Banka7 俺の歌を知る者

第69話


 生まれた村では、十歳になるまで子供は自分ただ一人だった。


 別に、我がままに育ったとは思っていない。親の言うこともよく聞き、村の者達の手伝いをし、常に村のために奔走ほんそうしていた。

 だからだろうか。それまで両親をはじめとする村の者達は、全員自分に目を向けてくれていた。



「あらあら、ありがとう。優しい子だねえ。どうだい? ばあばのお菓子を食べていかないかい?」

「ごめんね、手伝ってもらって。昨日腰をやっちゃったから助かったよ!」

「はっはーん。この木刀の曲線の良さが分かるとは……やるじゃないか。ほらよ! ヴォルク様特製のプリンだぜ! ……両親には内緒な?」

「いつも母さんの手伝いをしてくれてありがとね。今日は大好きなチーズケーキを焼くから、楽しみにしていてね」



 畑仕事を手伝うと嬉しそうにお礼を言って、ご褒美をくれたりもした。怪我をしたおばあさんに肩を貸して家まで送り届けると、お菓子をご馳走になったりした。料理の手伝いをすると、頭を撫でて笑いかけてくれた。

 別に、ご褒美が無くたって構わない。彼らが笑っているのを見ると、自分の心もぽかぽかと陽だまりの様に温かくなって、その瞬間が好きだった。

 平和だった。みんな、優しかった。ほのぼのと、温かく一日が過ぎていった。



 ――それが徐々に変わっていったのは、あいつが生まれてからだ。



 九歳になる頃に、ある一組の夫婦が村に引っ越してきた。

 村長や村の大人達と、真剣に話し合っている姿を遠目に見たことがある。一大会議まで開かれて、何事かと勘繰かんぐったものだ。

 その話し合いの末、村は彼ら夫婦を受け入れることになった。夫婦が泣きそうになりながら、深く頭を下げて感謝を示していたのには、大袈裟だなと思ったりもしたものだ。

 それから、一年ほどして。



 奴が、誕生した。



「みんな、生まれました! 生まれ、……っ、……生まれた! 生まれたぞ! 生まれたんだー! 俺とティアナのこ、こここここ、子供! 子供が! 息子が! 生まれましたー!」



 家から扉を叩き開ける様に飛び出し、村中に向かってカーティスという男性が大声でえた。

 それを聞き付け、村中の者達が同じ様に家から飛び出し、喝采かっさいを上げた。


「おお! よくやったな! 生まれたか!」

「はい! 元気な男の子です! さっすが俺とティアナの子供! 可愛くてぷくぷくして天使のようで! そう! まさしく天使! カイリは最高だ!」

「ほうほう、なるほどのう。カイリと言うのかの」

「はい! 出会って三秒で決めました!」



 三秒って何だ。



 子供心に突っ込んだが、村の者達はまるで聞いてはいなかった。皆が口々に祝福を捧げ、手を取り合って喜んでいる。


「おおお! 良い名前じゃねえか! やったな、カーティス!」

「ええ! あの、ヴォルクさん! 是非ともカイリのために食器をお願いします!」

「おうよ! 任せとけ! さいっこうの食器を作ってやるよ! 任せな!」

「ありがとうございます、ヴォルクさん! 貴方は、俺達の子供、天使の救世主です!」

「ふふん。大袈裟おおげさだなあ。ま、任せろよ。剣だけが取り柄じゃないってところを見せてやるぜ」


 がしいっと、暑苦しくカーティスとヴォルクが手を取り合う。大の大人が涙を流しながら友情を誓い合う姿はむさ苦しい。今すぐ止めて欲しいと願ってしまった。

 しかし、そんな自分の願いには誰もつゆほども感付かず、話は進んで行く。


「エリック君」


 カーティスの矛先が、自分に向けられる。

 何だろうと黙って見上げていると、彼は頭を下げてきた。


「この村には、子供が君しかいない。だから、……もし良ければ、どうかカイリの助けになってくれないだろうか」


 兄になって欲しい。


 そう言わないのは、カーティスが自分に強要をしたくないからだ。その絶妙な言い回しに、自分も否定など出来るはずもない。

 今まで、困った者達を助けて来たのだ。救いを求める者に手を差し伸べてきた。

 だから、これまでも、これからも同じ。ただ、それだけだ。

 しかし、そうか。



 ――弟に、なるかもしれないのか。



 弟、という単語に、一瞬だけ胸が躍る。

 すぐに顔を伏せて誤魔化したが、今自分は少し照れくさい顔をしていただろう。見られたくなくて、ぶっきら棒に返事をしてしまった。


「別に、いいよ」

「そうか! ありがとう、エリック君!」


 がしいっと、自分の手をつかんで涙ながらにお礼を述べてくるカーティスは、暑苦しい。暑苦しすぎてのぼせそうだ。

 けれど。



 自分は、兄になるんだ。



 今まで子供が自分だけしかいなかったから、少し楽しみかもしれない。

 足元がふわふわする様に浮き足立つ。無邪気に喜びを噛み締めた、最初の日。






 そんな喜びが、この日からどんどんくすんでいくなどとは、誰も夢にも思っていなかっただろう。






 自分だって、予想すらしていなかった。

 けれど。



「カイリ、また転んだの? もう、ムキになって走るから。あーあー、思いっきりり向いちゃって」

「お! でも、ちゃんと一人で立てたじゃないか! 偉いぞ!」

「ほれ、見せなさい。わしが手当をしてやろう」



「そうそう。これが、良い土で、こっちがまだならされていない土だよ」

「分かるかい? さすがカイリだね! そうそう、要は慣れだよ!」

「最初は下手で良いんだ。根気強くやんな!」



「はっは。カイリ、お前また料理失敗したのかよ」

「爆発って、何をどうしたらそうなるんだろうなあ」

「まあまあ。でも、お手伝いはちゃんと出来るもの。得意不得意なんて誰にでもあることなんだから、気にしちゃ駄目よ」



「カイリの踊りは、いつもヘンテコだよなあ。コントだな!」

「いっつも足を踏んでくるしよ。何年もやってるのに、どうしてだろうな?」

「でも、何だか踏まれるのが癖になってきちゃったのよね。……私、マゾだったのかしら」



 年月を重ねていくにつれて、わずらわしくなっていく。

 彼らの声が、うるさい。耳にまとわりついて、雑音の様に不愉快だ。

 最初の頃は気にならなかったのに、だんだんとその声が大きく、増えていくにつれて、自分の心を真っ黒に掻き乱していく。

 それは、成人して村を出て、子供も更に増え、たまに帰ってくる頃から爆発的に膨らんでいった。



「カイリー! 見て見て! 絵を描いたの! お父さまとお母さまにお渡しになって! ぜったいよ!」

「あー、やっぱなー。ミーナはあざといなー」

「ふっふーん。とうぜんよ! カイリとのショウライのためなら、何だってするわ!」

「あー、はいはい。……なあ、カイリ! それよりあそぼうぜ! 川でどれだけ魚をつかまえられるかきょうそうだ!」

「カイリにいちゃん! まけないよ! けんでもまけないんだから、さかなとりでもまけないもん! ねえ、ラインにいちゃん!」

「もっちろんだ! このラインさまが、全てつかみとってやる!」

「カイリー! 負けても、けっこんしてあげるから! 安心して負けていいわよ!」



「ほっほ。カイリは相変わらず子供達に好かれておるのお」

「好かれてるっていうか、……あいつ、玩具おもちゃにされてないか?」

「あら、分かってないわね。みんな、カイリが大好きだから構って欲しいのよ。好きな子ほどいじめたくなるってやつ?」

「……それ、何か違うのお。いや、ある意味正しいのじゃろうか」



 子供達の騒音が、頭に響く。大人達の微笑ましさが目に付いて憎々しい。

 心がざわざわしてたまらない。誰も彼もが、奴のことばかり話題にする。



 何故だ。何故、彼ばかり。



 自分は、ここにいる。



 自分だって、村のみんなと一緒に働いて、会話して、動き回っているのに。


「おお、エリック。いつも助かるぞい。旅で疲れているだろうに、すまんの」

「手の平も立派に分厚くなって。いつ結婚してもおかしくないねえ」

「おう、エリック! 今年はずいぶん豊作になったぞ! 手伝ってくれてありがとよ!」

「エリックは行商人になって旅をする様になってから、ますますたくましくなったなあ」

「その内、嫁さん連れてきたりしてな! 両親が泣いて喜ぶな!」



「エリックにいちゃん、たすけてくれてありがとう!」

「リックのやつ、エリックさんがいるからって、はりきっちゃったんだよなー。川ですっころんでずぶぬれなんて、いつもカイリしかやらないのに」

「でも、エリックさんはたよりになるもの! 安心して川あそびをまかせられるって、おとうさんもおかあさんも言ってたわ!」

「これが、ホーヨーリョクってやつだな! カイリにはちょっとまだ足りないやつだよなー」

「ひどいわ、ライン! カイリだって、ホーヨーリョクはあるもの! 目がふしあなすぎるわ!」



 会話はしている。感謝もされている。

 これが、普通だ。いつも、普通だ。みんな、自分を見てくれていた。

 それなのに。


「って、あら、カイリ! 貴方、また変な剣の稽古けいこの仕方をしたね!」

「コブが出来てるのう。早く見せなさい」

「もう、ラインったら。カイリよりも強いんだから、少し加減をしてあげなさいな」

「してるぞ! カイリがつっこんできただけで……、……ごめん」

「カイリってば! 笑ってるばあいじゃないわ! 未来のつまとしては、見すごせないわ!」

「ミーナねえちゃん、カイリにいちゃんのこと、だいすきだもんね!」


 彼が何かをするたび、彼に注目が集まる。

 彼が失敗をするたび、彼の傍に人が集まる。

 しかも、極めつけは。



「カイリ。歌を、歌ってくれんかの」



 彼は、歌を、歌える。



 村の者達は、彼の歌を求めて、彼のご機嫌取りをするのだ。

 歌を歌えるということは、この世界では貴重だ。彼が歌えるということを、村の外には執拗しつように隠していた。

 彼らは、彼の歌を独占しようとしていた。


 歌は、一般人は滅多に聞く機会が無いから。


 だから、彼を閉じ込めて、常に歌を聞ける環境を創り上げたのだ。

 何て姑息こそくなのだろう。最初は小さな不快感だったのに、彼が成人を迎える直前になった時には吐き気で破裂しそうなほど膨れ上がっていた。

 歌を聞いて何になる。歌など日常で何の役に立つ。

 だから。



〝歌を歌える者を探しているんだよ。推薦してくれれば、無条件で騎士になれるんだけどねえ〟



 だから――。











 はっと、唐突に目を覚ます。

 跳ね起きれば、周囲には黒い外套がいとうを羽織った複数の人間が見張りをしているのが目に入った。そよそよと、周りの草木の匂いがくすぶる様に鼻先を掠める。

 彼らが何事かと振り返ってきたが、何でも無いと首を振って額を押さえた。


「……、……夢、か」


 頭を抱えてうなる。舌打ちして、せり上がってくる吐き気を懸命に飲み下した。



 まさか、あんな悪夢を見てしまうなんて。



 大事を前にして、よほど神経が高ぶっているのかもしれない。戦意を上げたいのに、気分は最悪なまでに落ち込んだ。脳裏にちらついた呑気のんきな顔に、ぐっと奥歯を噛み締める。

 見上げれば、闇よりも深い夜空が頭上を塗りたくる様に広がっていた。

 星ひとつ見えはしない。分厚い雲で覆われて、まるで己の心を映し出したかの様に鬱蒼うっそうとしている。例え塵芥ちりあくたの様な明かりだって、お前には一寸たりともくれてやらない。そう言われている様に本気で闇一色だ。

 おかげで、また舌打ちが増えた。



 ――空まで、自分を馬鹿にするのか。



 思って、乱雑に寝転がる。もうすっかり慣れた緑の絨毯じゅうたんの感触も、ちくちくと肌を刺してきてまた苛立ちが募った。

 まぶたの裏から、消えない。耳から、離れない。

 あの声が。



 あの、歌声が。



〝――うさぎ追いし、かの山〟



 耳障りな歌声。切なくも、祈りにも似た温かな旋律。

 本当に、鬱陶しい。こんな冷え冷えとした夜には、余計に身に染みた。

 だんっと地面を殴ると、周囲の視線が再び自分に向く。

 だが、知ったことではない。不快な音を消せるのならば、それで構わなかった。



 ――ああ、本当に。



「目障りだよ、カイリ」



 呪う様に、名を握り潰す。名前ごと存在を闇に葬れるのならば喜んでそうしよう。

 だから。



〝忘れがたき、ふるさと〟



 ――もう、やめてくれ。



 いつまでも、いつまでも。彼の歌声が追いかけてくる日々は。

 もう、終わりにしよう。


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