第173話


『んー……と。やっぱり、武器はショーテルが良いんですかねえ』


 エディがファルと訓練を終えた後。

 ファルが手にしたショーテルを軽く回してみながら呟く。うーん、とあごに手をかけて凝視する様は真剣で、傍から見ているエディは苦笑してしまった。

 彼は、武術のセンスはなかなか良い。試してみたところ、複数の武器を使いこなせる器用な技術を習得していた。

 だが、大剣などの大掛かりな武器は振り回されて扱えないことも分かった。レインの長槍を見て、「あれ、カッコ良いのに」とふてくされていたのも懐かしい。


『そうっすね。ファルは器用だし素早い連撃が得意っぽいすから。ショーテルは、相手の防御を避けて攻撃出来るっていう強みがありますし。癖はあるっすけど、結構面白い戦い方が出来るから、使いこなせれば高みに上っていけると思うっすよ』

『エディ先輩の銃剣も面白そうですけど』

『ファル、遠距離苦手っすよね?』

『……』


 ずばり弱点を指摘すると、ファルはぷーっと膨れて押し黙る。

 彼はなかなかセンスはあるのに、何故か銃や弓などの遠距離武器は不得手としていた。充分に狙いを付けて放つのに、不思議なことに愉快なほど明後日な方向へ飛んで行く。何度か見物をしていたレインの方へと向いたので、「オレ、嫌われてんのかよ」と笑って避けたりしていたのは一種の名物である。


『これ、見ただけで結構警戒されそうですけどー』

『まあ、そうっすね。だからこそ、使い手の技術が問われる武器だと思うっす』

『……』

『あとは、投げナイフ……は無理ですから。さやか、もしくは短剣とかを盾用に持っておけば、かなり隙は小さくなるっすね』


 色々と助言を与えると、ファルの不貞ふて腐れた表情がだんだんとしぼむ様に戻っていった。

 ちらっと上目遣いに見て来るので、エディは首を傾げる。じーっと穴が開くほど見つめられると流石に落ち着かない。


『何すか? まだ不満っすか?』

『いえ、……』


 視線をショーテルの方へ戻し、ファルはしげしげと刀身を眺める。

 すらりと細くカーブを描く刀は、エディが見ても変わった形だ。正直、この武器を相手にするならば遠距離に限る。フランツ達の様な近距離戦闘は、エディとしては避けたい事態だ。

 だからこそ、ファルがこれを完全に会得えとくすれば、エディにとっては脅威になる。

 それでも。



 ――互いが互いの弱点を補い合えれば、きっと良い連携が取れる。



 そう信じて、エディは彼に教えた。レインが最初良い顔をしなかったが、どうしても彼に合った武器を教授したかったのだ。

 ファルはしばらく武器を見つめていたが、やがてエディの方を振り向き。


『……エディ先輩は、……オレにはこれが似合うって思っているんですよね?』

『? もちろんっす。じゃなきゃ、薦めないっすよ』


 質問の意図はよく分からなかったが、即答した。わざわざ不得意な分野を押し付けるという意地悪などしない。

 故に首肯したら、ファルは何故かもう一度ショーテルを真正面から見つめる。まるで向き合う様な真摯な横顔に、エディはやはり首を傾げた。

 どうしたのだろうか。まだ不満なのだろうか。

 彼の不可解な様子に内心緊張しながら、エディが彼の言葉を待っていると。



『分かりました』

『うん?』

『じゃあオレ、絶対これを窮めます!』

『う、うん? そうっすか?』

『はい! エディ先輩のお薦めですから! 絶対オレの武器はこれです!』



 自信満々に宣言するファルに、エディは一瞬目をみはる。

 これはエディだけの意見ではなかったのだが、彼は何故か自分が薦めたから自信を持ったらしい。よく分からない流れだ。

 だが、あまりにきらきらした瞳で見上げられ、エディは怯む様に頷いた。「そうっすか」と相槌を打つ。

 彼が入ってもう二週間は経つが、未だに彼の言動がよく掴めない。先輩としては失格だなと微苦笑してしまった。


 初めての後輩だから、緊張しているのか。


 フランツ達と違って、騎士になってまだ一年。部下を持つ経験などしてこなかった。

 だから、エディは試行錯誤しながら彼に色々教えてきた。

 武術だけではなく、料理の仕方や掃除の効率的な方法、筋肉のほぐし方や怪我をした時の応急処置に、気配の察知の仕方や痕跡の探し方。

 流石に聖歌語はエディは苦手の部類に入るので、もっぱらリオーネが指導していた。熱心にファルも聞き入っていたが、成果はいまいちの様だ。彼は、エディよりも聖歌語の才能が無いらしい。


 だが、聖歌語が全てではない。騎士の中には、聖歌語に頼らず上へ上り詰める人物も少数だがいるのだ。


 ファルにも、いずれそうなって欲しい。

 エディは上へ上へと駆け上る野望は無いが、彼は上を目指したい様だ。ならば、その道を少しでも開ける手助けが出来ればと願っている。



『ふふっ』

『何すか。さっきから変っすよ?』

『えー、変じゃないですよ! エディ先輩って優しいし、……オレ、ここに入れて良かったなーって』

『――』



 のびのびと笑いながら、ファルが爆弾を落としてくる。

 ここに入れて良かった。

 そんな風に言ってくれた人間は初めてで、エディは思わず振り返ってしまう。

 エディの分かりやすすぎる反応に、彼は堪えきれないといった風に噴き出した。あはは、っと苦しそうに笑って清々しい表情になる。


『第十三位のこと悪く言ってる奴らがいるけど、実際は全然ですよね。……あーあ、噂って恐いですね』

『……っ』

『オレ、ここに入れて良かったです』


 もう一度繰り返して、ファルは静かに微笑む。遠くを見る眼差しは、とてもなだらかだ。

 入って良かったと、そんな風に思ってくれていたのか。

 みんな、第十三位を悪く言うのに。彼は、実際にエディ達に触れて、良かったと言ってくれるのか。



 フランツ達を、認めてくれるのか。



『……っ』



 そんな人は初めてだ。

 驚き過ぎて声が出ない。

 同時に、嬉しさが湧き水の様に込み上げてきて昂っていった。目の奥も熱くなって、誤魔化す様に咳払いをする。


『そ、そうっすか』

『はい!』

『……、ありがとう。……これからも、……』


 よろしく。


 そう言う前に、ファルがエディの手を取る。

 にぱっと笑う彼の顔はやはり輝きに満ちていて、エディは眩し気に目を細める。

 彼と出会えて良かった。この時は心から感じ入って、光が差す様な未来が確かに見えたのだ。

 けれど。






 そんなの、結局は幻想で。






『本当に、ひ、酷いんです……っ!』


 料理用の油を買い忘れていたのを思い出し、急いで渡り廊下を突っ切っていた時だった。

 小さな庭の茂みから、ファルの声が漏れ聞こえてきたのだ。

 何だか、声が濡れている様に聞こえている。


 まさか、第十三位だから、何か中傷を受けているのではないか。


 まずい、と焦ったその時だった。



『オレのこと、……や、役に立たないからって、……何度も何度も殴って、蹴って、……昨日は、……お湯、ぶっかけられて……っ』

『――――――――』



 一瞬にして、エディは凍り付いた。



 一体何を言っているのだろう。彼は。

 頭が冷え切って上手く動かなかった。彼の言葉は聞こえてくるのに、上手に咀嚼そしゃく出来ない。脳が理解を拒否している。

 だが、時間は無情に過ぎ去っていく。エディの心境などお構いなしに、容赦なく残酷な言葉が垂れ流されていった。


『……うわ、ひでえ』

『何だよ、それ。いじめじゃねえか!』

『そ、それに……あんなに広いのに、宿舎の掃除、全部、やらされて……。終わるまで、食事も抜きでっ』

『はあっ!?』

『団長は、オレを見るたび怒鳴り付けるし、閉じ込めるしっ。しゅ、シュリア先輩は無視するし、レイン先輩は裏表が激しいんですっ。表ではへらへらしているのに、しゅ、宿舎の中では……! すっごい冷たくて、狂暴で。ごめんなさい、許してって言っても、殴られて……っ』


 一体どんな作り話だ。

 ふつふつと、冷え切っていたはずのエディの頭が今度は怒りで煮えたぎってくる。

 フランツは確かにちょっとお茶目だが頼もしくて優しいし、シュリアは何だかんだで面倒見が良い。レインもからかいながらも、困っている時は手助けしてくれる、優しい最高の先輩達だ。

 それなのに。


『うわあ……第十三位って、色々酷い奴らだって噂だけど、本当みたいだな』

『さすが、傷持ちなだけあるわ』

『おいおい。もう第十三位やめて、こっち来いよ』


 どうして、こんな話になっているのだろう。


 一体、彼は何を見てきたのだろう。

 一体、みんなのどこを知った気でいるのだろう。

 みんな、彼には色々丁寧に教えてきたのに。分からないところは優しく教えて、危ないことをしようとしたら注意して、訓練が上手くいかない時は何度も一緒に試してみて。

 何より、みんなと一緒に笑い合って、食事をしていたのに。

 何故、彼らをおとしめるのだろう。どうして、彼らを追いやるのだろう。

 どうして。

 そんな疑問ばかりがぐるぐる回って、エディは完全に出て行くタイミングをいっした。石像の様に足が凝り固まって動けない。

 だが。



『うっ、……ふっ。……それに、……リオーネ先輩は、オレに目をつけたみたいで、……毎晩ベッドに押し倒されて……』

『――え』



 リオーネのことまで、悪く言い始めた。



〝ファル様、どうしても聖歌語が上手く扱えないみたいなんです。エディさん、同じ不得手者同士で何かコツみたいなのってありませんか?〟



 彼が聖歌語に悪戦苦闘しているのを見かねて、リオーネは度々エディに相談をしてきた。

 エディも聖歌語が大の苦手で、一年間リオーネに教えてもらってようやく少しずつ威力を打ち出せる様になってきた例があるからだ。

 だから、エディも一生懸命振り返りながら話していた。リオーネはエディの話から気付いた点をまとめて、打開策を打ち出そうと親身になっていた。

 それなのに。



 彼女のことまで、陥れるのか。



 瞬間。



『ひっ……!』

『げ、おい、第十三位じゃねえか! ……聞いたぞ! 新人に何してんだ!』

『寄ってたかってストレスのはけ口にするなんて、それでもお前ら騎士かよ!』



 うるさい羽虫の音を無視して、ファルに一直線に突進した。

 彼を問い詰めようとした。何を思って、こんな暴挙に出たのかと、胸倉を掴むだけにしようと考えていた。

 それなのに。



 騎士達がかばう後ろで、ゆっくりと――本当にゆっくりと、ファルの口の端が吊り上がっていったから。



 だから――。











「……。……また、夢っすか」


 最悪っす、と呟いてエディは薄暗い部屋の天井を見上げる。

 本日は、王女の護衛任務当日だ。遅刻などは許されない。

 今日は結構な早起きだった様だ。時計を見れば、まだ四時も回っていない。それはまだまだ日も出始めたばかりで、ここまで届いてはこないだろう。



「はー……っ、……今日くらい普通に起きたかった」



 両手で顔を覆い、深々と溜息を吐く。溜息が深すぎて溺れそうだ。もうひと眠りしなければ、本気で足を引っ張るかもしれない。

 だが、今日の任務は第十位との共同作業だ。

 そこには、当然ファルもいる。悪夢を見ない方がおかしい。


「……、……夢に見れば見るだけ、ボクがどれだけ愚かだったか分かりますね」


 痛々しくて堪らない。

 表面上だけ飾っていた彼のまやかしの輝きを、エディは愚直に信じようとしていた。

 彼を仲間として迎え入れ、第十三位の弱点を補強してくれればと願った。彼に心を寄せ、屈託ない馬鹿話をして。



 その結果が、あれだ。



 さぞかし彼の目に、エディは愚鈍に映っていたに違いない。騙している相手が心を開けば開くだけ、嘲笑が止まらなかっただろう。

 あの日、彼を殴った時もそう。

 殴る前に彼は、ほくそ笑んでいた。ゆっくりと、まるでスローモーションの様に彼の表情が歪んでいく変化をつぶさに見届けてしまったのだ。

 人はぶち切れると記憶が飛ぶ。そんな体験までして、ある意味ファルには感謝である。


 もう二度と、人を簡単に信じないと教わることが出来たのだから。


 ファル以降の新人も同じだったから、エディは完全に他の人間には心を閉ざす様になった。

 故に、新人カイリに対してもそうした。

 いや、最初はもう一度信じようと思って色々教えた。

 だが、第十三位の陰湿な誹謗中傷が流れ始めた時は、彼も同じだと決めてかかった。

 もう、二度と誰も信じない。そう、決めた。

 けれど。



〝嘘をばら撒いたり、暴力振るったり! そんなふざけた真似してきたこいつらはコテンパンにして! 第十三位は良い場所だって証明してやる!〟



 もう一度、人を信じようと思わせてくれたのは、同じく新人であるカイリだった。



 どれだけエディやリオーネに酷い態度を取られても、彼は真っ直ぐに無実を訴えてきた。距離を縮めようと歩み寄って来た。

 理不尽な冤罪を吹っ掛けられても、信じてもらおうと諦めなかった。

 心では泣いていたのに、笑っていた。深く傷付いていたのに、信じようとしないエディ達に「それで良いよ」と優しく笑いかけてきたのだ。


 人に信じてもらえない痛みを誰よりも分かっていたはずなのに、エディは彼を信じようとしなかった。


 気付いて、身が焦げそうなほど恥ずかしくなった。彼が、シュリアと話して泣いたのを見た時、己の愚かさを激しく呪った。

 エディは、同じことをしたのだ。ファルをどれだけ罵っても、自分だって同類だ。カイリを同じ様に傷付けた。

 信じてもらえないと泣き叫びながら、一番信じなければならない仲間を踏み付けたのだ。



〝エディ先輩! 銃剣、教えて下さい! オレも早く強くなって、先輩達の役に立ちたいんです!〟



 懐くフリばかりしてきたファルは、第十三位に多くの爪痕を残していった。

 ファルのことは、未だに許すことは出来ない。きっと、一生許すことは無いだろう。

 だが、同時にエディはカイリを傷付けた己も許すことはしない。彼が例え許してくれても、己の罪は生涯忘れない。二度と同じ過ちを繰り返さないために、戒めて生きていく。

 その上で。



「……一緒に、歩いて行きたい」



〝俺、第十三位が一番信頼できるって思っているし。エディ達のこと好きだし、尊敬しているし。ここ以外の場所なんて考えられないよ〟



 エディの過去を知っても、今もいつも通りに接してくれる人。

 エディを傷付けられたら自分のことの様に怒り、支えようと隣にいてくれる人。

 彼と同じ団にいられることを、エディは誇りに思う。

 だからこそ、彼と共に歩ける相応しい人間になりたい。

 そのためにも。


「……よしっ」


 ぱんっと、両頬を叩いてエディは軽く目を閉じる。まずは戦に備えて休息を取らなければ始まらない。


「……新人に、これ以上余計な心配はかけたくないっすからね」


 エディの傷跡かこは、エディ自身で乗り越えなければならない。

 今日の任務でも、十中八九ファルは突っかかってくるだろう。新人にも水を差し向けてくるに違いない。

 だから。



「……新人は、ボクが守る」



 彼が、エディの心を守ってくれた様に、エディも彼の心を守りたい。余分な負担を取り除くためにも、エディは地に足を付けて立ち向かう。

 そのためにも、まずは寝る。これが、今のエディの最適解だ。



 ――新人には、感謝しかないっすね。



 立ち向かう勇気をくれた彼は、大切な仲間で家族だ。

 そう、堂々と胸を張って言える自分になるために、エディは早速意識を深く沈めていった。


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