第274話


「カイリー! 迎えに来たよ!」


 翌日の正午前。

 昨夜の宣言通り、ケントが元気良く迎えに来てくれた。

 制服に腕を通し、準備を終えたカイリは、フランツと共に玄関へと向かう。


「お待たせ、ケント。ありがとな」

「もっちろん! カイリとお出かけは嬉しいよ。昼食を一緒に外でっていうのは、あんまり無いもんね!」

「そうだな。そういう時は、お前がちゃんと仕事してるんだなって感心してる」

「えー……一応毎日ちゃんと仕事はしてるよ」

「嘘吐け。部下に押し付けること多いくせに」


 呆れて白目を向ければ、ケントはぷくっとフグの様に膨れる。そういう子供っぽいところを、部下には見せていないことを願いたい。


「ケント殿。本日はよろしくお願いします。……最近、任せっぱなしで申し訳ないですが」

「別に良いですよ! 僕はやりたいことをやっているだけなので。他の人なら、仕事以外はすっぽかすか撒くかのどちらかですけどね」

「……それもどうなんだ」


 カイリが背中を叩くと、ぶーっとケントが唇を尖らせた。反省をしていないあたりが彼らしい。


「あと、……今夜か明日の夜、時間を頂けないでしょうか」


 フランツの改まった申し出に、ケントも少しだけ表情を改める。瞬時に空気が変化するあたり、やはりケントは騎士団長なのだなと密かに感嘆した。


「良いですけど。……許可の話ですか?」

「はい。それで相談したいことがありまして。……少し無茶な計画だし、乱暴と言えば乱暴なので」

「……無茶、ですか? しかも乱暴とは……」

「はい。ちなみに発案者はカイリです」

「分かりました。今夜か明日の夜ですね。今日の調査結果次第で決めます。楽しみにしていますよ」


 即決かよ。


 渋っていたケントの変わり身の早さに、カイリはもう呆れるしかない。何故、彼はこうも原動力によって反応が変わるのか。理解に苦しむ。

 にっこりと笑うケントに、フランツも受けて立つと言わんばかりに胸を張る。昨夜と違ったフランツの堂々とした態度に、ケントも楽し気だ。

 そんな風に、二人でちょっとした火花を散らしていると。


「あ、新人、出かけるっすね!」


 ひょこっと、食堂からエディが顔を出してきた。何か下ごしらえをしていたのだろう。エプロンを着けて完全に料理モードに入っていた。


「うん。夕食にはちゃんと帰ってくるよ」

「今日も豪華に行くっすよ! 楽しみにしていて欲しいっす!」

「もちろん。エディの料理、いつも美味しいから楽しみだ」


 張り切るエディに、夕食が早くも待ち遠しくなる。第十三位の食事は、本当に恵まれていると感嘆してしまった。


「それじゃあ、行ってきます」

「うむ、気を付けてな。カイリ、何かあったらすぐ報告するんだぞ」

「行ってらっしゃいっす! あ、グレワンのバイキング、感想教えて欲しいっす!」

「あはは、分かった。行ってきます」


 グレワンというホテルの愛称は未だに慣れないが、正式名称よりはマシだろう。あれはふざけているとしか思えない。

 しかし、グレワンの料理はやはり注目度が高い様だ。貴族の晩餐会にも使用されるくらいだし、味や接客も一流なのだろう。

 第十三位の宿舎から直接広場へ向かう抜け道を歩きつつ、カイリは本日の昼食を夢見た。


「バイキング、楽しみだな」

「あはは、カイリってば、食いしん坊だよね! 目的忘れないでよ?」

「当たり前だろ。俺は、おとりみたいなもんだって理解してるさ」


 カイリは、ケントとレミリアという第一位と第二位の団長が同じ場所に集っているという疑心を和らげる緩衝材だ。注目度は高くても危険度は高くないという、ありがたいんだか舐められているんだかという、微妙な気分である。

 だが、それでも彼らの役に立てるのならばそれで構わない。カイリはまだまだ頼りないから、少しでもこの存在で役立てるなら構わなかった。加えて、任務に関する情報が入れば御の字である。

 それに。



 ――日曜日に事件が起きるかもしれないって聞いたら、じっとしていられないよな。



 レミリアが持ってきた日曜日の依頼は、表向きは護衛の内容だが、本当の狙いはラフィスエム家の暗躍を探って阻止することだ。

 ファルエラとラフィスエム家が繋がっているかもしれないと知った以上、このタイミングで晩餐会を開くとなると、何か企んでいるとしか思えない。

 ホテルの下見は、同時に何か仕掛けられていないか探る任務となる。自然とカイリの心が引き締まった。



「そういえばさ。レイン殿やシュリア殿って出かけてる?」

「――」



 ケントの不意打ちの様な質問に、カイリは一瞬反応出来なかった。

 何気ない話の振り方だが、彼が探りを入れてきたということはカイリでも分かる。間を置いてしまったことが悔しい。


「……食材の調達に出かけてるよ。シュリアと一緒に」

「へえ。二人で?」

「そう。二人で大量に仕入れるってさ。……俺があんまりに食べるから、物凄い勢いで食料が消費されていくって。シュリアに頻繁に皮肉言われるんだよ」

「カイリって本当によく食べるもんね! それなのに、ぜんっぜん太らないし! 世の女性方が逆恨みしそうなタイプだよね」

「……ミーナにも言われたことあるな、それ」

「ミーナ? ああ、カイリのお嫁さん」

「そう。『乙女心はせんさいなんだから!』ってよく言われた」

「……へえ。前の時も思ったけど、なかなか可愛らしいね」

「ああ。……可愛かったよ」


 遠い目をして笑うと、ケントが肩を軽く叩いてきた。

 ミーナには、散々『乙女心』というものの何たるかを指導されてきた。謂わば乙女心の師匠だ。

 もしかしたら、カイリが世に出た時のために仕込んでくれていたのかもしれない。本人に聞くことは叶わないが、何故かそんな気がした。


「カイリの村は、本当に賑やかだったんだね」

「ああ、毎日が楽しかったよ。笑顔が絶えなかった」

「そっか。……それを聞いて安心したよ! カイリ、ちゃんと笑って暮らしていたんだね」

「……お前もな」

「うん!」


 ケントの言葉には、前世のことが含まれている。彼は彼なりに、カイリを心配してくれていたのが分かって、むず痒くなった。カイリばかりが心配しているわけではないと、当然の様に思い知らされてくすぐったい。

 今、ここに彼といられる奇跡が、カイリにはもったいないほどの幸せだ。今のケントと一緒に、これからの未来を歩いていけたらと願う。


「あ、もう二人っきりは終了かあ。……レミリア殿!」


 歩きながら話していると、時間はあっという間だ。広場の目印である噴水と時計台が見えてきた。

 その近くに、レミリアが佇んでいる。ぴしっと決まったスーツの様なコートが、彼女の雰囲気を引き締めていて実に似合っていた。


「レミリア! お待たせ」

「カイリ、ケント様。準備は万端ですか」

「うん。……おじいさんも、こんにちは」


 ベンチに静かに座っている御仁を発見し、カイリはささやかに挨拶する。

 ゼクトールは、足元の鳩達に餌をやっている真っ最中だった。くるっぽー、くるっぽー、と懐く様に彼の足元に鳩がまとわり付いている。

 完全に無言を貫く彼に、ケントが呆れて溜息を吐いた。


「ゼクトール卿、挨拶くらいしたらどうです? せっかくカイリが話しかけているんですし」

「……む。しかし」

「フランツ殿達には黙っていてあげますよ」

「……。……元気か、カイリ」

「……はい。今日は、ケントとレミリアと一緒に、グレワンというホテルに食べに行くんです」

「……グレートパーフェクトビューティフォーアーンドエクセレントアメイジングワンダフルのことか。最近の若者は、略すことばかり考えていかんのである」


 いや、長すぎなので。


 そんな風に言いたかったが、ゼクトールには通用しないだろう。彼はよどみなく、なめらかに、淡々と言い切っていた。彼にしてみれば、カイリの方が非常識なのかもしれない。


「ゼクトール卿は頭が固いんですね。そんなことじゃ、孫との会話に付いていけませんよ」

「むっ」

「ただでさえカイリに恐怖を持たれているのに、ここで更に説教とか。その内愛想尽かされて邪険にされて口も利いてもらえなくなっても知りませんよ」

「……」

「おい、ケント! そんなわけないだろ! からかうなよ」


 ごつん、とケントの頭に軽く拳骨を落とすと、「いたっ!」と涙目で唇を尖らせてきた。隣でレミリアが「今日も絶好調です……」と打ち震えた様に呟いていたが、よく分からないので無視をする。


「おじいさん、ケントの言うことは気にしないで下さいね。……それに、腹が立ったら多分、俺、口にしちゃうと思いますし。遠慮なく叱って下さい」

「……善処しよう」

「ありがとうございます。……じゃあ、行ってきます」

「うむ。……気を付けるのである」

「はい!」


 送り出されて、カイリは元気良く返事をする。

 彼とはまだ二人の時間は持てていないが、こうして何気ない会話をやり取りする時間が楽しい。話が弾む、とまではいかないが、少しずつ彼と距離を縮められたらと願う。

 厳つい顔を保ち、真っ直ぐに凝視してくるゼクトールに見送られながら、カイリは広場を後にした。


「さ。まずは、グレワンの前に馬屋だったよね?」


 ケントに促され、カイリの頬が緩む。

 教皇拉致事件の後、カイリがこうして外出出来るのは初めてだ。あの時はアーティファクトにも救出に関して世話になった。直接会ってお礼を言いたいとケントに我儘を言ったところ、きらっきらの笑顔と共に二つ返事で承諾してくれたのだ。


「ああ。……ありがとう、ケント。レミリアも付き合ってもらってありがとう」

「いえ、お気になさらず。確か名はアーティファクト。カイリの心の友ならぬ心の馬と、もっぱらの評判」



 心の馬って何だ。



 よく分からないが、とんでもないことを言われる予感がしたカイリは、心で思うと同時につい口に出して突っ込んでいた。

 しかし。


「噂は兼ね兼ね。民草全てを束ねる王の様な威厳に、口に一輪の薔薇をくわえて優雅に闊歩する、知る人ぞ知る伝説の馬となっております。その覇者ならぬ覇馬を従えるカイリと、息の合ったタップダンスを披露するとのことで、世間の注目の的となっているそうで」


 タップダンスって、何。


「遂に私も、その光景にお目にかかれるとのこと。人と馬が垣根を越える歴史的瞬間。絶好のシャッターチャンスは逃しません。是非とも安心して、心の馬とタップダンスをご堪能下さい」


 意味が分からない。


 カイリの全力の心のツッコミにはまるで気付かず、レミリアは淡々と、しかし切々と訴えてきた。ご丁寧にどこからともなく写真機まで持ち出して、良い感じで構えている。写真はこの世界にもあるが、写真機自体は――特に小型機は結構高価なのにと変なところで感心してしまった。

 というより、ツッコミが追い付かない。どうしよう、と途方に暮れかけたが。


「あはは! カイリ。レミリア殿は、結構訳の分からないこと言うから。大半は聞き流すと良いよ!」


 からからと笑いながら、ケントが笑顔で全てを無かったことにした。昨夜からずっと気にはなっていたが、レミリアの思考回路は迷路の様に難解だ。それはケントにとっても同じらしい。

 しかし、ケントとレミリアの間には緊張感がありながらも、結構遠慮が無さそうにカイリの目には映る。盲目的にケントに従う騎士達よりもよほど健全な仲に見えた。

 意外に感じながらも、頬が緩む。ケントにも家族や屋台街の人達以外に、また別の関係を築いている人がいたのだということが純粋に嬉しい。


「ねえねえ、カイリ! 何だかラッシーを見た時の様に顔が酷いことになってるよ!」

「酷いって何だ⁉ ……どうせ俺の顔はケントやレインさんじゃないから、変な顔をすれば変な顔になるよっ」

「いえ。カイリの顔は貴重です。具体的には、これほどまでにケント様から気持ち悪いくらいこいつ何を企んでいるんです別人過ぎて恐い遂に悪魔になりましたかと全力で身を引きたくなるほどの笑顔を引き出す、真っ当なごくごく普通のどこにでもいそうな可愛らしいのほほんとした笑みです。私は貴方に出会うまで、貴方の様な凡人に見せかけた神級の顔立ちを見たことはありませんでした」

「……。俺、結構けなされてるよな? 褒められてないよな?」

「うーん。レミリア殿的には褒めてるんじゃない? 神級って言ってるし」


 実に適当な指摘をして適当に流すケントに、カイリは溜息しか出ない。あまりに真面目に真剣に語られるので、レミリアへの怒りも湧かなかった。

 それに。



 ――最初から、偏見の様な視線は感じなかったな。



 第十三位。聖歌騎士。ケントの親友。

 カイリと初めて顔を合わせたり、遠巻きに見ている騎士達は常にそういう目で値踏みしてくる。ケントを盲目的に崇拝している者の中には、地位云々以前にカイリの規則破りの態度が許せなかったり、嫉妬したりする者もいる。普通に話せる人も少しはいるが、やはり壁を感じることが大半だ。


 その中で、レミリアは真っ当な理由で注意をしてきた人だ。


 相手がケントだから、ケントに向かって。

 そういう「ケントだから」という理由ではなく、地位や肩書を挙げて指摘してきた。周囲に嫌な目で見られないかと、それとなく配慮も感じられた。

 その言動には、微塵も嫉妬や偏見は感じられなかったのだ。――その後、よく分からない納得をされたことは置いておく。



 むしろ、フランツ達の方がレミリアに隔意を一瞬示していた。



 そういえば最初の頃、フランツ達は第二位に故意に間違った情報を与えられて危機に陥れられたと言っていた。恐らくそれが原因で、第二位に良い印象が無いのだろう。

 しかし、レミリアがまるで気にしていない風だったので、密かに感嘆もしたのだ。彼女は半年前に団長に就任したばかりだと言うし、件の事件には関与していないのだろう。

 第二位はともかく、レミリアはきっと卑怯な手を使う人間達とは違う。第十三位側も、意識が少しずつ改善されていったら良いなと切に願った。


「じゃ、そろそろ行こうよ! 確かアーティファクトがいるところって、第十三位全員の馬が管理されているんだよね?」

「ああ。ケント達の馬は違うのか?」

「僕達の馬は、基本的には宿舎で管理されているよ。……第十三位も前はあったけどね」

「……そっか」


 十年以上前は第十三位も大所帯だった。馬を管理する専門の人間もいたのだろう。

 だが、今は騎士団の中でも大いに偏見を抱かれ、フランツ達自身も世話をするには人手が足りない。諸々の事情があって、民間に委ねているのだろう。


「ふっふー。楽しみだなー。カイリとアーティファクトが、タップダンスするところ!」

「しないからな。絶対しないからな!」

「なるほど。これが噂のツンデレフラグというやつですね。勉強になります。流石はカイリ。私の楽園パラダイスの宝庫」


 ――ここ、俺の味方が一人もいない!


 ケントが腹を抱えて笑い、レミリアが真顔で写真機をカッコ良く構えているのを尻目に、カイリは断固として拒否の姿勢を示すと気持ちを強く持ち続ける羽目に陥ったのだった。


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