第255話
一瞬、カイリは視界に何が映っているのか理解出来なかった。
目には映っているのに、頭の中を素通りしていく様な奇妙な感覚だ。まるで認識するのを拒否する様な現象に、カイリは緩々と思考を振り絞って、開いた書面を見つめ直す。
改めて観察しても、真っ黒なページしか見当たらない。
今まで普通に文章が書かれていたのに、不自然に途切れていて。
そして、次のページはぐちゃぐちゃに力の限り潰したかの如く、一面真っ黒だった。
かなり念入りなことに、本来文章が書かれていないだろう余白まで乱暴に塗り潰されている。憎悪や絶望が訴えてくる醜悪さだ。視界を通して、直接心臓を全力で殴り付けてくる様な狂暴さに、ぞわっと震えが走った。
おまけに、ところどころ黒光りしており、今まさに塗り上げられたかの様な異様さである。思わず触れた指先を見つめてしまった。
だが、指には黒い染みも付着していない。そのことに無性に安堵する。
「……、……これは、どういうことなんだろう」
確かめるために恐る恐るページを
他に何か書き
そう。
書物を通して、彼の死にざまが見えるかの様だ。
「……っ」
どくどくと、心臓が外に逃げようとする如く跳ね回る。カイリ自身、一刻も早くこの本から離れたくて仕方が無かった。
「……、あ、とで、フランツさんに、聞いてみよう」
今は、他の情報だ。
本当は、この時点でフランツ達を呼びに行けば良かったのかもしれない。
だが、カイリは焦っていた。故に、愚かにも探し物を続けてしまう。
かたかたと小刻みに震える指を
けれど。
「……っ、ひっ!」
今度は冒頭から黒いインクでぐちゃぐちゃに
「な、何で……っ」
ぱらぱらと捲ってみても、今度はほとんどがその様な状態だった。
まるで、相手の真っ暗な断末魔が聞こえてきそうな感覚だ。
けれど、止まれない。カイリは荒い息を吐きながら、また別の書物に手を伸ばす。
だが。
「……っ! 何、で……っ!」
持ち出した書物の残り全てが、同じ調子だった。
本によっては真っ黒なページだけで終わるものもあり、カイリは救いを求める様に次々と本を漁る。
それでも、黒いページが無い書物など一冊も無い。漁れば漁るだけ、カイリは深みに
何か、無いか。
最後の一冊に手を伸ばし、カイリはタイトルを目にして息を呑む。
――『ある聖歌騎士の、日誌』。
不穏な予感しかしない。
だが、カイリに読まないという選択肢は無かった。この異常さは、きっと手がかりになる。
かちかちと無意識に歯を鳴らしながらも、カイリは吸い込まれる様に表紙を開く。
綺麗な文字で、そのタイトルは書かれていた。どうやらこれは印刷物ではなく、手書きのものらしい。
確認して、一ページ目を捲る。
『うまれたときから、ぼくはぜんせのきおくをもっています。
これは、かっきてきなことだとおもいます。
だから、ぼくは、まだうまくもじがかけないけど、にっきをつけていこうとおもいます』
それなのに、何故この表紙のタイトルの文字は綺麗なのだろうか。大人になってからまとめたということだろうかと、カイリは首を捻りながら捲っていく。
『ぼくは、こうこうせいのときに、しにました。
うまれは、にほんです。
へいぼんなまいにちにたいくつしていたけど、それなりにしあわせだったとおもいます』
『このせかいでも、それなりにしあわせです。
おとうさんも、おかあさんも、ぼくをたいせつにあいしてくれます。
ぼくは、ふたりがだいすきです。
ずっと、こんなひびがつづけばいいな』
穏やかな日々だった様だ。
退屈だと言いながらも幸せを感じられるのならば、温かな家庭だったのだろう。しばらくは、そんな他愛のない日常が綴られている。
しかし。
『今日、父さんと母さんが死んだ。誰かにおそわれたらしい。
教会の騎士という人がむかえにきた。
僕は、聖歌騎士とかいうものにならなければならないらしい』
『僕は嫌だと言ったのに、教会の人たちは強引だった。
どうして聖歌騎士にならなければならないのか。
記憶があるからだと言っていた。
故郷をはなれなければならないのなら、僕はこんなものいらなかった』
少しずつ、彼の日常が壊れていく。
教会は、聖歌騎士の才能がある人物を保護という形で無理矢理連れ去る様だ。フランツ達も前に、渋面になりながら教えてくれた。
彼の両親は、誰に殺されたのだろうか。狂信者か、それとも――。
最悪の予想が
『聖歌騎士になったけれど、ここは異常だ。
みんな、聖歌騎士を、聖歌を、教会を信じて疑わない。
僕は、ここの空気がきらいだ。
いつか、出ていきたい』
『まちで歌を歌ったら、怒られた。
神聖なものだと、説教をされた。
こんなしきたりはおかしいと言ったら、――れた』
『最近、人の視線をかんじる。
昨日は、いきなり裏路地で――われた。
なんだろう。――は、こわい。――れそうだ』
『騎士をやめたいと言ったら、教皇のもとに連れていかれた。
――――したり、――剥がされ――、――に――プされたり、ずっと―――で――しようとしたり。
――――、――い、や――、父さん、母さん、――て』
だんだんと、文章が虫食いの様に黒く塗り潰されていく。
必死に目を凝らしたが、黒い染みの下には、確かに文字の跡があるのに読み取れない。
だが、何となく読み取れるものもある。カイリはつい最近、これを体験したばかりだ。
彼は、教皇の元で拷問を受けていたのだ。恐らく、教皇が言っていた様な内容の仕打ちを受け、少しずつ気が狂っていったのだろう。
カイリは、ゼクトールのおかげで大部分の拷問を
『ぼく、は、きょうこうの、きし。
せいか、うたう。
そう。せいかは、いだい。せいかは、しんせい。せいかは、せかいをすくう』
『きょうこう、ただしい。
いせかい、しょうかん。
ぼくは、そのために、うまれた』
最初の頃に――否、最初よりも幼稚な文章に戻っていく。
だんだんとそれは酷くなっていき、カイリは怯えながらも読み進める手が止められなかった。
『せいか、うたう。
ずっと、うたう。
せいか、うたう。
ずっと、しぬまで。
そのために、ぼくは。
ぼくは、――。
あ、あああ。ぼく、は。ぼく? は。
ああ、ああああああ、……あああああああああああああああああ』
『あああああ、かみ、かみよ、かみ、ぼく、かみ。
せいか、せいかうたう。
せいかは、すくううううううああああああああ。
かみ、すくう、すすすすすくくくうううううううう。
せいか、これを、みた。
せいか、ただしい。
せいか、すべて。
だから、ああ。
だか、ら。
だから。
おまえ、も。
――これを、よんだ。せいか、きし。
おまえも。なる』
「……っ、は? な、に」
次第に、文章が読み手に語りかける様になっていく。
意味不明な文字の羅列が、カイリに向かってぶわっと襲い掛かる様に真っ黒に広がった気がした。
『おまえ、うん、いい。
よんだ。きせき。
だから、おまえ。
かみのため。うたう』
「……っ。な、に」
『せいか、きし。せいかきし。
せいか。せいか。せいか。せいかせいかせいかせいかせいかせいか。
おまえ。せいか。せいかせいか。せいかきし。せいか。
うたえ。せいか』
「……、や、……やめ、ろ」
『やめる? やめない。むり。やめない。
にげる。にげられない。むり。
おまえ、せいか、うたう。
うたう。うたう。うたう。……うたう。うたう。
うたう。うたう。うたう。うたううたううたううたううたううたううたううたううたううたううたううたううたううたう』
「……っ、……あ、――っ」
『しぬ、しぬ、しぬ、しね、しぬ、うたう。うたえ、うたえええええええええあああああああああああああああああう、たえ』
『そう。おまえは
そう。……さいしょから。ここにきたときから』
震える手で、最後のページを捲る。捲ってしまう。
瞬間。
『 お ま え は せ い か の い け に え だ 』
「――――――――っ!!」
がたん、とカイリは椅子を蹴り倒す様に立ち上がった。
だが、椅子の足に引っかかって、無様に床に転げ落ちる。派手な音が図書室に割れた様に響き渡った。
「い、いた……っ」
痛みのおかげで何とか理性を取り戻せた。
何と情けない。本に脅迫された様な錯覚に陥って我を忘れるなど。己の心を必死に奮い立たせる。
それなのに。
足が震えて、上手く動かない。
これは本だが、ただの本ではない。本が、こんな風に会話をする様に語り掛けてくるはずがない。
だからこそ逃げなければと思うのに、手が貼り付いた様に床から離れない。
そうこうしている内に、机の上から、今読んでいた本ががたがたっと震えて落ちてきた。本がカイリの腕を食らう様に挟み込み、それから足へと落ちる。
ばさっと開かれたページに、カイリは目を
『 お ま え も こ う な る 』
「……は?」
何を、と言ったはずの口は、震えて何も言葉を発しなかった。
そんなカイリに、本は嘲笑う様に続ける。
『 ふ る え は か い ら く に 』
『 ぎ し ん は こ う ふ く に 』
カイリに、語り掛ける様に。
本が、まるで意思を持っているかの様に。
ページが、次々と文章を叩く様に紡いでいく。
『 う た え わ た し の た め に 』
『 う た え こ ろ せ 』
「――っ、……い……」
『 み ん な こ ろ せ 』
「……いや、だっ」
『 さ あ お ど れ 』
『 わ た し の か わ い い に ん ぎ ょ う よ 』
「――っ! 嫌だ……っ!」
叫ぶと同時に、本がまた動いて足に深く挟まる。
真っ黒なページに浮かび上がる、死神の様な宣告がカイリの体に貼り付いた。ひ、と小さく悲鳴を上げて、カイリは必死に本を振り払う。
それなのに、上手く手が書物に触れられない。開いたページが絡み付く様に足に
それなのに。
――ばさばさばさっ!
「――う、わあっ!」
その本に追従する様に、机に乗っていた本が一斉にカイリに襲い掛かってきた。がん、どさっと、カイリの体に容赦なく降りかかってくる。
頭頂部に角が刺さった時は痛みで一瞬意識が飛んだが、すぐに頭を振って己を見下ろし――硬直した。
「な、……っ!」
異常なことに、本の全てがカイリを食らう様に触れていた。床に落ちているものが一冊もない。それだけで不自然だと震えが走る。
「な、んで」
右腕を持ち上げても、本は挟まったまま落ちることもしない。
どれもこれもが纏わり付き、カイリの動きを制限する。
まるで、逃がさないと。
まるで、――捕まえたと。耳元で、ほくそ笑む様に。
「――っ! やめろ!」
ばしんっとカイリは抵抗しながら本を叩く。
それなのに、体から離れない。叩いても叩いても床に転がることもせず、絡み付く様だ。
「どうして、……っ! いや、だっ!」
誰か。
助けて。
嫌だ。違う。
こんな風に、なりたくない。
――この本の『彼』の様に、なりたくないっ!
「――誰か……っ‼」
「――ちょっと、何事ですの!」
ばたんっと、不意に扉が勢い良く開かれる。
驚いた様に入ってきたのはシュリアだった。その姿を認めた途端、カイリは弾かれた様に立ち上がる。
だが、すぐに転んで
「ちょっと! どうしたんですの! ……って、何故本
「……っ! この、本……っ! 離れ……っ!」
「は? 本? ……って、これですの?」
シュリアが
一瞬、彼女が襲われるのではないかと危惧したが、特に本は何も抵抗はしなかった。ただ静かに、黙って彼女の手に収まる。
カイリが何をしても取れなかったのに、何故。
「……っ、シュリ、ア。何とも、無いの?」
「はあ?」
「だ、って。……っ」
「……。……それで。この本が、何ですの?」
「こ、あ、……本、聖歌、生贄、って」
「は? ……って、……何も書かれていないじゃありませんの」
「――、……え?」
ぱらぱらと、シュリアが疑う様に本を捲る。
だが、カイリには相変わらず文字が視界に映っていた。彼女の言葉の意味が理解出来ない。
「な、に言ってるんだ。これ、こんなに、文字」
「……いえ。わたくしには、ただ真っ白なページが見えるだけですわ」
「……え?」
ざわっと、カイリの中で葉擦れが起こる様に不安が巻き起こる。
そろそろともう一度見てみるが、その本には依然として文字が綴られていた。
しかも。
「……、え……」
文章が、変わっている。
それは、まるでカイリに語りかける様に、――嘲笑う様に。
カイリに、いやらしい声と共に宣言した。
『 さ あ た い せ つ な も の こ ろ そ う 』
『 い と し い も の こ ろ そ う 』
「――っ、え……?」
『 む ら の よ う に 』
「――」
その文字が浮かび上がった瞬間、勢い良く見開きに絵が鮮やかに描かれていく。
まるで壊れた出来の悪い映画の様に、けれど滑らかな動きで映像を映し出していった。
それは、カイリが直接見なかった光景。
「――っ、……と……」
野党の群れに、何度も切り伏せられる父の姿。
あの狂信者の女に、串刺しにされる母の最期。
「――――――――。……や……っ」
そして、何度も何度も夢に見た。
『 お ま え の と も の よ う に 』
〝――カイリッ‼〟
前世のケントが、突っ込んできた車と壁に無残に挟まれた瞬間。
「――は……っ! ……っ!」
『 お ま え の せ い で み ん な し ぬ 』
『 お ま え が い る か ら み ん な し ぬ 』
「は……っ! あ、――っ!」
〝何で? 何を言ってるんだい〟
かつて投げられた言葉が、耳元で
真っ赤な炎が燃え盛る中、彼女は確かにそう言った。
『 そ う だ お ま え だ 』
『 お ま え が み ん な を こ ろ す 』
〝あんたが殺したんだろう?〟
『 こ ろ し て や る 』
村の人達が死んだのは、カイリのせいだと。
『 こ ろ し て や る 』
「……ち、が、……っ」
違う。
そう否定したいのに、声が出ない。本の文字が覆い被さる様に――カイリを食らい尽くす様にのしかかってくる。
『 み ん な こ ろ せ 』
『 お ま え が こ ろ せ 』
『 さ あ こ ろ せ さ あ う た え 』
『 すべての元凶――カイリ・ヴェルリオーゼ 』
「――――――――っ! あ、……ああああああああああああ……っ‼」
ばしんっと、カイリはシュリアの手の中の書物を叩き落とす。
派手な音を立てて本が床に落ちる。その音が、かたたっと、狂った様な笑い声に聞こえて、またカイリは悲鳴を上げた。半狂乱になって耳を押さえ、頭を抱える。
「カイリ⁉ カイリ! どうしましたの!」
「あ、……ああああ! あ、がっ! は、あ、……ああっ! や、め、……やだ! ころさ、な……!」
「カイリ! ……どうしたんですのっ。何を言って」
「……っ、あ、ああ、本、……、みんな、……俺は、……俺の……っ!」
「……。……誰か! 誰か来なさい! 全員、ここに呼んで下さいませ!」
シュリアがカイリを抱き抱えながら、外に向かって大声で叫ぶ。
程なくして、ばたばたと複数の足音が聞こえてきた。慌てた様に入ってくる気配に、カイリは弾かれる様に顔を上げた。
しかし。
「カイリ!」
「おい、どうしたよ!」
「は、あっ⁉ は、……は……っ!」
フランツ達が急いで駆け寄ってくる姿に、先程の無残な光景が重なる。
両親やケントの真っ赤な最期がフランツ達で再現され、カイリは一心不乱に首を振った。
「あ、あああああ! あ、ふ、……フラ……!」
「カイリ! 俺だ! フランツだ! こっちを見ろ!」
「――っ!」
がっしりと両肩を掴まれ、カイリは鋭く息を呑む。
ぼやけた視界に映ったのは、確かにフランツの焦った顔だった。先程の両親やケントとは違い、きちんと目に光はあるし、息もしている。掴まれた肩からも、彼の熱が注ぎ込まれてきた。
生きている。――彼は、生きている。
実感した瞬間、崩れ落ちる様に力が抜けた。フランツだけではなく、シュリアもしっかりと支えてくれる。
「新人……」
「……この本の惨状は……。シュリアちゃん、一体何が?」
「分かりませんわ……。……カイリ。ここには、みんないます。分かりますわね?」
シュリアが肩を叩いて、カイリを促してくる。そういえばさっきから名前を呼ばれているな、と変に冷静な頭で心に熱が灯るのを感じ取った。
フランツ達が、全員しゃがみ込んでくる。それぞれが心配してくれているのが分かって、どうしようもなくホッとした。
けれど。
〝 お ま え が み ん な を こ ろ す 〟
「――っ」
かちかちと、奥歯が鳴る。
フランツ達が眉を寄せたのを見ながら、カイリはひゅっと、嫌な音が喉で鳴るのを感じた。
フュリー村に張られた悪意など、比べ物にならない。
これは、――この本達は、明らかに誰かを、読んだ者を食らい尽くす様な真っ黒な絶望で書き殴られていた。カイリ一人では、到底太刀打ち出来るはずもない巨悪が立ちはだかっている。
自分を強く抱き締めて、カイリは震える声で彼らを見上げた。
「……、……たす、――――――――」
たすけて。
与えられる温もりに、
果たして、そんなことを彼らに願っても良いのだろうか。
彼らの優しさに、甘えてしまっても良いのだろうか。
ただでさえ、教皇拉致事件の時は危ういところだったのに。
それなのに、助けを求めたら。
また。
〝何で? 何を言ってるんだい、あんたが――〟
両親や、ケントや、村のみんなの様に。
「――っ!」
声が強張って霧散する。伸ばそうとした手が、今度こそ落ちた。
本が、襲ってくる。
そんな荒唐無稽な話でも、フランツ達はきっと無闇に突き放したりはしない。それが分かってしまう。助けを求めたら、彼らはこの手を掴んでくれるだろう。
けれど。
〝そうすればねえ、あんたの母親だって〟
けれど。
〝 こ ろ し て や る 〟
――俺は。
「――カイリ」
「――っ」
ぐっと、落ちた手をフランツが強引に掴んでくる。
目を見開いた先では、フランツが迷いなく引き上げてきた。
「カイリ。……どうしたい」
静かに、優しく問いかけてくる。
手を掴んできた時とは違って強引な声ではない。甘やかすのでもない。
フランツが、辛抱強くカイリの言葉を待ってくれている。先程カイリが言いかけたことを、強く待ち望んでいるのが伝わってきた。
カイリは、恐い。彼らを守りたいと願いながら、またも厄介ごとに巻き込む。
何でもないと言い張るのは簡単だ。言い続ければ、もしかしたらこの恐怖に彼らだけは巻き込まなくて済むかもしれない。
しかし。
――そんなの、みんなに失礼だ。
差し出した手を振り払われることは、とても悲しい。何も出来ないと思い知らされることは、ひどく
ケントのことで身に染みている。歓楽街の出来事では一層その思いに拍車をかけた。
それが分かっているのに突き放すことなど、カイリには無理だ。この本は異常だ。一人で解決も難しいだろう。
巻き込みたくない。死なせたくない。――殺したくない。
思いながらも、カイリは振り絞る様に声を出す。
「こ、わい、……こと、が。あ、って」
「……」
「……っ、………………た、……すけ、…………て……っ」
助けて下さい。
やっとの思いで絞り出した言葉を、フランツが躊躇いなく拾い上げる。
「当然だ」
「――っ」
「来い。――レイン、何か温かい飲み物を淹れてきてくれ」
「おう。ココアで良いな、カイリ」
フランツの言葉にレインもすぐに応じて、カイリの頭を撫でてくれた。
その熱に、カイリは心の底から力が抜けた。がくん、と糸が切れる様に、カイリは首を縦に動かす。
その様子に、シュリアが抱えてくれた手に力を微かにこめてくれた。あまりの温かさに、カイリは泣くのを必死に堪える。
彼らが受け入れてくれて、安堵する自分がいる。彼らがこの手を取ってくれたことを、素直に喜んだ。
だが。
〝 お ま え が み ん な を こ ろ す 〟
それと同時に、どうしようもなく心のどこかで絶望もした。
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