第280話


「メモにあった通り、五階もあったねー。……ガルファン殿の言う通りだとすると、地下を確認するの、ちょっと恐いなあ」


 五階の爆弾物を確認してから、ケントがほとほと呆れ返って腰に手を当てた。カイリとしては、もう天を仰いで嘆きたい。

 十三階を調べ終わった後、書かれていた通りに五階の大黒柱を調べたらご丁寧に爆弾が仕掛けられていた。一応二つの階は隈なく探し回ったが、本当に大黒柱だけに仕掛けられている様だ。


「ケント様。如何致しますか。他の大黒柱もご案内出来ますが」

「うーん……いや。ここまで来たら、ガルファン殿を信じようか。先に、地下三階を調べちゃおう」

「そうですね。他はその後に調べましょう。ケント様、聖歌語の重ねがけをお願いします」

「えー。人使い荒いですよ! ――【隠せ】!」


 光の屈折を使うため、ケントが嫌々ながらも指示を出す。自分達の姿は全く見えなくなるというのだから不思議だ。

 だが、聖歌語も万能なわけではない。いくら自然の元素に働きかけることが出来ても、例えば真空状態を作り出したりは出来ない。相手の息の根を止める手段になり得るからだ。

 炎や水といった現象も、人に直接浴びせることは不可能となっている。聖歌で命を奪えず、臓器を潰したりなど人体に影響を出せないのと一緒で、聖歌語も同じ原理らしい。謎の一つだ。


「さ、ちゃっちゃと地下三階に行こう! 一番問題あるって場所!」

「カジノ、ですか。……いつも思いますが、ギャンブルに打ち込む人間の心理は分からないものですね」

「まあ、それは俺も同意するよ。……今度は、何が隠されているんだろう」


 ガルファン曰く、地下三階が一番大きな爆弾だと予言されていた。

 ホテルの支配人と副支配人しか知らないはずの大黒柱のことといい、ラフィスエム家はこのホテルの隠された秘密を知っているということだろうか。キーファが真っ青になるくらいの機密となると、気が気ではない。

 色々落ち着いたら改めて考えてみようと心に決めながら、階段を降りて地下三階へと向かう。



 地下に足を踏み入れて、今までの静かで安らぐ空気が変わった。



 一歩、また一歩とカジノとの距離が近くなるたび、カイリがホテルに入ってから感じていた、刺す様な嫌な感覚が強くなってくる。

 違うと分かっていても、ギャンブルの場所とはそういうものなのだろうかとカイリは不安になる。

 だが、地下三階に着いた直後。



「――――――――っ」



 どすん! っと。これまでで一番大きな衝撃が頭から踏み潰す様に襲ってきた。



「――、……ケント様」

「ん。――【我は、我】。そして、【汝は、汝】」



 ケントが素早く聖歌語を己とレミリアに放つ。

 その文言は、フュリー村で調査をする時に使っていた、簡易版の魔除けだ。彼がその聖歌語を口にしたということは、それだけ魔が満ちているという証拠に他ならない。

 そして、また一歩と近付いた途端。


「――っ! あ、ぐっ!」

「カイリ⁉」

「カイリ様!」


 がりっと、今まで以上の衝動が食らう様に激しくカイリに牙を立てた。ケント達が慌てて駆け寄ってくるが、構ってなどいられない。


「あ、……っ、ああああああ!」



 ――痛いっ。熱い。苦しい、……苦しい……っ‼



 胸が苦しくて苦しくてたまらない。しゃがみ込んで必死にのたうち回るのをこらえる。

 掻きむしりたくなるほどに痛くて、ぼろぼろっと泣きたくなるほどに悲しくて、意味もなく叫びたくなる。

 訳も分からない感情が心臓を直接かぶり付く様な感覚に、がむしゃらに胸元を握り締めた。同時に、跳ね返す様に強く強く己を覆う様に頭の中でイメージを思い描く。

 途端、すうっと、体を食らい尽くす様に蝕んでいた痛みが消えていく。あちこち食い散らかされた様な感覚は残ったが、取り敢えず呼吸も落ち着いてきた。


「カイリ! 魔除けはっ」

「……っ、大丈夫。もう、平気だ。ごめん」


 はあっと一度大きく息を吐き、目を伏せる様に足元を見やる。

 うねる様に泳ぐ真っ黒な塊は、どこか泣き叫ぶ様にカイリの全身を叩いてきた。フュリー村の時は耳を塞ぎたくなるほどの憎悪と怨嗟えんさだったが、今回は少し違う気がする。


「……ケント」

「うん。……日曜日の、……まあ良いか。フュリー村の時の感覚に似ているかな」


 面倒になったのか、大丈夫だと判断したのか、村の名前をケントが口にする。

 キーファの顔色が全く変わらないところを見るに、聞きながらも耳を塞いでいるかの様だ。詮索しないあたり、一線をきちんと引いているらしい。


「でも、村の時みたいに、入ってようやく嫌な気を感じるのとは違うみたいだね。隠すつもりがないのかな?」

「……隠さないと対処されそうな気がするけど。それに、今まで変に思った人はいなかったんだよな?」

「まあ、ね。……聖歌騎士でも感じ取れる人といない人がいる? ……それに、今回はレミリア殿にも影響があったんですよね?」

「はい。私は恐らく二人ほどではありませんが。何と言うか……急に苛々し始め、気分が悪くなり、誰彼構わず悪態を吐きたくなりました。主にケント様に」

「レミリア殿はそんな感じなんですね。通常運転ですね。問題なしと。……キーファは?」

「私は……そうですね。あまり良い気分はしませんが、この程度なら流せます。カイリ様の様な激しい苦しみは感じません」

「そう。じゃあ、やっぱり聖歌語や聖歌が使えるかどうかで分かれるのかな。うーん。……見る限り他のスタッフも平気そうだけど。確かに支配人が言う通り、ぎすぎすしているかも?」

「え?」


 ケントの示唆しさに、カイリは思わず周囲を見渡す。

 すると。



「……おいっ。そっちはまだ終わらないのか?」

「今やってるだろ。そっちだって、ホコリ残ってんじゃん」

「はあ? 今からやるんだよ。うるさいな」

「口ばっかり動かさないで手を動かせよ! 時間までに終わらないだろ!」



 廊下を清掃中のスタッフ達が、何故か喧嘩腰になっていた。殴り合いにまでは発展していないが、何かキッカケがあれば綱渡りの様な状態が崩れそうだ。

 上の階のスタッフ達同士のやり取りは円満だったのに、とカイリは胸を押さえてしまった。これも空気の悪さからくる結果だとしたら、あまり良い状況とは言えない。支配人が心配していたのも頷ける。

 だが、ケントが指を鳴らして聖歌語を解くと同時に、キーファが声をかけると。


「――品位の欠けた言動は慎む様に。お客様がお越し下さっているのですよ」

「き、キーファ様!」

「いついかなる時も人の目があるということを忘れない様に。……ご挨拶を」

「は、……お見苦しいところをお見せしました」

「ようこそ、グレワンへ。スタッフ一同、心より歓迎致します」


 キーファに注意を受け、びしっとスタッフ達が姿勢を正す。

 あれだけ険悪だった彼らも、キーファにはきちんと敬意を払い、客には微塵も悪意を見せない。鍛え上げられたプロなのだなと、カイリは状況を忘れて感心してしまった。


「申し訳ございません、皆様。ご無礼を」

「いいよ、キーファのせいじゃないし。さて、……しっつれいしまーす。支配人、います?」


 ばーん、とケントがわざとらしく大袈裟に扉を開けた。カジノの中にいたスタッフが、一斉に体を扉の方へと向ける。同時に、ざざっと一斉に整列したことに、カイリの方が面食らった。



 ――そういえば、さっきもいきなり俺達が現れたのに、スタッフの人達は驚きをおくびにも出さなかったな。



 カイリ達はつい先程まで姿を隠していたが、キーファが注意するのと同じくしてケントが聖歌語を解いて姿を見せたのだ。それなのに、キーファの注意には驚きを見せたが、カイリ達には徹頭徹尾礼儀正しいままだった。

 恐ろしいまでの不動の精神だ。どれだけ鍛え上げられているのだろうと、カイリは彼らの強靭さを見習いたい。


「おお、ケント様! お待ちしておりましたぞ」

「ごめんね、支配人。まだ全体は見終わっていないんだけど、先に報告。キーファ」

「はっ。……私達はしばらく、緊急で大事な話し合いがある。このフロアの清掃は後回しにして他の仕事を遂行し、私達が良いと言うまで、誰も近付けさせない様に」

「承知しました!」


 キーファの指示に、スタッフ達は一様に了承して部屋を出て行く。廊下の清掃をしていた者達も、文句も言わずに階段を上がっていった。

 ここまで洗練された行動を見せられ、カイリはさっきから感心しきりだ。

 だからこそ、つい最前のスタッフ達のぎすぎすした砕けた会話が気になる。



 カジノに足を踏み入れてからは、一層空気も重苦しく、沈む様だ。



 よくぞここまで気分が悪くなる場所で、毎日生活を送っている。影響に差はあれど、この中であれほどまでに心配りが出来る彼らは強い。

 扉を閉じ、全員の足音が完全に聞こえなくなったのを見計らってケントが口を開いた。


「十三階と五階。爆弾が仕掛けてあったよ。『大黒柱』とやらにね」

「っ! ……な、んと」


 キーファと同じく、支配人のダーティも顔を青褪めさせた。よほどの秘密があり、外部には決して漏らさない様にと注意を払っているのが見て取れる。

 漏れた原因を突き止めたいが、今はホテルに巣食っているこの重苦しい空気を浄化するのが先だ。ケントもこれ以上は追及せず、話を強引に進めていく。


「取り敢えず、爆弾は僕がそっくりのレプリカを作ってすり替えるから。うーん、僕って働き者!」

「力は正しく使うべきだもんな」

「……カイリは、僕への評価が厳しいと思うよ! 少しは褒めてよ!」

「あー、えらいえらい」

「棒読み! 酷い!」


 ケントが膨れながら異議を唱えてくるが、実際カイリは感心している。こうして一緒に行動を共にしていると、やはり安心感があった。有能なのもよく分かるし、推測の立て方も素早い。

 見習うべきところが多すぎて、カイリは頭がパンクしそうだ。早く一人前になりたいと、遠い目をしてしまう。

 しかし、今は目の前の事象だ。早急に何とかしたい。


「あの、ダーティさん。最近、変わったこととかありませんでしたか?」

「ん? 変わったこと、ですかな」

「はい。その、……ここはかなり重苦しくて、足を踏み入れるだけでも相当の胆力がいります。特に俺やケントは、魔除けをしないとかなりきつくて」

「……、そうなのですか。確かに、私もここに長くいるとあまり良い気分はしないですが……」

「最近人がぎすぎすしている、というのは、ここに漂う重苦しい空気のせいだと思います。……それで、ここに誰か違和感のある人が出入りしていた、とか、何か怪しい痕跡が残されていた、とか。他のスタッフの皆さんからの報告とか、些細なことでも良いので、教えて頂けませんか?」


 カイリの質問に、ダーティがうむー、と唸る。

 そういえば、フュリー村でも村人同士はぎすぎすしているのかなど確かめることはしなかった。一度王子二人に聞いてみるべきだろうかとカイリは頭の中で懸命に整理する。

 思考を回す中も、ダーティはあごを撫でて依然として唸っている。そのせいか先にキーファが口を開いた。


「ホテルに出入りされる方は、基本的に全員細心の注意を払います。初見の方がいましたら、きちんと全員に通達される様に情報管理も徹底しておりますし……」

「ふむ。キーファの言う通りです。ただ、先程も言いましたが、一ヵ月前から急にこのフロアで問題が起こる様になりましたな。少しでも負けると因縁を吹っ掛けたりするお客様が増え、スタッフ同士でもいざこざが起こったりと、支配人としては頭が痛い限りで」

「ええ。それに、先程皆様が見せて下さった姿消し。あれを使われると、流石に私どもでは見抜けないかと。……一応聖歌騎士は何人か常駐して下さっていますが、ケント様。入り込んだら必ず分かるものなのでしょうか?」

「うーん、それを言われるとねー。聖歌語では気配までは消せないから、ある程度は見抜けるけど、このホテルの全ての抜け穴を埋められるわけじゃないし。侵入者にそれなりの腕があるなら、見過ごすこともあるだろうね」

「……それでは、こちらからは何も。特に異常があったとの報告も受けてはおりません。ガルファン殿に関しては、一ヵ月前に宿泊された事実はございました」

「そう。じゃあ、五階と十三階はその時だね。……でも、こっそりかあ。ここって、そんなこと出来るの? 一応どの時間帯にもどのフロアにもスタッフはいるんだよね?」


 ケントの難しそうな顔に、ダーティは弱り切った難しい顔で目を伏せた。


「このカジノに限って言うならば抜け道がございます。営業時間は夜七時から朝四時まで。掃除や調整などは朝遅くから夕方までとさせて頂いていますので、……他のフロアと違って誰もいない時間、というのは出来上がってしまいますな」

「なるほどね。じゃあ、仕掛けやすいかも。……まあ、あれかな」


 ケントが視線を向けるのに合わせ、カイリ達も中央へと目が向く。

 カジノの中央には、真っ白で太い柱が厳然と佇んでいた。細やかな意匠が刻まれており、天井に向けてのびやかに羽ばたく翼が見える様だ。

 それなのに、真っ白のはずの柱は、カイリの目には真っ黒なもやで覆われていて、とてもではないが美しくは見えない。はっきり言って、見るのも触れるのも嫌なくらいだ。


「……これが原因だよね。仕掛けは別の人がやったんだっけ?」

「そう書いてあったな。ガルファン殿って、教会騎士ではないんだよな? 聖歌語が使えないってことで良いのか?」

「うん。一般人。だからこそ、ここの爆弾の仕掛けは無理だろうね。見るからに大掛かりだし」

「ああ。……どういう仕掛けなんだろう? 村と同じだと、後の調査が楽になりそうだけど」


 これだけあからさまに黒く侵食されているのだ。原因は取り除くべきだろう。

 カイリは、意を決してもう一歩柱に近付いた。

 だが、触れる直前にケントに右手を掴まれる。


「ケント?」

「今回は僕も手伝うよ。腕時計には、君の魔除けの力もあるわけだし」

「え。でも……」

「今日はレミリア殿もいるからね! レミリア殿、僕達二人が倒れたら、サポートを頼みますね」

「はい。ケント様はそのままぶっ倒れていて構いませんが、カイリが泣くので嫌々ながら渋々全力を尽くして救助します。感謝して下さい」

「俺、泣かないからなっ。……ダーティさん、キーファさん、すみませんが少し離れていて下さい。危ないと思います」


 ムキになって言い返した後、カイリは二人に下がる様に促す。

 彼らは素直に下がって、柱の方を見つめていた。やはり、自分達が勤めるホテルに爆弾を抱えているのは非常に不安だし、憤慨することなのだろう。顔が、かなり複雑に歪んでいた。



 彼らのためにも、――被害を生み出さないためにも。



 カイリは覚悟を決め、柱に右手で触れた。

 だが、指先が触れた瞬間。



 ばりっ! と雷の様な衝撃で勢い良く弾かれた。



「いっ!」

「カイリ!」


 右手を左手で押さえ、カイリは柱を見上げる。ケントが血相を変えたが、笑って「平気だ」となだめた。

 しかし、まさか弾かれるとは思わなかった。やはり、フュリー村とは勝手が違う。別の仕掛けなのだろうかと疑念が浮かんだ。

 息を吸い、もう一度右手を柱に近付ける。今度は弾かれてなるものかと気合を入れ、べたっと手の平をくっつけた。


 瞬間、ばちばちっ! と手の平を通してカイリを雷の衝撃が貫く。


 あぐっと、悲鳴を噛み潰したが、ケントがカイリの背中を支え、険しい顔でカイリの右手に手を重ねてきた。


「ケ、ント」

「僕も、……手伝うっ。フュリー村の時みたいには、絶対させない……っ!」


 彼の力が、カイリに流れてくるのが伝わってくる。少しだけ体が楽になったが、痛みが消えるわけではない。ケントも同じだろう。微かに眉を寄せるだけだったが、相当苦痛のはずだ。

 早く原因を探らなければと、カイリは必死に空気に溶け込む様に柱を取り巻く空気にもぐる。意識を研ぎ澄まし、衝撃の元となっているものを手探りで求めていく。

 そして。



 ―― ヤ……、……ロ。……ノ、……ウ、…………キ ――



「――っ、……聞こえた……っ!」



 カイリが手を伸ばし、更に近付くと。



 ―― カエレッ!!

 ―― ソウダ! ウソツキッ!!



 ばちいっと、今までで一番激しい雷が、カイリの体を脳天から貫いた。



「うあ……っ!!」

「カイリ!」



 真っ暗な激流を殴り付ける様に注ぎ込まれた衝撃に、立っていられずカイリは地面に崩れ落ちた。

 だが、その拍子に頭が柱に触れてしまい、更に雷撃を叩き落とされる。絶えず激痛を全身に注ぎ込まれ、カイリの意識が一瞬吹っ飛ぶ。


「あ、ぐうっ! あああああああああああ!」

「カイリ! カイリ、しっかりして!」

「ケン、ト、っ! あぶ、な」

「馬鹿! そんなこと言っている場合じゃないでしょ!」


 ぐっと抱き起こされて、柱から少し距離が出来た。

 がはっと吐く様に息を漏らし、何度も何度も暴れ回る黒い衝動を吐き捨てる。体から少しでも強すぎるうみを吐き出して、カイリはケントにもたれかかった。

 柱の空気が、先程よりも色濃く、落ちる様に暗くなっている。荒れ狂う様な真っ黒なもやが、攻撃的にカイリを見下ろしていた。

 そうだ。



 ――見下ろしているんだ。



 今聞こえた声は、複数いる。

 しかも、全員意思を持っていた。現在進行形の声にも思える。

 だったら。



「……、……どうし、て、……『帰れ』、なんだ?」

「……カイリ?」



 カイリが虚空に向かって話しかけるのを、ケントがいぶかしげに柱と交互に見つめてくる。

 彼には、あの声が聞こえていないのだろうか。あくまでサポートに徹してくれているから、探る余裕は無いのかもしれない。

 ならば、カイリがやるしかない。ケントが支えてくれている間に、原因を突き止めなければならないのだ。


「……、……俺は、……カイリ。はじめ、まして」


 震えながら、カイリは懸命に手を伸ばす。

 だが、それも雷によって弾かれた。ばちいっと、手痛い音が空気に弾ける。

 けれど。



 ――さっきより、痛くない。



 何となく、相手が戸惑っている様に思えた。黒い靄が、動揺する様に揺れている。

 だからきっと、話は通じている。そう信じて、語りかけた。


「ごめん、な。もしかし、て、いきなり、触れようとした、から……怒って、いるのかな?」


 少しずつ滑舌が戻ってきた。

 呼吸を整えてカイリが起き上がると、声が徐々に明確な響きになっていく。



 ―― オマエ、……カエレ!

 ―― ダマサレ、ナイ! ウソツキッ! ……ウソツキッ‼



「嘘吐、き。……どうして?」


 カイリがもう一度手を伸ばす。

 今度は、はっきりと怯えた様に真っ黒な靄の塊が震えた。



 ―― シラジラシイ!

 ―― シラジラシイ!



 ばちいっと、またも右手を弾き飛ばされる。

 それでも構わず、カイリは話しかける様に右手を伸ばす。

 だから、だろうか。

 声が、どんどんと大きくなり、激しく揺れながら次々と叫び始めた。



 ―― ナンナンダヨ、オマエ!

 ―― シラジラシイ! ……シラジラシイッ!

 ―― ココニ! トジコメタクセニ!

 ―― トジコメタクセニ、ハナストカ! ウソツキ!

 ―― オマエ、オナジニオイ、スル!

 ―― アイツラト オナジ!

 ―― カエレ! モウ、ダマサレナイ!

 ―― カエレ! カエレヨ……カエレエッ!!



 何度も何度も、右手を弾き飛ばされる。

 そのたびに、何度だってカイリは右手を伸ばし続けた。いつの間にか皮膚が裂けていたのか、あちこちから真っ赤な血が飛び散っている。だらだらと、腕を伝って袖口も濡らしていた。また、剣を握るのが辛くなるかもしれない。

 ケントが蒼白な顔で止めようとしたが、カイリはゆるりと首を振った。止めるなと、目だけで語りかける。


「――、……閉じ込めた。君達を? 誰に? 俺に、……似た人?」



 ―― ソウダ! ……ソウダ!

 ―― オマエ、ニテル! ウタウダロ!



「え、……歌?」



 何を、と聞く間もなく。



 ―― ウタ……、……ウタウ……ッ‼



 ぶわっと、今まで以上に大きな声が頭上から降って来る。

 黒い靄が暴れる様にうごめき、叫ぶごとに膨れ上がっていった。



 ―― ウタ! ウタウ! ソウダ、……オマエモ、ウタウ……!

 ―― モウダイジョウブ、クルシカッタダロウ、タスケテアゲル

 ―― ラクニナルヨ、コモリウタヲ ウタオウカ

 ―― イッタクセニ!

 ―― ウソバッカリ! ウソバッカリ!

 ―― アイツラ、ゼンイン、……コロシテヤル……‼



 ばりばりっと、柱の周囲が不穏な火花で覆われていく。レミリア達の方にもはっきり視覚化されたのか、レミリアは構え、ダーティとキーファは更に後ずさった。

 ケントが険しい顔で見上げている。もしかしたら、声が聞こえ始めたのかもしれない。

 そうだったら良いと、カイリは願いながら会話を続ける。



「歌……。そっか。……俺が、歌えるから。嘘吐きだと思ったんだ?」



 ―― ワラウナッ!

 ―― ウソツキッ! ソンナヤサシイカオ! ユルセナイ!

 ―― ワラッタッテ、モウ、テオクレ!

 ―― ソウダ、……っ

 ―― イヤダ……



 叫んでいたと思ったら、急にぷっつりと声が落ちる。

 激しい落差に戸惑っていると。



 ―― ヤダ……

 ―― モウ、ヤダ……

 ―― ヤダヤダヤダ、……ヤダヨ!

 ―― ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ……! モウ、……ヤダアッ‼



 いきなり嫌がり始めた。

 話をするのが嫌なのだろうか。それとも不安なのか。

 よく分からなかったが、カイリは撫でる様に手を伸ばす。



「……、嫌だ? どうして?」



 ―― ……ヒッ!

 ―― ヤダ、……サワルナアッ‼



 ばりいっ! と、大きな衝撃が右手を突き抜けて襲ってくる。一瞬、頭が真っ白になって意識が飛んだ。

 だが、悲鳴を奥歯で噛み殺し、カイリは必死に語りかける。これを逃したら、もう二度と会話が出来なくなる。予感がした。



「……っ、……どうしたの。……何が、嫌なの?」



 ―― ヤダア! ヤダヤダア! コワイヨー!

 ―― ウソツキィ! ヤダア!

 ―― モウヤダ! モウヤダモン! オウチニカエル!



 おうち。

 飛び出た単語がやけに幼い。カイリの顔が不可解に歪んだ。

 今までの言葉からそれなりに成長した少年少女だと思っていたが、そういえばだんだんと口調が幼くなっている気がする。

 ケントも気付いたのだろう。そして、彼の方はカイリよりも明確に顔が歪んでいた。

 カイリも、次の発言で同じ表情をする羽目に陥る。



 ―― カエシテ!

 ―― カエシテヨ!

 ―― カエリタイ! カエシテ!



 ―― パパトママノ トコロニ! カエシテヨォ……ッ!!



「――――――――」



 瞬間。

 どおおんっ! と、一際ひときわ大きい雷が、とどろきながらカイリ達の元に直撃した。


「ぐ、……っ!」

「がはっ!」


 カイリもケントも堪らず絶叫した。血を吐く様に二人揃って倒れ込む。


「カイリ! ケント様!」

「「来るなっ!!」」


 同時に二人で怒鳴る。駆け寄ろうとしたレミリアが、びくっと体を強張らせたが、止まってくれたことにカイリはホッとする。

 もしこちらに来ていれば、絶叫まっしぐらだ。実際、カイリはまだまだ叫び足りない。痛すぎてもう意識も手放したかった。

 だが。



 ――まさか。



 この声が、子供のものだとしたら。

 全員が、子供のものだとしたら。

 ここに、閉じ込められた元凶は。

 爆発するものとは。


「……っ、……ケント……っ」

「……そっか。呪詛、……禁術。くそ、やられた……っ」

「き、んじゅつ」


 ケントの半ば呆然としながらも怒りを含んだ呟きに、カイリは絶望を覚えそうだ。その単語に、全く希望が持てない。



「……人の命を捧げ、力を顕現けんげんする聖歌がある」

「――っ」

「正確には、もうそれは『聖歌』ではないんだけどね。聖歌で命は奪えないから」

「じゃあ、何だって言うんだっ⁉」

「……死んだら、必ず人体からは魂っていうものが出てくる。だからそれを使って、縛り上げて、生贄にして、力とする。そんな『歌』があるんだよ。……僕達はそれを『呪詛』と名付けている」



 命を捧げる。生贄。歌。――呪詛。



 カイリにとって、歌は日常のものだ。身近なもので、人と人との輪を繋ぐ大切な架け橋でもある。

 そんな、楽しく人の輪を紡ぐはずの歌を、そんな私利私欲のためだけに使うなんて。

 あろうことか、殺すために使うなんて。



 幼い子供を生贄にして得る力なんて。



「……っ! そんなものは! ――【許さない】っ!」

「――――――――」



 次の瞬間、カイリは聖歌語で叩き付ける様に柱を縛る『歌』に絶叫した。


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