Banka17 傷付き惑う、俺の歌

第210話


「それで、首尾は」


 月も雲に紛れて逃げ惑う夜。

 硬質な壁に囲まれた室内で、椅子に座ったままの青年が無感動に促す。

 少し離れた場所で佇む女性は、艶やかな新緑の髪を背に流し、優雅に一礼してころころと笑った。


「順調です。マスターも、計画通りにこの国に入り込めたようで何よりです」

「フュリーシアは、前女王陛下の時代にファルエラとは友好関係を強化している。だから、少し問題があっても無下には出来ないよ。例え、相手がファルエラの一兵士に過ぎなくとも、無粋はしない」


 青年の淡白な声に感情は一切混じっていない。ただただ事実の確認を画一的に並べていくだけだ。

 法衣に身を包んだ女性は少しだけ面白くなさそうな色を顔に差し込んだが、すぐに柔和な笑みに戻す。それさえも興味は無いと言わんばかりに、青年はちらりと壁に視線を滑らせながら続けた。


「この国境砦は、二国の友好の証。同時に、監視の意味合いを持つ。今ここを守る団長は賢い。戦の火種を持ち込む様な真似は、極力排除するだろうね」

「ええ、ええ。そうですとも。……しかし、フュリーシアに潜り込みながらも手を尽くしていた捜索。長い時間はかかりましたが、ようやく実を結びましたね」

「……、……ああ」

「我らが神が危惧する人物。まさか、あの様な辺境に隠されていたとは思いも寄りませんでしたが……」

「その村は、最北の果てにあったんだ。名前も無かったし、認知度も極度に低かった。仕方がないよ」

「ええ。我らが発見する前に教会に保護されてしまいましたが、もはや時間の問題。早くその少年にまみえたいものです」


 両手を胸に当て、うっとりと女性が天井を仰ぎ見る。まるでそこに恋焦がれた運命の人が在ると言わんばかりに熱烈な視線で、目撃者がいたならば少しだけ引いていたかもしれない。

 だが、ここには物事に興味が薄い青年しかいない。故に、淡白に会話は流れていく。


「君は、まだファルエラでやることがある。命令以外のことはしないで欲しい」

「ええ、分かっています。ですが、……今回の仕掛けでその少年が死に、出会う機会を永久に喪失してしまえば。この心に渦巻く熱く煮えたぎる思いを、熱烈で真っ赤なベーゼとして伝えることが出来ないではありませんか」


 そんなことはありえません、と声高に叫び、女性が片手を天に掲げて陶酔する。

 青年としては、もっと声量を下げろと言いたいところだが、トリップした女性は落ち着くまで他者の声が耳に入らなくなる。煩わしいが、放置した。


「そうです。彼のことは、是非とも私が手厚く歓迎しなければ。戸惑う彼に微笑みかけ、彼の手をうやうやしく取り、燃え上がる炎の様に熱く見つめ合い、滑らかな首筋に触れ、背中を包む様に腕を回す。そうすれば」


 一瞬目を閉じ、彼女はぎゅっと己を抱き締める。腕の中にの少年がいることを夢想し、夢見る乙女の如く感極まっていた。

 そして。



「――そのまま、腕に閉じ込めた彼は最後。窒息死するほどに抱き締め、首筋に噛み付き、あえぐ様を死ぬまで堪能できる! ……彼に相応しい、見るも醜悪で、吐くほどにむごたらしい死は、是非とも私自身が与えなければなりません!」

「……」

「そう、身も心も、その魂さえも奪い尽くし、屈辱にまみれた顔を踏み付けてやりたいのです。――我らが偉大なる神への、神聖なる捧げものとして! これほど相応しいものはありません!」



 恍惚とした表情で、女性はおぞましい未来を奏上する。

 それこそが使命と言わんばかりの物言いに、青年は真っ平らに息を吐いた。青年にとってこの女性は、有能ではあっても仕事中に手を組みたい相手では全くない。


「勝手な行動は慎んで。彼の死の時期は、おれが決めるべきこと」

「……、……ですが、彼は決してこの先生きるべき人間ではありません。これは不変の真理です」


 断じる口調で女性が目を細める。

 その瞳は先程の熱い欲望を保ったまま、一突きでゾウをもほふるほどの殺傷力を秘めていた。


「彼は罪人です。『尊敬すべきあの方』には相応しくない相手」

「……」

「だというのに、何故! 彼如きが! 未だにあの方の隣にいらっしゃるのでしょうっ!」

「……」

「あの方も、何故、彼の隣でのんびりと笑っていらっしゃるのか。報告を聞くたびに、腹の底が真っ黒に燃え盛り、体の中から焼け付き、臓腑ぞうふただれる如く殺意が膨れ上がっていくのです!」

「……」

「……あの方に、彼など相応しくない。おこがましいっ。のうのうと笑って隣を独占し、あまつさえ親友宣言を方々ほうぼうに吹聴するなど、言語道断!」


 ばしん、っと目の前のテーブルを叩き割る様に殴る。おかげで乗っていたワイングラスや空になった皿が踊り狂って割れてしまったが、女性は気にせずに獰猛どうもうに唸った。


「あの方の傍に相応しいのは、私。あの方の隣で笑うのも私っ。それは生まれた時から決定づけられた、絶対不変の真理!」

「……」

「彼など認めない。息をするのも生意気な。聖歌騎士と持てはやされ、勘違いに狂った低俗な輩よ。……身の程知らずも甚だしい罪人には、早く神よりの裁きの鉄槌を――っ!」

「やめてくれ」


 とん、と椅子の背もたれを青年が拳の裏で軽く叩く。

 空気にささやかに亀裂が入り、女性ははっと体を震わせた。

 青年は依然として淡泊な雰囲気を緩やかにまとっている。

 だが、その片隅にゆらりと立ち上る真っ黒な炎を目にし、女性は息を呑んで引き下がった。


「……っ、……申し訳ありません」

「私情を挟むのは構わないよ。でも、勝手に殺されても困る。……最終的に我らが神がそれをお望みだとしても、ただ殺せば良いというものではない。分からないのなら、君を今すぐ神の御許みもとへと送ってあげるよ?」

「――っ、……いえ」


 片膝を突き、女性は固くかしずいた。微かな震えが、刻み込まれる様に体をすり潰していくのを感じるのか、必死に頭を垂れて許しを請うてくる。


「私の信心が足りないこと、深く神に懺悔致します」

「うん。それで?」

「……。……我らが神の御心のままに。ファルエラで、引き続き『祭事』を務めます」

「うん。我らが神も大いにお喜びになる。……それに」


 すっと、青年は窓の外に視線を放る。

 月明かりも差さぬ外は、闇よりも深い真っ暗な世界に囚われていた。空も草木も地面も風も、何もかもが死んだ様に息をひそめ、ぴくりとも動かない。

 だが、その闇の向こうに、青年は確かに見た気がした。



「カイリ・ヴェルリオーゼ。……教皇から逃れし者」



 ささやく様な声に、微かに――本当に微かにだが、彼自身の感情が揺らぐ様に差し込まれる。


「教皇から逃れたということは、洗脳を……神の下僕になることを抗ったということ」

「そ、そうですっ。彼はやはり、神に逆らいし不届き者……っ」

「だからこそ、興味がある。……我らが神が危険視するほどの相手は、果たしてどんな人物なのか」

「は……っ」


 万能とうたわれる神でさえ、思い通りに出来ない少年。

 それは、青年が知る限り初めてのことだった様に思う。

 ヴァリアーズ家という頭の痛い爆弾も潜んではいるが、少年ほどこの世界に不確定要素をばら撒く存在は無いだろう。

 だからこそ、神さえも命を奪いたくなるほどの特異な存在。

 決められた人生を歩む青年には、良い刺激となるかもしれない。

 是非とも顔を合わせてみたい。言葉を交わし、笑顔を見てみたい。彼の隣に立ち、まるで友の様に振る舞ってみたい。

 そして。



「彼は、おれが、この手で殺してみたい」

「――」

「彼の死を神はお望みだ。……ならば、おれが直接会って、殺したい。……その後、君が尊敬する『あの方』とやらとどうしようと、おれは一向に構わない」

「……、それはとてもありがたい申し出ですが」

「だから」



 椅子から立ち上がり、青年は無造作に女性を見下ろす。

 その仕草だけで、ばりっと雷が引き裂く様な衝撃を女性に与えた。物凄い暴力で頭を押さえ付けられる様に腰を折り、女性は息も絶え絶えになりながら必死に耐えていた。



「おれの獲物おもちゃを、勝手に処分することは許さない」

「――っ」

「君は、時々自分の世界に引きこもり、暴走する。暴走する時はいつも面倒だ。どれだけの『後処理』をしたと思っている?」

「は、……は……」

「……もし言いつけを破れば、神の御許にいつでも返してあげよう」



 覚えておいて、とだけ捨て置き、青年は窓に歩み寄る。女性が何か言っていたが、草の葉がさえずるよりも穢かったので聞き流す。堂々と背中を向けても、一太刀を浴びせることさえしてこない不満分子は、取るに足らないものだ。

 青年が近くで外を眺めても、夜の世界は真っ暗なまま。草木の音一つ聞こえてこない空間は、国境砦という硬質で厳格な雰囲気も相まって不気味である。

 遠くに鬱蒼うっそうと生い茂る森は、既に黒く塗り潰された様に薄気味悪い。足を踏み入れたが最後、底なしの穴に飲み込まれ、永久に戻ってこれない得体の知れなさが漂っている。

 しかし、青年にとっては慣れた世界だ。

 自分を偽り、他者を偽り、いつだって光とは無縁の場所と隣り合わせで生きてきた。

 だから。



「……彼は、今度はおれに、どんな暗闇ひかりを与えてくれるんだろう」



 笑顔で牙を立ててくれれば良い。握手を交わしながら一閃を叩き込んでくれたなら御の字だ。

 そうすれば、青年も笑顔で彼に刃を突き立てられる。

 だから。


「……カイリ・ヴェルリオーゼ」


 早く、会ってみたい。

 それが、まだまだ先の話だとしても。

 遠足に行く前日の様にそわそわする子供の気分を抱えて、青年は窓の外に微笑みかけた。











「ケント」


 自室で資料と向き合っていると、ノックと共に父が入ってきた。

 ケントはさりげなくテーブルの上に広げていた資料を片付けたが、父は目敏い。ふーん、と興味深そうに目を細めて歩み寄って来る。逃げ場はなかった。


「ファルエラについて調べていたんだね」

「……父さん。返事をしてから入ってくるのがマナーだと思うよ」

「無理だね。息子がまた黙って無茶をしようとしているんだから」


 ざっくりと問答無用で切り込んでくる父に、ケントは目を伏せて溜息を吐く。

 何故、父はこうも勘が鋭いのだろうか。ケントはそれなりに上手く事を運ぶ方だと思うのだが、父には何一つ隠し通せた試しがない。


「カイリ君のこと?」

「うん、……」

「全部ファルエラ関連だね。今は、フュリーシアでファルエラ人と伴侶になったリスト?」

「……うん。気になる報告が来たからね。……父さんの関係者にも何人かいたよ」

「ああ。……ガルファン殿も、亡くなってしまったが夫人がそうだったね」


 口にした際、微かに父の声が陰る。

 ガルファンという伯爵は、それなりに父と親交がある人物だ。春に夫人を亡くして以来、めっきり外に出なくなってしまったが、確か五月の晩餐会でも招待していた。

 カイリの聖歌を聞いて、顔が心なしか明るくなっていたのも覚えている。

 さっすがカイリ、と得意気に笑うと、父が見透かした様に頭を撫でてきた。


「カイリ君には、彼が知らないところで色々癒してもらっているね」

「当然! カイリは清涼剤だからね。一緒にいると楽なんだ」

「ふふ。……ガルファン殿も含めて、徹底的に調べなさい。父さんに遠慮する必要は無いよ」

「……うん。……自国の火種を片付けるのが先だしね」

「そうだね。後は、気になるファルエラの、とある伯爵家を調べているってところかな」

「っ」


 堪えたつもりだったが、右手の人差し指がわずかにぶれた。

 父は当然見抜いている。含んだ様な笑みを落とされ、ぐうっとケントは詰まった。


「……お前は。本当に家族を頼ることをしないね」

「……。頼ってるもん」

「……お前がそう言うなら、そういうことにしておいてあげよう」


 ぽんぽんと頭を撫でる手つきは、優しい。まるでちょうど心の弱い部分を撫でられる様な感触に、ケントは衝動的に抱き着きたくなった。

 だが、そこを我慢してケントは敢えて資料を裏返しに伏せる。もう何を調べていたかは知られているので意味は無いが、心の平穏は大事だ。


「しかし、次はファルエラか。カイリ君は本当、大変だね」

「もう既に、いくつか不穏な件は起きているからね。……父さんは、わざと放置していたみたいだけど」

「当たり前だろう? 俺は、もう騎士団所属じゃない。それに、俺が何でもかんでも手を出したら、お前達が成長する機会が無くなってしまうしね」


 にっこりと笑って頭を撫でる父は、なかなか意地が悪い。

 数か月前からの異変もえて放置していたあたりは、完全に利用しようという魂胆だろう。

 確かに父が何でもかんでも解決していれば、ケントはもちろんだが、何よりカイリが成長出来ない。

 今は大きな戦も無いし、成長機会というのはかなり限られている。フュリーシアの平穏よりも、カイリの成長を優先するあたり、父は本当に彼に入れ込んでいる様だ。ケントとしても喜ばしい限りである。


 ただ同時に、父自身もカイリが強くならなければならない危機感を覚えているということだ。


 逆に言えば、それだけの試練がカイリを待ち受けているということに他ならない。

 父が味方で本当に良かった。ケントは安心して動ける。


「まあ、頼られたら力は貸すけどね。可愛い息子や友人のためなら、ばんばん貸しちゃうよ! 遠慮なく言いなさい」

「……成長の機会が云々とか言ってたくせに」

「それはそれ。頼るのも、一種の力だよ。上手く使える様にならなければ、一流にはなれないからね」


 それは、カイリにというよりはケントに向けられた助言だった。思い当たる節がテーブルの上には散らばっている。ばつが悪い。

 父の指摘する意味を、ケントは正しく理解している。

 だがケントとしては、自分の力で乗り越えたい案件だった。だからこそ、ある程度は一人で調査を進め、時期を見計らって解決したかったのだ。

 しかし。



〝ケント。後で書斎に――〟



「……。……父さんに、早速甘えようかな」



 言うが早いが、ぎゅっと軽く抱き着いてみる。

 父は異変に気付いたらしく、すぐに強く抱き締め返してくれた。背中を撫でる仕草は完全に子供への甘やかし方だ。

 しかし、それこそがケントの望む温もりだった。遠慮なく、与えられる幸せを享受する。


「ケント、覚えておきなさい。俺達家族は、いつだってお前を愛しているということを」

「……、うん」

「どこにいても、お前が呼ぶなら何をしてでも駆け付ける。お前が父さん達を守りたいと思ってくれている様に、父さん達もお前を守りたいんだ」

「……、……うん」

「それを忘れないでいてくれたら、父さん達はもっと幸せになれるんだよ」


 覚えておきなさい。


 繰り返し告げられ、ケントはうつむきたくなるのを必死に堪える。

 神に喧嘩を売り、質問を投げかけられた時のことを思い出す。家族を捨ててでもカイリを取るのか、と。

 その時、ケントは頷いたけれど。


「……、……父さん」


 ケントにとって、今の家族は光だ。

 そう思ってしまう自分に驚きながらも、納得する自分がいる。

 カイリは前世から共にいる光で、家族は今のケントを導いてくれる光。

 決して、口には出来ないけれど、これくらいは許されるだろう。


「大好きだよ」

「……うん。父さんも大好きだよ」

「うん。……ねえねえ、父さん。今日はみんなで一緒に寝たいな!」

「もちろん! ケントがせっかく帰って来ているんだからね! 一人で寝かせるわけがないよ!」


 宣言と共に、クリスががばりとケントを抱き上げた。小さな子供を高い高いする様な抱き上げ方に、ケントは思わず「わあっ」と無防備に声を上げてしまう。


「と、父さん⁉」

「さあ。今日はもう仕事は終わり! 夜も遅いんだし寝ようね!」

「……」

「エリスはもうみんなで寝るための準備をしているよ! セシリアやチェスターも枕を持って突撃してる。ケントが来るのを今か今かと待ち構えているんだから。大好きな家族にさみしい思いをさせないためにも、早く寝ようね!」


 ほらほら、とケントを抱えたまま、父はすたすたと勝手に扉の方へと歩いて行ってしまう。

 強引な手段に出る時は、父はケントの言葉など聞いてはくれない。それは、ケントに拒否権は無いという事実だった。

 けれど、それこそが父の優しさだとケントは知っている。

 だから、甘えるしかない。逃げ道を封じる父の愛情に、ケントはいつだって叶わないのだから。


「……よーし。……今日は父さん達に絶対勝つからね! どうせトランプも用意してるんでしょ?」

「当たり前だよ! 誰がケントの隣を取るか、大事な勝負なんだから。当然父さんが一番だけどね!」

「分からないもん。僕だって父さんに勝つ時はあるんだから」

「ふふ。子供の成長は親の喜び。でも、簡単には超えさせてあげないから。覚悟しなさい」


 大人げなく微笑む父に、ケントも挑発的に笑う。

 そんないつもの明るい喧噪が心地良い。帰って来たのだと、心から安堵する。

 この先、父が望む様な未来が来るとはまだ思えないけれど。



 それでも、こんな幸せが少しでも長く続けば良い。



 願いながら、ケントは背中の資料を置き去りにして、今求めている幸せに手を伸ばすことを選んだ。


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