第169話


「そういや、カイリ。お前ら、興味深い推察してたんだってな」


 夕食を終え、風呂にも入り、後は寝るだけといった時に部屋でレインが話しかけてきた。

 その顔は何かを企んでいる様に不敵で、カイリは少しだけ身を引く。己のベッドの端の方へと移動した。ベッドは壁際に縦に並んでいるので、せめてもの抵抗である。


「えっと……もしかして、名前とか姿云々の話ですか?」

「おうよ。お前、名前も姿も前世と同じなんだってな」

「容姿は、似ているってだけかもしれないですけど……名前は、そうです。以前も『カイリ』でした」


 素直に白状すれば、レインが「ふーん」と探る様にカイリの瞳を覗き込む。

 距離は遠いはずなのに、いつも彼が探る時は間近で覗かれている様な錯覚に陥るのだ。心臓をいつでも握り締められる様に手を添えられている感覚で、カイリとしては少々恐い時もある。


「そういや、リオーネも、『リオ』だってな。はは、ほんとに団長の推測当たってるかもしれねえぜ」

「……」

「……だったら、この世界は何なんだって話だよな」


 彼のトーンが、わずかに落ちた。

 どきりと、肩が跳ねそうになるのを制御していると、レインがくっと喉元を鳴らす。ルビーの綺麗な瞳はどこまでも透き通っているのに、燃え盛る輝きがカイリの体を内側から焼き尽くす様に暴いていく。

 彼には、カイリの僅かな恐怖も見抜かれている。虚勢を張るのが、せめてもの矜持きょうじと覚悟だった。


「今を必死に生きてんのに、昔のことをぐだぐだと。……腹が立つ」

「……レインさんは、記憶があることに意味があると思いますか?」

「あるだろ。こんだけ前世の記憶持ちがいるんだ。無かったら、この世界つくったカミサマをぶん殴りたい気持ちだな」


 飄々ひょうひょうとした表情ではあるが、声の奥に眠っているのは物騒なとげだ。可愛らしいものではなく、棘一つで瞬く間に強い毒素が広がりそうな、危険な色を放っている。

 カイリが黙っていると、レインは嘲る様にベッドに寝転がった。

 彼は、あの『誓約』を交わしてから、カイリと二人きりの時はあまり遠慮が無くなった様に思う。優しい時の方が多くとも、おかげでカイリの精神は圧迫されることも増えた。

 だが、それは彼が少しだけでも素に近い顔を出してくれているという証でもある。だからこそ、カイリは彼にはなるべく真正面からぶつかりたかった。



「……。レインさんのこと、聞いても良いですか?」

「駄目だって言ったら?」

「聞きません」



 即答すれば、レインは微かに目を細める。反動を付けて上半身を起こし、カイリの方を淡泊に見据えてくる。


「おりこうさん。お前、優等生だっただろ」

「……どうでしょう。俺、孤立してましたし。ケントの方が勉強もスポーツも出来ましたよ」

「ふーん。ま、優等生は優等生でも、一筋縄じゃいかなさそうな優等生っぽいけどな。ああ、そういう意味じゃあケント殿とよく似てんぜ」


 ひとしきりからかう様に笑ってから前髪を掻き上げ、レインは少しだけ考える素振りを見せた。

 そして、面倒そうに溜息を吐き、視線を別の方角へ投げ打つ。



「オレの名前は、『レイ』だったな」

「……、今の名前と、ほぼ同じですね」

「そうだなー。ま、いわゆるハーフって奴でよ。幼い時は結構奇異な目で見られてたぜー。蹴っ飛ばしてたけどな」



 からからと楽しそうに語る彼に、カイリは苦笑してしまう。彼らしい反応だと、幼き頃が容易に思い描けた。

 だが、何となく引っかかったこともある。

 前に、フランツやシュリアは、ほとんど記憶は断片的にしか思い出せず、家族や友人の顔も、名前すら思い出せないと言っていた。火葬のことさえ忘れていて、想い出語りが出来ないのだと。

 けれど。


「……レインさんは、……」


 切り込んでも良いものか。

 迷っている内に、彼の目から笑みが消えていった。躊躇われるのが好きでないと察したので、踏み込むことにする。



「レインさんは、どれくらい過去のことを覚えているんですか?」

「……」



 彼は、無言。

 だが、カイリは遠くで確信してしまった。

 昔のことをぐだぐだとと腹を立てていたこと。幼い頃は結構奇異な目で見られていたこと。それに対して蹴っていたこと。


 想い出語りを出来るくらいには、レインは前世を語れるのだ。


 特に、昔のことで嫌なことがあったのだと思うくらいには腹を立てていた。

 恐らく、フランツ達と一緒に話していたら気付けなかっただろう。二人きりで、カイリが神経を研ぎ澄ませているから引っかかったのだ。

 彼の眼差しが、刃の様に閃く。やはり、聞くべきではなかったかとカイリが猛省し始めると。



「……そうだなー。どれくらいって言われると、ちょっと困るかね」



 ふっと、彼の眼差しが和らいだ。目を伏せて、懐かしむ様に口元を緩ませる。

 そこまで嫌な話題ではなかったのだろうか。彼の変化は、本当にカイリには判断が難しくて困る。


「言っとくけど、お前ほど記憶はえぜ」

「……、そうですか」

「信じてねえな」

「……。……正直に言うと、少し疑っています」

「はは、正直だな、ほんとに」


 面白そうに笑うレインは、いつも通りだ。面倒見の良い、懐の広い、見た目も振る舞いもそのまま兄の様な人だ。

 きっと、表のレインも裏のレインも、等しく彼なのだろう。カイリにも、色んな面があるのだ。他の者達だって同じである。


「なあ、カイリ」

「はい」

「お前は、何で記憶があると思う」


 真摯な眼差しと強くぶつかる。

 心の底からの直球に、カイリも誤魔化さずに己の胸の内を伝えたかった。

 だが、どう答えれば良いだろうか。自分でもまだよく分かっていないし、まとまっていない。

 故に、一つずつ並べていくしかなかった。整理しながら、ぽつぽつと語っていく。


「俺は、……最初、チート能力があるって思って」

「は? チート?」

「えーと。知りませんか? 俺も読んだことは無いんですけど、前世の世界では異世界転生っていうジャンルの物語が流行っていて、主人公は異世界の神様に色んなチート能力を授けてもらうんです。魔法とか、スキルとか、とにかく無敵に近い感じになるらしいんですけど」

「あー……ゲームで言う、最初からレベルMAXの、スキルも取り放題、みたいな感じかね」

「ゲーム……。えっと、多分」

「……お前はゲームを知らねえのかよ」

「ケントなら、やってたか、なーと」

「はは。お前ら、ほんとに対照的だな。面白い奴らだよ」


 レインの評価に、カイリも頷くしかない。ケントとは、小説一つとっても好きになるジャンルの傾向が異なった。スポーツも全く違うものを好きになっていたし、よく一緒に過ごしていたと思う。

 だが、価値観が違うからこそ、共にいて楽しいのかもしれない。今のカイリは、そう思えた。


「で? チートが何だって?」

「赤ん坊の頃から記憶があるなんて、まさしく異世界転生物語。だから、神様が幸せな人生歩むためにチート能力とかくれたんじゃないかって、良い気になって。……もちろん、無かったですけど」

「いや、ある意味聖歌語や聖歌がチートだろうよ」

「でも、制限があります。撃ち放題なわけでもないです。それに、本当にそれで最強になれるんだったら、……そもそも村だって守れたはずだ」


 表情が一瞬抜け落ちたのを、カイリは感じた。レインも刹那的に真顔になったので、間違いないだろう。

 ふるっと一度首を振り、カイリは続ける。


「ケントにこの世界で会えた時、もしかしてやり直しのチャンスをくれたのかなって思ったこともありました。実際、彼との関係をやり直したいとは思っていますし。……もちろん、やり直したいという以上に、今を生きる彼と友人として仲良くなりたい、今の彼をもっと知りたいって思っていますけど」

「……」

「でも、……過ごしていく内につれて、この世界の内情を少しずつ知っていくにつれて、……村を出る時から抱いていた違和感が、大きくなっていくのが分かっていって」


 何故、記憶があるのか。

 何故、聖歌語なんてものがあるのか。

 何故、ケントが一緒に転生しているのか。

 何故、聖歌を歌う者が狙われるのか。

 何故――。


 たくさんの『何故』が積み重なって、この世界そのものに疑問を抱く様になった。

 この世界は、一体何なのだろう。

 まさしく、レインが抱いている疑問と同じものをカイリは感じ取っていた。


「俺が、ここに生まれてきた意味は何なんだろう。どうして、記憶があるんだろう。単純にやり直す機会を与えられたのではないのならば、どんな意図が眠っているんだろう」

「……」

「さっぱり想像はつきません。でも、何だか、……大きなうねりが俺の知らないところで起こっている気がして……。今の俺が、前世の俺に食われるんじゃないかって、馬鹿な考えも抱いて……時々、とても恐くなる」


 村を出る時に、記憶を持っていること自体に疑問を持ったその日から。

 カイリは、この世界は謎に満ちていることを知った。

 聖歌至上主義の今の体制、教皇の軟禁や洗脳等の恐ろしさ、狂信者の文字通りの狂気に、聖歌で門を開くと伝えられる世界やないがしろにされた王族。

 ルナリアでは、教皇の非道さに触発されて打倒を決意したが、その教皇でさえ世界の大きな枠組みの一つなのだとしたら。


「……俺は、恐怖に負けたくない」

「……恐怖にか」

「はい。……記憶を持つことに、意味があると言うのならば。俺はそれを突きとめて、恐怖に打ち勝って、……その先に、二度と俺と同じ想いをする人達がいなくなる様に。前へ、進んで行きたいです」


 記憶を持つことも、恐らく世界の謎に組み込まれたピースだ。

 ならば、それを突き止めれば、平然と世界に横行している悲劇を止める契機になるかもしれない。例えそうではなかったとしても、――その先に絶望しか待っていなかったとしても。屈するのではなく、打開出来る強さを持ちたい。

 そのためにはきっと、カイリは聖歌が必要になる。


 聖歌を、常に正しく扱える様に。


 恐怖でその道を見失わない様に邁進まいしんする。記憶を持つことに意味があろうと無かろうと、カイリに出来ることはそれだけだ。

 しかし、考えている内にまとまりが無いことにも気付く。散らばった思考を懸命に掻き集め、唸っていると。



「……ま、そんだけ腹が決まってんなら充分じゃねえの」

「……え?」



 ぽん、とレインが頭を軽く撫でてくる。

 いつの間に傍に来ていたのだろうか。己の思考に熱中し過ぎたと、カイリは迂闊うかつさを恥じる。


「っはは。悪い悪い。いじめすぎたな」

「……いじめてる自覚はあるんですね」

「まあな。お前相手だと、つい」

「いじめやすい?」

「そうとも言う」


 即座に肯定され、カイリは不貞ふて腐れてしまった。むくれるとレインは満足した様に扉に向かう。

 寝ないのだろうかとカイリが疑問に思っていると。


「オレ、ココア飲むけど。お前も飲むか?」

「え! 飲みます!」


 反射的に元気良く即答すれば、ぶはっと噴き出された。子供みたいだったと、カイリは物凄い勢いで顔が熱くなる。


「おっまえ、元気だなー」

「げ、元気になって悪いですか。レインさんのココア、美味しいんですよ」

「前は、びっしゃりぶっかけられたけどなー」

「……すみませんでした」

「いいや」


 エリックの話や聖歌の危険性について話した夜だ。

 あの時は、カイリは血が上ってしまってレインに失礼なことをしてしまった。淹れ立てだったならば火傷をしていた可能性もある。

 己の短絡さを猛省していると、レインが取っ手に手をかけながら静かに告げる。


「お前は、ほんと真っ直ぐだな。試すのが馬鹿らしくなるくらいにな」

「……はい?」

「恐怖があるってのは良いことだ。突っ走る前に一度立ち止まれる。勢いも大事だが、……お前の場合は、立ち止まることを求められることの方が多いだろうよ。お前の聖歌の立ち位置的にはな」


 聖歌の立ち位置。


 それは、前にもレインが話していた、強さの問題だろうか。

 カイリは人を洗脳出来るかもしれないほどの可能性を秘めている。だから危険だと、レインは忠告してきた。

 逆に言えば、カイリ自身にその気が無くても、敵の手に囚われてしまえば甚大じんだいなる被害が出るかもしれないという裏返しでもある。

 改めて考えさせられ、身が引き締まる思いがした。自然とカイリの背筋も伸びる。



「あと、一つ忠告しておいてやるよ」

「はい」

「お前、あんまり前世に囚われ過ぎんなよ」

「……え?」



 前世に囚われる。



 意味は分かるのに、意図が読めない。

 困惑してカイリが返事を出来ずにいると、レインが笑みを深める。その笑い方があまりに深すぎて、カイリはぴりっと指先に痛みが走った気がした。


「前世の記憶があり過ぎるとよ。あの時はこうすれば良かった、今度は絶対にこうしよう。そんな風に振り返れると同時に、囚われすぎて今を見失う可能性だってあるんだよな」

「……今を、見失う」

「そうだ。前世の記憶があろうがなかろうが、今お前は、今のこの世界で『カイリ』として生きてるってことを忘れんな。例えば、そうだな……ケント殿との関係で、やり直したいって思うんじゃなくてよ。『今のケント殿』と関係を築き上げろって話」

「――」


 一瞬、反論が出来なかった。


 カイリは胸に手を当てて思考に沈む。

 レインの言う通り、カイリは今のケントと仲良くなりたいと思っていた。前世とは違う今の人生を歩いて、今のケントがあると考えている。

 だから、『もう一度』『ここから』と考えて、彼の手を取った。今の彼を知りたい、仲良くなりたいと願って。


 けれど、――違うのだろうか。


 レインが忠告をしてくる場合、何か引っかかっているからだ。彼と会話をしているとそう思えてくる。

 言われてみると、カイリは確かに『今度こそ』とよく思っていた気がする。その単語は、前世のことがあるから出て来る種類のものだ。

 ならば。


 ――今のケントと、向き合っていないのかな。


 自分では今のケントと前のケントをそこまで比較しているつもりは無かったが、他者から見たらそう思える部分があったのかもしれない。ケントの話をする時に、違和感があったのかもしれない。



 前世に囚われすぎるな。



 その言葉は、今のカイリにはどこか重いものに感じられた。


「……ま、自分でも『今の』って言ってたから。大丈夫だとは思うけどよ」


 ぽりぽりと頭を掻いて、レインが補足してくる。

 カイリがすがる様に見上げると、彼は複雑そうに見つめてきた。何となく、視線に熱がこもっている様な気がしたが、その熱はカイリに向けられたものとは違う予感がする。


「いつか、前世と比べなきゃならなくなった時、お前はちゃんと『今』を選ぶ覚悟をしろよ」

「……覚悟、ですか?」

「ああ。どんなに前世の記憶があろうと、どんなに前世でのやり直しの場面に思えようと、この世界で、『今』を生きているのは、間違いなく『今のお前』だ。今のお前は、前世じゃなくて、生まれた時から今まで過ごしてきた奴らや環境で出来たもんだろ?」

「……、はい」


 その言葉に、カイリは真正面から頷く。

 当たり前だ。カイリは今まで、あの村で育ってきた。あの村で、暑苦しいほど全力で愛してくれた両親と、共に育った友人と、優しく見守ってくれた村人達のおかげで今のカイリがあるのだ。

 そして村を出てからは、フランツ達をはじめとする第十三位と共に歩み、様々な経験を経て今がある。

 前世の自分では、決して得られなかった道であり、今のカイリは無かっただろう。

 カイリの強い肯定に、レインは今度こそ満足した様だ。安心した様に扉を開く。


「なら、今のお前のまま進めよ」

「……」

「そうすりゃ、間違うことは無いだろうからな」


 部屋を出ていくレインの背中が、遠くなった。

 何処どこか遠くへ行ってしまいそうなその背中を、カイリは見送らずに追いかける。

 彼の言葉は、今までのどの言葉よりも重くて、深くて、大切な欠片かけらだ。カイリには何故かそう思えた。

 だから。



 もし、今と前世のどちらかを選ばなければならなくなった時は。



 決して間違わない様な自分で在りたい。

 思いながら、カイリはレインを追いかけた。どうしてか分からないが、今、彼を一人にしたくなかった。


「レインさん! 俺にも、ココアの淹れ方教えて下さい」

「お? 何だ何だ? オレのお株を奪おうってのか。死んでも無理だぜ?」

「……それでも。見たいです、たまには。いっつも、気付いたら淹れ終わっていますし」

「しゃーねえな。良いぜ、特別に見せてやるよ」

「……はい! ありがとうございます」


 隣に並ぶと、レインは特に拒絶せずに受け入れてくれる。

 それが今は嬉しくて、カイリは刻む様にその時間を噛み締めた。


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