第353話


 ぱちっと、カイリは唐突に目を覚ました。

 ゆるりと周囲を見渡すと、カーテン越しに柔らかな日差しの熱を感じる。もう朝なのかと、カイリは鈍り切った思考を巡らせながらゆっくりと起き上がった。


「お。起きたか。おはようさん」


 まだぼんやりした思考の中で、レインが声をかけてくる。まぶたをこすりながら、カイリは「おはようございます」と挨拶を返し――。



 一気に意識が覚醒した。がばっと、シーツを蹴り上げる。



「え!? 朝、ですか!?」

「おー、そうだぜ。……お前、頭とかは大丈夫なのかよ」

「え? 頭? いえ、特には」

「へえ……マジか。あれだけ飲んで二日酔いねえとか、本気で母親譲りなんだなあ、お前」


 二日酔い。母親譲り。

 そこまで言われて、さあっとカイリの頭から血の気が引いて行った。

 そうだ。カイリは、つい先程まで誕生日会でみんなで飲んでいたはずだ。どれを飲んでも美味しくて、みんなで飲むというのがまた格別で、調子に乗ってどんどん飲んで。

 そして。――途中から、記憶が無い。


「俺、え? 何で朝なんですか? 俺、どうしたんですか?」

「あー、途中で酔い潰れたんだよ。てか、いきなり予兆も無く落ちたから、流石にビックリしたけどなー」


 お前、つええなあ、とけらけら笑われ、カイリは絶望した。

 レインやシュリアを祝う誕生日会で、あろうことか真っ先に酔い潰れる。何とはた迷惑な人物だろうか。

 何より、せっかくの祝いの席だったのに、最後までいられなかったなんて。


「……すみませんっ」

「おいおい。何で謝るんだよ」

「だって、……俺、レインさんにココアを淹れるって言っていたのに」

「あー、それなー。……ったく。お前、ほんとにくそ真面目だよなあ。良いけどよ」


 わしゃわしゃと頭を撫でられるが、何の慰めにもならない。

 レインにはココアを、シュリアにはプレゼントを渡すはずだったのに、それすらままならないまま昨日が終わってしまった。情けなくて、悲しくて泣きたい。


「いや、団長の忠告聞かずに飲ませたオレらも悪かったんだよ。お前、本気で顔色変わらねえし、口調もしっかりしてるしよ。……お前、何処まで記憶あんだ?」

「えっと、……フランツさんが何故か焦っているところまで、ですけど」

「マジか……。お前、すげえな」


 何がだ。


 焦ったが、レインが少し楽しそうに喉を鳴らす。笑いごとではない。


「レインさんっ」

「いやよ。てことは、あれからお前、記憶が無いまま、ずーっとオレらと普通に話して、受け答えもしっかりしたまんまだったってことだろ? 記憶が無くなってから、お前少なくとも十……いや、二十杯近く飲んでたぜ」

「え?」


 レインの言う意味がよく分からない。

 記憶が無くなってからも、カイリはレイン達と会話を交わし、受け答えも特に何も問題が無かった。そんな都合の良い話があるのだろうか。

 カイリが疑問符を浮かべていると、レインも苦笑しながら遠い目をして答える。恐らく昨夜のことを回想しているのだろう。


「お前な、ほんっとに突然、いきなり落ちたんだよ。オレらと話している最中に、酒を飲んでいきなりな」

「……す、すみません」

「で、だ。オレらがかなり焦ったってのに、お前は健やかな寝息立てて寝てたんだよ。別にうなされてるでもねえし、ほんとに寝落ちただけだったっつーのがまた傑作でな」

「……、はあ」


 寝ていただけとはいえ、突然寝落ちたら、それは周りは驚くだろう。心配をかけたことに委縮してしまった。


「団長が言うにはよ、お前の母さんは、瓶で十五本くらいが境目なんだとよ。そこを過ぎたら、本人は記憶が無い」

「そうなんですか? 初耳です」

「っはは。やっぱ弱点は話さないもんなんだなー。とはいえ、瓶十五本分っていったら相当だから、よほどのことが無い限りは日常的には潰れないと思うぜ」

「……そうですかね」

「昨日みたいに、がばがば飲んでたらすぐ沈むだろうけどなー」

「う……気を付けます」

「くっく。……ま、普通はあんなハイペースでは飲まねえから、大丈夫だろ。限界も知ったんなら次からは気を付けられるしよ。大人だもんな?」

「……はい」


 レインの茶化し方に、カイリは項垂れるしかない。

 カイリが幼い時から、母は普通に飲んでいたし、酔った姿も寝落ちした姿も見たことが無かったから、底なしだと思っていた。

 しかし、フランツが言うには違うらしい。知らない母の一面に、カイリは不謹慎だがわくわくしてしまった。


「で、お前の母さんもな。傍から見たら受け答えはしっかりしてるし、顔色も変わんねえから、酔ってるって分からないんだってよ。それで、ある一定量に達したら、いきなりごっとんと落ちる」

「……俺と、同じですか?」

「そうそ。しかも、次の日に起きたら、二日酔いとかの後遺症も無く、ぴんぴんしてるんだと。お前、ほんとに母親に似たんだなー」


 にやにやと笑うレインに、カイリは恥ずかしくてベッドに潜りたくなった。母に似ているのは別に構わないが、やはり大事な時に沈んでしまうなど愚の骨頂である。


「……すみません。ココア……」

「別に良いぜ。……もうちょい特訓して、これだって思うものが出来たらよ、飲ませてくれ」

「でも」

「カイリ」


 ぽんぽんとレインが頭をなだめる様に叩く。その手つきが子供に対するそれで、カイリとしては益々羞恥に駆られた。


「オレとしては、祝ってくれるっていう気持ちだけで充分なんだよ。お前が何かをって思うのは構わねえけど、……ま、充分叶ってんじゃねえかな」

「……そうでしょうか」

「そう思っとけよ。で、お前が会心の一撃って感じのが出来たら、それを飲ませてくれや。今年は、その約束がプレゼントってことでどうよ?」


 レインの提案に、カイリは考え込む。

 確かにカイリが淹れるココアは、まだまだレインの美味しさを超えるまでに至っていない。まずくはないが、レインのものと比較するとどうしても見劣りしてしまう。

 そういう意味では、確かに彼の提案は魅力的だ。どうせなら、彼を唸らせるだけのココアを提供したい。


「……分かりました。レインさんに、まいったって言わせるココアを淹れてみせます」

「おー。そりゃあ、楽しみだ。及第点はかなり高いぜ?」

「が、頑張ります」


 早くも挫折しそうな条件にカイリが尻込みすると、レインが喉を鳴らしながらぽんぽんともう一度頭を撫でてきた。明らかに面白がっているのが見て取れて、カイリとしては面白くない。

 いつか、絶対彼に心から美味いと言わせてみせる。

 決意して、カイリは手早く身支度を整えた。他の者達にも謝りたい。


「おー、早いなー」

「後片付けとか大変だっただろうし、フランツさん達、大丈夫でしたか?」

「大丈夫じゃねえ? むしろ、お前の寝顔を楽しそうに眺めてたからな」


 それはそれで後が恐い。


 一体何を楽しがっていたのだろうと恐怖を覚えながら、カイリは扉を開けた。

 すると。



「……あ」

「おはようございます」



 目の前には、腕を組んで壁に寄りかかっているシュリアが待ち構えていた。いつもの不機嫌そうな顔が、真っ直ぐにカイリを見上げてくる。

 昨夜、祝っていた対象の二人目だ。さあっと、またもカイリの血の気が足元から流れ落ちて行く。


「しゅ、シュリア。おはよう」

「顔色は普通ですわね」

「あ、ああ。……あの」

「では」


 くるんと、シュリアがさっさと背中を向けてしまう。もう話すことは無いと言わんばかりの素早さに、カイリは思わず叫んでしまった。


「ま、待ってくれ! シュリア、ちょっと待って!」

「……はあ? 何ですの?」

「あの、……あの! 本当にここで、ちょっと待っててくれないか。すぐに戻るから!」


 動揺のあまり的を射る言葉を選べないまま、カイリはばたばたと自室の中に戻る。すれ違いざま、レインが「頑張れよー」と明らかに茶化した様な応援を背中に投げてくれた。顔が熱い。赤くなっていないことを祈る。


 冷蔵庫に手をかけるのを躊躇ったのは一瞬。


 急いで冷蔵庫から綺麗に包装したパンプディングを取り出し、棚の上に置いてあった香水の箱の入った袋を手に取る。何となくパンプディングをその袋に入れてしまったのは、やはりまだ恥じらいがあったからかもしれない。

 とにかく急いで、シュリアの元へと舞い戻る。

 彼女は不機嫌そうにしながらも、律儀に待っててくれていた。腕を組んで壁に背を預けた姿に、どうしようもなく安堵する。


「何なんですの。わたくし、早く朝食に行きたいのですが」

「ご、ごめん。あの、本当は昨日にと思っていたんだけど! まずは、これ。……ハンカチ、ずっと借りててごめん。ありがとう」


 ずいっと、カイリはシュリアに真っ白なハンカチを突き出す。小さく一輪の花が咲いた、清楚で可愛らしいものだ。

 シュリアは一瞬驚いた様に目を丸くしたが、すぐに「ああ」と合点がいった様だ。受け取って、しげしげと興味深げに見つめる。


「忘れていましたわ。あなた、律儀ですのね」

「だって、ルナリアでは俺のせいで汚しちゃったし。……それでな、その。こ、これ、……お礼!」


 ばっと、袋から香水の箱を取り出して渡す。一緒にプディングも渡せば良かったのだが、まだ躊躇いがあった。確実に見劣りするからだ。

 少し慌てながらもカイリが真っ直ぐに箱を差し出すのを、シュリアが驚いた様に目を丸くした。まじまじと箱を見つめる彼女に、カイリは早口でまくし立てる。


「えっとな、ハンカチ、一応血は落ちたんだけど、やっぱりくすんじゃって。……だから、せめて何かお礼を一緒にと思って、レインさんとリオーネに付き合ってもらって選んだんだ!」

「……あなた」

「香水、……あ、香水なんだけど。リオーネが嫌いじゃないはずって言ってたから。……気に入ってくれると嬉しいんだけど」


 最後は尻すぼみになってしまった。やはり、香水の香りは好き嫌いが分かれるものかもしれないと自信が無くなってきたからだ。

 しかし、シュリアはぱちぱちと二度瞬きをすると。



「……、……あ、ありがとうございます」

「――」



 カイリの手から、箱を受け取った。ぱっと、カイリの顔が輝くのが分かる。

 それを目にして、シュリアが「馬鹿ですの」と言いたそうに眉根を寄せて、一瞬視線を逸らす。その際、耳が何故か赤くなっていた気がしたが、心配する間もなく彼女はそのまましゅるっとリボンを解いて仏頂面のままふたを開けた。

 そして。


「――、……これは」


 箱から顔を出したのは、清楚な空気を漂わせる真っ白な瓶だった。手に取って、シュリアがしげしげと眺める。



「……カーラ……」



 表のラベルを見つめながら、シュリアが先程よりも更に驚きに目を見開いていた。吸い込まれる様にその文字を凝視している。

 しかし、我に返ったのか忙しなく瞬きしまくった後、何故か白い目を向けてきた。更に耳元が赤く染まり切っていたが、それが気にならなくなるほどの目力である。

 いきなり睨まれて、何か不都合があったかとカイリは思わず飛び跳ねた。



「えっ、何か駄目だった? あ、……ま、まさか、嫌いだったとか!」

「いいえ、そうでは、……むしろ、……ああ、いえ、……。……あなた、この名前……」

「え?」

「カーラ、ですけど」

「あ、うん。そう。カーラ。良いんじゃないかって、レインさんもリオーネも賛成してくれたんだ」

「……」

「……? あの? ……何か意味があるの?」

「…………………………。……ええ。あなたは、そういう人でしたわよね。ええ」

「? 何だよ?」

「いいえ。何も。……はあ」



 最後は何故か溜息を吐かれた。心底疲れた様な深々とした溜息に、カイリの胸が嫌な風に跳ねる。

 もしかして、本当は贈り物に相応しくない香水なのだろうか。

 しかし、レインもリオーネも、そして店主のリーチェも止めはしなかった。ならば、他に理由があるのだろうか。


「あの、シュリア。その香水、駄目だった? その、駄目だったら」

「いいえっ。駄目ではありませんわっ」

「でも……」

「駄目ではないと言っているではありませんのっ。……ああ。アイリスとジャスミンがベースですのね」


 カイリの言葉を流しまくり、シュリアはきゅぽんとふたを開ける。

 途端、こちらまでふわりと匂いが届いてきた。清潔で、優しい花の香りだ。透明感もあって、ほのかに香る様な彼女の上品さにピッタリだと思う。

 すぐに蓋を閉めてしまったが、心なしか彼女の不機嫌そうな表情も和らいだ様に見える。ふんふんと何度もラベルを確認し、懐にいそいそと仕舞い込んでいた。



「ありがとうございます。……不本意ですが、気に入りました」

「良かった! ……その匂い、シュリアみたいだなって思ってたんだ」

「――は?」



 裏返った様な声を出して、シュリアが固まる。

 意味が分からないと言わんばかりのその反応に、カイリは拳を握って熱弁した。


「いやさ。ほのかに香る清潔な感じとか、優しい空気とか。蓋を開けた瞬間に香った雰囲気とかに、自然とシュリアの顔が見えたんだよ」

「……は? ………………は?」

「真っ直ぐに己を貫く高潔さとか、いつも背中を押してくれる優しさとか、色々思い出してさ。そういう風に考えていったら本当、シュリアだなーって感じて」

「は……、…………」

「試しに他の香水とかも色々嗅いだけど、これを嗅いだ瞬間、もうこれしかないって思ってさ。だから、良かった、気に入ってもらえて」

「……、………………くっ。……このタラシ、……本当、何でこう、……く……っ」


 呆れた様に腕を組みながら唸るシュリアに、カイリはしかし嬉しくて堪らない。呆れられても、不機嫌そうな顔をされても、目の前の彼女からはどこか喜んでいる空気が伝わってくる。

 胸を撫で下ろしていると、溜息を吐かれた。


「まあ、普段付けられないのが残念ですけれども。良い安眠剤にはなりますわ」

「え? 付けられないの?」


 そういえば、リオーネは彼女は香水は嫌いではないと言っていたが、確かに日頃彼女から香水の類の香りはしない。

 首を傾げると、シュリアが更に半眼になって「馬鹿ですの」と目で語ってきた。


「任務には隠密行動を行うものもありますし。香水を付けていたら、残り香から辿られてしまいますでしょう」

「ああ、……確かに」

「近付く相手にも香りを印象付けてしまいますし、気配を薄くするのにも邪魔になりますから。普段は付けられないんですのよ」

「……そうなんだ。そうだよな」


 理論的に説明されて、カイリは頷くしかなかった。

 彼女は香水を気に入ってはいても、普段は様々な理由で身に纏うことが出来ない。それは少し淋しいことだ。

 もっと気軽に身に着けられるものの方が良かったかなと悩んでしまったが、「ですが」とシュリアが不意に付け足してくる。


「逆に、必要な時もありますから。眠る時だけに嗅ぐわけでもありませんわ」

「え? そうなんだ」

「今度、王女殿下の祝賀会が開かれるでしょう。そういう公のパーティでは、むしろ女性は香りをほのかにでも身に纏うのが礼儀なのです」

「へえ、そうなんだ……」

「後は、囮になる場合は、わざと香水で印象付けて相手を誘い出したりもしますし。地面にぶちまけても良いですわね」

「……。何か、地面にぶちまけるって、もったいない使い方の様な」

「物の例えですわ! まあ、……持っておいて損は無いですし。……良いものを頂きました。……ありがとうございます」


 最後は消え入る様にぼそぼそとささやかれた。

 ぷいっと外向そっぽを向いた彼女の耳は、今やこれ以上無理だ、というくらいに真っ赤に染まっている。

 先程から何だろうと気にはなっていたが、もしかして照れているのかもしれないと思い当たって、じわじわと首が熱くなってきた。



 ――喜んで、くれたんだ。



 その事実がカイリを尚更喜ばせる。一生懸命選んだ甲斐があったと胸を撫で下ろした。

 同時に、これから渡そうと思っていたものを思い出し、ずずんと腹の底が重くなる。

 正直渡す順番を間違えた。パンプディングを先にした方が良かったのではと後ろ向きな考えがよぎる。

 けれど。



〝カイリ様。今年の誕生日は、今年しか来ないんですよ〟



 ――後悔だけは、したくない。



 故に、カイリは腹を決めて、袋から包装したお菓子を取り出した。


「そ、それから! これ!」

「……? 何ですの? まだ何か?」


 もう話は終わりだと思っていたのだろう。食堂に向かおうとしかけていた彼女の足が止まる。

 本当は、香水で終わらせても良かったのかもしれない。

 だが、これは――このパンプディングもどきは、彼女の誕生日のために色んな人を巻き込んで作り上げた贈り物だ。絶対に無駄にはしたくない。

 だから。



「こ、これ! ……お誕生日、おめでとう!」

「――――――――」



 思いきり勢い良く突き出す様に、袋から取り出したパンプディングをシュリアに向かって真っ直ぐに差し出す。

 先程よりも意表を突かれたのか、シュリアの目がまんまるに見開かれていた。ぽかん、と彼女らしくなく口まで少し半開きになっている。

 その後の反応が少し怖くて、カイリは頭を下げて誤魔化した。


「あ、あの! えっと、……シュリア、甘いものは好きだって言ってたから! それに、母さんが作った料理が食べてみたいって言ってたし、じゃあ、……母さんがよく作っていたパンプディングはどうかなって! ……思って、作ってみたんだ、……お、俺がっ」

「――。え。……あなた、が?」

「そ、その、結局ほぼ全部爆発したけど、これ一個だけ辛うじて爆発しなかったやつなんだ」

「……っ」

「まあ、形はめちゃくちゃだったんだけど……でも、リオーネとか、みんなに手伝ってもらって、……何とか見れる形にだけはしたんだ」


 フランツとエディには夜通し特訓に付き合ってもらい、リオーネにはカップやリボンなどをいつの間にか用意してもらっていた。包装の仕方も教えてもらって、ようやくプレゼントらしいものに出来上がった気はする。


 しかし、差し出して十数秒。シュリアは全くの無反応だ。


 やはり不格好だっただろうかと不安になったが、終わるわけにはいかない。

 故に、カイリは日頃思っている感謝をそのまま告げることにした。

 いつもは口論ばかりだけれど、彼女と過ごしてきた日々は、それだけでは決してない。



 村を失ったカイリに、剣を握る覚悟のキッカケを作ってくれた。

 エディやリオーネと喧嘩をして落ち込んでいる時、信じていると真っ直ぐに告げてくれた。

 訓練でかくれんぼをしていて、村のことを思い出して崩れ落ちそうになった時、発破をかけに駆けつけてくれた。

 いつだって厳しく、けれど背中を蹴り倒しても前に進む勇気を与えてくれるのは、彼女だ。



 真っ直ぐに、誰に対しても誇り高くある彼女を、カイリは心の底から尊敬している。



「いつもお世話になっていて、感謝している。口論ばっかりしているけど、それも今の俺にとっては楽しい時間なんだ」

「……っ」

「背中を押してくれたり、勇気をくれたり、いつもありがとう。俺に出来ることって本当に少ないけど。だからこそ、……その、ちょっと不格好だし、焦げちゃってるし、ぐちゃぐちゃなんだけど。……シュリアが好きな甘いものだと良いなと思って、君を思いながら作ったんだ」

「……」

「だ、だから! 食べる食べないはともかく! その、受け取るだけ受け取ってもらえると、嬉しい」



 色々と試行錯誤して、甘いけれどもべた甘にならない様に分量を調整した。失敗はしたけれど、これが一番だと思って作ったものが爆発しなかったのは不幸中の幸いだ。

 だが、シュリアは尚も無言。

 そろそろ腕が痺れてきたので受け取るか拒否するかして欲しいと願って、顔を上げると。



「……、……………………。……あ、……あり……」

「……、……え?」

「………………………………あり、がとう……ござい、……ます……」

「――――――――」



 今度は、カイリが固まる番だった。目だけではなく、口もぽかんと大きく開いてしまったのが鏡を見なくても分かってしまう。



 彼女の顔は、今や真っ赤っかに染まっていた。



 かああっと、音が聞こえてきそうなほど急速に赤く色づいていく。首まで赤くなっていて、カイリとしては意外過ぎる現象に言葉が出てこない。


「……、も、もらいますわ」

「え? あ、ああ! はい、ど、どうぞ」


 わざわざ宣言をして、シュリアがカイリの方へと手を伸ばす。

 カイリもしどろもどろになりながら、物凄い労力を使って手を伸ばした。

 お互いにゆっくりと、何故かタイミングを見計らう様にプレゼントを見つめながら、何とか手と手の距離をゼロにする。そうして、ようやくといった感じで、彼女は震えながらカイリの差し出したパンプディングもどきを受け取ってくれた。

 受け取ってもらう際に、微かに触れた指先が、どちらからともなく震える。触れた箇所もやけに熱くて、そこを通してカイリにまで彼女の熱が伝染していく。

 そのせいで、顔や首と言わず、体中が熱くなっていった。彼女の顔ではないが、かっかと音を立てて体内が燃え上がっている気までしてくる。


「……あ、開けてみても?」

「え? あ、ああ! もちろん!」


 今度は許可を求められる。

 先程の香水は、特に何も言わずにさっさと開けていたのに。

 何故だろうか。彼女がいつもと違う反応を見せたからだろうか。それとも、カイリの体が熱いからだろうか。

 よく分からない。

 けれど、何だか、そんな風に顔を赤くして、大切そうにプレゼントを扱ってくれる彼女が、ひどく。



 ――何か、……なんか、……可愛い……っ! 気が、する……っ!



 はっきりと目に見える形で恥じらう彼女に、カイリの心臓が何故か爆発した。カイリのお菓子は、お菓子本体だけではなく、心臓まで爆発させる威力があるのかと変な思考回路に発展する。

 かさ、かさ、と彼女にしては本当に手間取りながら、リボンを解いてようやく袋を開けた。

 冷蔵庫に入れていたから、出来立ての時の様な温かさは無い。ただ、母のレシピは冷やしても美味しいものだったから、上手くいっていれば大丈夫。のはずだ。

 未だ冷めやらぬ熱を体に宿しながら、シュリアがほんのり赤く色づいた手を袋の中に入れる。直接指でパンプディングを千切り、おずおずと取り出した。



 その、おっかなびっくりといった仕草が、またもカイリの心臓を直撃した。



 何が直撃したというのか。もうカイリにもよく分からない。

 だが。


 手を入れる前にまじまじと熱くプレゼントを見つめていたその透き通った瞳も。

 おっかなびっくりに動かす細い手も。

 不出来なパンディングを千切る繊細な指使いも。

 取り出してゆっくりと欠片かけらを見つめる柔らかな表情も。



 全部、全部。普段の真っ直ぐで凛とした彼女からは想像出来なくて、吸い込まれる様に目が離せなかった。



 そのせいで、更に心臓が爆発から爆発を呼んでカイリが飽和状態になっていると、シュリアは恐る恐るといった様子で、ぱくっと口の中に含んだ。



 ――っ、何か、その食べ方は、反則……な気がする……っ!



 普段から綺麗な食べ方は見ているはずだった。今だって普通に食べているだけ。のはずだ。

 それなのに、目の前で見せられた食べ方は、綺麗とはまた違った雰囲気に満ち満ちている。何故だか可愛らしい小動物を連想させたことにまた混乱した。

 シュリアの反応に困ってしまうとは、どういうことなのだろうか。むしろ、困っていることに困っているカイリは、もう心臓だけではなく頭も爆発しているのではないだろうか。むしろ全身が爆発している。

 おまけに、もぐもぐとゆっくり咀嚼そしゃくする唇から目を離せない。何だかもう彼女のすることなすこと全てから目が離せなかった。こんなに凝視してしまう自分は、変態というやつではないだろうか。シュリアに知られたら殺される。いっそ、本当に木っ端微塵に爆発したい。

 こくん、と喉を通っていく動きにまで心臓が跳ねて爆発してしまい、カイリが混迷を極めてそろそろえたくなっていると。


「……甘い、ですわ」


 ぽつん、と彼女が視線を下に向けながら一言ささやく。

 甘過ぎただろうか、とカイリが慌てた直後。



「……。……こんなに美味しくて甘いお菓子は、初めてです」

「――――――――」



 美味しい。



 決して彼女は、視線をカイリに合わせてはこない。依然として視線は斜め下に注いだままだ。

 だが、美味しい、という感想をカイリは彼女の口から初めて聞いた。

 いつもは「悪くない」とか「まあまあ」といった評価しか口にしないのに。

 カイリのパンプディングもどきは、はっきり言って失敗作を頑張って贈り物に変化しただけのものだ。フランツ達が作るお菓子にはもちろん、店で並んでいるものと比較したら天と地ほどの差がある。

 それなのに。



 美味しい、と言ってくれるのか。



 カイリが懸命に、彼女のために心をこめて作ったお菓子を、気に入ってくれたのか。

 何だか目の奥が熱くなってきた。気を抜いたら熱が零れ落ちそうだと、気合を入れて押し止める。


「あ、ありがとうっ」

「……それは、こちらの台詞では」

「ううん。……頑張って作って良かった。美味しいって言ってもらえて、嬉しい」


 泣きそうになりながら破顔すると、シュリアは目をみはった後、おかしそうに笑った。

 そう。



 彼女は、笑った。



 綺麗に、ふんわりと。不機嫌でも、仏頂面でもなく、ただ幸せそうにささやかに笑っていた。

 その笑顔が今まで見てきた中で一番綺麗で、カイリは惹かれる様に見つめてしまう。ばくばくと、心臓がまたも爆発の連打を始めた。


「わたくしも、……こんなに心のこもったプレゼントをもらうのは初めてですわ」

「――」

「ありがとうございます。……不本意ですが、嬉しいですわ」


 不本意と言いながら、彼女の表情はとても柔らかい。本当に喜んでもらえたのだとしみじみ実感出来た。

 勇気を出して渡して良かった。喜んでもらえて、本当に嬉しい。



 それに何より、可愛くて綺麗な彼女の笑顔が見られた。これほどの幸福は無い。



 後でリオーネ達にも感謝を伝えようと心に決めていると。


「……ただ、この香水とパンプディングを一緒に渡したら誤解されますから。組み合わせとしては止めておいた方が良いですわよ」

「え? そうなの?」

「ええ。……まあ、わたくしなら誤解しませんから。良いですけれど」

「ん? どういう意味があるの?」

「さあ?」


 さあって何だ。


 教えて欲しいと願っても、シュリアはそれ以上何も言わず。

 いつも通り賑やかに騒ぎながら、けれどどこか柔らかく優しい空気を纏って、二人は食堂へと足を向けた。











「ふむ。今頃カイリは、シュリアにパンプディングを渡せているだろうか」


 朝食の準備をしながら、フランツが遠くを見て笑う。

 それを聞いていたレインが、「は?」と一驚してから、にやりと口元を悪そうに吊り上げた。


「なるほどなー。あの香水とパンプディング一緒に渡すのか。いやあ、シュリアはどんな反応するかね?」

「ふふっ。きっと可愛らしい恋する乙女に一票です♪」

「え、何すか? 香水とパンプディングって、一緒に渡すと何か意味があるんすか?」


 エディの純粋な質問にレインはにやりと笑い、リオーネもふふふと楽しそうに笑う。


「カイリが選んだ香水はカーラって言ってよ。あれ、表向きは親愛なるって感じの誰にでも使える意味なんだけど、……ある条件で『最愛の人へ』って意味に変わるんだわ」

「最・愛! さ、流石新人っす。選び方がリアルハーレムサービス……」

「で、だ。パンプディングは、フュリーシアでは家族と共に食べる代表的なお菓子なんだけどよ」

「あの香水と一緒に渡すとですね――」



 ――どうか、私と生涯を共にして下さい。



 それは、フュリーシア初代国王の時代から受け継がれる伝統。

 愛の告白をする時に贈る、最も選ばれる組み合わせなのである。


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