第170話
カイリには、祖父母、という記憶は前世にも今世にも無い。
村で今の両親の元に生まれてきた時も、祖父母という存在はいなかった。ライン達の家には遺影なり写真なりと、亡くなっていても存在の影はちらほらと
もしかしたら仲が悪かったのかな、と考えて、幼いカイリは何も聞くことはなかった。もし尋ねて、父も母も気まずげにしたり
けれど。
『お前にはな、この絵本に出てきたおじいちゃんみたいに優しい人がいるんだぞ』
一度だけ、両親が祖父母について話してくれたことがある。
カイリが眠る時、両親はいつも絵本を読んでくれていた。
その時読んでくれた絵本は、確か優しいおじいちゃんとおばあちゃんが、孫にクリスマスプレゼントとして、マフラーを編んで贈り物をしてくれるという話だった。
特に何か大きな出来事が起こるわけではない。穏やかに、静かに進んでいく物語だったが、ささやかながらも愛に
そのせいか、カイリは「自分にもこんな優しいおじいちゃんやおばあちゃんがいたら良いのにな」と心の中でだけ呟いたのだ。声に出してしまえば、両親は反応せざるを得ないからだ。
しかし、カイリは隠し事が昔から下手だった。
きっと、表情や瞳から滲み出てしまっていたのだろう。
故にきっと、父も母も祖父母の話をしてくれたのだ。
『あらあ。カーティスったら。優しいおばちゃんもいるわよ♪』
『ああ、もちろんだ。……俺の方のおばあちゃんは、もう亡くなってしまったが。とても優しい人だったんだぞ』
『ええ。そうだったわね……。私のこともよく一緒に食事に誘ってくれて、家族ぐるみでお付き合いをしていたわね』
しみじみと
だが、彼らは祖父母の話を
『……おれにも、おじいちゃんとおばあちゃんが、いるの?』
『ああ。……会わせてあげることは、出来ないかもしれんがな』
一瞬、父が淋しそうに表情を歪めた。頭を撫でてくれる大きな手はいつも通り優しいが、少しだけ感傷が混じっていると幼心にも気付ける。
聞いても良いのだろうか。傷付けないだろうか。
迷っているのが伝わったのだろう。父ががしがしと乱暴に頭を撫で、笑顔で話を切り出してくれた。
『父さんにはな、二人のお父さんがいるんだ』
『二人?』
『ああ、そうだ。実のお父さんの方は、あまり触れ合ったことがなくて、あまり思い出も無い。……だが、俺の面倒をよく見てくれたもう一人のお父さんがいてな。そちらの方に懐いていた。父さんにとっては、本物の父親だな』
『そうね。もう、周りからも親子扱いされていたものね』
母がまあまあ、と微笑ましく頬に手を当てている。見守る様な目線から、良い関係だったのだとカイリにも伝わってきた。
しかし、育ての父親、ということだろうか。父の方は家族関係が複雑だったのかもしれないと、発言には注意することにした。
『お前のおじいちゃんはな、すっごく正義感が強かったんだぞ。困っている人がいたら絶対に手を差し伸べるし、弱い者いじめは許さない。いつだって熱い人で、面倒見も良くて、真っ直ぐで、優しい強さを持つ……』
『それ、とうさんみたいだね』
『んむっ⁉ ……か、カイリ……! 俺のことをそんな風に思ってくれていただなんて……! 最高だ! 可愛いぞ! 流石は天使! 俺は、お前の父親でこんなに嬉しかった日は……毎日だ! 幸せすぎる!』
『そうね! カイリは最高の息子だもの。カーティスが最高の父親であるのは必然なのよ』
『ああ。ティアナだって最高の母親だ! つまり、俺達は家族で最高。こんな最高な家族はこの世に二つとないな!』
『ええ、そうね! 私達は最高の家族ね!』
どうしよう。変な方向に暴走させてしまった。
最高の家族って何だろう。
遠い目になったカイリに構わず、両親はきゃっきゃと子供の様にはしゃいでいる。これが通常運転なのにも、そろそろ慣れてきた自分が悲しい。
だが、同時に幸せでもある。
こんなに絶え間なく愛情を注いでくれる両親を、カイリは見たことが無かった。この二人の元に生まれてきて本当に幸福だとしみじみ噛み締める。
『あー、ごほん! 話が
『そっか……。たのしそうだね』
『ああ。そこには育ての母親……つまりおばあちゃんもいてな。おばあちゃんはとても穏やかでおしとやかで、いつもにこにこ笑っていたぞ。でも、怒ると怖くてなあ』
『ふふ。何だか、かあさんみたい』
『まあ、カイリったら』
『ねえねえ。そのおばあちゃんは、力はつよかったの?』
『んー。そんなことは無かったな。だが、ティアナの家系は強いよな?』
『ええ。母さんの母親も……あ、おばあちゃんね。素手で壁は壊せるわ』
どんな家系だ。
つまり、母の力の強さは遺伝ということか。母みたいな力持ちが他にもいると思うと、カイリは生温い笑みしか浮かべられない。
しかし、本当に家族の仲は良かった様だ。懐かしそうに語る両親の横顔はとても柔らかい。溢れんばかりの愛情に包まれてきたのも、声の優しさだけで見通せた。
ならば、益々会えない、という理由が分からない。
喧嘩をしてしまったのかと、根拠のない想像までしてしまう。
『おじいちゃんのこと、父さんはすっごく尊敬していたんだ。剣もせ――……あー、とにかく武術が強くてな。父さんも色々教えてもらった。色々しごかれて、最初の頃は毎日へばっていたが、早くあの大きな背中に追い付きたいとがむしゃらに頑張ったものだ』
『とうさんは、けん、つよいんだもんね。……でも、そんなとうさんよりも、つよかったの?』
『ああ、それはもう。むしろ襲ってきた相手に同情するくらいの強さでな。悪事を働いた相手……特に凶悪犯には、容赦はしなくても良いと父さんも考えてはいるが……。それでも、相手が死なないかどうかと気になるくらいには強かったな』
『……。……死ななかったんだよ、ね?』
『……。……ふっ』
否定してくれ。
カイリのツッコミに気付いたのか否か、父は一応補足してくれた。
『まあ、病院送りくらいではすんだか。全治三ヶ月とかな』
『さ……』
『取り敢えず、おじいちゃんも向かってくるからには全力で。そんな信条だったからな。仕方がないことだった』
そんな一言で片づけないでくれ。
しみじみと良い笑みで語る父に、カイリは微妙に笑顔が引きつった。真っ直ぐ過ぎる何とも傍迷惑な信条である。
だが、祖父は本当に強かったのだろう。父がきらきらと子供の様に語る横顔が印象的だった。
『とはいえ、一応おじいちゃんには昔馴染みの人がいてな。その人が怒鳴り散らしながら止めに入っていたから、病院送りの件は数えるほどしかないぞ』
『そ、そうなんだ』
『父さんも、その人にはしょっちゅう睨まれていたが……。なかなか可愛いところもあった。なあ?』
『ふふっ。そうねえ。懐かしいわあ』
父と母が顔を見合わせて、悪戯っぽく微笑む。
何となく二人にとって大切な人なのかなとカイリは邪推してしまった。忍び笑う様な両親の笑みは、少年と少女のようだったからだ。
『まあ、とにかくだ。もう父さんは剣を振るうことは出来んが、教えてもらったのは剣技だけではない。剣技も、物事への在り方も、……人としての信念も。全部、全部、おじいちゃんから教わった』
ぐっと右手を握り締めて見下ろす父の瞳は、少しだけ濡れている様に映った。
泣いているわけではない。
だが、在りし日を見つめて懐かしむ、と言うには
一体何があったのだろう。
聞きたかったが、声は喉に引っかかって結局落ちた。傷口を指でこじ開けてしまう気がして、どうしても言葉にならなかった。
『……俺に家族を教えてくれた父さんも母さんも、俺にとっては大切な家族でな』
『うん』
『俺は、父さんが好きだった。本当に大好きだった』
『……、うん』
『会わせてやりたかった。きっと、父さんもカイリのことを知ったら、すっごく喜んで愛してくれただろう』
『……、……うん』
『だが、……すまないな。……お前に会わせてやれることは、もう無いんだ』
すまないな。
そう呟く父の言葉は、確かに泣いていた。
最後の語りは、父としての言葉ではなく、息子としての言葉になっていた。黙って見守る母の手が、自然と父の背中に伸びていた。
父の
カイリはやはりこの日から、両親に祖父母のことを尋ねることは出来なかった。
ぱち、っと、カイリは不意に目を覚ます。
見上げた天井は薄暗い。まだまだ夜明けには遠い時間だということはすぐに悟れた。
足元の方からは健やかな寝息が聞こえてくる。レインはしっかり寝ているらしい。
「……夢……」
何故、あの日の夢を見たのだろうか。
昼間の会話の内容を思い出してみたが、特に引っかかる事柄は無かった。前世や教皇の話をしていたくらいで、祖父母の話は
だが、予感めいたものが
そうでなければ、両親との一度きりの語らいを夢に見ることはなかっただろう。
ぼんやりと回らない思考のまま、カイリは無意識にぬいぐるみのバトへと手を伸ばしていた。
ぎゅうっと抱き締めて、カイリは心を落ち着ける。
やはり、両親の夢を見た日は、まだ辛い。幸せな記憶と共に、もういないという事実が津波の様に押し寄せてくる。
しかし。
「……おじいちゃん、か」
父と母にとって、祖父母との思い出は苦しいものではなかった様だ。むしろ良好な関係を築いていたのだと推察出来る。
遂にそれが誰かを聞くことは無かったが、今思えば全て隠していたのだろう。教皇に狙われ、駆け落ち同然に村へ落ち延びたのだ。事実上の逃亡生活だし、口が裂けても祖父母が誰かは告げられなかったに違いない。
恐らく、カイリの祖父母はまだ生きている。フランツ達が
それでも、懐かしすぎる夢を見たせいだろうか。無性に淋しい。
「父さんが言っていたおじいちゃんって、……誰なのかな」
父は実の父親の様に慕っていたと懐かしそうに語っていた。本当に大切な人なのだと、今思い返してもじんわり伝わってくる。
きっと、会いたかったに違いない。
それでも一生会うことは無い。そう覚悟していた様に響いた。今もあの時の父の声が耳に残って消えない。
しかし、正義感の塊で熱くて面倒見も良くて真っ直ぐで優しい強さを持つ教会騎士など、この教会に来てから聞いたことがなかった。会う人会う人が
それに、父の様な騎士であるならば、どれだけ関わりが無くても目立ちそうだ。噂くらいは聞こえてくる気がする。
だが、それすら皆無だ。存在の「そ」の字も感じ取れない。
フランツが隠しているとしても、話を聞くだにあちらから関わってきそうな雰囲気を感じた。それだけ祖父は偉大な騎士に思えたのだ。
どういうからくりなのだろうか。
会えない、というのは、父がこのフュリーシアに戻れないからだと単純に考えていたけれど。
――他に理由があるのかな。
もう滅多に顔を合わせられない人物となったのか。それとも犯罪者となったのか。はたまたもう亡くなってしまったのか。
気になることは多かったが、今度フランツに尋ねてみようかと機を窺ってみることにした。
それに、カイリには以前からもう一つ気になっていたことがある。「おじいちゃん」というキーワードが出てきたから、尚更意識を持っていかれて堪らない。
「……おじいさん」
ゼクトールは、一体何者なのだろうか。
カイリに、初対面から「おじいさん」と呼ぶ様にと言ってきたゼクトール。あれから何かと気にかけてもらい、鳩に餌をやる仲間にもなった。
カイリは彼を「おじいさん」と呼ぶたびに、くすぐったい気分になる。
カイリにはもう、祖父母と呼べる人はいないと諦めていた。だからこそ、彼にそう呼ぶ様にと勧められた時は、密かに嬉しかったものだ。
未だに、完全に打ち解けられた仲とは言い難い。
それでも、カイリにとっては厳しくも優しく叱咤し、落ち込んだ時は励ましてくれて、静かに見守ってくれる大切な人だ。
そう。まるで、祖父の様に。
――ゼクトール卿が、本当のおじいさんだったら良いのに。
そんな風に考えるくらいには、カイリの中で大切な存在になりつつあった。
別に本物でなくても構わない。父の様に本物の家族の様に過ごせる相手がいるという事例もある。ゼクトールが本物の祖父でなくても、カイリも祖父の様に思いたい。
けれど。
「……石」
ゼクトールの家系にも、代々伝わる家宝があるのだという。
その家宝はいくつもあり、石が人を選ぶのだと。
カイリにも、母がくれたパイライトがある。それは母の家系に代々伝わる家宝なのだと、授けてくれる時に教えてくれた。鈍い痛みが伴う、両親からの最後の愛に満ちた形見だ。
ゼクトールの家系に伝わる家宝と、母から授けられた家宝。
これは偶然なのだろうか。符号と符合が結び付く様な感覚に、淡い期待が満ちていく。
ゼクトールは、カイリの両親を誰かは知らないだろう。
もし告げたら、少しはあの
どちらでも良い。試してみたいとも思う。
だが、それはつまりカイリのルーツをゼクトールに暴露するという意味に他ならない。フランツ達が必死に隠してくれているのに、カイリの一存で壊すわけにはいかなかった。
それに、フランツ達が
「……。今度、それも相談してみようかな」
我がままだと怒られるだろうか。
だが、駄目だというのならば、フランツはきちんと根拠を示して説いてくれるだろう。
だから、今の任務が終わって落ち着いたら、フランツに相談してみよう。カイリの祖父母についても聞いてみよう。
「うん。そうしよう。……ふあっ」
色々カイリの中ですっきりしたからだろうか。バトを抱えながら、うとうととまた夢の世界へ落ちていく。
あと二日で、いよいよ任務だ。ファルという障害もあるが、絶対にやり遂げてみせる。
そして、またケントと遊びに行って、フランツに両親の話を聞いて、みんなで食卓を囲んで――。
様々な楽しみを思い浮かべながら、カイリはゆっくりと幸せな眠りの波に意識を委ねる。
そんなカイリの幸せそうな横顔を、レインがいつの間にか起きて見守っていたことを、カイリは知らないままだった。
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