第103話
くるっぽー、くるっぽー、と鳩が呑気に可愛らしくカイリの足元で鳴いていた。広場のベンチに座ったカイリの足元に、じゃれつく様に戯れている。
鳩が地面の餌をつつく様子は、微笑ましい。どこか満足気なその横顔に、カイリはのほほんと微笑んだ。
「うむ。カイリ、随分と和んでおるな」
ベンチの隣に座っていたゼクトールが、
最初は怒っているのかと見紛うほど険しい表情にしか見えなかったが、少しだけ慣れてきたカイリは、もう怯えることはない。
何となく、彼の目には柔らかな光が宿っている。それに気付いて、カイリは頬を軽く叩いて、背筋を伸ばした。無性に恥ずかしい。
「……あ。すみません、俺、そんなに変な顔していましたか」
「いや。可愛らしかったのである」
「か、……かわっ」
「子供とは、可愛いものである」
「そ、そうですか」
一応男なんだけど、という反論をカイリは飲み込んだ。恐らく、ゼクトールに悪気はない。思ったことを口にしているだけだ。初対面の時も「可愛い」的な発言を連発していたくらいである。
彼は、もう六十くらいの年齢には達しているだろう。見た目もそうだし、内側からも威厳が溢れ出ている。
そんな彼からしてみれば、カイリは成人になっているとはいえ、子供にしか見えないはずだ。感覚的には仕方がないことなのかもしれない。
しかし。
「………………………………」
先程より、隣のベンチから注がれる視線にカイリは居た堪れなくなる。穴が開くほど凝視しまくるその強すぎる視線は、カイリの心を波立たせて落ち着かない。
だが、当の標的にされているゼクトールはといえば、至って涼しい顔だ。むしろ胸を反らした堂々っぷりが更に発揮されており、カイリは彼の鋼の精神が羨ましくなった。
そう。カイリは、普段から外出する時に一人で行動は出来ない。必ず誰かとセットで移動しなければならないのだ。
そして。
「……フランツ殿。随分と物欲しそうであるな。大の男が恥を知るが良い」
本日のカイリの行動相手は、団長であり養父であるフランツだった。
何故、こんなことになってしまったのか。今この時になっても後悔の念しか無い。
案の定、二人は広場で顔を合わせた早々にばちばちっと、雷の塊を周囲にばら撒きまくりながら対抗意識を燃やしていた。
「うるっさいですよ、ゼクトール卿。貴方こそ、随分とデレッデレと締まりのない顔をして。男の威厳というものを一から勉強し直した方がよろしいのでは?」
「ふ、笑止。これは、可愛い子供を前にすれば誰でもなるもの。貴殿は違うのか」
「カイリは天使ですからね。当然でしょう。むしろ、そこらの子供よりも天使極まりない可愛さです。目、節穴なのではないですか」
天使天使言うのやめてくれ。
カイリの心の底からの叫びが
「ふ、貴様は先程から天使天使と語彙力が無さ過ぎるのである。――カイリのこの可愛さは、天使という単語では表現出来ぬ」
こっちも何を言い出したんだ。
ゼクトールのいきなりの自慢話に、カイリはぐるんと猛烈に振り向くが、彼は悲しいくらい何処吹く風だった。
「天使などという抽象的な表現はもう流行りはしない。そう、これはもう愛くるしい……まるで子猫と称した方が相応しいのではないであろうか」
「はあっ!? 子猫!?」
「ふ、子猫……ふ、なるほど。……子犬の方が好みですがね、俺は」
「こ、子犬!?」
「なるほど、一理あるではないか。だが、子猫だ。譲らぬ」
「こちらも譲らん! だが、……子犬と子猫、どちらも人を魅了するには充分な愛くるしさだ。……な、ならば!
何でそういう発想になるんだ。
カイリは恥も外聞もなく、顔を両手で覆って天を仰ぐ。天使も恥ずかしいが、子猫も子犬もむず
周囲の人達も、大の大人が大声で天使だの子犬だの子猫だの叫んでいるのを、不審者を見る様な目つきで通り過ぎている。それに気付き、カイリは尚更
「ゼクトール卿、カイリをこちらへ。子猫を狙う様な貴方の傍は危険すぎますからね」
「ふん、子犬を狙う不届き者が何を言う。父親として過保護すぎると、息子に嫌われるのである」
「ご冗談を。俺はカイリとは親子としてもうラブラブですからね。現に今も、こうして俺が! カイリと二人で」
「いつも違う人物と出かけているのを見かけておるぞ。片腹痛いわ」
「ぬぐうっ!」
「カイリよ、お前はきちんと色んな者と付き合いがある。素晴らしいのである」
「えっ!? あ、はあ。ありがとう、ございます?」
ばちばちっと、隣のベンチのフランツとカイリの隣にいるゼクトールが、激しい火花――ではなく雷を散らしまくっている。その雷に触れたら最後、骨の髄まで感電し、二度と目が開けられなくなりそうだ。
――どうしてこの二人、こんなに仲が悪いんだろう。
カイリは殺意さえ飛び交うこの戦場に挟まれ、一人羞恥にのた打ち回っていた。出かけ際のレインとシュリアの憐みさえこもった見送りが恨めしい。
カイリは二日後の日曜日に、任務でエミルカへ旅立つ。
何故か、未だに任務先を教えてくれないのが気になったが、「目的地が近くなったら話す」の一点張りでフランツは頑として口を
そんな一抹の不安がありつつも、任務に行くという報告を、いつも広場で一緒に鳩の餌やりをしているゼクトールにも伝えたいと思ったのだ。
それを朝食の席で話した途端、フランツの顔がびしっと亀裂を立てた。
何故、と思う間も無く。
〝カイリ。俺も付いていく。良いな?〟
鶴の一声ならぬ、フランツの一声。
本当はレインかエディあたりに一緒に来て欲しいと考えていたカイリの目論見は、
そうしてフランツに連れられ、一触即発どころか、先程から喧嘩ばかりが繰り広げられている。カイリとしては、もう帰りたい。鳩も怯えて、カイリの足元にばかりすり寄る始末だ。
鳩が去っていかないのは、貪欲だからだろう。怯えながらも食を大事にする。生命維持の基本だ。カイリにも、その鉄の心臓を分けて頂きたい。
――本当は、ケントにも出発するって直に報告したかったんだけど。
ここにはいない親友の顔を思い出し、カイリはこっそりと溜息を吐く。
ケントは後処理もあるからなのか、あの任務以降会えていなかった。第一位の宿舎を訪ねても部下に門前払いされる始末だ。
今日も広場に来る前に訪ねてみたのだが留守だったし、今週の土日は家にも帰れないのだと部下から伝え聞いた。かなり多忙を極めているらしい。
仕方がないのでクリス達に伝言を頼んだのだが、それでも直接会いたかった。あの夜もあまり話が出来なかったので、それだけが行く前の心残りである。
「カイリよ。君は、エミルカに行ったことはあるのか」
しかし、カイリが答える前にフランツが腕を組んで鼻息を鳴らす。
「はん。故郷の村はそもそも、エミルカにあったんですよ。情報惰弱じゃあないですか」
「わしは、カイリと話をしておる。黙っているが良い」
「はあっ!?」
「……っ、ああ、もう! 二人共! これ以上喧嘩するなら俺、ケントをこの場に呼んでケントと遊びに行きます!」
耐え切れずにカイリが叫べば、ゼクトールが顔を曇らせ、フランツは顔を輝かせる。
だが、間髪容れずに続きを叫ぶと、フランツの顔も豪雨の空の様に真っ暗になった。
「当然、二人には夕方までこのベンチに座っててもらいますからね!」
「ぬうっ!?」
「その前に帰ってきたら、フランツさん、叩き出しますよ! クリスさんに見張っててもらいますからね!」
「な、何を言い出すのだ、カイリ! それはあまりに……!」
「嫌なら、ちょっと黙ってて下さい! ……二人のこと大好きなのに、……喧嘩しているのを見て何とも思わないとでもっ?」
「「――っ」」
項垂れる様にカイリが吐き出せば、ゼクトールとフランツは揃って
少し言い過ぎただろうかと思ったが、甘い顔をすると元通りになる予感がした。故に、カイリは心を鬼にしてゼクトールの質問に答える。
「……俺の村はエミルカにありました。街はいくつか立ち寄りましたけど、特に印象深いのはルナリアです」
「……そうであるか」
「狂信者に襲われたんですけど、フランツさんとシュリアが力を貸してくれました。……新しい出会いもあったし、色々辛いこともありましたけど、良い想い出です」
「……良い想い出」
そうだ。あの街に行く時に、ハリエットと愉快なお供二人と知り合いになれた。
あれから、彼女の両親からのお礼と、彼女の手紙を授かった。律儀だなと苦笑しながらも、喜びで頬が緩んだのは懐かしい。
彼女は今、どうしているだろうか。
一応手紙のやり取りはしているし、昨日も手紙をもらったのだが、やはり直接会って話がしたい。今度は手紙に書かれている仲の良い両親に挨拶もしたかった。
村を滅ぼされ、悲しみに暮れていたが、今日までの日々は決して嫌なことばかりでは無かった。苦しくもあったが、楽しい想い出もあって、大切な人達も出来た。
けれど。
〝だから、君を売ったんだ! 教会騎士だっていうあの二人にっ‼〟
「――――――――」
思い出して、カイリの視線が沈む。言葉を続けられなくなって、口を虚しく
カイリは、村を滅ぼした元凶を知っている。つい先日、この手で討ち取った。
仇だった。憎くて仕方が無かった。
今でも、――。
〝じゃあ、手伝って――〟
でも。
「……カイリよ」
「――」
呼びかけられて、我に返る。
話している最中なのにと、己の失態を恥じた。
「すみません、俺」
「……いや。初任務で疲れているのであろう。それに、……任務先は故郷がある国であったな」
「……はい」
気遣う様な視線に、カイリは
だが、彼はそれ以上は踏み込んで来なかった。代わりに、人差し指で胸元を指差す。
「……その、石」
「え? ……あ、このパイライト、ですか?」
胸元で大地の様にどっしりと力強く輝くパイライトに触れ、カイリの頬が心と一緒に綻ぶ。
何となく、このラリエットに気付いてくれることに喜びを覚えた。これはカイリにとって、両親との絆を繋ぐ大切な宝物だ。
「パイライトか」
「はい。十六歳の誕生日にって、両親がプレゼントしてくれたんです」
「なるほど。……しかし、その石は珍しいのである。両親のどちらが?」
「え? ええっと、母です。母の家に代々伝わるものだって聞きました。……何処に実家があるのかは、まるで知らないんですけど」
そんなに珍しい石なのかと、カイリは石を包み込む様に手を当てる。
貴重なものをカイリのために授けてくれたと知って、改めて両親の愛情を感じ取った。この石は時々温かく光り輝いてくれている気がして、両親と共にいる錯覚さえ覚える。
「そうか」
「……はい」
「わしの家にも、そういう家宝はある」
「そうなんですか。……やっぱり、代々伝えていくものなんですか?」
「……」
一瞬、考え込む様にゼクトールが黙り込んでしまった。聞いてはいけなかった内容なのかと、慌ててカイリは訂正する。
「あ、あの。答えにくいことなら」
「……少し、難しいのである」
「え?」
「家宝は、いくつも存在する。その中から、生まれた時に家宝がその者を選ぶのである」
「……家宝が?」
人が選ぶのではなく、家宝が選ぶ。
不思議な回答に、カイリは疑問に思いながらも続きを待った。
「生まれてきた時に、家宝の一つが光るのである」
「光る……」
「だから、例えば母が持っている家宝が、生まれた子供を選ぶ場合もある。その場合、母の持つ家宝を子供に譲り渡す」
「……へえ」
重なる時があるのか。
聞けば聞くほど不思議な現象だ。この世界は、前世の世界と違ってやはり異世界なのだなとカイリは思い知らされる。
「あの、じゃあその、家宝を譲り渡した母親は、他の家宝を持ったりはしないんですか?」
「出来ない」
「……出来ない?」
「家宝が拒絶をする。故に、生涯持てる家宝は一つだけなのである」
「……一つだけ」
つくづく摩訶不思議な話だ。ゼクトールの家の家宝は特殊らしい。
貴族だけではなく、一般の家庭にもそういった謎めいた家宝があるのだろうか。少しだけ興味が湧いた。今度、宿舎の図書室で調べてみようと心に決める。
「……その石は、随分と君に懐いている様であるな」
「な、懐く?」
「うむ。そう見える。……大事にせよ。両親からの愛情なら、言われるまでも無いであろうが」
「――はい」
ゼクトールに太鼓判を押され、改めてカイリは石を見下ろす。
何となく、石が嬉しそうに
母と父が、たっぷり愛情を注いで、願いながら託してくれた石だ。風呂以外では肌身離さず身に付けている。離れがたい、という理由はあったが、ゼクトールの話を聞いて益々その気持ちが強くなった。
「……ルナリアは、雑魚ではあるが、狂信者も多い」
「……、狂信者」
ルナリアでも、狂信者に襲われた。
故郷を襲った残党だと思っていたが、それだけではないのかもしれないと初めてカイリは気付く。
「気を付けよ。……また、ここで共に鳩に餌をやれるのを楽しみにしているのである」
「……! はい!」
待っていると、告げてくれる。その気持ちに心が華やいでいく。
帰る楽しみを増やしてくれた。ぶっきら棒だが、素直に言葉をぶつけてくれるその優しさがカイリに幸せをもたらしてくれる。
フランツがどことなく唸り気味だが、今回ばかりは無視をした。ゼクトールとの憩いの時間もカイリにとっては大切な時間だ。後で、己の聖書にも彼は弾かない様にお願いしようと心に決める。
「おじいさんにも、お土産、買ってきますね!」
「気にするでない」
「……嫌ですか?」
「……。……保存が利くチョコクッキーを、頼むのである」
「――はい!」
恐らく、好物なのだろう。厳つい顔をしながら、甘いものを食するゼクトール。ギャップが可愛らしいと噴き出してしまった。
じろりと睨まれてしまったが、気にしない。彼の意外な一面を知って行くのも楽しくて堪らなかった。
――そうだ。折り合いをつけて、無事に帰って来よう。
そして、また二人で鳩に餌やりをするのだ。
足元で戯れる鳩たちを見つめながら、カイリは秘かに帰って来た時の楽しみを脳裏に描いた。
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