第88話


「狂信者っていうのは、……一体、何なんですか?」

「――」



 質問した瞬間、一斉に静まり返った。

 かなり初歩的な質問だからだろう。カイリとしても、今更かもしれないと頭を抱えたが、ここで取りやめるわけにはいかない。


「俺は聖歌が歌えるから、何を置いてでも奪おうとしたというのは分かりました。とても恐ろしい人達で、手段を選ばないっていうのも」

「……うん。まあ、大体はそうだね」


 大体。

 クリスの言い方に引っかかったが、カイリは取り敢えず質問を全て言い切ることにした。


「だけど、幸せなる世界とか、歌で門が開くとか。そういう断片的なことしか俺は聞かされなかった。……村のみんなを殺された時は、正直、エリックさんが漏らしたとか、そういう衝撃も大きくて。あまり深く触れたくなくて、詳しく聞かなかったんですけど。……そのままじゃ、駄目だと思って」


 狂信者は一体何の組織なのか。

 相手の根本さえ分からないままでは、もういたくない。

 だからこその問いだったのだが、クリスはフランツを見て呆れ返っていた。


「フランツ君……」

「……申し訳ない」

「あ、あの! 今言った様に、俺が逃げていたんです。いつでも聞けたのに、……辛くて、聞けなかったんです。だから」

「良い、カイリ」


 ぽんっとカイリの頭を撫でて、フランツがさえぎる。

 見上げると彼は少しだけ苦しい様な、けれどさみしい様な表情をしていた。どうしてそんな顔をするのだろうと、鈍い痛みが胸に走る。

 フランツは少しだけ沈黙した後、震える様に目を閉じた。



「……そういう風に、俺を助けようとするな」

「え……」



 一体何を言っているのだろう。

 しっかりした声なのにどこか震えていて、一層胸が痛みを訴える。

 呟かれた言葉に何も返せないでいると、フランツは何事もなかった様な顔で続けた。


「俺達も意図的に話題は避けていました。……カイリのあの時の心の負担を考えると、詳しくは語りたくなかった、というのもありますが」

「それに、情報量が多すぎたのですわ。教会のこと、聖歌のこと、外のこと……。彼はあまりに情報を制限され過ぎていて、世界に国がいくつあるかも知らない状態だったのです」


 何かを聞きたかったのに、話は淡々と進行していく。シュリアまで話に加わってしまったので、完全にタイミングを逃した。

 それを知ってか知らずか、クリスがにこやかに笑う。


「おや、そうなんだ。……ふふ。カイリ君、本当に愛されて育ったんだね」

「それに関しては同意です。カイリは、本当に良い子に育ちました」

「ふ、フランツさん」


 臆面もなく言ってのけるフランツに、カイリの顔が集中的に熱くなる。

 もう先程の、苦しそうな彼はいない。いつものお茶目な彼に戻っていて、カイリは嬉しい反面、どうして良いか分からなくなった。

 だが、時は残酷に過ぎていく。クリスが、ふむ、とあごに手をかけて唸った。



「そうだねえ。……じゃあカイリ君は、エミルカ神話も知らないんだね」

「……え? エミルカ神話? フュリーシア神話、じゃないんですか?」



 エミルカは、カイリが暮らしていた村がある北の国だ。地図で見ても、フュリーシアほど大きくはない。

 教会がこの世界に幅を利かせているのならば、この国が中心の神話があっても良さそうだ。

 しかし、クリスは緩く首を振った。良い所を突くね、と朗らかに笑う。


「昔はね、教会の総本山はエミルカにあったんだよ。今から千年くらい前? にこの国に移ったんだって」

「そうなんですか……」


 それは初耳だ。今、図書室で少しずつ学んでいる歴史の本にも、そんなことは書かれていなかった。現在が、聖暦1016年だからだろうか。

 つまり、紀元前のことは書物に記されていないということになる。考えてみればおかしな話だ。前世の世界だって、紀元前の歴史があったのだから。


「門というのは、そのエミルカ神話に出て来るんだよ。世界には、こことは違う別の世界があって、そこにつながる特別な門がある。それは、選ばれた民にしか見つけられず、選ばれた者にしか開けられない。選民思想的なものだね」

「選民思想……」

「そして、その鍵というのが聖歌。門の前で、清らかなる心を持った者が聖歌を三日三晩歌い続ければ、神の許しと共に、晴れてその扉が開くと神話には書かれているんだよ」


 無茶苦茶だ。

 しかし、いかにも神話らしい。別の世界というのは、カイリ自身が前世の記憶を持っているので、あながち否定は出来なかった。

 とはいえ。


「……三日三晩って、無理だと思うんですけど」

「まあね。歌い続けられないと思うよ。だから、交代で歌ってたんじゃない? っていうのが、その神話を信仰する者達の通説」

「っ、……信仰する者」


 核心が一気に近付いた。

 カイリが顔色を変えれば、クリスがにっこりと不敵に目を細める。



「そう。それが、狂信者。エミルカ神話を信仰し、門を目指して地獄絵図を繰り広げている、狂った者の集まりさ」



 低く笑うクリスの声に、底知れぬ闇が混じる。

 思わずカイリの肩が跳ねると、クリスが「ごめんね」と苦笑した。


「いや、あまりに腹が立つことが多くてね。ちょっと怒っちゃった」

「もう、駄目だよ父さん! カイリのこと恐がらせたら殴るからね!」

「う! ご、ごめんなさい。……でも、まあ、エミルカ神話は、フュリーシアに聖地が移った時に、異端にされたんだよ。今では禁書扱いだね。一応、戒めのためという理由で、読めるには読めるよ。閲覧制限はかかっているけどね」

「そうなんですか……」


 つまり、完全に闇に葬り去ったわけではないということか。禁書の基準がカイリにはいまいち判断出来ないが、焚書ふんしょの対象ではない様だ。

 カイリが思考を巡らせていると、フランツが補足をしてくれる。


「ちなみに、フュリーシアには神話はない。他の国でも聞かないな」

「え? そうなんですか?」


 フランツの説明は、意外だ。前世の世界には、色んな神話があったのだから、それくらい多様性がありそうなものなのにと、カイリが疑問に思っていると。


「教会が幅を利かせすぎて、他の考えを認めないのだ。神話などと担ぎ上げたら監視が入るし、下手をすると担ぎ上げられた者の命は無いだろうからな」


 物騒な内情を暴露された。

 やはり、教会は真っ黒である。身を置いているカイリとしては、距離を取りたい組織ナンバー1であるが、同時に身を守れる場所でもあるので頭が痛い。


「まあ、とにかく。狂信者達は、そのエミルカ神話に記されている『こことは違う世界』が、真なる幸せの世界だと盲目的に信じているということだよ。ひたすら他者を犠牲にして、我先にと自分の利だけを、己が幸せだけを求める。そういう組織さ。――狂信者、はね」


 分かったかな、とクリスが可愛らしく首を傾げる。こういう仕草は、ケントと瓜二つだ。流石は親子だと感心してしまう。


「はい、ありがとうございます」


 お礼と共に頭を下げ、カイリは情報を整理した。

 エミルカ神話を信仰する者達が、狂信者。

 幸せになるため、門を開くため、独占するため。他者を惨殺し、歌を歌える者を強制的に奪っていく。自分さえ良ければ構わないという考え方に吐き気がした。

 それでも、彼らの行動理念を知れたのは大いなる収穫だ。同時に改めて許せない存在であることも、心に刻み直す。



 ――彼らの、好きにはさせない。



 そのためには、どうすれば良いのか。

 カイリにとっては、新たな目標が芽を出し始めた瞬間だった。


「ねえ、ところでカイリ君。ちょっと個人的な質問良いかな?」


 クリスが、テーブルに肘を突いて両手を組み、楽しそうに笑って見せる。

 だが、その瞳は一切笑っていなかった。好奇心というよりは、カイリの奥底を暴く様な光が潜んでおり、背筋が自然と伸びる。



「……、はい。何でしょう」

「うん。もしね、エリックっていう男に会ったら。カイリ君、どうするのかな?」

「――」



 一瞬、頭が真っ白になった。かぱっと、口もだらしなく半開きになる。

 何も、考えられなかった。ただ視線だけが下がっていって、「あ」と意味の無い声だけが無意識に漏れる。


「どう、するって」

「だって、仇なんだろう? その男は狂信者にいる可能性が高い。きっと君を狙うだろう。……その時、君はどうするんだい?」

「どう、する」


 広場で見かけた時は、無我夢中で追いかけた。

 だが、あの時もその後のことを考えていたわけではない。


 狂信者に情報を漏らした人間。

 村を滅ぼした人間。


 ただそれだけが頭の中を駆け巡り、血が上って、カイリは手掛かりを求めて必死に追いかけた。

 その後はどうするつもりだったのか。

 カイリは何も考えていなかったことに、今更ながらに気付かされる。

 本当だ。会って、どうするのだろう。

 彼に会って、何をするのだろう。



〝 ―― エ リ ッ ク を 〟



「――――――――」



 あの悪夢がよみがえる。

 両親が、友人達が、村の人達が、無残に殺されて転がっていた真っ赤な光景。

 彼に会えば、そんな光景がまた繰り返されるのだろうか。

 だとしたら。



「会って、……、……話、を」

「話をしてどうするの? 自分が悪かった、許してくれって言われたら、許すのかな」

「――」



 瞬間。



 かっと、頭が真っ赤に染まるのを感じた。



 目が瞬きさえ忘れて宙を仰ぐ。傍にいたフランツの気配が揺れたのも分かったが、カイリにはそれどころではない。

 許してくれと言われて、許す。

 そんな簡単な話ではない。

 何故なら、彼の言葉で村は滅びたのだ。両親だけではない。友人達も、村の人達も、――彼の両親だって。


 彼は、その手で己の家族さえ殺したのだ。


 どれだけ謝られたところで、例え土下座をされたとしても、もうカイリが許すという次元では無い。

 許しを与える。もしくは裁く。それが出来るのは、殺された彼らだけだ。

 そして。



 彼らは、もう、話したくても話せない。



「……、……俺、は」



 ならば、あの黒い声に導かれるまま復讐をするのだろうか。血を見るのも誰かが死ぬのを見るのも、吐き気がするほど震えて嫌なのに、彼にだけはそれが出来るのだろうか。

 震えながら剣を握って、突進するのか。

 村で、ブラッドという男性に我知らず真剣を握って立ち向かった様に。

 だが。



 あの時でさえ、カイリは彼を倒すことではなく、時間を稼いで逃げることを考えていた。



 目の前で、無残に大切な人達を殺されたのに、カイリは『殺す』ことを考えられなかった。

 それどころか、カイリは昼間、酷い失望すら感じたのだ。人として最低な考えを抱いた。

 エリックらしき人間を見かけた今。

 彼が生きているかもしれないと知った今。

 みんな、死んでしまったのに。何故、終わらないのか、と。



 ――どうして、彼が生きているのか、と。



「……っ」



 いっそ、死んでいてくれれば。

 こんな風に悩まなくてすんだのに。



 一瞬でもそんな風に思った自分が醜い。吐き気がする。

 結局逃げているだけだ。向き合えば向き合うほど、カイリは己の穢さに叩き落とされていく。

 殺したいのならば、いっそ自分の手で片を付けられれば良かった。そうすれば、まだ自分の犯した罪を自分だけで背負えるのに。

 けれど。



「……俺、……最低な人間です」



 彼と対峙した時。カイリが握るのは、真剣ではない。



 その意味する先を考えて、カイリは打ちのめされた。


「……話は、すると思います。どうして、俺のことを村の外の人に漏らしたのか。せめて、村が滅んだ理由は知りたいですし」

「……うん」


 それで? とクリスが暗に問いかけてくる。

 彼はとても穏和な物腰で優しい口調なのに、姿勢はとても厳しい。逃げの一手を封じ込めてくるあたり、周りに恐れられる所以なのかもしれない。

 だが同時に、優しい人だ。

 質問されなければ、カイリは今もずっと逃げ続けていただろう。この状態でエリックに会っていたら、間違いなくフランツ達の足を引っ張っていた。


「……、それで。……彼が、狂信者で。でも、……、……抜け、たい、って、思っているの、なら」

「――、……うん」


 何かを言いかけたが、クリスは口をつぐんだ。

 内容が気になったが、カイリは取り敢えず先を続けた。

 上手く口が回らない。息が苦しい。その理由に気付かないまま、続けた。



「本気で、反省、しているのなら。……罪は、……罪は……償ってほしい、と」



 思います。



 締め括りの言葉はかすれた。正直、カイリの頭は既に飽和していて、思考が回っているかも怪しい。ぼうっと白い霧がかかった様に上手く考えがまとまらない。

 彼は仇だ。彼は村を滅ぼした。彼は大切な人達を死に追いやった。


 だが、同時に彼にとっても大切な故郷だったはずだ。


 カイリに裁く権利は無い。

 だから、彼が正式に死んだ時に、あの世で彼らに裁いてもらおう。年齢的には、カイリよりも彼の方が亡くなる順番は早いはずだ。

 けれど。



「じゃあ、もし彼が全く反省していなかったら?」

「――……っ」



 反省していなかったら。



 問われた瞬間、真っ赤な怒りが頭を揺らし、心を焼き尽くす。体の芯から湧き起こる黒い熱に、流されない様に必死に踏みとどまった。

 反省していない。

 それは、カイリにとって一番の地雷だ。


 あれだけ優しい居場所。

 大切な人達の笑顔。

 未来があったはずの友人達。

 これからも共に、温かな時間を紡いでいけたはずの家族。


 それを奪って、何も思っていなかったら。ただただ自分のためだけに生きていたら。

 その時は。


「その、時、は」


 喉が引きつる。呼吸が苦しい。息も引きつって不規則になる。

 頭の中が再び真っ赤に埋め尽くされていく。視界も赤く点滅していき、気が狂いそうだ。

 その時は。彼が何も思わず、むしろカイリを殺そうと襲い掛かってきたら。

 その時は。



「……、……俺、が」

「……」

「……俺、が。……こ」

「こ?」

「……こ、こ、……ころ、……、――っ!」



 言葉が逆流する様にせ返る。

 がはっと息を吐いて、カイリは口を両手で塞いだ。


「あ、こ、……はっ、……こ、ろ、……っ! は……っ!」


 何度も何度もその単語を口にしようとしては、その度に咳き込む。

 フランツが背中をさすって支えてくれたが、情けなさ過ぎて涙が込み上げてきた。

 真っ黒な願望を抱きながら、この手で叶えることを極度に拒否している。直接血を見るのを、死を下すのを拒絶している。


 何て卑劣な人間だろうか。己の醜悪さが憎らしい。


 彼は、狂信者になってしまった。狂信者は、これからも多くの者を犠牲にしていく。命を奪うこともいとわない。

 狂信者を抜けない彼に、好きにさせるわけにはいかない。これ以上、罪の無い人達の命を散らすわけにはいかないのだ。

 だから。


「……俺が、……っ、……俺がっ」

「……」

「……俺が……、……彼を、この手で、……っ」


 右手を開いて凝視する。がたがたとみっともなく震えて、説得力など皆無だ。

 それでも、やらなければならない。

 カイリが、やらなければならない。

 復讐とか、それ以前の問題だ。カイリが殺せないからと、他の人達に押し付けるのは卑怯過ぎる。

 これだけは、自分の手でやらなければ。

 仇で、狂信者で、村の人達ももういなくて。

 だから。

 同じ村の者として。狂信者を生み出してしまった村の者として。


 これだけは――。


「……、……分かった」


 クリスが溜息を吐く様に制止した。

 溜息に失望が混じった様な色を感じて、カイリの肩が怯えながら跳ねる。


「カイリ君の決意は分かった。……狂信者は、一人たりとも逃がすわけにはいかない」

「……、……はい」


 カイリは、ルナリアで人の命を奪う決意をした。命の危険にさらされる者を前にして、助けられる命を助けられないなんて愚かな選択は出来ない。

 故に、カイリは選んだのだ。奪わなければならない時は、覚悟を持って木刀を握ると。自分がおとりになり、他の者が命を奪うことは、自分がその命を奪ったのと同じことだと深く心に刻んだ。

 だが、今回は囮などという生易しいことは許されない。

 クリスの言葉の先は予想出来る。狂信者は一人たりとも『逃がす』わけにはいかないという本当の意味も。

 だが、下された判決は、カイリが予想しているものとは少しだけ違った。



「話をする時間はあげよう。でも、……うん。カイリ君には、あくまで囮にだけなってもらう」

「……、え?」

「君のそんな震えた手で、殺せるわけがない。仕損じる。被害を出さないためにも、狂信者を逃がされたら困るからね。だから、……せめて、死ぬところだけは目に焼き付けておきなさい」

「――」



 クリスの強い言い切りに、カイリは震える足で立ち上がった。がたっと、椅子が転がる音までみっともなく響く。


「だ、めです。だって、これは」

「ねえ、カイリ君」


 穏やかな声で諭される。それはまるで、聞き分けのない幼子に言い聞かせる様な調子で、カイリは気圧される様に唇を噛み締めた。


「これはね、もう、君だけの問題じゃないんだよ」

「……、え?」

「確かにその男は君の仇かもしれないし、同じ村の者かもしれない。けれど同時に、君を狙って、私の招待客という無関係の人間の生命まで脅かすかもしれない、いわば害虫なんだ」

「が、……っ」


 あんまりな言い草だったが、カイリには否定も出来ない。

 実際、エリックをはじめとする狂信者が晩餐会に乗り込んで来れば、阿鼻叫喚な地獄絵図が出来上がるかもしれないのだ。



 それこそ、村の様な真っ赤な惨劇が再現される。



 思い至って、カイリは血の気が引いていく。

 その通りだ。もう、カイリだけの問題ではなくなってしまっている。だからこそ、狂信者に襲われた時にケント達にも話すことを決めたのだ。


「話をさせる機会をあげるのは、せめてもの私からの情けだと思って欲しい。……君が話すら聞かないと言っていたら、本当はすぐにでも殺したいくらいだからね」

「……っ」

「狂信者の足抜けっていうのはね、それこそ本当に不可能に近い世界なんだ。一部の例外を除き、抜けたら永遠に狂信者に狙われる。裏切り者として、己の情報を漏らす厄介者として」

「……、え」

「教会側も善意で守ってあげるわけがないし、その周りが被害を受ける可能性だって高い。……それは、何も知らずに助けた人にさえ及ぶかもしれない」

「……、……あ」


 狂信者は、周囲の被害の大きさを考えない。

 改めて突き付けられた現実に、カイリの目の前は真っ暗になった。己の浅はかさと甘さを十二分に叩き付けられる。



「よほどのお人好しか、よほどの利益が無ければ、誰も助けはしないんだよ。だから、……ごめんね。君を試すために聞いたけど、彼の命を助けることはないだろう」

「……」

「その上で、君は彼と向き合って欲しい。仇を討つために、彼と向き合うのか。それとも、勢いのまま彼と会うのか。はたまた、終わった後にゆっくり考えるのか。……どの選択肢を採っても、誰も君を弱いとは思わないし、責めないよ。……とても難しい問題だし、もう一日しかないからね」



 ゆっくり考えなさい。



 最後に締め括られたその言葉は、とても優しい熱を帯びていた。震える手を包み込む様な温かさが伝わってくる。

 厳しい言葉を投げかけてきたのに、やはりクリスは優しすぎる。こんな不甲斐ないカイリのために、心を砕いてくれるのだ。

 だからこそ。



 ――己の手ですら決着をつけられないこの体たらくが、悔しくて仕方が無かった。



「……、……すみ」

「謝ってはいけないよ」

「……っ、え?」



 制止され、カイリは思わず顔を上げる。

 ぶつかったのは、クリスの真剣な眼差しだ。温かくて、穏やかで、それでいて何よりも強い厳しさと優しさを備えた光だった。


「君が、彼を見殺しにすることに変わりはない。己の手で直接下さなくても、『君が』、彼を殺すんだ」

「……、俺、が」

「だからこそ、その瞳に焼き付けなさい。彼の結末を見届ける。それが、村の人達に命懸けで助けられた、君の責務だ」

「……責務」


 見殺しにすることに変わりはない。自分が殺すことに変わりはない。

 それは分かっていたはずなのに、クリスに宣言されて改めて心にどっしりと伸し掛かってきた。

 未だ、答えは出ない。

 だが、一つだけ気付けていることがある。



 ――彼から、決して逃げてはいけない。



 例え、最後まで分かり合えなくても。彼を理解出来なくても。

 一生、死ぬまで後悔したとしても。

 カイリは、彼の命から目を背けてはいけない。

 それだけは絶対に誓うことを心に決め、カイリは顔を上げる。


「……分かりました」

「……、うん」

「明日、……皆さん、ご迷惑をおかけしますが」

「迷惑ではないよ」

「……っ、……よろしくお願いします」


 震えそうになる声を必死に制御しながら、カイリはクリス達に向かって深く頭を下げた。


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