第308話
胸元に提げられているパイライトのラリエットに指で触れ、カイリは真っ直ぐに前を向いた。
両親との繋がり。両親との絆。
それはどんな結果になったとしても、ここに在る。
「カイリ。準備は良いか?」
フランツが隣で声をかけてくる。少し硬い声なのは、緊張いているからか、心配してくれているからか。カイリには判断しにくかった。
エディとリオーネも、神妙な表情でカイリを見つめている。彼らには本当に心配をかけっぱなしで頭が上がらない。いつか返せる日は来るだろうかと、カイリは苦笑してしまった。
「――はい。大丈夫です」
クリスから手渡された書類も持ったし、忘れ物もない。あとは、カイリが
真っ直ぐに顔を上げれば、フランツも覚悟を決めた様に息を吐く。
そして。
「――よし。行くぞ」
力強い掛け声に、カイリ達は頷き合う。
本日一番の大勝負の幕開けだった。
「結局、レインさんは戻ってきませんでしたね」
人もまばらな貴族街を歩きながら、カイリは独り言の様に漏らす。静かな空気が冴え渡っているからか、やけに己の言葉が響く気がした。
エディとリオーネは既に聖歌語で姿を消していた。気配も断ち、声も聞こえない様になっているから、カイリには今二人がどの辺りを歩いているかは何も分からない。
だが、フランツは恐らく分かっているのだろう。ちらりと背後を見ながら、含み笑いを漏らした。
「大丈夫だろう。レインは既に目的地に到着しているか、一緒に歩いている。届いた手紙でも言っていただろう。ケント殿も、もしかしたらもう合流しているかもしれんしな」
「……はい」
深夜に叩き起こされ、配達員が至急の手紙を届けてくれた。こんな時間まで働いているのかと、カイリは感心してしまったものだ。
フランツが配達員に温かな茶を振る舞って帰した後、手紙には予想外の事態が書かれていた。
曰く、フュリー村を監視していた間者も、連絡員らしき者も全員死亡していたと。
ゼクトールやデネブ達が駆け付けた時には既に死んでおり、引き続き彼らがそこに待機してくれることになったという。――ゼクトールだけではなく、デネブ達第一位の騎士達までもが協力してくれることは意外だったが、素直に嬉しかった。少しずつでも仲が前進していれば良いと願う。
フュリー村にもルーラ村にも、レミリアやパーシヴァル達が護衛で既に待機してくれていることも知った。クリスの言っていた通り、カイリが信頼出来る人達を手配してくれた様だ。それが第一位の騎士も含まれていたことが喜ばしい。
こうして事態が動き、守るために騎士達が各々散らばっていく。
――これが、国を守る騎士団なのか。
前世の暮らしとは全く異なる動きを肌で感じ、今更ながらにカイリは実感する。元々実感はしていたが、更に痛感したと言うべきか。
カイリも采配の仕方や、いざという時の行動に慣れていきたい。まずは半人前にという決意が更に強くなった。
「じゃあ、……そろそろ俺、その……ひどいボンボン? みたいな役になりますね」
隙だらけの坊ちゃんを演じるのは、更なる保険だ。普段のカイリだと、疑り深い性格が災いして相手の警戒心を強くするかもしれない。頭が足りない感じになれば、少しは油断したり、怒りで注意力が散漫してくれるかもしれないと、無い頭で必死に捻りだした策である。
とはいえ、おちゃらけた人間はカイリとは真逆の在り方である。ケントにも演技力がと言われたが、正直自信はまるで無い。
「おおっ。あのボンボンがまた見れるのだな。カイリのあれも最高に可愛かった。楽しみだ」
「……そ、そこは楽しみにしないで欲しいです」
フランツのほくほくした顔に、カイリは頭を抱えたくなる。やはり彼は目医者に行った方が良い。
苦悩がぐるぐる胸の内を渦巻いている間に、とうとうラフィスエム家へ辿り着いてしまった。
目の前に在るのは、立派な屋敷だ。蒼い屋根に幅広く陣取られている建物。木々があちこちに植えられ、花壇も埋め尽くす様に並べられている。
建物の外観も所々に意匠が散りばめられ、権威を放つ様な威圧感を醸し出していた。
――父さんが、昔暮らしていた場所。
あまり良い印象は無いが、それでも父が過ごしていた家となると緊張が走るし、興味も湧く。不思議な感覚だ。
息を整えて、カイリは右手を上げる。呼び鈴を鳴らそうとする指が微かに震えた。
「……カイリ」
「っ」
ぽんっと肩を軽く叩かれる。言うまでも無くフランツだ。
大丈夫だ。一人ではない。周りには、エディ達もいる。
目を閉じて息を深く吸い込み、カイリは目を開く。震えは止まり、迷いなく今度は押せた。
軽やかな音が鳴り響く。空気を伝う様に広がって行って、思わずカイリは空を見上げてしまった。
程なくして、門の向こうの入り口がゆっくりと開く。
姿を現したのは、燕尾服に身を包んだ男性だ。白髪が混じった黒髪が印象的で、品はあるが少しくたびれている。疲労が重なっているのかもしれない。
「……失礼ですが、どちら様でしょうか、――」
「俺は第十三位団長のフランツ・ヴェルリオーゼ。こちらはカイリ・ヴェルリオーゼで俺の息子だ。……昨日、そちらに大事な用件があると伝えてあるはずなのですが」
「……、……貴方が」
男性は、話しているフランツではなく、明らかにカイリの方を見て目を開いていた。やはり、カイリの存在はもう屋敷中に広まっている様だ。
くしゃりと顔を歪め、男性が門を開く。
「お待ちしておりました。どうぞ、中へ」
礼儀正しい男性についていきながら、早速カイリは罪悪感を覚えた。昔の父のことがどんな風に使用人の間に伝わっているか、そもそも彼らに父を知っている者がいるかどうかは知らないが、今からカイリは息子としてのイメージをぶち壊しにしてしまうのだ。父にも申し訳が立たない。
あああああ、と盛大に心の中で頭を抱えながら、時間を稼ぐために物凄くのろのろ歩いて入った玄関先のホールでは三人の男性が待ち構えていた。
一人はゼクトールよりも少し上の年齢くらいだろうか。見事な髪や眉毛が真っ白に染まっており、杖を突いて体を支えながらも、瞳だけが生き生きと輝いている。彼が恐らく父の父――カイリの祖父なのだろう。
――目元が、父さんに似ている。
容姿は父とそこまで似通っているわけではないが、目元がとてもよく似ていた。一瞬、郷愁に囚われてカイリの胸がひどくざわめく。
いけない、と慌てて周囲を観察すれば、祖父の隣に二人ほど男性が並んで立っていた。きっと父の兄の二人だろう。一人は明らかに敵意を抱いた眼差しをカイリに向け、少しだけ若く見えるもう一人は眼鏡の奥で探る様に見据えてきている。
やはり、歓迎はされていない。
分かっていたことなのに、現実を突き付けられて、どこかカイリの胸に自嘲が
「……本日はこちらの意向を聞き入れて頂き、まことにありがとうございます、ネイサン殿」
フランツが礼儀正しく頭を下げる。
カイリはどうしようかと一瞬考えた後――後ろに手を回して、少しだけ頭を下げた。少々心苦しい。もう既に馬鹿っぽい演技をしなければならない。思ったよりしんどくなるかもと覚悟をする。
ネイサンと呼ばれた白髪の男性が、すっと目を細めてきた。内心だけでぎくりと強張りつつも、カイリは笑顔を絶やさない。
そろそろだ。気合を入れろと、カイリは馬鹿っぽく馬鹿っぽくと念じた。
「こちらこそ、わざわざご足労頂いた、フランツ殿。……。それで、そちらが――」
「カイリ・ヴェルリオーゼです。彼は――」
「――へーっ! ここが父さんが暮らしてた家なんだー! す、……すっごい広いじゃーん!」
「――カーティス、の、……う、む。……か、かわ……」
紹介しようとしたフランツが、激しくどもった。目の前の男性三人も、控えていた使用人達もかちんと凍り付く。
カイリはこれでもかというくらい、引きつらない様に気を付けながら馬鹿っぽく笑ってみた。大きく口を開ければ良いだろうかと、小首を傾げてみる。
「こんにちはー、初めまして? 俺、フランツさんの息子でーす! でもー、血が繋がっている父親は、カーティスって言うんですよねー。だから、カイリ・ラフィスエムっていうのが本名? 最近まで知らなかったんだけど!」
あははははははー! とやけくそ気味に大声で笑ってやった。もう吹っ切れろと己に言い聞かせる。
何となく、周囲にいるだろうエディ達に呆れられている様な爆笑されている様な、ひどく馬鹿にされている様な気配を察知する。一度見られているとはいえ、もう心はずたぼろだ。後で盛大にベッドの中に潜ろうと、カイリは心の中で泣いた。
泣きながら、ずいっと三人に顔を突き出す様に歩み寄る。
「ねーねー。貴方達が、俺の家族?」
「……、なっ」
「きっと、ネイサン殿が、俺の祖父なんだよねー? じゃーあー、あとの二人が俺の、伯父さんってこと? わー、すっごーい! ねーねー、フランツさん! 俺、三人もまだ家族いたんですねー!」
「あ、ああ。……くっ、……カイリ、やはり可愛いな……っ」
――どこがだっ!
物凄いツッコミたくなるのを根限りに押さえ、カイリは引くつきそうになる頬と口元を全力で固定した。
そのまま、もう一度ネイサン達に振り向き、にっこりと微笑む。
「ねえねえ、伯父さん達、何ていう名前なんですか?」
「……っ、……貴様っ」
「まあまあ、兄上。落ち着いて下さい。……私はフィリップ。兄はレナルド。初めまして、私の甥かもしれないカイリ殿」
笑っていない目を向けられながら、牽制された。
だが、負けはしない。カイリはにっこりと笑って、肩を竦めて見せる。
「そっかあ。フィリップ伯父さんと、レナルド伯父さん。……俺、今日は貴方達に会えるの、とーっても楽しみにしてたんですよねー! ……お会い出来て嬉しいです。おじいさんと、伯・父・さ・ん」
「――」
後ろで手を組んで、上目遣いに見上げる。彼らにはカイリがどんな風に映っているだろうか。ずる賢そうな小僧だろうか。礼儀知らずな若者だろうか。
息子二人はかなり憤慨していたが、ネイサンだけは一人冷静だ。なるほど、当主として長い間君臨しているだけある。息子に座を渡せないのも仕方がないのかもしれない。
しばらく探る様に観察していたネイサンが、やはり表情と同じく冷静に口を開いた。
「……フランツ殿にカイリ殿。用件は、何だろうか」
「前もって話した通り、王族からの依頼の件です。フュリー村の雨の件ですが――」
「帰れ! 貴様らに誰が許可など与えるものか! ……だいたいっ、そこの礼儀もなっていない子供が、カーティスの息子であるものか!」
「えー。心外ですー、レナルド伯父さん。俺、本当にカーティスお父さんの子供なのにー」
「ええい、黙れ! 仮にカーティスの息子であるというのならば、余計に今更だ! 勝手に家を出た挙句、今更のこのこと子供だけ来るとは! どうせ財産狙いだろう! それとも当主の座か? 貴様なぞには、一銭もやるつもりはない! 父上だってそうお考えだろうよ!」
冒頭で拒絶されるとは。予想していたとはいえ、
それでもフランツに慌てた様子は無い。だから、カイリはこのまま演技を続けることにした。
「わー。ひっどいですー。俺、傷付いちゃいますよー?」
「そうですよ、兄上。言葉が過ぎますよ。彼は一応甥かもしれないのですから」
「そうですよー。一応甥なんですよー?」
「だったら尚更だ! どうせ家督狙いのどぶねずみだろう! 万が一にでも村の件を……!」
「黙れ、二人共」
ぎゃんぎゃん騒いでいたレナルドを、低い声が叩き落とす。
それだけで、レナルドは喉が詰まった様に押し黙った。しんっと痛いほどの静寂が訪れ、カイリの背中にも緊張が走る。
「……お前達は、何が目的だ?」
「目的とは、何の話ですかな?」
「王族の依頼を受ける。それを解決する。ラフィスエム家の領地だから許可を取りに来たということだが、それだけではあるまい? レナルドの言う通り、家督か? 当主の座か?」
「えー! ひっどいです! 俺、これでもー、ちゃーんとした聖歌騎士なんですよー? 困っている人達を助けるなんて当然だしー」
「真面目に答えろ。こちらは真剣に聞いている」
「真剣ですー。ねー、フランツさん」
「……かわい……、ごほん! ええ。その通りです」
「……。……お前達」
「だからー。どーせ、そんなこと言われるだろうと思ってー、今日はこれ持ってきましたー」
じゃーん、とカイリは口で効果音を言いながら、懐から書類を二枚取り出す。
ばっと中身を開いて、彼らから距離を離して突き出した。ネイサンが眉を
書かれていた文字は、『永久相続放棄』と『永久血縁断絶』。
相続も、当主の座も、どちらも放棄するという証の書類だった。
一瞬、――本当に一瞬だが、ネイサンの顔から表情が消えた気がした。その理由が気になったが、今は強引に押し通す。
「俺ー、何だか昔から不真面目って言われるしー? どーせ色々言われると思ってー、こんなの用意してきましたー!」
「……っ、こ、これは……っ」
「おじいさーん! これで、俺が騎士だって認めてくれますー? 認めてくれたらー、条件付きでこれをあげようって思ってるんですけどー」
あからさまに喉から手を伸ばすレナルドを無視し、敢えてカイリはネイサンに小首を傾げる。書類はもちろん素早く懐に仕舞い込んだ。
フィリップも眼鏡のブリッジを押し上げて、当惑する様に瞳を揺らしていた。一人ネイサンだけが
「ねーねー、俺、あんまり待つの好きじゃないんですー。早く答えてくださーい」
「……、父上っ!」
「落ち着け。……何が目的だ」
「聞いてくれますー?」
「内容次第だ」
「大丈夫ですってー。ただー、村を調査する許可とー、父さんの部屋、三人に案内して欲しいだけですからー」
「……何ですって?」
フィリップが意外そうに眼鏡を押さえる。ネイサンとレナルドも、同じ様に動揺しているのが手に取る様に分かった。
嘘ではない。演技の中でも、これはカイリの本物の願いだった。
「俺ー、別のこの家に未練なんて無いけどー。やっぱりー、父さんの育った場所だしー? 一度、父さんが過ごした部屋とかー、見てみたくってー」
「……」
「それからー、少しでもー、三人から父さんの想い出? みたいなもの聞けたらなーって。そしたら、この書類、おじいさんにサインしてもらってー、有効にしてもらいますー」
ちらっと懐からもう一度書類の端を覗かせて、カイリはウィンクしてみた。フランツが何故か「くっ、ウィンクが似合うな……」と悶えていたが、気付かないフリをする。フランツの考えることは相変わらずよく分からない。
この書類は、証人が数名と、カイリ本人と相手の家長が自筆で署名をして初めて成立する代物だ。
今は、まだカイリはラフィスエム家の一員。
けれど。
この書類にネイサンが署名をすれば、もう一員ではなくなる――かもしれない。
クリスがどんな風に細工をしているのか、カイリ達は何も知らされていない。
だが、万が一のことがある。もし血縁関係が永遠に切れたらと想像すると、一瞬だけ胸に
だが、どちらにせよ、この交渉の結果次第では絶縁状態になるだろう。故に、カイリは今だけは痛みを訴える胸の叫びを無視する。
「ねーねー。駄目ですー?」
「……。……カイリ殿。……お前は、一体……」
「言ったじゃないですかー。俺ー、これでも騎士だしー? ……それにー、今の父さんはフランツさんだからー。別に家族に不自由してないんでー。……でも、父さんの話は聞いてみたいしー、やっぱりちょーっとだけ名残は惜しいからー。駄目ですかー?」
両手を合わせて角度を変えてお願いしてみる。確か、前に読んだ本でこの角度が良いとか書いてあった様なと思い出しながら真似てみた。――正直、カイリが男にされたらうざったくて引く。それが狙いであっても、引く。
フィリップとレナルドは明らかに苦い顔をして目を合わせていたが、本当にネイサンは表情が変わらない。鋼の様だと、ある意味感嘆した。
「……その要求を呑めば、その書類を渡すのだな?」
「はーい。あ、でもー、ちゃーんと俺達第十三位が、フュリー村の調査しても良いーって一筆くださーい!」
「……。……分かった。レナルド、フィリップ、行くぞ」
「え、……あ、はいっ」
「承知しました、父上」
ネイサンがあっさりと許可してくれたことで、話は進んだ。フィリップとレナルドはまだ当惑したままだったが、父の鶴の一声で従うことになったらしい。
まだネイサンには疑われている気がするが、完全に使用人達の目は苦いものを見る目つきになった。一応演技は成功していたらしい。――かなり疲れる。
フランツが気配だけで、背中を叩いてくれた気がした。
そのことで、ようやくカイリは全身に力が入っていたことに気付く。
――父さんの部屋、どんな感じなんだろう。
まだ見ぬ父の部屋を思い描きながら、カイリは慌てて笑顔を貼り付けた。
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