第77話


「お前はもう、俺の養子だからな」

「――、……え?」

「だから、正式にヴェルリオーゼと名乗っても差し支えないのだし、これからはバンバン名乗ってくれ」

「――、はい?」



 養子。ヴェルリオーゼ。



 飛び出した単語に、カイリの思考が停止する。目も口も一緒に点になった。

 養子。フランツの。カイリが。

 カイリは、フランツの養子。だから、ヴェルリオーゼと名乗っても良い。

 カイリが、フランツの養子だから。名乗る。

 それは。



「……え? ええっ!? フランツさんの養子!? お、俺が!? ですか!?」



 がたっと、疲労も忘れて椅子を蹴り倒した。周りが驚いた様にカイリを見上げてくるが、気にかけているどころではない。

 唐突な真相を突き付けられ、カイリは上手く口が回らなかった。ぱくぱくと、金魚の様に口と目を開閉させ、思考が乱雑に回る。


「え、え。あの」

「……何だ、カイリ。俺が養父では不満か?」


 少しだけねた様に上目遣いに見上げられる。

 何故、そこでそんな可愛らしい空気を醸し出すのだろう。誤解をされたくなくて、些細な疑問は弾き飛ばし、ぶんぶんと首を大急ぎで振りまくった。


「いや! そんなわけないです! え。俺、保護者手続きって、てっきり後見人みたいなものだと思って……」

「後見人か。だが、お前はもう成人しているからな」

「……あ。……い、いえ、あの! 俺は、その、ほら! 準成人なのでっ」

「ふむ? まあ、そうだな」


 それが? と全身で語られて、カイリは己の疑問が間違っているのだろうかと錯覚しそうになった。


「えっと、だから。身元引受人みたいなものになったんじゃないかって。前に、レインさんに教えてもらったんですけど」

「ふむ、レインがか。……俺は、そんなことを言ったか?」

「あー……教えてもらってねえから、そんな感じじゃねえのって言っただけだ」

「なるほど。では、ノーカウントだな。……カイリ。実は、お前のことは最初のあの手続きの時に養子登録をさせてもらった」

「最初って、……」


 総務に行った時に記入した書類のことか。

 カイリも一応書く時に簡単には確認したが、そういえば書類は一部しか見せてもらっていない気がする。しかも、明らかに契約事項の途中の一枚だった。詳しい内容は、フランツを信じきっていたのでわざわざ渡してもらうこともせず、全てに目は通さなかったのだ。

 まさか、あの時に手続きした書類が養子縁組だったとは。


 ――そんな大切なこと、引き受けてくれてたなんて。


 人を一人、身元保証をするばかりか、家に引き入れるのはよほどの覚悟が必要だと思う。

 本当に本当なのかと、カイリが口も利けずに目だけで訴えると、フランツは少しだけ恥ずかしそうに視線を一瞬泳がせた。

 それでも、すぐに真正面から見つめてくる。


「勝手に進めてすまなかったが……、カーティスの息子であるお前の隠れみのになれればと思ったのだ」

「……、あ」



 隠れ蓑。



 その一言に、動揺していたカイリの気持ちが静かに落ちていく。

 だが。


「それに」


 こほんっとフランツが再度咳払いをする。

 そして、カイリの一瞬しぼんだ気持ちに、また熱を注いでくれた。



「それに、……お前なら息子にしたい、……先を見てみたいと、旅をするうちに思ったのでな。故に、身元引受人ではなく、正式に俺の息子にしてしまった」

「……、息子、……」



 フランツの瞳に茶化す様な雰囲気は無い。いつもの冗談かと笑い飛ばすことも叶わなかった。

 養子登録をした。嘘ではない。

 つまり。


 彼は、本当にカイリの――。


 ようやく落とし込むと、じわじわとむずがゆい熱がい登ってくる。何だか体の中が熱いなと、誤魔化す様に視線を下ろした。


「……フランツさん」

「……そうか。そんなに不満か……。……大丈夫だ。今からでも、取り消すことは」

「ち、違います! でも、そんな。あの、……他に家族がいるんじゃないですか? その人達は、俺のこと」

「俺にはもう、家族はいないからな。だから今は、カイリが唯一の家族となる」

「――」


 きっぱりと言い切られ、カイリは言葉に詰まる。

 彼の言葉は淡泊で、いつも通りの泰然たいぜんとした笑みを浮かべていた。

 だが、その裏までは見通せない。



 家族がいない。



 その言葉に、カイリは胸を深く穿うがたれた様な痛みが走った。

 例え、カイリの様な事情ではなくとも、その言葉は深く、重い。だからこそ、フランツがカイリを養子として迎えてくれた意味がとても重かった。

 けれど、本当に良いのだろうか。いくらカイリの父親が彼の親友だからと言っても、本人自体は得体が知れないはずだ。


「……出会って、あんまり経っていないのに。良かったんですか?」

「構わん。カーティスの自慢の息子なのだろう」

「でも、本性を隠していて、実はものすごく悪人だったりとかするかもしれませんよ? 俺、ほら! 頑固だし生意気だし向こう見ずだし!」

「そうは見えないが。確かにお前は頑固だし向こう見ずな部分もかなりあるが、真っ直ぐで優しい子だ」

「フランツさん……っ」

「……それに。俺は、お前を息子に迎えられて結構喜んでいるのだがな」

「……っ」


 そこまで言われてしまっては、カイリとしても何も言えない。彼の言葉が、熱の様にじわじわと胸の内から全身へと沁み渡っていく。頬にも熱が集まってきているのが分かって、顔が赤くなっていないことを祈るばかりだ。


 頑固で向こう見ずだが、真っ直ぐで優しい。


 フランツは、自分のことをそんな風に思ってくれていたのか。

 出会って間もないのに、カイリは彼に支えてもらってばかりだ。思ったこともぽんぽん言う、彼のお茶目だが優しい性格に救われている。


 もう、自分に家族はいない。


 カイリはそう思っていたけれど。



 ――まだ、自分には家族がいるんだ。



 気付いた途端、目の奥が震える様に熱くなった。

 もう天涯孤独だと思っていたけれど、そうではなかった。

 それも、父の親友であり、恩人であり、たくさん支えてもらっているフランツが家族となる。嬉しくないはずがない。


「……、……ありがとうございますっ」

「うむ」

「あの、……不束者ふつつかものではありますが、これからもよろしくお願いします」

「ああ。何なら、パパと呼んでくれても構わないぞ」

「……ははっ。フランツさん、それは流石にまだ無理です。恥ずかしいですし」

「そうか。『まだ』ということは、いつかは呼んでくれるのか?」

「……えーと」


 フランツに悪戯っぽく問われ、カイリは考える。

 カイリにとって、父親はたった一人だ。生まれた時から目一杯愛情を注いでくれて、命がけで守り抜いてくれた頼もしいカーティスただ一人。

 けれど。



 いつか、フランツを「父」と呼べる日がくるだろうか。



 父が亡くなってまだ一月しか経っていない。心情的にも、今はまだ無理だ。フランツも分かってはいるだろう。

 だが、それでも。



 遠い将来、もしそんな日が来たら、とても幸せなことだと思う。



 少しずつ、ゆっくりと彼との時間を一緒に積み重ねていきたい。

 いつか「父」と呼べるかもしれないこれからの未来を想像すると、楽しい日々になりそうだ。


「そう、ですね……」

「お?」

「――もし呼べたら、とても素敵だなって思うので。心からそう呼べる日が、来て欲しいと思います」

「……そうか、……そうか……。……それは、楽しみだな」


 フランツが目を細めてささやく。

 何となくいつもより笑顔が輝いている気がして、カイリは何だか落ち着かなくなった。むずむずする様な、気恥ずかしい様な、不思議な感覚だ。



「ごほんっ。まあ、とにかくだ。カイリはヴェルリオーゼを名乗ってくれ」

「はい」

「……それに、先ほども言った様に、カーティスの息子だと悟られない様にしなければな」

「――」



 フランツの忠告に、カイリも現実に引き戻される。もう少し、ふわふわした心の感触を楽しんでいたかったなと残念に思ってしまった。


「……。……父さん、有名だったんですよね」

「まあな。クリス殿の前の元第一位団長だ。上も煙たがってはいたが、無視は出来ない存在だった。貴族社会では尚更だ」


 つまり、ヴェルリオーゼと名乗ることは隠れみのにもなる。

 フランツは、本当にあらゆる手を使ってカイリを守ろうとしてくれている様だ。その心遣いに感謝する。

 そんな彼が新しい家族だということを、カイリは誇りに思った。


「ま、ここの奴らは、決して口外しないから安心しろよ」

「……そうっすね」


 レインの言葉に、エディが神妙に頷く。

 いつもの彼なら、「もちろんっす!」と元気に溌剌はつらつと賛同しそうだから、カイリには少し意外だった。

 リオーネも目を伏せて微かに頷いている。彼らにとって『口外しない』ということは、重要な意味を持つのかもしれない。


 ――しかし、新しい姓か。


 カイリにとっては、初めての姓だ。

 やっぱりむず痒いなと思いつつも、胸のあたりがぽかぽかと陽だまりの様に温かくなっているのを感じていると。



「てかよ。これでカイリ、お前が一番立場上になったんだなー」

「え?」



 レインが肘を突きながら、茶化す様に暴露してくる。

 何のことだと疑問が湧いたが、すぐにフランツが大真面目に頷いた。


「そうだな。カイリ、爵位持ちの聖歌騎士というのはな。教会騎士のどの爵位持ちよりも、立場が上になるのだ」

「……、え?」


 言われた意味が一瞬理解出来なかった。

 だが、ゆっくりと噛み砕いて行くならば、カイリは伯爵の聖歌騎士ということになる。

 そうなると、例えば教会騎士の公爵が相手でも、カイリは聖歌騎士だから、伯爵であっても立場が上、ということになるのだろうか。

 じわじわと理解していくと、とんでもない社会事情だ。カイリは目を零れんばかりに見開いた。


「――っ、え! いや、俺、まだ経験も何もないし! 全然上じゃないです!」


 がったんと、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がってしまった。椅子を蹴り倒してばかりだなと、頭の片隅で思うが余裕が無い。


「そ、それに! 伯爵って言っても、俺まだ子供、あ、いや、準成人なんですよね? フランツさんが当主なんだし、俺は伯爵とは言わないんじゃ……」

「いんや? この教会……てかフュリーシアでは、家の当主は一人でも、子供の代までは『伯爵』って名乗れんだよ」

「え、ええ?」

「ま、他の家に婿養子に入ったりした場合はその限りじゃねえけどな。一応例外もいくつかあるぜ」

「は、はあ」


 子供でも「伯爵」と名乗れるこの決まり。

 前世の世界では到底考えられないぶっ飛んだ規則に、目を白黒させるしかない。


「でも、やっぱり俺には分不相応過ぎます。世界のことだってまだまだ何も知らないのに」

「って言ってもなー」

「レインさんっ」

「ま、オレ達の方が先輩に変わりはねえけど? 日常生活はともかく、いざって時、例えば貴族同士で争いになった時でも、カイリの一言は結構重みがあるんだぜ?」

「え、え?」

「それに、第十三位の中で爵位持ちの聖歌騎士はお前だけだしよ。騎士団の品格ってもんが、お前に問われる場面は当然の様に出てくるってわけだ」

「え、……」


 かなり話が膨らんだ。膨らみ切った風船が爆発した様に、カイリの頭が飽和状態になる。

 どんなにカイリが否定しても、自身の意思など関係ない。いつか大事な場面に出くわした時、カイリの言動が重要になるということだ。

 その時、必要以上に謙遜し過ぎても舐められるし、尊大になり過ぎても眉をひそめられるだろう。

 単純に家族が出来て嬉しいと喜んでいたが、思った以上に複雑な立場になってしまった様だ。

 途方に暮れて、カイリは視線だけでフランツに助けを求める。苦笑と共に向けられた優しい眼差しに慰められた。


「まあまあ、レイン。あまり脅すな」

「へーへー。でも、自覚は必要だろー?」

「まあな。……とはいえ、俺もカイリという聖歌騎士の子供が出来たことになるからな。直系の子供、または孫が聖歌騎士の場合、当主がただの教会騎士であったとしても、一緒の高さまで底上げされるのだ」

「直系にいれば、ですか? じゃあ……」

「そうだ。つまり、一応第十三位では、俺が一番上ということになる」

「ふふっ。それまで、役職はともかく、私がフランツ様より上ってことになってたんですよ?」

「え、ええ……」


 リオーネの含み笑いに、そうなんだ、とカイリは呆然とするしかない。

 とはいえ、カイリは新人で右も左も分からない下っ端でしかない。立場を活用しなければならない場面はこの先出てくるとしても、それで態度が変わったり変えられたりはご免だ。


「あ、の。でも、俺、その、……フランツさん達のこと尊敬していますし! 武術も聖歌もまだまだヒヨッコで、教えてもらいたいこともまだまだたくさんあるし。だから、その」


 何を言いたいのか分かっているのに、上手く言葉にまとまらない。

 故に、カイリは勢い良く頭を下げ、心の底から懇願した。



「お願いします。これからも皆さん、先輩としてご指導よろしくお願いします!」

「――」



 声を張り上げて叫べば、一瞬の静寂後。



 一斉に爆笑が巻き起こった。



「って、何でみんな笑うんですか!?」

「い、やあ。カイリ、お前って……あー、入った時からそうだったなー」

「まったく。当然ですわ。わたくしがあなたに頭を下げるなんて、死んでもごめんです」

「ふふ、聖歌騎士の先輩として、こき使いますね♪」

「ふっふーん! このエディ先輩が、新人、一生あんたをパシらせてやるっす!」

「何を言っていますの。あなたはパシリから抜け出せませんわよ」

「そんな!?」



 それぞれがそれぞれに、普段通り返してくる。エディはシュリアの発言で沈んでいたが、そんな光景も彼ららしい。

 第十三位は、やはり良い場所だ。温かくて、優しくて、カイリが笑って一緒にいたいと思える人達だ。


「さて、とにかくだ。任務の月曜日までに、カイリを出来るだけ鍛えねばな」

「もちろん。聖歌語乱舞、もう一回いっとくか?」

「い、いえ! 謹んで辞退させて頂きます!」


 レインがにやりと意地悪く笑ったのに、カイリは縮こまって頭を振る。

 そんなカイリの反応を、彼らは楽しそうに笑ったのだった。


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