第81話


 祈りの間を出た後、カイリはクリスに誘われ、フランツ達と一緒に商店街と貴族街の中間に位置する喫茶店に入った。

 自然溢れる緑が広がる庭に、静かな空気。心落ち着く清らかさに満たされた庭のテーブル席で、香り豊かな紅茶をカイリ達は味わっていた。

 エリス達は、一足先に屋敷へ戻った。恐らく教会の立ち入った話になるかもしれないと、彼女達が気を利かせてくれたのだ。申し訳ないことをしたと、カイリは落ち込む。



 ケントは今、教皇と教会の中庭でお茶をしている。



 第十三位を抜けて、教皇の元へと強制的に移動させられそうになったカイリを、ケントは阻止してくれた。その直後にお茶会に誘われた事実に肝が冷える。

 彼は、大丈夫だろうか。

 せっかくの美味しい紅茶も、味がしない。ぎゅうっと腕を握り締めながら不安を噛み殺していると、クリスは弱り切った風に首を振った。


「カイリ君にそこまで思われて、ケントも幸せだね」

「……いえ。だって、あれは」

「でも、良かったよ、カイリ君が無事で。それだけでも、ケントが無茶をした甲斐があったんだ。帰ってきたら褒めてあげて。喜ぶよ」

「……ありがとうございます。そう、してみます」


 声に力が入らない。

 けれど、励まされているのは伝わってきたので、力が入らないながらも微笑んで見せた。

 クリスが益々弱った風に眉尻を下げたが、諦めたのか紅茶を優雅にすする。



「でも、カイリ君は運が良かったね。普通、教皇に目を付けられたら、もう逃れるなんて実質不可能だから。それこそ、逃亡するか死亡するまでね」

「……、え?」



 とんでもない事実を告白された。カイリの頭が真っ白になる。

 だが、カイリの衝撃に気付かないまま、クリスは淡々と薄く笑った。



「ケントだから出来たんだよ。他の人達は傍観するしかない。それこそ、全てを放り投げるほどの相当の覚悟が無いと。――ねえ、フランツ君?」

「……、……ええ」



 カップを傾けるクリスの意味ありげな視線に、フランツは苦り切った顔で不承不承頷く。シュリア達も一様に押し黙ってうつむくだけだ。決してカイリに視線を合わせない。

 彼らは、あの時『助けに入らなかった』のではなく、『助けることが出来なかった』のだ。



 つまり、教皇に逆らうのはそれだけの大罪ということだ。



 そんな大罪を、ケントは犯したというのか。カイリというただ一人を助けるために。


「……、そんなっ」


 ようやく持ち直した気持ちが、またも恐怖に駆られる。がくっと、心ごと折れそうな体を懸命に持ち直した。


「待って下さい。それって、ケントは本当に大丈夫なんですか?」

「……、え?」


 クリスが意表を突かれた様にきょとんと目を瞬かせる。

 何故、そんな驚いた様な顔をするのだろうか。自分の息子のことだろうにと、底知れぬ怒りが湧き上がる。


「それってつまり、フランツさん達でも助けに入ることが出来ないほどにまずいことなんですよね? 死罪とか、死罪でなくてもそれに準ずるほどの罰を与えられるってことですよね?」

「ええっと。……うん。まあ、そうだね」

「だったら、ケントは本当に大丈夫なんですかっ。だって、俺、……っ」


 激しくほとばしる感情が、言葉にならずに何度も浮かんでは消える。

 本当にケントは今、ただ教皇とお茶をしているだけなのだろうか。もしかして、今頃何かとがを受けて酷いことをされているのではないだろうか。

 あの「大丈夫」というのは、ただカイリを安心させるためだけに放った言葉で、今この時にも苦痛と激痛に襲われているのではないか。

 そんなのは、嫌だ。



〝――カイリっ!!〟



 ――そんなの、は。



「……うん。カイリ君はやっぱりカイリ君だね。……そっかあ。思考、そっちに行っちゃうんだねー……」



 ほとほと困り果てた様にクリスが両手を組んで頭を抱える。余計なこと言ったなー、と弱々しく溜息を吐いた。


「カイリ君、ごめんね。本当に大丈夫だから。ケントは教皇に結構気に入られているからね」

「……でもっ」

「本当だよ。ケントは教皇の特別。だから、本当にお茶をしているだけ」

「そんなの」

「それとも、……私の言葉が信用出来ない?」


 カイリの反論をさえぎり、クリスはがんとして言い切る。

 彼の最後の言葉の調子が低まった。周囲の温度が冷やりと、剣を首筋に当てられた様に下がる。会話に割って入ることも出来ず、黙って紅茶を飲んでいたフランツ達が心なしか強張っていた。

 だが、カイリにはまるで通用しない。

 そんな理屈で怖気づくほど簡単な話ではなかった。心配で心配で堪らない。



 何故なら、本当に大丈夫、なんて。そんな保障は何処にもないからだ。



〝今抱える悲しみは、身近な裏切りが潜んでいたが故のことだったでしょうに〟



 あの時、確かに指揮隊長の言葉を否定したのに、奥深くでは分かっている。

 村は、滅びた。どんな理由があれど、平和が崩れた原因は身近に潜んでいたのだ。

 そんな裏切りはきっと、どこにでも転がっている。単純な世界の造りだ。

 分かっているからこそ、指揮隊長の言葉が小骨の様に喉に――心に引っかかって取れなかった。


「カイリ君」

「ケントが教皇に気に入られているんだなってことは、あのやり取りで分かります。教皇は、明らかに俺と話す時よりも気を遣っている感じがしました」

「……。……だったら」

「でも、それだけでケントが無事だって、どうして思えるんですか」


 淡々とした口調になったが、裏にくすぶっているのは制御出来ない怒りと不安だ。

 クリスも気付いたのだろう。少しだけ眉をひそめて、カイリを見つめる。


「今までは教皇に気に入られていて、だから他の人が許されなくても許されて。……でも、今回も同じだってどうして言い切れるんですか?」

「……カイリ君」

「今までがそうだったから、今回も大丈夫だろう。次も大丈夫だろう。だから次も大丈夫。だから次も、……、……次も次も次も、……次もって。どうして、大丈夫だって言えるんですか。そんな保障、どこにもないっ」

「……カイ――」

「どこにあるんですか、そんなものっ。……そんなもの、あるわけが無い!」


 昨日までの日常。

 今日を過ごす日常。



 明日も続くはずだった日常。



 それは連綿れんめんと、いつまでも平穏に続くものではない。

 続くなんて保障は全く無い。

 そんな綱渡りの様な奇跡は、この世界のどこにもあるわけがない。

 だって。



〝愛しているわ、カイリ〟


〝愛している、カイリ〟



 だって――。



「崩れ落ちるのなんか、一瞬です」

「――」

「壊れるのなんて、……今までの『大丈夫』なんて永遠じゃない。本当に、ある日突然、崩れ去る」



〝エリックさんに聞いたの。歌が歌えるって〟



「……例えばもし、ケントを裏切る誰かがいたら? 近くにいたら? 誰かがケントの無いことばっかり吹き込んでいたら?」

「……っ、カイリ君」

「ケントが気に入られていたって、だから今回も大丈夫なんて! そんなこと、あるわけない! そんなこと、――」



〝……なるほど。のぼせたか〟


〝ええ。まあ、十中八九そうでしょうね。狂信者に上手くおだてられたのでしょう。良いカモですわ〟



 そんなもの、何処どこにも無い。



 両親が、死んだ様に。

 友人が、目の前で息絶えた様に。

 村のみんなが、殺された様に。

 彼も。



〝――カイリっ!!〟



 瞬間。



 キキーッとつんざく様なブレーキ音が耳元で乱打される。



 ぐしゃっと何かが潰れる音。ぶつかる音。上がる悲鳴。飛び散る赤。

 視線の先。突き飛ばされた先で、無残な姿で転がっていたのは。



〝……、ケント?〟



 孤独の中、最後まで傍にいてくれた――。



「――っ!! は……っ!」



 耳を塞いで崩れ落ちる。その際、がちゃんと何かが倒れる音がしたが、気にしてなどいられなかった。

 聞きたくないのに、車のブレーキ音が轟音ごうおんの様に鳴り響いて止まらない。フランツ達が「カイリ」と名前を呼んでくれているのが聞こえたが、遠くに過ぎてぼやけていた。

 転生してから、何度も何度も夢に出た。ブレーキの音。獣の様に迫る車。ぶつかって、潰れる音。

 そして何度も何度も見せ付けられる。



 ケントが、無残にひしゃげた成れの果てが。まぶたの裏にこびり付いて離れない。



「――っ、……あ、うっ!」

「カイリ、……カイリ! 大丈夫だ! ……大丈夫だっ」



 フランツが懸命にカイリの体を抱き締めてなだめてくれる。強く、何度も何度も背中を叩いて、現実に戻そうと引き寄せてくれた。

 少しずつ、本当に少しずつカイリは意識を目の前に寄せていく。はっと吐息が震えて止まらなかったが、何とか焦点が合ってきた。

 見ると、テーブルの上には虚しく倒れたカップの姿があった。茶色の染みを広く作って、綺麗に配置されたテーブルクロスや花瓶が台無しになっている。


「……っ、……あ、すみま、せん」


 間違いなくカイリがしたことだ。倒れているカップは、先程までカイリが飲んでいたものに相違ない。

 取り乱して、騒いで、まるで子供だ。成人したばかりなのに、感情の制御を出来ないなど、駄々をこねる手の付けられない子供がすることだ。

 それに。



「……すみません、クリスさん」

「……」



 一番心配しているのは、親であるクリスだ。



 心配しないはずがない。他ならぬ息子のことだ。いくら教皇に気に入られていたって、不安に駆られて仕方がないはずだ。

 それでも泰然たいぜんとしているのは、彼が立場ある人間だからだ。カイリの様に一介の騎士ではない。地位ある者が取り乱せば、周りが焦燥や不安に駆られて立ち行かなくなる。


 ――ああ。本当に馬鹿だ。


 エリックの夢を見たせいで、情緒が不安定になり過ぎている。結果、他の者の心境をかえりみなくなるとは、本末転倒だ。

 さぞかし気分を害しただろう。先程、カイリをいさめめるために冷たく放った一言の意味を、今更ながらに知って益々心が重くなった。

 クリスはしばらく黙っていたが、やがて微苦笑と共に首を振る。店員の誘導に従って、別のテーブルに移動してから彼はゆっくりと口を開いた。


「ううん、ごめんね。今のは私のせいだよ」

「……違います。俺が」

「私の悪い癖だね。ついつい試したくなってしまって。……またケントに怒られるなあ」


 頭を掻いて、クリスが少しだけ視線を泳がせる。

 カイリが疑問に駆られていると、返るはずのない答えが背後から飛んできた。



「ふーん。父さん、また僕に何か怒られる様なこと、したんだ?」

「――――――――」



 軽快な口調に、カイリは目を見開いた。クリスはぎくっと分かりやすく体を硬直させる。

 ばっと弾かれた様に振り返れば、にこにこと良い笑顔でケントが佇んでいた。

後ろで両腕を組んで、可愛らしく小首を傾げている。

 そこにいるのは、確かにケントだ。

 血塗れではない。潰れてもいない。



 ケントが、変わらない笑顔で佇んでいる。



「――っ!」



 認めた瞬間、カイリは椅子を蹴り倒して立ち上がっていた。一目散に駆け寄って、彼の両肩を掴む。ケントが驚いた顔をしていたが、目に入らない。

 きちんと服越しに感触がある。幻ではない。


 ケントが無事に、目の前に佇んでいる。


「か、カイリ?」

「ケント! お前、無事なんだな!」

「え? ええ? うん、無事だよ?」


 いきなり肩を掴まれて仰天しながらも、ケントはしっかりとカイリの腕を支えてきた。何度も頷いて、目を見開いたままカイリを凝視する。


「ケント、ありがとう。……ごめんなっ。無茶させて」

「う、うん。どういたしまして? 無茶はしてないよ? よく分からないけど」


 未だに疑問符を顔中に貼り付けながらも、ケントはふにゃっと相好を崩した。にまにまと、何がそんなに嬉しいのか幸せそうに微笑んでいる。


「……何でそんなににやついているんだ?」

「えー? だって、いつもは僕が飛び付いても避けるのに、こうしてカイリから飛び付いてきてくれたから。嬉しくて! 今日はカイリが降って来るね!」

「……それ、もしかして雨とか雪の例えか?」

「うん! でも、そんなものじゃ驚きが足りないから、カイリが降って来るね!」

「降らないぞ!」


 締まりのない満面の笑みでとんでもないことを言いだすケントに、カイリは叫ぶしかない。

 だが、叫びながらようやく安堵した。力が四肢から抜けていくのが嫌でも分かる。

 ケントは、帰ってきてくれた。目立った外傷もないし、両肩を思い切り掴んでも痛そうな顔もしない。



 だからきっと、本当に大丈夫だったのだろう。



 思いながらも、ケントの体を入念に観察するのは止められなかった。


「えーと。カイリ? 本当にどうしたの? 嬉しいけど!」

「いや、傷が無いか確認してる」

「……もしかして、拷問受けたとか思ってる? 言ったじゃない! 本当にお茶してただけだから! 周りに観察する奴らがいて鬱陶しかったよ! 早めに切り上げて、情報辿ってここに来たんだから!」


 もう、っと膨れて、けれどやはり締まりなく笑う。ケントは何が面白いのか、本当に今は笑いっぱなしだ。

 けれど、彼が目の前で笑っているということがカイリにとっては重要なことだ。心の底から安堵して、蹴り倒した椅子を起こして腰を下ろした。


「じゃあ、良い。……心配した」

「もう、カイリはほんとに過保護だね! ……ああ、それはそうと、父さん。ちょーっとあっちでお話しようか」

「え!」


 ぎくっとクリスの笑顔がそのまま凍り付く。

 だが、ケントは容赦をしない。ずるずると父であるクリスの首根っこを引っ掴んで遠くへと去っていった。背中からどす黒いオーラが陽炎の様に立ち上っているのは、決して気のせいではない。

 ぎゃあっというクリスの悲鳴が聞こえてきたが、あの親子喧嘩も仲良しの秘訣だろう。思って、カイリは放置しておくことにした。

 それに、きっと彼も安心しているだろう。良かったと、カイリは心から思えた。


「……カイリ、すまない」


 ようやく人心地が付いて、新しく淹れてくれた紅茶をすすっていると、フランツが沈んだ様に謝罪してきた。

 振り向くと、フランツの顔が声と一緒に深く沈没している。何故、とカイリの方が動揺してしまう。


「え、フランツさん? どうして謝るんですか」

「……俺がミサに行こうと言いだしたから、こんなことになったのだ。危うく、お前を危険な場所に連れ去られるところだった」


 すまない、と頭を下げてフランツが謝る。彼の後頭部を見つめながら、カイリは緩く首を振った。


「フランツさんのせいじゃありません。教皇に目を付けられていた時点で、遅かれ早かれこうなっていたと思います」

「……だが」

「それに、ケントのおかげで事なきを得ました。……教皇の人となりとか、聖歌隊がちょっと恐いとか。そういうことも知れたし、むしろ良かったと思います」


 それよりも、気になっていた点がある。ケントのことですっかり頭からすっぽ抜けていたが、聞いておかなければならない。



「あの」

「うん。何だ?」

「……もし、また教皇に強く迫られたら。俺は、……逆らっても良いんでしょうか」

「――」



 フランツの頭がぴくりと揺れる。シュリア達も各々気配を揺らして息を呑んだ。

 顔を上げて驚くフランツに、カイリは逆に視線を下げてしまう。

 教皇の命令に逆らうこと自体が恐ろしく難題なのだ。逆らったりしたら、どうなるのか。考えるだに恐ろしい。

 けれど。


「俺が嫌だって抵抗したら、フランツさん達に迷惑がかかりますか。フランツさん達まで、処罰されますか。殺されてしまいますか」

「……、カイリっ」

「俺、……これからも第十三位にいたいと思っています。教皇の元には絶対行きたくありません。けれど、……」


 もし、彼らにまで莫大なとがが降りかかるのだとしたら、カイリはどうすべきだろうか。あの時も、咄嗟とっさに嫌だと抵抗出来なかったのは、彼らの立場を悪くするかもしれなかったからだ。己の短慮のせいで、フランツ達を巻き込むのだけは避けたい。

 だからこその問いだったのだが、フランツはみるみると顔を歪ませていった。ぐしゃっと潰れる様な苦悶の表情に、カイリは驚愕してしまう。


「あ、あの?」

「……っ、……良いんだ。逆らえ。お前には、その権利がある」


 カイリの両肩を掴み、フランツが顔をうずめてくる。まるで懇願する様な響きが混じっていて、カイリは混乱してしまった。

 何故、そんなに苦しそうにするのだろう。カイリは言葉を間違ったのだろうか。



「――お前の人生は、お前のもんだろ」



 レインが、淡々と追随ついずいしてくる。

 彼の方を見やると、その表情は声と同じく淡泊だった。うっすらと笑みは広がっているが、そこに感情という感情は見当たらない。


「だからよ、お前がしたい様にしろよ。オレらがどうとかじゃなくてな。……どうせ、オレらはお前に何もしてやれねえんだから」


 レインの言い方は、突き放す様な物言いだった。

 けれど、きっとそれは彼の優しさだ。それが精一杯の答えなのだ。



 教皇に関して、彼らは何も行動は起こせない。



 命をけてまで、カイリを助けることは出来ない。はっきり断言してくれるのは、とても冷たく見えて、その実ひどく優しい。

 だから、気にするなと彼らは言ってくれる。カイリの意志を貫いて良いのだと。

 それが一層、カイリには苦しくて仕方がない。裏を返せば、やはり彼らに迷惑がかかるということだ。

 本当に、意志を貫いて良いのか迷っていると。



 ――がたんっ。



 近くで立ち上がる音がした。

 見上げれば、シュリアが無言でテーブルに両手を突いて立ち上がっていた。

 その表情は今まで見た中でも最高に不機嫌なものだ。正直、目にしただけで芯から震え上がりそうで、カイリは恐る恐る声をかけたが、みっともなく掠れてしまった。


「……、シュリア?」

「帰りますわ。お代はこれで」


 ばしんっと、コインを叩き付けてシュリアは颯爽と去っていく。先程のケントとは違うどす黒いオーラが足跡として残って行き、カイリは混乱した。

 視線を右に左に彷徨さまよわせていると、フランツ達は一層気まずそうに口を引き結んだ。視線を下げ、フランツが自嘲気味に落とす。


「……今、カイリに一番近いのは、シュリアなのかもしれないな」

「――、え?」


 一体何の話だろうか。

 シュリアはいつだってカイリに理不尽な態度しか取らない。あまり好かれていないと思っている。

 けれど、フランツ達の見解は違うのだろうか。

 シュリアが去っていた方を何気なく視線で追っていると、ケントが実に良い笑顔で戻ってきた。


「はー! カイリ、ごめんね! 父さんがまた余計なこと言って!」


 明るく言い切るケントの背後で、クリスが「ごめんなさい」と土下座をする様に頭を下げていた。よほどケントのお仕置きが効いたらしい。


「あの、本当に気にしないで下さい。俺こそ、酷いことを言ってしまって」

「ううん、ごめんね。……穢い貴族の世界に浸り過ぎた弊害へいがいと言うか。……カイリ君の純粋さが眩しいよ」

「はあ」


 クリスの拝む様な感嘆に、益々カイリは首を傾げる。

 しかし、ケントがじっと見つめてきたのでカイリの意識が彼に向く。あまりに凝視されるので、心持ちのけ反った。


「ケント?」

「カイリ。何かあった? ここ、暗いんだけど。シュリア殿もいないし」

「え」


 ケントが一瞥いちべつした先には、フランツ達がいる。

 彼らの表情に陰りがあるのは、今し方のカイリの質問のせいだ。適当に誤魔化すことにする。


「ああ、いや。……ケントが本当に無事で良かったって改めて認識してたんだ」

「……ふーん」


 何か言いたげに、ケントが冷めた視線でフランツ達を睥睨へいげいする。彼は妙にさといから冷や冷やしたが、まあ良いや、と早々に切り捨てた。

 興味が無かったのだろう。彼はどうでも良いことには執着しない。

 そんな息子を見かねたのか、クリスが笑って補足してきた。



「本当に大丈夫だよ、カイリ君。心配しないで」

「……、はい」

「それにね、もし万が一ケントに何かあっても、俺が何が何でも助けに行くから」

「――」



 クリスが腰に手を当てて胸を張るのに、カイリは胸を突かれた。とんっと、軽く押された様に気持ちが一歩下がる。



「えー。父さん、無茶しないでよ」

「無茶なものか。お前達家族以上に惜しむものなんて何も無いよ」

「……父さん」

「お前に何かあったら、何が何でも飛んで行くさ。……だから、ケントは大丈夫なんだよ、カイリ君」



 よしよしと頭を撫でるクリスに、ケントは恥ずかしそうにむくれた。

 けれど、満更でも無さそうな表情に、カイリの頬がほころぶ。家族の絆の深さを目の当たりにし、心から安堵した。

 ケントには、無茶をしても助けてくれる家族がいる。前世の時の様に、一人で抱え込むことは無いだろう。

 だから、大丈夫。

 そう言い聞かせながら、二人を眺めていると。



〝私は一緒に行けないけど。母さん、ちゃんとそばにいるからね〟



 ふっと、母の声がカイリの耳を静かに叩く。



〝父さんの心は、いつでもお前と母さんと共にあるからな〟



 父の声が、寄り添う様に頭を撫でる。



 ケントとクリスを見ながら、カイリはそこに自分と両親を重ねる。――重ねてしまった。

 もし、今父と母が生きていたら、二人共きっと同じことを言っただろう。

 何処にいても飛んできてくれる。助けに行く。実際、その通りに命けでカイリを逃がそうとしてくれた。

 もう、みんなはいない。

 父も、母も、ライン達も、村の人達も。彼らは、カイリを守っていなくなってしまった。

 分かっている。理解している。カイリは前を向いて歩いていく。

 けれど。



 何故だろう。



〝まあ。愛の力を加減するなんてできないわー。ねえ、カーティス〟


〝ああ、もちろんだ。カイリよ、諦めなさい〟



 今だけは無性に、父と母の声が聴きたくて、堪らなかった。


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