、誰にも渡さないっ。絶対に、私の、――っ!》
必死に主張する『神』を、カイリは中から確固たる意志を持って見上げ。
ばきいっと、カイリは内側で
《っ!? ……ぐ、あああああああああああああああああああああっ⁉》
直後、この世のものとは思えない悲鳴を『神』が上げる。
だが、容赦はしない。自分を閉じ込めていた見えない壁を、更に力をこめて殴り、がむしゃらに何度も砕いていく。
《あ、……あ、……ああああああああああああっ⁉ は! あっ! な、ぜ! お前、もう、意識は……!》
「……ふざ、け、るなよっ」
ここまできて、ようやくカイリは己の喉を使って声を絞り出す。
だが、これこそが、カイリ自身の声だ。人を虫けらの様に扱う奴に、いつまでもこの声を、体を、好きにされてたまるか。
殴り続けていると、壁を
それを、カイリは見逃さない。腕がもげても構わない勢いで伸ばし、掴んで引っ張り倒す。
《ぎゃ、あっ⁉ や、め!》
「この、体は、俺の……ものだ……っ」
《そ、んな、馬鹿な……! あ、があっ! ……きさ、ま! ……まさか、ここでも、邪魔、を……っ!》
「これは、俺の、カイリ、……っ、……カイリ・ヴェルリオーゼのものだっ! お前のものじゃない! ――フュリーシアッ‼」
《ああああああああああああああああ! カイ、リ、……っ! ……かいりいいいいいいいいぃぃぃぃぃいいいいいぃぃぃいいっ‼ 貴様、二度、まで、もおおおおおおおおおっ!》
ぐああああっと、真っ黒に雄叫びを煙の如く吐き出す『神』を睨み付け、力を振り絞って掴んだものを振り下ろした。
体の中で絶叫が乱反射し、カイリに跳ね返りながら攻撃してくる。
内側のあちこちを切り刻まれている様な激痛に、カイリは堪らず
「カイリ! ……カイリ……っ!」
「……、ケ……、……」
ケントが、泣いている。
いつだって心の中で泣いてきた彼は、今も涙を見せないまま泣いている。
自分のせいで、泣いている。自分が、泣かせた。
ああ、そうだ。あの日も、そう。
ケントは、あの日、死んでしまった。
カイリのせいで、泣かせたまま、死んでしまった。
〝――カイリっ‼〟
本当は、あの時カイリが死ぬはずだったのに。
――あいつが、あの時。カイリの代わりに、ケントを殺した。
〝彼は、貴方のせいで死んだんですよ。……だから、もらうんです〟
殺して、連れ去った。
認識した瞬間、カイリの中で何かが焼き切れる。ぎゃあっと、相手が絶叫するのを睨み据えた。
「は、あっ……! 俺、は、……お前を、許さない……っ! ケントを殺し、ケントを連れ去ったお前を! 絶対! 許さない!」
「カ……」
「ケントは! お前になんか渡さない! あの時みたいに、好きにはさせない!」
「……っ、カイ、リ」
「もう二度と! 大切な人をお前なんかに渡してたまるかっ! 即刻、――俺の中から! 出て行けっ!!」
《……っ! あああああああああああああああああああああああああッ‼》
ぶんっと、カイリは内側から思い切り、掴んだ異物を遥か下へ下へと投げ捨てた。同時に、床に強く拳を叩き付ける。
その遥か向こうで断末魔を上げながら、煙の様に何かがカイリの体から抜け出ていくのをはっきりと感じ取った。次第に体の支配権が戻ってくるのを実感し、カイリは息も絶え絶えに肩を掴んでくる存在を見上げる。
ケントは、まだ泣きそうな顔でじっとカイリを見つめていた。唇を噛み切って血を流している。
まるでそれが涙の様に映って、カイリは震える腕を上げ、袖口で拭き取った。
「……っ、カイリ……っ」
「……、ご、めん。頭、首、……痛かった、……だろ」
「痛くない! ……君が、やったんじゃないっ!」
「はは、あ、……ああ、俺、……ごめ、ん、な。俺、……」
〝本来は、貴方が死ぬ予定だったのに。――貴方が―――――――〟
ああ、そうだ。少しだけ、思い出した。
――俺は。
「俺、は。……お前に、命を返さな、きゃ、ならな、かったの、に、な」
「――――――――」
遠い遠いあの日。
カイリはただ、ケントに命を返すために奔走していた。
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