第350話


「カイリ、パンの大きさはこれくらいで良いか?」

「はい、ばっちりです。あ、エディ。キノコの方はどう?」

「OKっすよ! 玉葱に白ワイン、小麦粉もボクの手にかかれば爽やかに無駄に輝かしく変身っす!」

「エディさんは、相変わらず意味が分かりませんね」

「う、うおおおおおおお! リオーネさんに! 褒められた!」


 絶対褒めてない。


 リオーネのにっこりとした毒舌は、エディにかかれば何でも褒め言葉になってしまう様だ。リオーネも全く否定をしないし、彼女の笑みが真っ黒に輝いて見える。


「しかし、キノコパングラタンに、パンプディングか。ティアナ殿は、パンを使ったレパートリーも多そうだな」

「はい。色んな肉や野菜を一緒にトマトソースで炒めるパン炒めとか、パンカレーとか、パンを器にしたシチューとか」

「……新人。パンカレーって、カレーパンじゃないっすか?」

「ううん。パンカレー。パンは具材。ごろんごろん入ってる」

「……。……新人の母親って、斬新っすね」

「そうかな。美味しかったけど」


 特に、パンを器にしたシチューは絶品だった。カイリの特に好きな料理の一つである。パンごと一緒に食べられるシチューは、味も染みてまた美味いのだ。思い出したら食べたくなってきた。


「フランツさん。パンシチュー、作っても良いですか?」

「ああ、もちろんだ。カイリの食べたいものはじゃんじゃん作ろう。お前の食べている時の笑顔は最高だからな」

「フランツ様、これがレイン様とシュリアちゃんのお誕生日会だって、忘れていますよね」

「……フランツ団長は、新人命っすから」


 リオーネとエディの息の合ったツッコミに、カイリは苦笑せざるを得ない。

 本日は、レインとシュリアの誕生日会だ。教皇事件や呪詛事件でかなり遅くなってしまったが、ようやくお祝いが出来るとカイリは心が弾む。

 食堂の飾り付けやくす玉も朝食が終わってから用意した。二人には夜まで外出してもらい、その間に昨日の内に下ごしらえした料理と、今日から用意して作る料理とを大急ぎで楽しく進めているのだ。


 元々フランツ達と四人で料理のメニューを決めていたのだが、先日シュリアが「カイリの母の手料理を食べてみたい」と言ったので、急遽追加することになった。


 カイリとしては、想い出の料理を作ることになるので、懐かしさで自然と頬が綻ぶ。


「よし、こんなものか。では、キッシュとパエリアはエディとリオーネに任せるぞ。俺達は、ブイヤベースと唐揚げに取りかかろう」

「鳥の方はもう下処理してあります。ブイヤベースの方、下処理しちゃいますね」

「ああ。カイリ、頼もしいな。……これが、親子の共同作業というやつか。良いものだな……」


 じーん、とフランツが感慨深げに天井を仰ぐのを、カイリは少しむず痒くなりながらエビの処理に取りかかった。

 シュリアとリオーネが食事当番の時は、毎回カイリが手伝いをするのだが、男性陣の場合は料理が上手なこともあり、手伝う機会が少ないのだ。

 故に、フランツとがっつり長い間料理をするのは初めてだと気付く。カイリとしても、こういう風に親と一緒に料理をするのは楽しいし、それが大人数になるとまた嬉しい。


「背わたを取って……」

「カイリ様って、本当に材料の扱い方が上手ですよね。どうして料理は出来ないんでしょう」

「……しいんんじいんんんん……っ。リオーネさん、らあああああああぶうううううっ」

「え、エディ! 恐いから! って、リオーネは料理は出来ないって言っただけだぞ!」

「じょうずって、いったあああああ」

「そうだな! ああもう! フランツさん! 助けて下さい!」

「む。だが、カイリが食材の扱い方が天使の様に上手いのは真実だ。流れる様な手捌きは見事の一言。文句の付けどころがないぞ」

「しんじいん?」

「あああああ、違う! く、フランツさん、どうしてここで加勢しちゃうんですか……!」


 フランツの全く悪気のない称賛に、カイリは益々追い詰められる。

 エディの真っ黒な笑みが恐ろし過ぎて、カイリはエビを冷たい水で流しながら逃げた。エディはいつでもどこでもリオーネラブで、本当に暑苦しい。


「エディさん。早くグラタン皿を用意して下さいね。キッシュとパエリアの他にもメイン料理はあるし、ウェディングケーキやプチシューとかも作るんです。日が暮れても出来ていなかったら、エディさんは罰ゲームとしてご飯抜きですよ」

「お、おおおおおお! リオーネさんからの罰ゲーム! やるしかないっす!」

「いや、やるなよ」

「はあああああ、しかし、リオーネさんとのラブ食事はしなければ! やるっすよ!」


 結局どっちなんだろう。


 エディの雄叫びをBGMに、カイリは黙々と作業に集中する。エビを終え、ムール貝の処理も終わり、魚のたらに取り掛かる。

 どうせなら、豪華に具材を山盛りにしようとしたら、結構な数になってしまった。村にいた時の誕生日会と同じく、明日も十二分に持ちそうな量だ。

 今日の誕生日会では、二人のことをうんとお祝いしたい。

 レインには、ココアを淹れる約束をしている。

 そして、シュリアには。



「……お。新人のパンプディング、焼けたみたいっすね」



 完成の合図を知らせる音がオーブンから鳴り響き、カイリは慌ててオーブンに駆け寄る。何となくフランツもエディも、そして事情を聞いたリオーネもオーブンの前に寄って来た。――聞いた瞬間、きらっと面白そうに彼女の目が輝いたのは敢えて気付かなかったフリをしたのは内緒である。

 ごくっと、カイリは喉を鳴らす。これでもう七十七回目の挑戦である。

 今までことごとく全て爆発してきたカイリにとって、既に心は折れかけていた。

 けれど。



 ――もう当日だし、このオーブンのパンプディングは七が二つも並ぶ回数目だし。幸運の数字にあやかって成功してくれ!



 多分に神頼み的なものを邪に念じながら、カイリは運命の扉を開く。がちゃっと、扉が開く音に震え上がりながら、カイリは恐る恐る中を見つめた。

 すると。



「………………………………」



 何とも言えない沈黙が場を支配する。カイリもどう反応すれば良いか分からなかった。

 オーブンの中身。耐熱皿の上。


 そこには、中途半端に中身が残った『パンプディングの様なもの』が鎮座していた。


 今までみたいに爆発はしていない。オーブンの中も悲惨なパンや液体まみれにはなってはいない。

 しかし、耐熱皿の中身は、中央にぽっかりと大きな穴が開いていた。一応穴の周りには潰れたパンが中途半端に飛び出ていたり、プディングの様なぐちゃぐちゃしたものがうねる様に皿の上にっていた。


 はっきり言って、失敗だ。


 正直渡せるレベルのものではない。

 爆発していなければ良い、というものではないのだ。味が良くても、これは普段みんなで食べる用のものではない。誕生日をお祝いするための贈り物だ。



 ――最後まで、駄目だったか。



 フランツ達に他のオーブンを確認してもらったが、芸術的なまでに全て爆発していた。そちらは食卓に並べるのも失礼な出来上がりである。


「……すみません。二人に、散々二日間も徹夜で付き合ってもらったのに」


 最後の最後まで満足のいくものは作り出せなかった。正直落胆が大きい。

 だが、ここで落ち込んでいたら他の大量の料理を作るのに支障をきたす。後ろ髪を引かれようと、もう思い切って切り替えるしかなかった。


「俺、来年また挑戦してみます。今年は、フランツさんやエディが作ったデザートを豪華に飾り付けましょう!」

「……カイリ」

「どちらにしろ、突貫工事みたいに思いつきでしたし、二日間しか練習時間は無かったですし。……毎日少しずつ挑戦して、来年こそはちゃんとしたパンプディングを作ってみせます」


 無理矢理笑顔を作って、前向きに考える。フランツ達が気遣わし気な表情で見つめてきたが、全て気合で跳ね返す。――正直少しだけ泣きたかったが、仕方がない。本当に思いつきでしかなかったし、時間は圧倒的に足りなかった。

 そもそもカイリは村でも料理が成功したためしはない。そんな自分が二日で満足のいくものを作るには無理がある。

 だから、今年は諦める。ハンカチのお礼に購入した香水があるのだから、そちらを本格的に誕生日の贈り物としよう。

 だから。

 来年こそは――。



「それならカイリ様。せめて、このカップにその中身を詰めてみませんか?」



 リオーネがどこからともなく取り出した、可愛らしい紙製のカップを手にして提案してくる。

 いきなり何だと疑問符が浮かんだが、カイリの戸惑いなど知ったことかと言わんばかりに、ぐいぐいとリオーネが気持ちごと押してきた。


「ほら、これ、可愛いですよね。ほのかなピンク色にカラフルに星が舞っていて」

「あ、ああ。うん。……可愛いけど」

「これに、この見るも無残で可哀相な姿になった元パンプディングだったはずのもの、を入れてみましょう」


 辛辣しんらつな評価を下しながら、リオーネがスプーンを目の前に差し出してくる。

 にこにこと良い笑顔で急所を突かれ、カイリの体力はもうゼロに近かったが、言われるがままにスプーンを受け取った。

 リオーネが、「あ、少し冷ましますね」と聖歌語で熱をパンプディングから奪うという用意周到さである。言うことを聞かないと、いつまでも笑顔で刺し貫いてきそうだ。

 覚悟を決めてパンプディングに向き合う。スプーンで皿の中身を救い出すと、ぐちゃぐちゃだった残骸が更に無残に変形した。心が更に折れそうだったが、何とかカップに移していく。

 そうしてパンとプディングらしきものをカップに詰めると、量的には丁度良かった。カップの上にふんわりと山になって、見てくれが予想よりもマシに見える。


「出来ましたね。では、カップをこの透明な袋に入れて、……こう、軽く上を絞るんです」

「えっと、……こうか?」

「そうです。それで、この絞った箇所にリボンを……。……さあ、カイリ様。リボンを結んでみましょう」

「え? ……俺、こういうのやったことないんだけど」

「私が教えますから。最初にこうして……」


 いつの間にか別のカップを取り出していたリオーネが、カイリの横でゆっくりと順繰りに手本を見せてくれる。

 それを見様見真似で、カイリは少し間違えながら戻り、また間違えながら戻りを繰り返し、リボンでカップを飾り付けていく。

 いつもなら「リオーネさん、ラアアアアアブ!」などと怒り狂うはずのエディも、神妙に見守ってくれている。フランツも興味深げに観察し、リボンが結ばれていくごとに、ほうっと感嘆の声を上げていた。

 そうして、何とか最後まで行きつき、しゅるっと綺麗な音と共にリボン結びが出来上がる。

 少々不格好ではあるが、何とか見られる形に整った。何となく達成感を覚えて息を吐く。



「はい、出来ました。プレゼントの完成です」



 ぱちぱちと、リオーネが可愛らしく手を叩く。フランツとエディも追いかける様に拍手をしてきた。


「良いっすね! 新人、これなら普通にプレゼントに見えますよ!」

「うむ。あれだけ酷い見てくれだったが、こうすると店で売られているお菓子に見えるな。……流石はカイリ。そして、リオーネだ」


 心の底から感心したフランツとエディの評価に、カイリはやはりあれは見ていられない残骸だったのだなと苦笑するしかない。

 だが、確かに今目の前で包装されたカップは、見ていて心が躍るくらいに可愛らしかった。中身も正直、あの残骸とは似ても似つかない風に映る。外側の包装が整っているからだろうか。

 それでも、ところどころ焦げていたり、よくよく眺めるとプディングはぐしゃぐしゃだ。包装を解いてしまえば、一発で魔法は解けるだろう。

 けれど。



「カイリ様。もし気が向きましたら、これをシュリアちゃんにプレゼントしてみて下さい」



 にっこりと笑って、リオーネがカップを手に取る。

 彼女の手に収まるだけで、可愛かったカップが更に輝きを増した。少しだけ崩れている不格好なリボンさえ、味がある様に見えてくるから不思議だ。


「これは、カイリ様が心をこめて作ったものです。そして、初めて爆発しなかった残骸」

「……うん。残骸だけどね」

「はい。……でも、何より大切なものがこの残骸には詰まっていますから」


 はい、とリオーネがカップを手渡してくる。

 受け取って、カイリは両手の中にあるカップをしげしげと観察した。

 どう眺めても、失敗作に変わりはない。パンは潰れているし、プディングもどこかぶよぶよし過ぎている。

 だが、先程よりもどこかそのパンプディングは満足そうだ。パンも黄色いプディングも煌めいて、胸を張っている気がした。



「カイリ様。今年の誕生日は、今年しか来ないんですよ」

「……リオーネ」

「ですから、どうか悔いの無いように。……カイリ様が一番良いと思った選択をして下さい」



 ね、と小首を傾げる彼女はとても楽しげだ。小悪魔な部分があるが、彼女の今の笑い方はまさしくそれである。

 だが、一方で真摯な想いや願いが彼女の笑みには秘められていた。楽し気なのに、願う様な笑顔をするとは彼女も大概たいがい器用である。

 リオーネは、分かっていてこのカップやリボンを用意したのだろうか。だとしたら、本当に敵わない。

 失敗をしても、こんな風に補う方法がある。カイリ一人だったら絶対に辿り着けなかった到達点だ。



 ――俺、恵まれてるな。



 改めて、カイリは感謝したい。こんなところでも、一人ではないのだと、支えられているのだと深く実感する。

 もう駄目だと失望していたのに、他の道があると指し示して導いてくれる。おかげで、シュリアに何とか贈り物が出来そうだ。



 ――喜んでくれるかな。



 カイリからのプレゼントを、彼女は受け取ってくれるだろうか。普段は口論ばかりしているし、いつも不機嫌そうな顔しか見せてこないので、正直自信は無い。

 けれど。



「……渡したいな」



 渡したい。香水も、そして一生懸命作ったこのパンプディングも。喜んでくれれば尚、嬉しい。

 シュリアには、とても感謝している。彼女の優しさにいつも救われてきた。

 彼女なりの発破の掛け方や、背中の押し方が、何度カイリを引っ張り上げてくれたか。彼女のおかげで、前に踏み出す勇気をもらうことも多い。

 誰に対してであろうと真っ直ぐなその姿勢は、カイリの憧れでもあり、理想でもある。カイリ自身もあんな風に、常に顔を上げていられればと、彼女を見るたびに奮起していた。

 お世話になっているお礼も兼ねて、絶対に渡したい。


「……ありがとう、リオーネ」


 両手の中にあるカップを見つめ、ふわりと微笑む。


「俺、これ、渡してみるよ。……受け取ってもらえるか分からないけど、……彼女の好きな甘いもの、のはずだから。心をこめて贈ってみる」

「はい♪ 是非とも二人っきりになってから渡してください♪」


 胸の奥から込み上げてきた熱を飲み込んで、カイリは笑顔で宣言する。

 リオーネはやはり楽しそうに笑っていたが、どこかホッとした様に表情が緩んでいた。彼女もきっと、シュリアのことを思っていたに違いない。

 フランツやエディも良かったと、二人で顔を見合わせて頷き合っていた。心配させてしまったと申し訳なくなったが、やはりその気持ちが嬉しい。


 プレゼントは決まった。


 ならば、後は食事を完成させるだけだ。

 よし、と気合を入れてカイリはエプロンの紐を縛り直す。

 そして、高速でブイヤベースの食材の下ごしらえを終わらせ、フランツに手渡した。


「フランツさん、お願いします」

「……うむ、任せろ。最強のブイヤベースとは何か、二人に思い知らせてやろう」


 最強のブイヤベースって何だろう。


 だが、フランツが作るのならば美味しいに違いない。彼は和食が得意だが、他の料理も難なくこなしてしまう。彼が自信満々に料理をしている姿は、カイリから見てもカッコ良い。

 次はどの料理に手を付けようかと、カイリがメニューを思い返していると。



 ピンポーン。



「あら。誰か来ましたね」

「むむー、こんな時に。あ、ボクが出るっす」


 リオーネの声に触発されたから、ではないだろうが、エディが手を洗って率先して玄関に向かう。いつも彼が真っ先に玄関に向かうので、新人であるカイリが客人を出迎えることは少ない。

 誰だろうと気になりつつも、次はオレンジパイの準備をしようかなと組み立て始めると、エディが物凄いスピードで舞い戻ってきた。


「ふ、ふふふふふふふフランツ団長!」

「何だ、どうした? 不気味な笑い方をして」

「笑ってないっす! あの、……王族の方が三人で来た、……いらっしゃったんですけど」

「……何?」


 エディの動揺っぷりに、フランツも眉をひそめた。カイリもリオーネと顔を見合わせ、少しだけ不安が胸を過ったのだった。


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