第74話


 気絶する様に落ちたカイリを、レインは無表情で抱える。

 月明かりがちらちらと室内に舞っているが、レインが背中を向けているせいかやけに薄暗い。カイリを覆う影も一層濃くなった気がした。

 しかし、まさか夜中に叩き起こされただけでは飽き足らず、自分の腕の中で意識を失うとは。どれだけ甘えたなのかと呆れ果てる。


「……お坊ちゃま気質ってやつかね?」


 何だかんだ、カイリは幸せな暮らしを送っていた様だ。

 両親にたっぷり愛され、気の良い友人達に囲まれ、村の人達にも可愛がられていたのが話を聞くだけでも分かる。素朴でも幸福を絵に描いた様な楽園だ。


 正直、カイリの様な生き方は、大半の人間には得られない理想郷だ。


 両親が、友人が、近所の人達が。

 全ての者達が善人の世界など稀有けうに過ぎる。実際その楽園は、他ならぬ楽園出身の裏切り者によって滅びた。

 カイリも気付いているだろうが、第十三位にそんな幸せな過ごし方をしてきた者など一人もいない。首都を――否、世界を探してもまれだろう。


「……だからこそ、無意味にねたむ奴が現れてもおかしくないってな」


 世の中には、幸せな顔を見るだけで憎らしくなる人種がいるのも残念ながら事実だ。もしかしたら、裏切り者もそういう節があったのかもしれない。


 だが、第十三位は何だかんだお人好しばかりだ。


 ここに、カイリを妬む者は一人もいない。

 カイリは悲惨な過去を背負ってしまったが、ここに来れただけ恵まれているとも言えるだろう。本気で村の加護があるのかもしれない。

 だが、避けられない試練というものはどうしたって立ち塞がる。そして、これから先、嫌でも強くならなければならない。

 何となく、このカイリのうなされ方は不吉な予兆に感じられた。



「……おら。んなとこでうじうじしてねえで、いい加減入ってきたらどうだ?」



 扉の向こうの者達に、気怠けだるげに呼びかける。

 案の定、少し躊躇った後に扉が恐る恐る開いた。姿を真っ先に現したのはフランツだったが、全員背後に揃っている。

 当然だ。あれだけ派手にカイリが叫んで暴れたのだ。全員荒事に慣れた者ばかりだし、異変を察知して起きるに決まっている。

 レインの腕の中で眠るカイリを見下ろし、フランツが苦しげに顔を歪めた。


「……カイリは」

「寝た。ま、ほとんど気絶に近いけどな」

「気絶?」

「ああ。……大方、自分の心守るためだろ。気になること言ってたし」


 カイリは、ひどく錯乱する前にこう言っていた。



 本当は、殺したいと願っていたんじゃないか、と。



 血を見るのが苦手。誰かが死ぬのが恐い。この手でなんて、それこそ震えが走る。

 そんな自分が、心の奥底では誰かを殺したいほど憎んでいる。

 耐え切れないに決まっている。誰かの死を目の当たりにするのが恐ろしいのに、自分が最も恐れることを願っているなど。


 相手は、知っている人間だ。それこそ、同じ故郷の出身だ。


 その人物が故郷を滅ぼした元凶の上に、曲がりなりにも顔見知り。最初に知った時だって、衝撃は計り知れなかっただろう。

 おまけに、理由も分かっていないとなれば、カイリならただ憎むだけということも出来ないはずだ。はなはだ面倒である。


「カイリは、何と言っていたのだ」

「あー……、……本当は殺したいと願ってたんじゃないか、って。かなり混乱してたぜ」

「……殺したい。……復讐、か?」

「復讐とは、もしかしてエリックとかいう奴のことですの?」

「あー、そうなんじゃねえ? 誰、とは言ってなかったけどよ」


 だが、復讐を考えるのならば、その人物しかいないだろう。狂信者が対象だとしても、直接関与した人物はもう既に死んでいる。カイリの性格上、直に滅ぼした相手ではなく、その組織全体にとなると憎悪は続きにくそうだ。

 話を聞いて、フランツもシュリアも苦い顔をした。二人は、故郷にカイリを迎えに行った時からの付き合いだ。レイン達よりも事情に触れ、深く精通しているだろう。



「……、……カーティス達や友人達、それこそ村の者達は全員で、カイリに笑って幸せに生きて欲しいと言っていた。……それは恐らく、復讐に走らない様にという願いも暗にあっただろう」

「そうですわね。……あの彼らがそれを望むとは思えませんわ」

「おー、見てきた様に……って、見てきたんだったか」

「ああ。……そして、それを分からないカイリではない。ならば、……余計に苦しいだろうな」



 沈鬱ちんうつに顔を歪めるフランツは、声まで陰っていた。エディやリオーネは一言も口を挟まないが、心配そうに眠るカイリを見つめている。色々悶着はあったが、彼ららしいと思う。

 カイリはそれなりに聡い。真っ直ぐだが頭も回る方だし、相手の意図を無視する様な愚鈍でもない。

 己が恐れているもの。大切な人達が願ってくれたこと。


 そして、――根底に封じ込めていた、真っ黒な願望。


 完全に相容れないもの達がぶつかり合えば、カイリの心はばらばらになる。

 人の心は決して単純一辺倒ではないが、それでも強すぎる想い同士は毒だ。カイリの場合はそれが、極端に悪い方向へ傾いている。

 汗でびっしょりになったパジャマが手にまとわり付いて気持ち悪い。まるでカイリの今の心境を表している様で、レイン自身も面白くなかった。


「……だが、悪夢は普段も見ているのだったな?」

「あー、まあな。こいつ、必ずオレの方気にすっから、知らんぷりしてるけどよ」

「正しい判断だ。毎回起こしていると知れたら、余計に気を遣うだろう」


 カイリはここに来た初日から、悪夢にうなされることも多かった。

 その度にレインが起きていないか気にしているのが空気で伝わってくるので、仕方なしに寝たふりをしている。

 ぬいぐるみを抱き締めて、恐怖をやり過ごしてからまた寝る。それを感じ取ってから、レインも再び眠りにく。その繰り返しだった。


「それでも、最近は回数減ってきてたんだけどな。……ここまで酷いのは初めてだ」

「……。……念のため、カイリの周辺に気を配ることにしよう」

「え? どうしてっすか?」


 それまで黙っていたエディが、きょとんと声を丸くする。リオーネもぱちぱちと不思議そうに瞬きをした。

 だが、フランツは二人の疑問など意に介さず、さも当然の様に宣言する。


「カイリを狙う者がいるかもしれん」

「えっと、どういうことでしょう?」

「酷い夢を見たのは、一ヶ月も経って気が緩んだという理由もあるかもしれん。だが、そういうことをカイリが言い出すということは、エリックとやらが夢に出てきたのかもしれないだろう」

「あー、……まあ、十中八九そうだろうな」

「ということは、虫の知らせ、という可能性もある。それに」


 フランツは一度言葉を切って、シュリア以外を順繰りに見据えてきた。



「昼間、ラッシーに会ったそうだな」

「……あー、そうだなー」



 馬を誘導しようとしたら、唐突に、本当に唐突にラッシーは現れた。

 彼なのか彼女なのかは知らないが、ラッシーは一年に数回しか出てこない気まぐれな精霊だ。呼んでも大抵出てこない。

 それが、何故今なのか。気にはなっていたが、フランツも引っかかっていた様だ。


「ラッシーが前に出て来たのは、カイリを迎えに行く前日だった」

「……そういやそうだったな」

「え、そうなんすか?」

「あー……。エディやリオーネはその時いなかったな。けど、あの時もいきなり団長の前に現れたんだよなー」


 寝る前に居間で適当にくつろいでいる時に、ラッシーは突然フランツの前に現れた。

 特に何かを言うでもなく、ただひたすらに真っ直ぐつぶらな瞳を向けてくる姿は、確かに意思が感じられた。あの時は、「きゅー」と鳴くこともせずに、文字通り黙って見つめているだけだったのを覚えている。

 故に、フランツは翌朝、時間を相当繰り上げて日が昇る前に発ったのだ。結果的に、カイリを支えるという意味では正しい判断だったと言える。


「ラッシーは普段特に何かしてくれるわけではないが、有事が起こる前に現れる傾向が、あると言えば、ある」

「……断言出来ないところが、あのふざけたアザラシらしいですわ」

「だが、直近の二回は二回ともカイリに関わること……かもしれない。前回は間違いなくそうだったし、今回もカイリの前に現れた。用心するに越したことはないだろう」


 フランツの言わんとするところを、レインもシュリアも正しく理解した。

 エリックは、狂信者にカイリの存在を漏らした。

 狂信者は、基本的に自分達の痕跡を教会に知らせることを極度に恐れる。そのために、村ごと証拠隠滅を図ることは珍しくないのだ。実際、カイリの村もそうだった。

 そんな証人の塊であるエリックを、狂信者が放置しておくはずがない。彼に残された道は、仲間になるか死ぬか。二択しかない。



 そして、生きているのならば。エリックは、狂信者に忠誠を誓うことを証明するために、自身がもたらした情報であるカイリを捕えるしかないのだ。



 狂信者とは、そういうところだ。

 生きているかどうかは確率的に半々だが、レインとしても嫌な予感はする。フランツの采配は正しい。

 だが、もし生きているというのならば。


「……もしよ、……って、ん?」


 レインがふと浮かんだ疑問を口にしようとすると、異変が腕の中で起こった。今まで眠っていたカイリの寝息が、苦しげに揺らめいたのだ。

 まさか、と思った時には既に遅し。



「……っ、……父さ、……っ! 嫌だ……っ!!」



 眠ったまま、カイリは息も絶え絶えに叫び始めた。腕をあらぬ方向へ伸ばし、必死に何かを掴み取ろうともがく。


「おいおい、またか? マジかよ……」

「カイリ? カイリ、しっかりしろ!」


 カイリが無造作に暴れ始めたのを、フランツがしゃがみ込んで揺さぶり始める。

 悪夢を見るのは初めてではないが、一日に二度もうなされるのは初めてだ。レインとしても一瞬呆然として、フランツがカイリを奪って抱き起こすのを見送ってしまった。


「カイリ! しっかりしろ。もう――」

「父さん……! やだ、やめろ、……やめろっ!! 父さん、母さ、ん……っ!」


 だんっと、カイリがフランツの肩を叩く。次いでがむしゃらに肩を掴むその姿は、何かを必死に追い求める様な鬼気迫るもので、レイン達も一瞬絶句する。



「やめてっ! 父さんを、母さんを、……離して! 離して……っ!」

「――、カイ」

「殺すな! 嫌だ、お願いっ、……お願いっ。……殺さないでっ!! おね、が、エリック、さん……っ!!」

「――」



 瞬間。

 フランツは、がばっとカイリを抱き締めた。強く、強く、それこそ息が出来なくなるくらいぎゅうぎゅうに抱き締める。

 カイリが、はっと苦しげに息を漏らすのにも構わず、フランツは抱き締め、背中を撫でた。そろそろと、最初はおっかなびっくりに。次第に強く、なだめる様に、勇気付ける様に、しっかりと何度もさする。


「大丈夫だ、カイリ」

「……っ、……父……っ」

「大丈夫だ。……大丈夫だ」


 何度も何度も、幼子に言い聞かせる様に、フランツが頭と背中を撫で、耳元に優しく落としていく。

 暴れて泣きじゃくっていたカイリも、その熱が染みてきたのか、徐々に落ち着きを取り戻していった。フランツの肩を掴んでいた手も緩み、ずるりと彼の胸板に落ちていく。

 そうして、ようやく静寂が訪れた時には、カイリの寝息もなだからになっていた。目尻に残った濡れた跡が痛々しいが、少なくとも悪夢は終わった様だ。傍で見守っていたシュリア達も、詰めていた息を細く吐き出す。


「まったく……人騒がせですわ」

「……フランツ様。まるで、カイリ様のお父様みたいでしたよ」

「……、……そう見えたか? だと、……良いのだが」


 リオーネが不安を散らす様に茶化すのに、フランツが不思議な受け答えをした。苦しそうに、だが少しだけ喜ぶ様なその反応に、レインは片眉を跳ね上げる。



「おい、団長……」

「カイリの聖歌語訓練、容赦しない様にしてくれ」

「って、あ?」



 レインが質問しようとしたら、さえぎって方針を打ち立てられた。

 あまりに強引な言い切りに、レインだけではなくシュリアも眉を跳ね上げる。


「何故ですの?」

「カイリの疲労を蓄積するためだ。しばらく、夢を見られないくらいへとへとに疲れさせて寝かせる。二回目がいけそうなら、訓練を更に実行する。寝る前に温かいものを飲ませて、心を落ち着けさせることも忘れない様にした方が良い」

「……過保護ですわ」

「毎晩うなされて飛び起きるよりはよほど良い。……効果が無い様なら、緩やかに睡眠を促すハーブも使う。俺達も寝不足になるわけにはいかないだろう」


 フランツの説得に、シュリアも押し黙った。レインとしても異論は無い。毎晩叩き起こされる上に、何度も飛び起きる様だと、体力だけではなく精神力も削り取られる。

 それは、確実に日々の業務に影響を来す上に、いざ襲撃を受けたらカイリだとまともに反応出来ないかもしれない。

 上手く説き伏せられた様な気もするが、どうせ追究してものらりくらりとかわすだろう。団長は、本当に人を食う輩だ。


「ま、良いけどよ。……ホットミルクやココアで良いか?」

「ふむ。俺が茶も淹れよう」

「フランツ団長が淹れるお茶は、寝る前は止めた方が良いっすよ。カフェイン入ってるし、逆に眠れなくなるっす」

「むぐっ。……ぐうっ。仕方ない。レインに任せよう」

「へーへー。オレの仕事が増えるなー」

「すまない。……頼む」


 カイリの汗で額に貼り付いた前髪を掻き上げながら、フランツが静かに要求してくる。その口調がやけに優しげで、レインは嘆息するしかなかった。

 もう彼は、完全にカイリに入れ込んでいる。親友の忘れ形見だからだろうか。少々団長の域を越えて来ているので、レインが気を配らなければならなくなるかもしれない。

 思って、げんなりした。仕事が増えるのはご免である。色んな意味で手間のかかる新人が入ってきたものだと頭が痛くなった。


「しかし、随分と汗だくだな。一度着替えさせるか」

「あ。では私、タオルを持ってきますね」

「って、駄目っすよ、リオーネさん! 新人、男! 男の裸とか! ダメダメダメダメ! もし、そんな新人の裸を見て、『あら、たくましいですね。……す・て・き』とか、万が一リオーネさんが、そんなときめきをときめきながらときめいてしまったら!」

「あら、素敵ですね。ときめきたいです」

「って、……ああああああああ! しんじいいいいいいんっ! い、生きて帰しはしないっす!」

「うっさいですわ、この馬鹿パシリ。だったら、あなたが持ってきなさい」

「はいっす! リオーネさんは、早く自室に戻るっす! 新人の裸は見せない!」


 ばびゅんっと、そんな音を立てながらエディが即行で消えた。確かに、男の裸を女性に見せるのは目の毒だが、エディの理由は邪道だ。相変わらずの独りよがりには溜息しか出ない。

 リオーネは、ただ笑って見守るだけだし、訂正する気も無い様だ。カイリに気があるとは思えないが、つくづく小悪魔である。

 あの不穏な騒動から、一気に賑やかになってしまったこの部屋で、カイリはすうすうと安らかに寝息を立てていた。これだけ騒がしいのに、変なところで図太い。彼らしい反応だと、レインは呆れた。

 しかし。



〝……殺したい、って、……思って、たんじゃ、……ないかって〟



「……もしよ。その、エリックって奴が生きてたとして」



 ぽろっと零れ落ちたレインのささやきに、フランツ達が耳聡く反応する。

 だが、ずっと疑問に思っていたことだ。カイリが、その元凶のことを話題にすることも無かったし、どうこうしたいと言い出していなかったからこそ、今が重要なのだ。

 カイリ自身が疑問を持ってしまったからこそ、もう避けられない。



「こいつが、そのエリックと再会したら。……こいつ、その時はどうすんだろうな」

「――……」



 復讐を願うのだろうか。この手で殺したいと、走ってしまうのだろうか。両親達の祈りを無視して、復讐を成就するのだろうか。

 レインの疑問に、返る言葉は無い。

 ただ、青白く降り注ぐ月明かりだけが、微笑んで眠るカイリの顔を冷たく照らしていた。


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