第338話


 フランツの提案に、カイリは戸惑うばかりだ。

 カイリの給料の半分は軽く飛ぶ値段の皿を、購入することを勧められた。意図が読めなくて、素直に教えを請う。


「あの、フランツさん。どうしてですか?」

「そうだな……。お前は元々聖歌騎士で貴族だったから、商店街の反応は今も変わらないが、他の貴族達は違う。今のお前は、カーティスとティアナ殿の息子……つまり、聖地の中でも有力貴族のラフィスエム家とロードゼルブ家の血を引いていると正式に公表した状態だ」

「……はい」

「とはいえ、今の生活を続けるだけなら、まあ、全く必要は無いのだが……」


 ちらっと、フランツが周りを見渡したのは何故だろうか。

 しかし、すぐにカイリも思い当たり、あ、と声なく声を上げる。


「カイリ。貴族というのはな、はなはだ面倒なことではあるが、ある程度の価値のある調度品というものを屋敷に飾り、権威を示しておかねばならん。そうでなければ周囲に侮られ、いざという時に何か一つ要請をしようとしても相手にされにくくなる」


 それは、カイリの壮大な計画への影響を指し示している。



 歓楽街の領主になること。



 上に立ち、他に協力を要請するならば、それ相応の権威を示す必要がある場面が出てくる。そう示唆しさしていることに他ならない。協力する価値があるかどうか、相手はまず表面で判断しがちだからだ。

 貴族や商売人、はたまた国外を相手に交渉事をするのならば、身に着けている衣服や装飾品にも気を配らなければならなくなるだろう。屋敷に招くのであれば、値踏みもされるはずだ。

 その時、村にいた頃の様な庶民的な品しか置いていなければ、稼ぎが少ない貧乏人と侮られたり、ぼったくられたり、そもそも相手にもされなくなる危険性が高い。


「言っておくが、クリス殿の屋敷にある調度品も、お前の給料の軽く十倍あるものが多いぞ。それどころか、桁が違うものもある」

「じゅ……っ、……桁……」


 クリスの――つまりはケントの実家には何度もお邪魔しているが、そこまで価値が高いものばかりだとは思いも寄らなかった。

 当然高価なものだという認識はあったし、品もセンスも良いとは感じていた。

 しかし、どれもこれも落ち着きがあり、親しみやすい家具や調度品が多かったので普通に振る舞ってしまっていたのだ。

 今度訪問した時、ぎくしゃくしない様にしなければと、カイリは心の中で密かに戒める。


「まあ、全てを高価な品で飾る必要はないのだが……それでも、今から少しずつこういったアンティークものを集めておくのも良いだろうと俺は思う。その時の流行ものを取り入れたり、海外の品も仕入れる必要は出てくるかもしれないが、ここに置いてある品はあまり流行も関係ない上に価値の高いものばかりだ。三百年以上前からのデザインが使われている品も多いしな」

「さん、びゃくねん? ……、……そうなんですね」


 既にカイリの頭が爆発しそうだ。


 村では、両親の金銭感覚は大丈夫かと心配になったことはあるが、それでも使っている食器や家具などは一般的なものだった様に思う。現在第十三位で過ごしていても、敷地や設備が豪華なのはともかく、そこまで高価すぎる食器などは使用していないはずだ。

 カイリは前世でもお金に困ったことはなかったが、あまり物に頓着とんちゃくしない部分があった。要するに、貴族のお金の使い方は素人に等しい。

 本当に領主になるのならば、改めて勉強しなければならないことがたくさんある。思い知らされて、途方もない道のりだと気合を入れ直した。


「あの、……ラフィスエム家の屋敷は、ヴァリアーズ家のものになったんですよね? じゃあ、あそこの家具や調度品を利用する、というのは……」

「当然必要だろうな。あそこは古参なだけあって、かなり凄いぞ。お前も肌で感じていたとは思うが」

「……じゃあ、誰かを招く時は、あの屋敷を使わせてもらうのが良いんですね」

「そうだな。しかし、あそこは現在のままだとあくまでネイサン殿の色合いが強い。これからは、お前の色を出していかなければならないからな。全てあのまま、ではいかないだろう」


 フランツは、恐らく先を見越してカイリの色にしていけと勧めてくれている。どこまでも頭が上がらない。

 あの屋敷はネイサンが当主として仕切っていたのだ。カイリがそのまま使ったところで、訪れた者がちぐはぐに感じたら、交渉事にも支障が出るだろう。


「この皿は見たところ、風景などを鑑みるに六枚で一セットの様だな。……お前が本当に心から欲しいと思うのであれば、購入すると良い。買うのなら、今回は俺が立て替えるぞ。毎月少しずつ返してくれればそれで構わない」

「……フランツさん」

「買ってやるには額が大きすぎるしな。これも勉強だ」


 ぽんっと頭を叩いてフランツが優しく微笑む。父の様な、団長の様な、両方の顔が混じった笑い方にカイリも真っ直ぐ見つめる。


「お前の金銭感覚は大事なものだし、どれだけ稼げる様になっても忘れてはいけないものだ」

「はい」

「だが、一方でこれからは大きな金の動かし方も少しずつ学んでいく必要がある。買うのならば、これはその取っ掛かりだと思えば良い」

「……はい」


 頭を撫でられながら、カイリは歓楽街を思う。

 ケントに提案され、クリスやフランツ達に相談して望みを宣言したものの、知らないことばかりで途方に暮れそうだ。今のままではやはり、胸を張って領主になるとは間違っても口に出来ない。

 お金の動かし方も学ばなければならないし、そもそもまずはこれを買うべきかどうかだ。

 カイリが悩んで、答えに窮していると。



「……カイリちゃんってばあん。何か企んでいるのねえん?」



 にやり、とリーチェが唇に人差し指を当てて微笑む。その笑い方は妖艶で、迫力のある美が前面に押し出されていた。


「えっと、……、……はい」

「もおん! 嘘が吐けない子ねえん! そういうのはあ、誤魔化しちゃっても良いのよおん?」

「うーん。でも、……もしかしたら、……」


 リーチェにも相談する可能性があるかもしれない。

 そう考えると、ここではぐらかすのは得策ではない気がしたし、何より失礼に当たる思いもあった。フランツが苦笑しているのは、カイリの心理を見通しているからだろう。さっきから本気で頭が上がらない。

 カイリがどう答えたものかと考えあぐねていると、ハリーが小首を傾げて真っ直ぐ見つめてきた。



「……えーっとー。ちょっとお聞きしても良いですかー?」

「え? ……は、はい」

「フランツさんの言うことはー、カイリさんが貴族として身に着けるために当然必要な技術ですー。他にも色々ありますけどねー」

「……はい」

「ただ、その前にー。そもそも、カイリさんが目指したい貴族ってー、どんな感じなんでしょうかー」

「え……」



 直球で尋ねられ、一瞬カイリはまごつく。


 どんな貴族になりたいか。


 それは、カイリにとっては領主に直結することだが、既に現時点で貴族である。

 改めて問われるとかなり難しい。ぼんやりしたままではあるが、懸命に考えを巡らせていく。


「……俺は、……つい最近まで村人として生きてきたから、貴族の責任というものをまだきちんと理解出来ていません。上に立って、気持ちが大きくなって、横暴な振る舞いをするのは決してしてはいけないことだと思っています。けど、……それって貴族に限らないですよね……」

「そうねー。カイリさんって、それで何度か喧嘩買っていそうですもんねー」

「うぐっ、……はい」


 ハリーに難なく急所を突かれ、カイリは胸を押さえる。心当たりがあり過ぎるのも問題だ。


「フランツさんの調度品云々だけではなく、他の人も忠告してくれたんです。敬語は使わない方が良い、頭を下げてはいけないって。……俺は、それに対して敬語を使うのを止めない、相手に最低限の礼節を示すために、頭を下げるのを止めることもないだろうと告げました。ケントみたいに、敬語を使っても舐められない様になるって大口叩いて」

「あらあら。確かにケント様は、敬語を使いますものねー」

「はい。でも、忠告してくれたその意味は分かるんです。相手に……特に他の貴族に舐められない様に権威を見せるということも、必要だというのは分かります」


 もし、カイリが協力して欲しいと周りに要請をした時、誰も動いてくれない。そうなれば、出来たかもしれないことが出来なくなる可能性もある。

 そういう事態になったら、救えたかもしれない命を救えなくなるだろう。それどころか、必要以上の犠牲すら出してしまうかもしれない。

 それは、絶対に陥ってはいけない最悪の事態だ。

 けれど。



 みんなが人並みの生活を営んでいる中で、一人だけ豪華な調度品に囲まれて暮らす領主。



 果たして、民の目にはどう映るのだろうか。

 そういう調度品にお金をかけるくらいならば、カイリは少しでも別の有用なことに使いたい。交渉ごとで有利になるのが権威の象徴だとしても、カイリならその時々で民が困っていることに費用を充てたいと考えてしまうだろう。

 だが、そのことにばかりに費用を充てて、いざという時に交渉ごとでしくじったら、結局は民の暮らしに影響を与えてしまう。それに、ぼろすぎる屋敷を見て、民が不安になってもいけない。

 長期的な目で見るか、短期的な目で見るか。

 その違いなのも分かっている。


「……バランスが難しそうですけど、お金は、権威を見せるためだけじゃなくて、民が困っている時のために使える様に工夫出来ないかって思っています。どっちに傾き過ぎても駄目で、だからこそバランスが難しいというか……」


 こういう時、ケントやクリスならもっと上手に説明出来るのだろうが、如何せんカイリは知識が少なすぎる。こうして言葉にするたびに、自分の不足している部分が浮き彫りになっていくので、頭が痛い。

 それでも、少しずつこなしていくしかないと開き直って、自分なりの考えを紡いでいく。


「それから……領主と領民も、地位に差はあっても人間です。役割が違うけれど、結局はお互いに信頼し合って、支えて支えられるものだと思うんです。だから……」


 そう、例えば。



 ――ガルファン殿や、ルーシーさんの様に。



 この間訪れた時、ルーシーが村人の中に混じって仕事をしていても、全く違和感が無かった。

 それでいて、村人達は彼女を慕っていて、これからどれだけ困難な未来が待ち構えていようと信じて付いていっているのもよく分かった。

 きっと、ガルファンも同じだっただろう。だからこそ、村人達は笑ってあそこにいる。


 カイリが目指す理想像に一番近いのは、彼女達だ。


 まだまだぼんやりした目標ではあるが、目指す道筋はあそこにある。

 共に生き、共に立ち向かい、共に守り合う。

 立場が違ったとしても、違うからこそ違うやり方で、足りない部分を補い合って、互いに切磋琢磨して、カイリは一緒に成長していきたい。


「だから、……上下関係はあっても、お互いに尊敬し合える様な関係に。役割が違っても、道は違っても、目指す場所へ一緒に並んで進んで行ける様な。どんなことがあってもこの人なら絶対に見捨てないって、この人なら信じられるって、そう思ってもらえる様になりたい」


 そして。


〝だから、そんな義理みたいな感情じゃなくて。お互いに何かあったら気にかけたり、助けたいって思える様な関係になれる様に〟


 かつて、パーシヴァルにも伝えた様に、民とだけではなくて。



「俺は、利害の一致から始まっただけの交渉相手とも、お互いに何かあれば助けたい、力になりたいって。そんな風に思える様な付き合いをしていきたいんです」

「――」

「もちろん、付き合う人全員とそんな関係を築けるわけじゃないとは分かってはいます。でも、……例え利害だけの関係ではあったとしても、その中でもほんの……本当にほんの少しだけでも、こいつなら長く付き合ってみたいって、そう思ってもらえる様な人間になれたらって思っています」

「……………………」



 歓楽街の領主計画と同じで、あちこちが曖昧で空白だらけだ。おまけにかなり壮大な夢物語だとも分かっているので、かなり気恥ずかしい。

 だが、考えは変わらない。これが、今カイリが語れる全てだ。

 ハリーとリーチェは何やら目を合わせて会話をし始めた。声なく目だけで話が出来るとは、本当に仲が良いのだなとぼんやり感嘆する。



「うーん。カイリちゃんらしいわー」

「そうですねー。むしろ、そうじゃないとカイリさんじゃないですー」



 朗らかに笑って、二人に称讃された。

 称賛なのかけなされているのか。実のところ分からないが、好意的な声と空気だったので、良い方で受け止めておく。


「あの……やっぱり変ですか? 具体的でないのは分かっているんですけど」

「ううん。でも、そういうことなら、フランツちゃんが教えるべきなのは、お金の大きな動かし方だけじゃないわねえん。如何いかにしてカイリちゃんがカイリちゃんのまま、かつ相手に舐められない振る舞いが出来るかっていうことの方が大きいかもしれないわあん」

「ああ、分かっている。カイリは振る舞いを忠告された時に、堂々とそういう宣言をしていたからな」

「あぁ、さっき言っていたこと。流石ねえ」

「だったらー。カイリさんはー、クリストファー様の様にはならなくても良いんですよー?」

「え?」

「フランツさんが言っていることやー、この調度品で権威を示すっていうやり方をー、カイリさんは必ずしもきっちりとしなくて良いってことですー」


 ハリーが人差し指を立てて、おっとりと微笑む。綺麗に笑う人だなと、カイリはどうでも良い方向に感想を抱いた。


「クリストファー様はー、諸々もろもろ家の事情があってセンスの良い高級な調度品を集めましたけどー。本来は、あんまりそういうのを好まない人なんですー」

「……。……守るため、ですか?」

「そうですー。……、本当にあの一家に信頼されているんですねー」


 ハリーが意味深に目を細めるのに、カイリも黙って頷いた。

 エリスと無理矢理破局させられ、挙句に実の息子であるケントの虐待に長期間気付けなかった。そのクリスの無念は如何ほどだったのか。最初に語っていたクリスの態度や空気からも十二分に知れる。

 当時、クリスは自分に力があればと嘆いたはずだ。二度と、例え身内であろうとも舐められない様に、大切なものを守り抜く。

 そういう誓いも込めて、あの家をある意味鎧の様に仕立て上げたのではないだろうか。



 相手を圧倒するには、まず見た目から。



 家族を心から深く愛するクリスならば、何でもやり遂げるだろう。クリスの決意には頭が下がる。


「カイリさんはー、確かに一見すると舐められそうな外見をしていますけどー。可愛いから良いんですー」

「か、可愛いは余計だと思います!」

「あらあらー。でも、可愛いですけれどー、話してみると、す……っごく。油断出来ない人だって、分かる人には分かりますよー?」


 それはそれで傷付く。


 油断出来ないとはどういうことだろうか。ハリーにそんな目で見られていたのかと、少しショックを受けた。


「あらあらー。やっぱりカイリさんは可愛いですねー。大丈夫ですよー。カイリさんは純粋でー、真っ直ぐでー、頑固でー、ちょーっと危なっかしいですけどー、優しくて素直な良い子だって思っていますからー」

「……、……ありがとうございま、す?」

「つまりー。かけるべき場所にだけお金をかけてー、後はカイリさんの金銭感覚と同じものを置けば良いってことですー」


 話が戻ってきた。

 ハリーはうふふー、と口元に手を当てて和やかに笑う。


「どうしても敷地は広くなるでしょうけどー。一番見せなければならないのはー、玄関と応接室ですー。特に玄関いりぐちですねー」

「入口……」

「そうですー。玄関はその家の顔ですからー。一番お金をかけるべきところは、そこですねー。後は適当で良いんですよー。強いていうなら、ソファや椅子は気を付けるべきですねー。座り心地はどうしても質に差が出ますからー」

「ソファ……椅子……」

「後はそこまで高くなくても大丈夫ですよー。例えばー、おもてなしをする食器でもー、遊び心にあふれていたりー、デザインが良い上に手頃なお値段で手に入るのはー、実はたくさんありますー。もちろん、ある程度以上の値段は必要ですけどー、カイリさんが考えるよりもずっと気楽でも良いんですよー。……むしろ、そうすることで相手を図ることも出来ますしー」


 要は、相手に気持ち良くなってもらえば良いんです。


 遊び心に溢れたデザインであれば、相手は意表を突かれて興味が湧く。高価すぎる食器でなくても、見た目や感触が心地良くて惹かれる魅力があれば満足する。



 むしろ、金銭のみでしか物事を判断しない輩は排除して構わない。



 ハリーが言っているのはそういうことだろう。

 ある程度の値段には目を瞑れと助言してくれているが、クリスほど虚勢を張らなくても良いのだと伝えてくれる。


 どんな貴族になりたいか。どんな領主になりたいか。


 明確にすべきなのは、そこなのだと。ハリーもリーチェも未熟なカイリを教え導いてくれた。感謝してもし足りない。



「……ありがとうございます。俺、少しだけ気が楽になりました」

「まあー。良かったですー。ケント様やクリストファー様も、少し心配されておりましたよー」

「え?」

「あらあらー。これは秘密でしたねー」

「え……、……」



 つまり、二人はハリーにもカイリの目標を話したということか。



 何故形にもなっていない内容を、外部に漏らすのか。それに、ハリーは彼らにとって深い繋がりがあると言外に宣言されたに他ならない。

 隣のリーチェを見ると、「まあん。ずるいわあ、ハリーちゃん」と唇をとがらせて悔しがっていた。ハリーが「極秘なんですー」と流しているが、リーチェも近いうちに答えに辿り着きそうで怖い。

 だが、それで良い気がした。


「あの。ハリーさん、リーチェさん」


 顔を上げて、カイリは二人を交互に見つめる。

 きょとんと瞬いていた二人だが、真剣なカイリの視線にぶつかり、笑顔は崩さずに表情を改めた。

 彼らは、とても誠実な人達だ。カイリの様な未熟な子供の意見も、きちんと真っ直ぐ聞いてくれる。

 だからこそ、カイリが信頼できる人達だ。信じたいと思った人達だ。


「まだ、俺の望みは話せないんですけど。でも、……でも、もし、現実味を帯びてきた段階になったら、相談したいことがあるんです。……その時は、話を聞いてくれないでしょうか?」


 カイリが悩んでいることを、二人は見抜いて正しい方向へと導こうとしてくれる。それはとても貴重な存在だ。

 カイリの言葉に、二人は一瞬目を丸くした。

 だが、すぐに二人らしい笑顔で返事をしてくれる。



「良いわよおん! 他ならぬカイリちゃんのためだものお」

「はいー。カイリさんらしいことでしたらー、もちろんお話に乗らせて頂きますー」

「……! ありがとうございます!」



 がばっと頭を下げて、あ、と気付く。深すぎたかもしれない。

 だが、これは感謝を大いに表すための行動だ。貴族だからと言って、そこまで禁止にはされたくない。

 思いながら顔を上げると、二人は益々楽しそうに笑っていた。どこか上機嫌な雰囲気に、カイリは首を傾げる。


「あの?」

「いいえん。やっぱりカイリちゃんはカイリちゃんねえん。ねえ、フランツちゃん。この子、アタシに」

「やらん」

「もう、いけずうん!」

「カイリさんは、そのままでいて欲しいですねー。目の保養ですー」

「は、はあ。ありがとうございます?」


 よく分からない賛辞を受け、カイリは再度皿に目を移す。

 フランツが手助けをしてくれると言ってくれたこの皿のセットは、必要なものなのかどうか。先程の悩みに戻ってくる。

 だが、今度はすぐに決まった。



 ――買おう。



 値段は確かに高いかもしれない。遊び心に溢れているわけではないし、だからと言って虚勢を張りたいわけでもない。

 ただただ、カイリが心から惹かれたものだ。

 カイリの故郷によく似ているこの風景を描いた皿は、人の気持ちを穏やかにする力を持っていると感じ入る。ハリーも、ある程度の値段には目を瞑れと助言してくれた。


 何より、カイリがこの皿を欲している。


 それはつまり、カイリの色が強く出ているということだ。

 屋敷を自分の色に染める一歩でもあるし、だからこそきっと必要なものだとも思える。強く目に留まるということは、そういう導きなのだと信じることにした。


「フランツさん。このお皿は、買いたいです。2セットで」

「ほう? 良いのか? しかも2セットか」

「はい。それで、……普段は飾っておいて、ちょっとしたお祝いの時とか、みんなで使いませんか? 使わずにずっと仕舞っておくのはもったいない気がします。2セットなのは、ケントとか……他の人が来た時のために」

「……そうだな。使う、というのはとても大事なことだ。仕舞い込んでしまっては、せっかくの価値ある品物も意味が無くなるからな」

「はい! じゃあ、月末の誕生日会で早速」

「おお、良いな。是非使おう。良い使い方だと思うぞ」


 フランツに褒められた。

 思わず破顔すると、フランツが「くっ」と天を仰いで帰って来なくなった。リーチェやハリーが「すっかり親馬鹿」と苦笑しているのに恥ずかしくなる。


「カイリ様。お買い上げ頂き、ありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとうございます、コーニリアスさん。どの品物もすごく素敵でしたし、何よりこのお皿に出会えました」

「そう言って頂けて、このお皿たちも幸せなことでしょう。……どれも可愛い子供達です。貴方になら安心して託せますね」

「ありがとうございます。……食べるのが更に楽しみになりました」

「おやおや。本当に食べるのがお好きな様ですな。ケント様の仰る通りだ」

「う、ぐうっ。……ケント、本当にどこまで喋ったんだお前……っ」


 かなりの大食いだと既に暴露されている様だ。本当に次に会ったら、一発背中を殴り倒そうと決意する。

 そんな風に固く拳を握り締めるカイリを、ハリー達三人が実に微笑ましそうに見守っていたのには気付かないままだった。











 カイリとフランツが嬉しそうに店を出て行くのを、リーチェは満足げに見送る。

 皿は綺麗に包装し、後日コーニリアスが直々に届けに行くことになった。最初は持っていこうとしていたカイリに、「これも勉強だ」とフランツが教え、納得していた姿は微笑ましい。

 彼は本当に素直で良い子だ。上に立ったならば、少し危なっかしくとも立派な貴族となるだろう。


「しっかし。コーニリアスちゃんもなかなか奮発するわねえん」

「はて。何のことでしょうか」

「今カイリちゃんが買ったお皿、本来は桁が一つ違っていたはずだけどおん?」


 元々滅多に流通していない貴重な皿だ。素朴な絵柄ではあるが、有名な画家が精魂込めて描いた作品で、使われている素材も一級品ばかりである。

 当初、値段は更に一桁増えるはずだったが、作者達の意向で少しばかり安くなったのだ。



 しかし、今のカイリの給料では手が出ない逸品であることは確かである。



 本日に限って値段を下げたのは、意図的だ。コーニリアスもなかなか侮れない商人である。


「おやおや。あれは、あの値段でカイリ様の手元に届くのが正しかったのだと私は思いますがね」

「確かに、カイリちゃんはこの中で一番強く惹かれていたみたいだけどおん」


 この皿よりも高い値段の品物は、当然この店には多くある。

 それでも目利きが鋭い者が見れば、この皿はこの店の中で一番値打ちがあると気付くだろう。

 カイリはそれを一瞬で見抜いたことになる。かなりの慧眼けいがんの持ち主だ。

 コーニリアスはにっこりと笑って、カイリが去って行った方向を見つめる。とても素敵なダンディさをまとう笑顔だが、なかなか食えないのはリーチェもハリーも経験済みだ。



「……実を言うと、今朝はこの子達がとても賑やかに騒いでいたのですよ。外に出る、と」



 今し方カイリが購入した皿に触れ、コーニリアスが慈愛のこもった眼差しを注ぐ。白い手袋を身に着けて大切に扱う仕草は、プロのものだった。


「持ち主が来る、来る、とそれは嬉しそうに笑っていたので。値段を下げてみたのですよ」

「……一桁も、ですかー?」

「ええ。……何となく私も予感がしましてね。いや、彼の懐具合に間に合って良かった」


 にこりと笑う彼の顔は心から安堵した様に映る。本気で喜んでいるのはリーチェにもよく伝わってきた。

 コーニリアスは、持つべき者が正しく持つことにこだわりを持っている。今までも、金を積まれても商品を渡さない事例は多くあった。

 そんな彼が、カイリを持ち主と定めたのならば、値段は関係ないのだろう。実際、あの皿とカイリの波長は合った様だ。カイリなら大切に扱ってくれるだろうことは、付き合いが短いリーチェでも手に取る様に分かる。


「私も、その時が来たら是非ともカイリ様の願いのお手伝いをしたいものです」

「まあー。コーニリアスさんってばー、耳が早すぎですー」

「ええ? なによおん! 知らないのはアタシだけだっていうのおん?」

「そうよー。リーチェさんはー、現役を退いてから耳が遠くなったんじゃないかしらー?」

「ぐぬっ。……くうっ! 全力で今から集めるわよ! ……コーニリアスちゃんに情報の速さで勝てる気はしないけどねえん」

「いえいえ。昔取った杵柄きねづかというやつなだけですよ。今の私では、クリストファー様の足元にも及びませんから」


 よく言うわ。


 いけしゃあしゃあと言ってのける老紳士に、リーチェは呆れて物も言えない。むしろこの中で一番情報戦に強いのは彼だ。

 この物腰穏やかで無害そうな老紳士が、まさか世界を股にかけて活躍する諜報員だったとは、他には誰も知らないだろう。

 顔も名前も口調も常に変わり続けていた彼は、定年を迎えて落ち着くことを決めた。現在の顔と名前で過ごす彼を、昔接したであろう者達は誰も知らない。

 知っているのは、ハリーとクリストファー、そしてケントとリーチェだけだ。リーチェが知ったのもハリーと付き合いがあったからという理由だけである。



 結構な大物が居座るこの聖地は、それでも相手にするには大きすぎる化け物がみ付いている。



 本来なら、カイリの様な穏やかに過ごすのが似合っている者が住む場所ではない。早く出て行けと追い出したいくらいだ。

 それでも、カイリはその化け物に立ち向かう気がする。――否。もう立ち向かい始めているのかもしれない。


「……。……相談に来たなら、全力で乗ってあげなきゃねえん」


 何を企んでいるかは知らないが、彼は決して諦めない人間だ。そのひたむきさにフランツ達も徐々に影響を受けている。


「……ケント様が自慢するのが、よく分かる御仁でしたね」


 リーチェの心境を見抜いた様に、コーニリアスが静かに微笑む。

 その彼の横顔が、少し眩しそうなことにはリーチェは素知らぬフリをして「そうねえん」と同意した。


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