第72話


「お、見えてきたな」


 しばしの休息後。

 再び歩いていると、レインが道のりの終焉を告げる。後頭部で手を組みながら示唆しさするその声は、どことなく弾んでいた。

 カイリも重い頭を持ち上げると、確かに道の奥の方に入口が見える。厩舎きゅうしゃが横に広く並んでいるのも目に入ってきて、少しだけ心が弾んだ。


「おお、いらっしゃい、第十三位の皆さん!」


 逸早く気付いたらしい世話係が、こちらに向かって手を振ってくれる。

 それに、「おー」とレインが手を振ったのを見て、カイリも笑って返した。


「こんにちは、コリンさん」

「こんにちは、カイリ君。アーティファクト、今日も元気だよ」


 悪戯っぽく彼の指した方向を追いかけると、ひひーん、と歓迎する様に柵から身を乗り出すアーティファクトがいた。

 彼は、毎日顔を出せないのに、カイリに本当に懐いてくれている。その事実が嬉しくて、一目散に駆け寄った。


「アーティファクト! 久しぶり。元気だったか?」

「ひんひん!」

「あはは、くすぐったいぞ。今日は、外に一緒に出られるんだ。いっぱい走ろうな!」

「ひひん!」


 興奮しながら顔をすりつけてくる彼に、カイリも首に抱き付いた。

 彼に会えたのが嬉しくて仕方がない。さっきまで濃厚だった疲労もいつの間にか吹っ飛んでいる。体がとても軽かった。


「何だか、お前に会ったら元気になったよ。ありがとう」


 礼を告げると、嬉しそうにアーティファクトがすり寄ってくる。

 初対面の時も思ったが、彼は何だか良い匂いがする。馬なのに不思議だな、とカイリはすりっと顔を寄せた。

 そんな自分達の様子に、レインが呆れた様に笑う。


「あー、ほんとにお前らラブラブだなー。オレなんか、そいつは触るだけで手いっぱいだってのに」

「ぼ、ボクなんか外向そっぽ向かれるんすよ! リオーネさんには触らせるのに!」

「でも、カイリ様みたいにはじゃれ合えません。やっぱり、これが心のつながりなんでしょうね」


 頬に手を当て、しみじみと呟くリオーネに、カイリは本当に不思議な気持ちになる。

 確かに、初対面の頃から彼は自分を真っ直ぐ見据えていた気がした。特に何かした覚えはないのだが、馬には初心者のカイリにも、静かに走ったり止まったりしてくれる。

 彼はとても優しい目をしているし、カイリの心も安らかになる。謎に満ちているが、彼と共にいられるのは至福の時間だった。


「アーティファクト。本当に、俺達の言葉が分かってるのかもな」

「ひんっ!」

「あはは、そうか」


 胸を張る様に前足を上げられ、カイリは本当にそうなのかもと思ってしまう。

 コリンが、「いやー、カイリ君のおかげで、僕も触れるんですよねー」とにこにこ笑っているのを見て、アーティファクトもここの人達には態度が軟化しているのだと悟った。良い傾向である。


「レインさんの馬は、どうですか?」

「ああ、アレクサンダーか? こいつも元気みたいだな」


 わしゃわしゃと自分の馬を撫でるレインに、カイリの口元がほころぶ。

 アーティファクトもそうだが、レインの馬も相当に大仰な名前だ。彼もあまり他の人間には心を許さないらしく、エディは前に唾を吐きかけられていた。ぎゃーぎゃー叫んでいたのが懐かしい。

 しかし、第十三位にもそれぞれ専用の馬がいるとは驚いたものだ。他の騎士達にも全員いるのかというとそうではないらしいので、つくづく第十三位は不可思議な存在である。


「アーティファクトは、アレクサンダーと仲良くやっているのか?」

「ぶるっ!」

「おう。アレクサンダー、どうなんだ?」

「ひん!」


 二頭とも揃って頭を寄せ合っている。ふん、と外向を向く感じではないので、仲はそれなりに良いのだろう。安心した。


「ま、こいつにも友が出来たみたいで良かったぜ」

「はい。俺もです」

「って、あー! ちょっとブラック! お前、どうしていつもボクの言うこと聞かないんすか! 聞けー!」

「あらあら、エリザベスったら。今日も毛並みがつやつやですね。良かったですね」


 エディは騒がしく馬と格闘をし、リオーネは馬と一緒に互いの美容を褒め合っている。

 何というか、どこまでも彼ららしい。馬まで主人と気質が似るのだろうか。


「さて、そろそろ出かけるかね……、――」


 レインが馬の手綱を引いて誘導しようとし、不自然に固まった。視線の高さも中途半端に止まっている。

 何だろうとカイリも彼の視線を追いかけ――硬直した。ぱちっと、一度大きく瞬いてしまう。



「……、え?」



 カイリの視線の先では、地面に何か真っ白な生き物が鎮座していた。



 いきなり出現した生物に、カイリはまじまじと凝視してしまう。

 それは、魚の様でいてまるで違う。まるっとしていながらも、真っ白なフォルムの曲線は綺麗だ。ふわふわしていて、触れたらとても手触りが良さそうである。

 丸くて黒いつぶらな瞳に、短くもきりっとした眉。きゅっと鳴きそうな口元がまた愛らしい。

 カイリは、本物を見たことは無い。絵本や図鑑の中でしかお目にかかったことがないが、その存在は知っている。


 これは、あざらしだ。すっぽり懐に入りそうなくらい小さいが、間違いない。


 だが、あざらしは決してこの様な陸にはいない生き物だ。しかも、毛並みがぬいぐるみの様にふわふわしている。

 何故、ここに。

 混乱した頭が沸騰寸前まで追い詰められていると。



「……あー、ラッシーじゃねえの」



 ラッシーって何だ。



 まるで旧友に語りかける様なレインの声に、カイリはぐるんと振り向いてしまう。


「って、知り合いなんですか!?」

「あ? ああ、まあ。ラッシーっていうのは、あざらしの精霊でな。オレたち第十三位の守護精霊なんだわ」

「……精霊!? 守護!? はいっ!?」

「落ち着けよ。目がこええよ。顔もちけえよ」


 がしっと不躾ぶしつけにレインの両腕を掴み、カイリは詰め寄ってしまう。レインが呆れながらも全力でカイリの頭を右手で追いやるので、仕方なく手を離した。

 守護精霊。第十三位の。騎士団にそんな存在がいるのは初耳だ。

 いや、それよりも何よりも。



 あざらしの守護精霊とは、これ如何に。



 そんな可愛らしい存在がこの世にいるのか。



 異世界っぽい生物が初めて現れたことに、カイリの心はこの上なく高揚した。


「あ、あの! 初めまして、ラッシー!」

「きゅ?」


 首――があるのかよく分からないが、体全体で傾くラッシーに、カイリは「ほわあっ!」と雄叫びを上げる。背後のエディは「体当たりされろ」と呪詛じゅそを放ち、リオーネは楽しげに見守っていた。


「お、俺、カイリって言うんだ!」

「……、きゅっ!」


 びしっと、短い右手を挙げて、ラッシーが答えてくる。

 何と元気の良いあざらしか。陸の上でこれほどまでに威勢が良いとは、流石は精霊なだけある。


「あの、俺、あざらしって本物見るの初めてで」

「きゅう!」

「……触ってみたいんだけど、……良いかな?」

「……、きゅっ!」


 どおんと来い! と言わんばかりにラッシーが尻尾で立ち上がる。短い手で体を叩き、さあ来い、と招き始めた。

 その可愛らしさと勇ましさに、カイリの心は天を突き抜けた。


「あ、ありがとう! では、失礼して」


 近付いて、そろそろと手を伸ばすと。



 ぴょーん、と向こう側から懐に飛び込んできた。



 ぽすん、と収まったラッシーはやけに軽い。あざらしは本来かなり重そうだが、精霊だから軽いのかもしれないとカイリは推測する。

 そして。


「……うわあ。ふっかふか」

「きゅきゅー!」


 自慢げに体を反らすラッシーに、カイリは頬が緩むのが止められない。

 撫でた時のふわふわした手触りも抜群だ。白い毛並みも艶々つやつやで、アーティファクトとはまた違った良さがある。


「って、何でー! ボクなんか、未だに触れさせてもらえないのに!」

「エディさん、いつもみぞおちに体当たり食らって沈んでいますもんね」

「あー。これが人徳って奴か? カイリ、割と動物に好かれるんだなー」

「って、許せん! 新人に負けていられないっすよ! ラッシー! 今日こそ!」

「……、きゅっ!」

「ぶはあっ!?」


 エディがカイリの腕の中を目掛けて突っ込んできたのを、ラッシーが飛び上がって回し蹴り――ならぬ回し尻尾を食らわせる。

 まともに顔面に食らったエディは、遥か彼方までぶっ飛んで行った。どおん、と何故か丁度良く積み上がっていた木材の山に突っ込み、がらがらと埋もれていく。


「え、エディ!? 大丈夫か!?」

「ぐふっ……今日も駄目だった……」

「きゅー」

「ラッシー! 暴力は駄目だ! 守護精霊なんだろ?」

「……きゅ?」


 不思議そうに見上げてくるラッシーは愛らしい。カイリはそのつぶらな瞳に屈しそうになる。

 だが、彼は守護精霊だとレインが言っていた。守護と付くからには、第十三位を守るか見守ってくれる存在のはずだ。

 だから。


「えーと。エディは、俺にとって大切な仲間なんだ」

「……、きゅ」

「だから、……えーと。……気に入らなくても、そのー」

「きゅ」

「……もう少しだけ、手加減して欲しいな? って」

「そこで、何で『攻撃はやめて』って言わないんすかー!」


 がらがらあっと盛大な音を立てて、木材の山からエディが復活する。なかなかタフである。

 ラッシーはと言うと、少し考え込んでから「きゅ」と頷いた。その瞳には真剣な光が宿っていたから、承知はしてくれた様だ。

 彼は完璧に人の言葉を解しているらしい。凄いな、とカイリが感心していると。


「……、ぶるっ」

「え? うわっ!」


 首元の辺りを、急に何かがぐりぐり押し付けてくる。

 振り返ると、アーティファクトが頭を懸命に押し付けている姿が目に入った。その瞳が少し不満げな色をしていて、カイリは慌てて彼の首を撫でる。


「ごめん、アーティファクト。忘れてなんかいないよ」

「……ひんっ」

「今日は、一緒に出掛けるんだからな。いっぱい遊ぼうな!」

「ひひん!」


 嬉しそうに、アーティファクトがいななく。

 ラッシーも一緒に飛び上がって彼の頭の上に乗ると、彼はしばらく考えてからぽーんとラッシーを高く飛ばした。

 そのまま、ぽすんとくらにラッシーが着地する。ご機嫌の笑顔で鳴いているのを見ると、彼らは仲良くなった様だ。


「へー。ラッシーとアーティファクトがねー」

「ラッシー様、どの守護精霊とも仲良くしないのに。不思議ですね」

「え。そうなの?」


 大体、守護精霊という存在がいるのも初耳だ。

 説明を視線だけで求めると、レインが頭を掻きながら口を開いた。


「あー、滅多に姿現さないからな。忘れてたわ」

「レインさん……」

「ま、そう睨むなって。どの騎士団にも、その活動を象徴して見守る守護精霊っていうのがいるんだ。その名の通り、不思議生物。殺しても死なないしな」

「って、こんな可愛い生き物、殺すわけがないですよね!」

「ああ、まあな。落ち着けよ、お前。ほんとにこええよ」


 ぐあっと胸倉を掴む勢いで迫ると、レインが思い切り身を引いた。

 つい我を忘れてしまったとカイリは反省するが、仕方がないとも思う。ラッシーは可愛い。可愛すぎる。


「ま、実際いてもいなくても、オレたちを守ってくれたこととか一度もねえしな」

「そうなんですか?」

「そうですね。ラッシー様自身、一年に何回か出てくるくらいで、普段どこにいるかも分からないんです」

「だから、結構レアなんだぜ。良かったな、カイリ。一ヶ月もしない内に会えるなんてよ」


 しかも、仲良くなって。


 カイリの頭を撫でながら、にやりとレインはエディを見やる。

 エディは不服そうにカイリを睨みながら戻ってきた。ラッシーとアーティファクトを恨めしげに見つめ、深く嘆息する。


「あーあ。ただでさえ、他の団の精霊はカッコ良いのに。何でよりによって」

「……きゅ?」

「嘘です。すみません。ラッシー様最高」

「……弱いね、エディ」

「うっさいですよ!」


 涙混じりに怒鳴るエディが、少々憐れに思えてきた。カイリは目を逸らしながら、話題も少しだけ逸らす。


「その、他の団はどんな感じなんですか?」

「第一位は、鳳凰ほうおうなんですよ」

「ほ、鳳凰!?」

「第二位はたかだったな」

「た、たか……」

「第三位は白い蛇だ。姿見せる時は、杖に巻き付いてることが多いな」

「第四位は真っ白な鳩っす! 大きくてカッコ良いんですよ! 他にもライオンとかもいるのに、何であざらし……」

「きゅ?」

「はい! すんません!」


 びしっと、敬礼しながらエディが謝るのを見て、取り敢えず彼が殴られるのはこれが原因なのではとカイリは納得した。

 しかし。



 ――精霊か。



 聖歌といい、記憶といい、この世界は謎に満ち溢れている。

 もちろん、前世の日本に謎が無かったとは言わないが、この世界はそれ以上に不可解な点が多い。

 いつか、分かる時が来るのだろうか。カイリは、村にいた時と同じく、時々ざわざわと落ち着かない気持ちをあおられる。



〝お前が捕まるわけにはいかない。特に、狂信者には。世界が破滅に近付く〟



 不意に、父の言葉が脳裏によみがえる。

 父は、自分が捕まれば世界が破滅に近付くと言っていた。

 その理由は、未だ知らない。狂信者のことも、ばたばたと日々の忙しさに追われてまだ詳しく聞けていないままだ。


 ――ねえ、父さん。


 ここにはいない父に呼びかける。

 父は、世界について何か知っていたのだろうか。だから、あんな言葉をカイリに告げたのか。

 父が、第一位の団長だったこと。大事件があって辞めたこと。あの村に来たこと。

 そして今、父の親友であるフランツに導かれ、カイリはここにいる。世界の謎の中心地に。

 特に、そこに疑問は無い。原因があるから結果がある。それだけだ。

 けれど。



 何だか、全てが繋がっている気がして、カイリはどうしようもない不安に駆られる。



「おい、カイリ。そろそろ行くぞ」

「――っ」



 レインに背中を叩かれ、カイリは我に返った。

 びくっと肩が揺れたことに、彼も気付いたのだろう。いぶかしげに眉根を寄せる。


「どした?」

「……、いえ。すみません。えーと」


 誤魔化そうとしたが、上手く言葉にならない。

 レインは少しだけ何か考える素振りを見せたが、ぽんっと頭に手を乗せるだけで馬の方へと向かっていく。



 ――いつか、聞いてみようか。



 彼に、彼らに。

 この世界のことを、どう思っているか、と。


 もう少し、この不安を形に落としこめたなら。

 もう少し、彼らと距離を縮められたなら。


 その時は、聞いてみよう。

 決意して、カイリはアーティファクトへと歩み寄った。











「……、あれは」


 カイリ達が馬に乗って遠出をするのを、白髪の老人が目を見開いて凝視した。

 気難しそうな馬に、楽しそうに乗りながら笑うカイリを、老人はじっと静かに見つめ続ける。

 突然姿を現した彼の存在に、驚愕が雷の様に穿うがたれた。

 戸惑い、悩み、――けれど、一番奥から立ち上ってくる感情に、驚きつつも納得して。

 そうか、と。最後に行き着く結論は一言に集約された。


「……、ふむ。数奇なことよ」


 仕方ないといった風を装って、老人は元来た道を戻っていく。

 これから先、何が起こるか。

 思いを巡らせながら歩くその足取りは、少しだけ軽やかだった。


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